第3話 祈りと沈黙
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――朝。
霧に包まれた山々の向こうから、薄金の陽光が差し込み、
カレンツ辺境伯領の鐘が、静かに一日の始まりを告げる。
「カレンツ様、今朝の王都通信です」
副官レリィが差し出した封書には、金の紋章――〈宗務庁〉の印。
「……宗務庁、ね」
わたしは封を切り、文面を読んだ。
《通達:辺境伯領カレンツにおいて、異端教派の流布および“闇信仰”の兆候あり。
宗務庁査察官を派遣する。対応を誤れば、自治権の剥奪を含む処分も検討。》
レリィの顔が固まる。
「……異端、ですって?」
「ええ。心当たりは、たぶん“黒麦酒”ね」
「黒麦酒……まさか、あれが?」
「成分のひとつに“夜影草”があるの。
宗務庁はそれを〈闇属性植物〉と分類してる。
要するに、色が黒いだけで“邪悪”と決めつけてるのよ」
静かな部屋に、ため息がこだまする。
――戦争も、税も、乗り越えた。
けれど、信仰だけは、理屈では抗えない。
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◆ 第一節:宗務庁査察官、到来
三日後。
領都の大門を、白衣の一団が通過した。
先頭に立つのは、銀髪に金の瞳を持つ男――宗務庁査察官、セオドール・ヴァイス。
「辺境伯殿、王の恩寵あらんことを」
「ようこそ、ヴァイス査察官。辺境の空気は冷たいでしょう?」
「信仰の炎があれば、寒さなど問題ではありません」
――なるほど。
開口一番から信仰比喩。面倒なタイプだ。
わたしは笑顔を保ったまま、客間へ案内した。
宗務庁の視察は形式上「信仰監査」だが、実質は政治査問だ。
中央からの圧力、王都の不信――すべてを測る秤でもある。
「査察の目的をお伺いしても?」
「近頃、闇属性植物の流通が王都で問題になっています。
貴領の黒麦酒、その原料に“夜影草”が使われているとの報告を受けました」
「確かに使っています。ですが、闇魔術とは無関係。
ただの香り付けです」
セオドールの金の瞳が、まっすぐわたしを射抜く。
「それを、我々が確かめに来たのです」
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◆ 第二節:沈黙の塔 ― 信仰の審問
査察の舞台は、領都北端にある古い修道塔――通称“沈黙の塔”。
宗務庁の許可がなければ立ち入りもできない、古の聖域だ。
「……よりによって、ここでやるとは」
「聖域の“空気”が真偽を分けるのです」と、セオドール。
塔の中には、祈祷師たちと書記官NPCが並び、
中央の壇上に、わたしが立たされた。
――尋問イベント。
SLGの中でも、外交より緊張するタイプのミッションだ。
プレイヤーは言葉の選択肢で信用度を変化させ、
一定値を超えれば“異端認定”。敗北。
セオドールが書を開く。
「問います。あなたの領では、“夜影草”を祈祷や儀式に使用しましたか?」
【選択肢】
1.「祈祷には使用していない」
2.「儀式的意味合いはあるが、無害だ」
3.「我らの信仰は闇を拒まない」
――3は論外。
2も危険。正解は――1。
「祈祷には使用していません。
ただの農産物として育てています」
「ふむ。では問二。
夜影草は光の祝福を受けぬ植物。
その育成は“闇への親和”を意味する。あなたは闇を愛すのですか?」
【選択肢】
1.「愛さない」
2.「愛も憎しみも、理解のうちです」
3.「闇もまた、この地の一部です」
私は静かに笑った。
「闇もまた、この地の一部です。
――ですが、我々は闇を制御する術を知っています」
ざわ、と会場が揺れる。
セオドールの視線がわずかに動いた。
システムメッセージ:〈説得成功率+10〉。
“敵対的な質問に対して理知的に返答した”――
この手のイベントは、数字と心を両方読む。
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◆ 第三節:副官レリィの献策
尋問は一旦休憩に入り、塔の控え室でレリィが小声で言った。
「カレンツ様、査察官は完全に貴方を“魔女”扱いしています。
正面から論理で押しても、彼の信仰心は折れません」
「わかってるわ。だから――次は感情を使う」
「感情……ですか?」
「彼は信仰を盾にしている。でも、人間である以上、揺らぐ瞬間はある。
“正しい”と言い張る者ほど、ほんの一滴の矛盾に弱いのよ」
レリィの唇がわずかに上がる。
「……さすが、“穏やかな支配者”」
「穏やかじゃないかもしれないけどね」
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◆ 第四節:揺らぐ信仰
午後の尋問。
塔の窓から光が射し、黒曜石の床に反射していた。
セオドールが再び立つ。
「問三。
貴殿の領では、災害時に祈りを捧げる像が“女神像”ではなく“母の像”であると聞く。
それは、光神信仰からの逸脱では?」
わたしは一歩前へ出た。
「母の像――それは、この地の農民たちが、自分たちの祖母を模して作ったものです。
彼らにとって“祈り”とは、誰かの真似ではなく、生きるための願い」
セオドールの眉がぴくりと動く。
「神なき祈りなど、意味がない」
「意味を与えるのは神ではなく、人間です」
会場がざわついた。
信徒NPCたちの信仰値が揺らぐ音がした気がした。
システム:〈群衆動揺+20〉
セオドールがわずかに声を荒げる。
「あなたは神を否定するのか!」
「いいえ。私は“独占”を否定しているのです」
静寂。
その一瞬、彼の瞳がわずかに揺らいだ。
――そこ。
わたしはさらに言葉を重ねた。
「あなたの信仰は立派です。でも、それを知らぬ子供の祈りを“罪”と呼ぶのなら、
その神は誰を救うの?」
沈黙。
宗務庁の書記官たちが顔を見合わせ、誰も次の言葉を出せない。
画面に通知。
《審問成功:宗務庁信用+30/査察緊張度−50》
セオドールは目を伏せ、低く呟いた。
「……確かに、あなたの言う通りかもしれません。
ですが、私は職務を果たさねばならない」
「それでいいわ。
――信仰も政治も、“果たすべき役割”があるだけ」
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◆ 第五節:真夜中の懺悔
その夜。
塔の外に出たセオドールが、わたしの背後から声をかけた。
「辺境伯殿。あなたの言葉……忘れられません」
「査察官が感傷に浸るなんて、珍しいことね」
「私はただ、迷っているのです。
闇を拒むことが、本当に光なのか」
わたしは立ち止まり、夜空を仰いだ。
月が淡く照らし、雪のような霧が舞う。
「あなたが迷うなら、それは信仰がまだ“生きている”証拠よ。
完全な信者は、もう死んでいるもの」
セオドールが笑った。
「……あなたは恐ろしい人だ、カレンツ辺境伯」
「光も闇も、等しく見える人間が一番恐ろしいのよ」
沈黙が降りる。
やがて彼は深く頭を下げた。
「報告書には、“異端の兆候なし”と記すでしょう」
「助かるわ。でも……いいの?」
「真実を書いただけです」
そして彼は去った。
白い外套の裾が霧に溶け、朝の光が遠くで滲んでいた。
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◆ 終章:祈りの塔に残る影
査察が終わった後、塔の修道女NPCが一人、わたしに近づいた。
「辺境伯様……査察官様が、去り際にこれを」
差し出されたのは、一冊の古書。
表紙に刻まれた銘――《闇と光の均衡論》。
ページを開くと、一枚の短いメモが挟まっていた。
《あなたの言葉で、私は少しだけ信仰を取り戻した。
――セオドール・ヴァイス》
レリィが肩越しにそれを覗く。
「カレンツ様……彼、完全に落ちましたね」
「落としたつもりはないわ。ただ、少し考えさせただけ」
「さすが“穏やかな支配者”。
宗務庁まで懐柔するとは」
「……それでも、まだ終わりじゃない。
信仰が政治に口を出す限り、いつかまた来る」
「その時は?」
「その時も、同じよ。理と誠実で勝つ」
外の空には、黒麦畑が広がっていた。
陽光を受けて、穂が黒金に揺れる。
闇でも、光でもない。
ただ、確かに“生きている”色。
――この世界を導くとは、きっと、
白か黒を決めることではなく、
その狭間で迷い続けることなのだ。
私はそっと、古書を閉じた。
「今日もまた、地味に勝ったわね」
「ええ、完璧です。地味の極致です」
ふたりの笑い声が、沈黙の塔に柔らかく響いた。
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