第22話 草が土を縫い、堤が人をつなぐ日
――盛夏の空は高く、雲はゆっくりと流れていた。
白水路の水面は穏やかで、
川沿いの草は風に揺れながら、静かに根を張っている。
三谷郷では夏の作業が一段落し、
工房の音も少し落ち着きを見せ始めていた。
薬師ギルドは巡回医療を続け、
市場は夏衣と保存食で賑わっている。
ログイン完了。
行政盤に、新しい通知が一つ浮かび上がった。
《東境:堤防草種 改善作業 合同実施要請》
レリィが書簡を読み終え、静かに顔を上げる。
「カレンツ様……
東境が、“堤防の草”について正式に共同作業を希望しています」
カレンツは少しだけ微笑んだ。
「草、ね。
堤防の強さは、石より草が決めることもある」
レリィは一瞬きょとんとし、すぐに理解したように頷く。
「……根が土を縫う、というお話ですね」
「ええ。
水を抑えるのは石、
土を守るのは草よ」
こうして、
争いとは無縁の合同作業が始まった。
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◆ 第一節:東境の川辺 ― “静かな問題”の正体
東境の川は、白水路よりも幅が狭く、
流れは緩やかだが、増水時には土が削られやすい。
堤防に立つと、
土の表面がところどころ露出しているのが分かる。
東境の担当者モルハが、申し訳なさそうに言った。
「……石積みは整えました。
ですが、雨の後にどうしても土が流れます」
カレンツはしゃがみ込み、
堤の草を指先で持ち上げる。
「草が浅いわね」
レリィも同じ場所を見て頷く。
「根が横に伸びていません。
表面だけを覆っている感じです」
モルハは苦笑した。
「……見た目を整えるため、
刈りすぎてしまいました」
カレンツは首を横に振る。
「責めることじゃないわ。
“守る草”と“飾る草”は違う。
それを知らないだけ」
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◆ 第二節:草種の選定 ― “地を縫う草”という発想
持参した資料を広げる。
そこには、
辺境で実際に使われてきた草の図が描かれていた。
「この草は、
根が地表を這い、
細かく枝分かれする」
レリィが補足する。
「根が網のように広がり、
土を縫い止めます」
モルハは目を丸くした。
「草で……縫う?」
カレンツは小さく頷く。
「石は点で支える。
草は面で支える。
堤防は“面”で守るものよ」
選ばれた草は、
派手さもなく、
成長も遅い。
だが――
根だけは、しつこいほど強い。
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◆ 第三節:合同作業 ― 技術は言葉より雄弁
作業は早朝から始まった。
東境の作業者と、
こちらの技師・農民が並ぶ。
「溝は深く掘らない。
根が横に走れる深さで止める」
「株間は詰めすぎるな。
根が絡む余地を残す」
レリィが東境の人々に声をかける。
「草は“育てる”ものです。
置くだけでは根付きません」
最初は緊張していた東境の人々も、
次第に動きが揃っていく。
「……こうか?」
「ええ、その角度です」
言葉は少なく、
手の動きで通じていく。
《東境:堤防安定度 上昇中》
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◆ 第四節:昼休憩 ― ささやかな外交の時間
作業の合間、
川辺で簡単な食事を取る。
東境の人々が持参した干し肉と、
こちらの保存芋が自然に分け合われる。
モルハがぽつりと言った。
「……こんな形の“外交”があるとは思いませんでした」
カレンツは水を飲みながら答える。
「外交というほどのものじゃないわ。
困っている場所を、一緒に直しているだけ」
レリィが微笑む。
「でも、その“一緒”が大切なんです」
モルハはしばらく考え、
静かに頷いた。
「……確かに。
言葉より、
土を触るほうが早いですね」
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◆ 第五節:仕上げ ― 草が示す“未来の強さ”
夕方。
堤防の表面は、
不思議と落ち着いた印象に変わっていた。
派手ではない。
だが、
揺らしても崩れない。
レリィが草の根元を軽く引く。
「……もう、簡単には抜けません」
モルハは感慨深げに堤を見渡した。
「これなら、
次の雨も怖くない」
カレンツは静かに言った。
「草が根付くまで、
しばらくは見守って。
刈らないことが、
一番の管理よ」
《東境:治水信頼度+25》
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◆ 第六節:帰路 ― 草が結んだ縁
作業を終え、
東境の人々が見送ってくれる。
モルハは深く頭を下げた。
「……争いではなく、
暮らしのために手を取り合う。
それが、こんなに心強いとは」
カレンツは首を横に振る。
「私たちは、
ただ“正しいやり方”を共有しただけ」
レリィが静かに言葉を添える。
「それを受け取ってくださったから、
今日があるんです」
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◆ 終章:白水路の夕暮れ ― 今日も地味な勝利
夕暮れ。
白水路の草が風に揺れている。
工房の音は遠く、
水音だけが穏やかに続いていた。
レリィがぽつりと呟く。
「……石よりも草、
命を守るには、
そういう発想が必要なんですね」
カレンツはゆっくり頷いた。
「堤防も、国も、
強さは“しなやかさ”で決まるのよ」
そして、
いつもの言葉を静かに口にする。
「――今日も、地味に勝ったわね」
レリィが微笑んだ。
「はい。
とても、静かな勝利です」
草は風に揺れながら、
土を、堤を、
そして人の関係を、
そっと縫い止めていた。




