第21話 冷却金属と工房の静かな研究日誌
――盛夏の陽は強いが、
白水路を渡る風は不思議と涼しさを含んでいた。
三谷郷の畑は濃い影を抱え、
工房の屋根越しに立つ煙は、まっすぐ空へ伸びている。
薬師ギルドでは巡回医療が定着し、
市場では夏衣が日常の風景として溶け込んでいた。
ログイン完了。
行政盤に、ひとつだけ見慣れない表示が灯る。
《工房:北方より“冷却金属”到着》
レリィが静かに顔を上げた。
「……ついに、届きましたね」
「ええ。北方が“贈る”と言ってきた時点で、
もうこれは外交じゃなく、信頼よ」
木箱は頑丈で、
角には北方独特の刻印がある。
武骨だが、無駄がない。
「工房へ運びましょう」
「はい」
音を立てないよう、慎重に運ばれる箱。
その中には、
争いではなく“涼しさ”をもたらす金属が眠っていた。
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◆ 第一節:冷却金属の正体 ― “冷たさ”ではなく“逃がす力”
工房の奥。
第二炉とは少し距離を取った作業台の上で、
箱が静かに開かれた。
中にあったのは、
灰青色に鈍く光る金属片。
バロッサが息を呑む。
「……なんだこりゃ。
触った瞬間、ひんやりしてやがる」
レリィも指先でそっと触れる。
「冷たい……けれど、
“冷えている”感じとは少し違いますね」
カレンツは金属片を持ち上げ、
しばらく掌に乗せたまま観察する。
「……これは“冷却”じゃないわ」
「え?」
「熱を奪っているのではなく、
熱を逃がしている」
職人たちが一斉にこちらを見る。
「金属内部に、
微細な“空隙”がある。
熱が溜まらず、
自然に外へ抜ける構造よ」
レリィが小さく頷いた。
「……だから、
触れると“冷たい”と錯覚するんですね」
《技術解析:冷却金属
特性=放熱特化・蓄熱低》
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◆ 第二節:工房での試験 ― 火と冷却金属の距離感
最初の試験は慎重に行われた。
第二炉のそばに、
冷却金属を使った小さな板を設置する。
「直接炉に入れるなよ」
「分かってますって!」
炉の熱が伝わる距離。
その温度変化を、
職人たちが交代で触って確かめる。
「……あっ」
「すげぇ……熱くならねぇ」
レリィが温度計を確認する。
「炉の周囲より、
ここだけ温度が低いです」
カレンツは小さく息を吐いた。
「……これを“囲い”に使えば、
夏の工房の作業環境が一気に改善するわ」
《工房:作業環境 改善可能性+30》
バロッサがぽつりと言った。
「……これ、
兵器に使おうと思えば使えたはずですよね」
カレンツは即答した。
「ええ。でも北方は、
そうしなかった」
レリィが静かに続ける。
「“生活を守る技術”として渡してくれた……
それが、何よりの外交ですね」
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◆ 第三節:試作品① ― 工房用“冷却囲い”
冷却金属は、
まず“囲い”として使われた。
炉の周囲に半円状に配置され、
熱を外へ逃がす。
翌日。
「……あれ?」
「工房、今日は楽だぞ」
職人たちの声が、明らかに違っていた。
「汗が減った」
「集中力が続く」
レリィが帳簿を見て言う。
「作業時間が延びているのに、
疲労度が下がっています」
私は静かに頷いた。
「これが“生活の技術”よ」
《工房:夏季作業効率+25/事故率 −20》
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◆ 第四節:試作品② ― 夏衣留め具への応用
次に試されたのは、
市場で好評だった夏衣への応用。
「留め具に使えないか?」
「金属が冷たすぎないか?」
薄く加工された冷却金属を、
背中側の留め具として縫い込む。
レリィが試着してみる。
「……背中が、
ずっと涼しいですね」
カレンツは留め具の位置を確認する。
「熱が溜まりやすい位置に置くのが正解ね」
織師が目を輝かせる。
「これ……
真夏でも着られます!」
《市場:夏衣改良版
快適度+20/評判上昇》
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◆ 第五節:北方からの使節 ― 技術を見に来ただけの外交
三日後。
北方から一人の技師が訪れた。
鎧も武器も持たない、
ただの作業着姿。
「……使い方、
間違っていないか見に来た」
その言葉に、
レリィが一瞬驚く。
「視察ではなく……確認ですか?」
「うむ。
技術は、使い方で価値が変わる」
工房を案内すると、
北方技師は黙って頷いた。
「囲い……良い」
「衣服……それも良い」
そして、ぽつりと。
「兵器に使っていない。
それが、何よりだ」
カレンツは静かに答えた。
「私たちは、
争う余裕より、
暮らしを良くする必要があるの」
北方技師は短く笑った。
「……だから、この金属を託した」
《外交:北方信頼 固定化》
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◆ 第六節:副産物 ― 薬師ギルドでの活用
冷却金属は、
薬師ギルドでも役に立った。
薬草乾燥棚の一部に設置すると、
香りが安定する。
「……揮発が抑えられてます」
「薬効が落ちない!」
レリィが驚く。
「工房だけでなく、
医療にも波及するなんて……」
カレンツは静かに言った。
「良い技術は、
一箇所に留まらないものよ」
《医療:薬草品質+18》
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◆ 第七節:夕暮れの工房 ― 技術が結んだ“静かな縁”
北方技師が帰る前、
白水路を一緒に歩いた。
彼は川を見て言った。
「……静かな領だ」
「ええ。
騒がしいのは、工房の中だけ」
「それでいい」
彼はそう言って、
小さく頭を下げた。
「この金属、
ここに来て良かった」
それ以上の言葉はなかった。
だが、それで十分だった。
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◆ 終章:夜風と、今日も積み上がった“地味な勝利”
夜。
工房の灯りは少なく、
冷却囲いが淡く光を反射している。
レリィが静かに言った。
「……外交らしい外交をしていないのに、
関係は深まっていますね」
「生活を良くすれば、
自然と信頼は生まれるものよ」
カレンツは夜風を吸い込み、
いつもの言葉を口にした。
「――今日も、地味に勝ったわね」
レリィが微笑む。
「はい。
静かで、確かな勝利です」
冷却金属が、
工房の熱を逃がしながら、
この領地の未来もまた、
静かに守っていた。




