第2話 名声ログに刻まれた言葉
――朝靄が立ちこめる。
灰色の山並みが淡く光を反射し、遠くの森のざわめきが耳に心地よく響く。
ログイン完了。
今日も、静かな辺境の朝が始まった。
「おはよう、レリィ」
「おはようございます、カレンツ様。昨夜の報告をお持ちしました」
副官レリィが机の上に広げたのは、領内の収支報告書。
項目は食糧生産量・交易利益・教育費・宗務費――ずらりと並ぶ数値を、私は無言で追う。
「……ふむ。農作物の収穫率が先週より二%減っている?」
「はい。黒土地帯の水路が、一部土砂で埋まっているようです」
わたしは軽く頷き、地図を開く。
「なら、北水路の再建計画を発動。資材を三十、職人を十五名割り当て。優先順位を“高”に」
「了解しました。費用は予備費から捻出いたします」
――このゲームは、地味な数字の積み重ねが世界を変える。
剣を振らずとも、政策ひとつで領民の幸福度は上がる。
それが、カレンツ辺境伯領のやり方だ。
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だが、その穏やかさを破る通知が、突然画面に現れた。
《王都より通達:新税制“国境通行料”の施行》
《内容:地方領主は交易路を利用するたび、王国本税の3%を納付すること》
「……やっかいね」
レリィが顔をしかめる。
「この通行料、事実上の“辺境搾取税”です。王都は財政難なのでしょう」
「分かってる。でも、これは放置できない」
辺境の小国は、中央の財布。
地味に稼ぐ者ほど、上から搾られる。
――それは、現実でもこのゲームでも変わらない真理だった。
「通行料を払えば、交易利益が減る。かといって拒否すれば“王命違反”で信用が落ちる」
「どうなさいますか?」
「……レリィ。秘密裏に商人ギルドを呼んで。夜、私室で話す」
彼女が静かに頷く。
昼間は表の顔で政策を進め、夜は裏の帳簿を動かす。
――辺境の領主は、二つの顔を持たねば生き残れない。
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夜。
灯りの消えた執務室で、蝋燭の炎だけが揺れている。
重い扉が軋み、ひとりの男が入ってきた。
「夜分に失礼いたします、辺境伯殿」
「構わないわ、ギルド長。例の件、話を聞かせて」
男――商人ギルドの代表、グラン=バルド。
腹の底まで読めない笑みを浮かべながら、帳簿を差し出す。
「新税は我々にとっても死活問題です。特に北交易路の輸送費が上がれば、商人たちは王都行きを避けるでしょう」
「それは困るわね。こちらの穀物は王都市場で売ってこそ価値が出る」
「ええ。ですが……一つ、抜け道があります」
グランの声が低くなる。
「“港湾経由の免税ルート”――沿岸を回ることで、王都の検問を避けられます。
ただし、そこは現在〈ラディオン侯国〉の支配下。正式には、敵国です」
わたしは無言で地図を見つめた。
ラディオン――先日の交易封鎖を仕掛けた、あの隣国。
いまやユーリス卿の影響下にあるとはいえ、公式には停戦状態だ。
「……危険すぎる取引ね」
「しかし利益は莫大です。成功すれば、辺境伯領の財政を三ヶ月は潤す」
レリィが横で小声に囁く。
「カレンツ様、もし発覚すれば……王国反逆罪です」
「知ってる。でも――」
わたしはゆっくりと椅子に背を預け、蝋燭の炎を見つめた。
「地味にコツコツ稼いだ国を、税で潰されるのは御免だわ。
……いいわ、グラン。条件がある」
「ほう」
「免税ルートを使うのは、農産物ではなく“酒類”限定。
王都の税目は食糧に重点が置かれてる。酒なら監査の目が緩い」
グランの目が光る。
「……なるほど。酒なら、検問も形だけ。抜けられますな」
「それと、利益の三割は村の基金へ。王都に知られぬ形で再投資する」
「……辺境伯殿、あなたは本当に……堅実なのか狡猾なのか分からん方だ」
わたしは笑った。
「両方でいいのよ。正直者だけでは、この国は守れない」
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数日後。
水路の再建が進み、村々は再び活気を取り戻していた。
その一方で、王都からの徴税官が現れたという報告が入る。
「徴税官が……? 予定より一週間早いじゃない」
「はい。どうやら噂が広まっているようです。“辺境で密貿易がある”と」
――誰かが、嗅ぎつけた。
私は外套を羽織り、馬に跨った。
向かうは北の村、交易拠点〈ラダス〉。
もし港の抜け道が露見すれば、すべてが終わる。
風を切りながら、わたしは独りごちた。
「まったく、コツコツ型の領主にまでスパイが付くなんて……」
現地に着くと、村人たちが緊張した面持ちで集まっていた。
「カレンツ様、徴税官が倉庫を調べています」
わたしは静かに頷き、倉庫の扉を開けた。
中には、酒樽が並んでいる。
「これは?」
「領内生産の黒麦酒です。検分なさいますか?」
徴税官が一つの樽を開け、香りを嗅いだ。
「ふむ……良い香りだ。確かに酒のようだな」
わたしは淡々と答える。
「“ようだな”ではなく、酒です。王国法第七条――酒類は“嗜好品扱い”。課税対象外」
徴税官が口を噤む。
法典を暗記している領主は珍しいらしい。
彼は渋々書類を閉じ、退いた。
「……確かに、問題はありません。失礼しました」
去り際、村人たちが息をつく。
「カレンツ様、あんた……本当に全部読んでるのか?」
「ええ。この世界の条文は、面白いのよ。生き方のヒントが詰まってる」
笑いながら言うと、彼らは困ったように、でもどこか誇らしげに笑った。
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その夜、王都から密書が届いた。
差出人は――ユーリス卿。
《辺境伯カレンツ殿へ。貴殿の黒麦酒が我が領に流れている。
もし取引の一部がラディオン経由であるなら、話し合いたい。》
レリィが顔を青ざめさせる。
「見られています……」
「いいえ、逆よ」
わたしは微笑んだ。
「“話し合いたい”――つまり、彼も利を求めている」
翌夜、外交チャットが開かれた。
「また会いましたね、カレンツ殿」
「ごきげんよう、ユーリス卿。こちらこそ、あなたの噂は王都でもよく耳にします」
彼は苦笑する。
「敵国を経由してまで酒を運ぶとは……大胆ですね」
「生活のためよ。あなたのような戦争屋には、分からないかもしれないけど」
「……そう言われると、反論できないな」
少しの沈黙。
そして彼は、低い声で続けた。
「提案があります。あなたの黒麦酒、うちの市場にも正式に卸してほしい」
「……あら、密貿易を合法化するおつもり?」
「互いに儲かる話です。あなたの利益率を維持したまま、こちらで“合法”のルートを作る」
わたしは目を細めた。
――敵国を利用して、利益を両立させる密約。
危険だが、悪くない。
「条件があるわ」
「聞こう」
「契約書に、“いかなる戦時にも交易を妨げない”と明記すること。
つまり、あなたが私に剣を向けたら、自分の商人も飢えるように」
ユーリスが笑った。
「本当に、あなたは……戦わずして勝つ人だ」
交渉成立。
システム通知が光る。
《外交協定成立:黒麦酒交易条約》
《効果:王国信用+10/財政収入+30》
――数字は地味でも、重みは確かだ。
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夜が更ける。
執務室の窓の外で、雪のような霧が舞っていた。
レリィが湯気立つ茶を置く。
「今日もお疲れさまでした、カレンツ様。王都の噂では、あなたを“黒麦酒の女領主”と呼んでいるとか」
「……あまり嬉しくない称号ね。でも悪くはないわ」
茶の香りを嗅ぎながら、私は帳簿を閉じる。
「戦わずに領地を保つには、信頼と恐れの両方が必要。
どちらかだけでは、誰も従わない」
「それが、穏やかな支配者の哲学ですね」
「ええ。穏やかでも、支配は支配。責任は重いわ」
窓の外では、遠くの村の灯が瞬いている。
その光ひとつひとつが、私の選択の結果であり、
いつ消えるかも分からない。
でも、それでもいい。
わたしは静かに呟いた。
「今日も、地味に勝った」
レリィが笑う。
「ええ。派手さはなくても、あなたは確かに勝ち続けています」
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翌日、ログイン時に通知が現れた。
《称号更新:穏やかな支配者 → “沈黙の交易女王”》
《効果:外交信頼+30/王都評価−5/闇商ルート開放》
「……マイナスも付くのね」
「ですが、これもカレンツ様らしいです」
私は小さく笑った。
派手な戦争をしなくても、確かに世界は動いている。
地味で、誰にも気づかれないやり方で――。
机の上に、昨日の茶碗が冷めたまま置かれている。
それを片づけながら、わたしは呟いた。
「明日は、麦畑の収穫祭か……。ふふ、少しくらい派手でもいいかしら」
穏やかな支配者の一日は、
今日もまた、静かに始まり、静かに世界を変えていく。
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