第1話 辺境伯カレンツの穏やかな戦略日誌
――ログイン完了。
視界に浮かぶ光の粒が形をとり、遠く霞む山脈と、霧の谷を抱えた小国の地形が現れた。
ここは《王国統治SLGオンライン》。
プレイヤーがそれぞれ領主となり、土地を開発し、外交・戦争・交易・信仰政策を駆使して国を導く大規模戦略ゲーム。
そして――
その片隅に、他のプレイヤーから「地味にすごい」と囁かれる領地がある。
名は〈カレンツ辺境伯領〉。
その領主が、わたし――カレンツ=ノワ=エルディアだ。
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「税率八%据え置き。農作物は黒土地帯で安定生産。交易路の見直し……っと」
ゲーム内の執務室。机の上に広げた地図には、灰色の針で各村の位置が示されている。
わたしは指先で一つずつ動かしながら、領内の資源バランスを確認した。
このゲーム、派手な戦争や暗殺イベントもあるけれど、地味な内政こそが勝敗を分ける。
人口増加率・食料生産量・住民幸福度――
どれも手を抜けば数日後に「暴動」や「疫病」イベントが起きて取り返しがつかなくなる。
「カレンツ様、また村の子供たちが学校を建てたいと言っております」
副官NPCのレリィが報告書を差し出す。彼女も同族のダークエルフ。わたしの片腕だ。
「また? この辺境にもう三つも学校あるのに……」
「ですが識字率が上がれば、次の『学問発展ボーナス』が解放されます」
そう言われて、わたしは少し考え込む。
確かに、学問発展が進めば魔術研究や行政官育成が捗る。
だが学校を建てすぎると、維持費が馬鹿にならない。
「……じゃあ、寄付という形にしてもらおう。建設は村民自らの手で、領主は基金を支援するだけ」
「了解しました。賢明なご判断です」
――わたしは、基本的に戦争をしない。
ログイン勢が血気盛んに城を落とし合うなか、わたしはただひたすら、領地の帳簿と睨めっこしていた。
けれど、このコツコツ型のプレイこそ、案外侮れない。
なぜなら、戦争プレイヤーが疲弊して去っていく頃、地味な領地がじわじわと国力で追い抜くからだ。
「領主カレンツ、現在のレベルは……五十六、ですね」
「うん。地道に上げてきた成果よ。派手さはないけど、安定は力になる」
そう口にすると、レリィが微笑んだ。
「あなたが選んだ“安定”が、この地の誇りです」
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夜。領都カレンツの広場に、灯が点る。
市場では果実酒の香りが漂い、旅人たちが三味線のような弦楽器を奏でていた。
そんななか、わたしは使節館で、他国の領主と対面していた。
「――では、次期の穀物輸送ルートを北回りに変えたい、というのが貴国の提案ですか?」
相手は〈レドール侯国〉の若き当主、ユーリス卿。
彼は戦争ゲーム勢で、戦略SLG内でもかなり好戦的なプレイヤーとして知られている。
なのに――今は、やけに穏やかな表情でこちらを見ていた。
「ええ。辺境の氷雨地帯が溶け始めて、南路は通行止めが多い。あなたの領の協力があれば、物流が楽になります」
「ふむ……その代わり、通行税を半分に抑えてほしい、と」
彼の言葉を、静かに吟味する。
このSLGでは、プレイヤー同士の外交交渉もリアルタイムで行われる。
内容次第では、他国が裏切りや同盟破棄を仕掛けてくる。
つまり――この交渉も、戦争と同じ。
「ユーリス卿。あなたは我が領を“通り道”としか見ていませんね」
「ほう?」
「我々の農産物、あなた方の市場で売られています。つまり、我が領の穀物があなたの領の経済を支えている。
――通行税を下げるなら、その分、交易品の価格調整をお願いしたい」
少し間を置いて、相手が目を細める。
「……価格調整、か。商人ギルドが黙っていないと思いますが」
「だからこそ、ギルドにとっても損にならない提案を――“酒の輸出”で補填しましょう」
「ほう……。なるほど、あなたの領の黒麦酒か」
ユーリスが笑みを浮かべた。
取引成立。外交ボーナス+15。
画面右上に静かにアイコンが浮かび、わたしは胸の内でガッツポーズをとった。
この地味な交渉の積み重ねが、戦争よりもよほど領地を豊かにする。
派手な戦果はないけれど、外交履歴はいつの間にか国の上層部に届き、
“カレンツ辺境伯領――信頼に足る国家”と評されるようになっていた。
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週末の夜。
オンラインの王国会議が始まる。
全国のプレイヤー領主が音声チャットで集まり、議題を出し合う。
〈議題:東方砂漠帯の新モンスター出現に伴う連合軍の結成〉
わたしは静かにマイクをオンにした。
「カレンツ辺境伯領、発言を許可願います」
『あ、カレンツさんだ。今日も来てたんだ』『相変わらず堅実勢のトップだな』
ざわめきの中、わたしは淡々と提案した。
「連合軍を結成するのは賛成です。ただし兵糧庫の補給体制を確立しないまま遠征すれば、補給切れで壊滅します」
『まーたカレンツさんの補給計算が始まったぞ』
『前回もあの人の提案で半分の損害に済んだじゃん』
笑い混じりの声が飛ぶ。
けれど、数字を詰めると誰も反論できない。
このゲームは“感情”では動かない。資源とロジックが全てなのだ。
最終的に、わたしの提案した「三拠点補給型遠征プラン」が採用される。
会議終了後、他のプレイヤーから個別チャットが届いた。
『地味にすげぇな、カレンツさん。なんでそんなに冷静なん?』
『戦争しない領主が一番頼りになるって、皮肉だよな』
わたしは笑って返した。
「戦わない領主ほど、戦争の怖さを知ってるのよ」
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数日後。
農村の視察イベントで、わたしは領民の前に立っていた。
ダークエルフの細身の体に、黒銀のマント。耳に光る紋章ピアスは、領主の証。
「カレンツ様! おかげで畑が豊作です!」
「ありがとうございます! あの魔力灌漑装置、本当に助かりました!」
笑顔が広がる。
NPCの台詞だけど、長年のプレイで情が移ってしまう。
この村の一人ひとりが、数字ではなく、ちゃんと“生きている気がする”のだ。
「カレンツ様、どうかこれを」
老人が差し出したのは、小さな木彫りの像だった。
“女神像”イベントアイテム――幸福度+5。
「ありがとう。領主として、誇りに思うわ」
「……あんたのような領主なら、戦は要らねぇな」
そう呟く村人の声に、胸が温かくなる。
この瞬間のために、コツコツ積み上げてきた。
他の誰にも理解されなくても、わたしはこの“穏やかな成果”が何より好きだった。
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だが、平穏は長くは続かない。
ある日、突然のシステム通知が届いた。
《速報:隣国ラディオン侯国が、あなたの交易路を侵犯しました》
「……やってくれたわね」
レリィが慌てて飛び込んでくる。
「カレンツ様、軍備を整えますか?」
「いいえ。今は、剣を抜くときじゃない」
わたしは地図を開き、周辺諸侯の関係を確認した。
――ラディオン侯国は、以前にユーリス卿の属国と同盟関係。
つまり、直接の戦争ではなく、彼の影響下での“圧力”だ。
「外交ルートを開いて。ユーリス卿に直接話すわ」
メッセージウィンドウを開き、冷静に打ち込む。
《あなたの同盟国が我が領の交易路を封鎖しました。
我々は戦争を望みませんが、交易停止の損害を補償してもらいたい》
返信はすぐに来た。
《……確認した。こちらの独断ではないが、介入は約束する》
数時間後、システムログに「交易封鎖解除」の通知。
戦わずして危機を収めた。
レリィが深く頭を下げる。
「見事なお手並みでした、カレンツ様」
「戦争より、対話のほうがずっと難しいのよ」
「……それでも、あなたはいつも勝っていらっしゃる」
その言葉に、思わず微笑む。
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――日が暮れる。
執務室の窓の外、茜色の空に鳥が帰っていく。
画面右下の時計が、そろそろ現実の時間を告げていた。
「そろそろログアウトしようかしら」
「今日もお疲れさまでした、カレンツ様」
「ありがとう、レリィ。また明日も、畑と学校の報告をよろしく」
ログアウトボタンを押す。
画面が薄く白んで、世界が霞んでいく。
――でも、その瞬間、ふと思う。
この小さな国で、誰も知らないところで、
自分が積み上げた数値や政策が、確かに“世界を動かしている”という感覚。
派手な戦争も、英雄の栄光もない。
けれど、ゆっくりと成長し、少しずつ信頼を築くプレイこそ、
このゲームの本当の醍醐味なのかもしれない。
そう思いながら、ログアウトの光に包まれる。
――明日もまた、静かに領地が動いていく。
誰も知らないところで、地味に、確かに。
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翌日ログインすると、通知が届いていた。
《称号を獲得しました:穏やかな支配者》
《効果:領民幸福度+10/外交信頼度+20》
「……あら、珍しい称号ね」
レリィが微笑む。
「派手な称号ではありませんが、あなたらしいです」
そうね、とわたしも笑った。
戦わず、吠えず、焦らず――
それでも、確かに積み重ねた日々が、ひとつの形になった。
ダークエルフの黒い瞳が、静かに輝く。
彼女は今日もまた、机に向かい、
“穏やかな戦略”を練り始める。
――地味で、誇らしい。
それが、わたしのプレイスタイルだ。
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