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秋、空高く…。~あの日の君を忘れない~  作者: アオハルだってキライじゃない
『おかしな具合に風が吹いた。』
6/26

〇六、


 赤レンガ通りを歩き始めた鈴華は、黒漆喰塗りの土蔵造りの安田銀行会津支店の前から、京都中井酒造の桟瓦葺(さんかわらぶき)きの屋根を右手に置いて、いかにも〝ハイカラ瀟洒〟な東山梨郡役所を正面に収める〝定番〟の位置に来て足を止めた。

 ポケットからスマホを取り出して、保存されている一枚の写真を表示させる。

 岬悠人が、同じ位置から撮った鈴華の写真だ。

 黒いセミロングの髪を躍らせて肩越しに振り向いた顔は、いかにも〝時間に追われているふう〟で余裕がなかった。


 そうだった。

 あの日は、当日になって行けなくなったと電話してきた和子のお陰で、岬と二人きりでの下見となったのだった。

 男女で歩くなんてことをし慣れていなかった鈴華は、いつもとの勝手の違いに大分(だいぶん)調子を狂わされた。

 それで予定通りに進捗をこなすことができず、イラついていたのだ。


 写真の中の鈴華の表情は、そういうイラつきを何とか押し隠そうとして、いつも以上に硬いものになっている。自分の顔ながら可愛げのない顔だった。――例えば、先ほどの和子の〝隣の高橋を見上げる柔らかい横顔〟なんかとは、ずいぶんと違う。


 それにしても岬のやつ。よりにもよって、なんでこの一枚を残していく……。


 口から漏れそうになった小さな溜息を〝意地でも漏らすまい〟と、大きく息を吸った。そんな自分に困惑する鈴華がいた。


 スマホをしまって視線を戻すと、再び大股になって赤レンガ通りを鈴華は歩き始める。

 緩い傾斜道になっている赤い煉瓦(れんが)舗装を上ってそのまま正面の擬洋館に行ってもよかったが、途中の辻を右に折れた。

 村の北側、四丁目へと出る逍遥の小道に入る。……入ってしまってから、あの日の下見ロケハンの道順を辿っていることに気付く。気付いたところで、今さら取って返すのも(しゃく)に思えて、鈴華はそのまま先を急いだ。


 まだ人影のない静かな雑木林が、晴れきった秋の陽射しに輝いていた。

 岬と歩いたときもこんなだったろうか? 木々の中を縫う小道を行きながら、鈴華は思い返していた――。


   ◇  ◆  ◆


 その時のわたしは、最初の一丁目でもう計画通りに(……下見ロケハンは一丁目から順に見ていく計画を立てていた)撮影ポイントの候補を巡れそうにない現実(こと)を悟らされていて、正直焦って……というより不機嫌だった。

 撮影ポイントの候補は事前に絞ってあったのだが、実際に現地に立ってみると全く違っていて、イメージに近い背景を捜すのに、思いの外手間取ってしまったのだ。


 事前に資料を見て選んだ場所は、実際には頭の中で思い描いてたような空間的な広がりとは一致しなくて、もっと悪いことには、その場で初めて「あ、良さそう」と思える場所が目に付いてしまい、そんなところをカメラに収めて回っていたら、あっという間に時間が過ぎてしまう……。

 加えて、()()()()()、いつもならそれとなく注意を促して(たす)けてくれる和子がいない……かわりに一緒だった岬悠人は、ただわたしが〝したいようにする〟のを黙って見ているだけで、フォロワーシップ(組織への貢献)がなってないのだ。


 岬は達観したふうに言った。

「……仕方ないだろ。時間が掛かるものは掛かるんだ」

 わたしは反撥する。

「そんなこと言ってたら全部回れない」

「……なら全部回らなきゃいいだろ」

「…………」

 いきなりの極言に、わたしは言葉を失った。岬は続けた。

「香織先生(せんせ)からの資料(うつし)だと、人気は赤レンガ通りと帝国ホテル、それにザビエル天主堂だろ? ならあとはその間を繋ぐ一ヵ所を見繕えばこと足りるよ。取捨選択は…――」

 わたしは部長権限で岬にそれ以上を言わせずに遮った。

「――できるだけ〝実際に見た〟うえで、そこから選ぶって決めたよね?」

「…………」

 岬は何か言いたそうな表情(かお)だったが、

「……はいはい」 最後には引き下がった。……これはいつも通り。


 結局、一丁目を回り終えた時には当初予定していた時間の倍くらい掛かってしまっていた。


 それから偉人坂を上って林を抜け、わたしたちは二丁目の方へと移った。

 この日も天気が良く、感染症の蔓延も治まったこともあって観光客の姿もちらほらと目に付いた。

 そんな人通りの中で、取材の中心となる赤レンガ通りの〝収め方〟をいろいろと模索していたわたしは、後ろから呼び掛けてきた岬の声に振り返った。


 〝カシャ〟と微かなシャッター音を聴いた気がしたら、目の前にスマホのレンズが向けられていた。

 固まったわたしの視線の先で、岬がスマホの画面のプレビューを確認し始める。一度小首を傾げてから頷き、わたしの方に画面を向けた。

 そこに写った私服姿の十代女子は、明らかに何かに身構えている、愛想の無い顔をしている。

 反射的にわたしは声を上げていた。

「ちょっ……ちょっとあんた、なに勝手に撮ってんのよ⁉」

「……実際に人物(ひと)入れて見た方がいいと思って」

 その言に納得させられたわたしがいた。……けど、こんな顔は撮られたくない。

 冷静さを欠いたわたしは、岬に詰め寄るように、まくし立てる。

「いや、そーいうことじゃないでしょ⁉ なんでわたしを撮るわけ? 肖像権とかどー考えてるわけ⁉ 消して‼」

「……いや、肖像権て――」

 当惑した岬が何か言おうとするのをわたしは容赦なく遮る。……そこには、なぜだか意固地になったわたしがいた。

「――消・し・て」

「…………。はいはい」

 結局、岬はおとなしく引き下がり、スマホを操作して画像を消してみせた。



 それから〝通り〟の下見に戻ったわたしたちだったが、二丁目の見分(けんぶん)を終えた時分にはもうすっかり時間を使っていて、いよいよこのペースだと〝予定通りには終えられない〟ことが確定していた。


 ああ、ここ(明治村)全部を納得するまで見て回るなんて、最初っから無謀だったか……。


 思案顔を(つくろ)いながら、恥を忍んで視線を向けたわたしに、岬は普通に〝次、(近道で)行くか?〟とばかりに四丁目に通じる道――逍遥の小道の方を指で指した。

 わたしは黙って頷いて、三丁目の予定を省くことに同意した。

 岬は頷いて返すと、先に立って歩き出し、赤レンガ通りの辻を北に折れた。


 彼の言った通りになったことはちょっと悔しかったけど、この選択はやっぱり正しくて、後のロケはそれなりに順調に進んだんだっけ……。


 そうだ……雑木林を縫う小道から覗く秋の空は確かに青かった。



   ◆  ◇  ◆



 逍遥の小道を抜けると汽車のりば(SL名古屋駅)へと続く階段の脇に出る。

 旧京都市電だった路面電車の線路を越えて、真っ直ぐ四丁目に出てもよかったが、鈴華は階段を上る道を選んだ。

 高台の上の小さな駅舎前は展望台になっていて、そこからは四丁目の街並み――宇治山田郵便局舎の銅板葺きの円錐ドームと大きな屋根や、赤く塗られた三角模様の六郷川鉄橋、さらにその向こうの入鹿池が見渡せることを知っている。

 今日のような天気の良い秋の日にはパステル調の風景が楽しめるはずで、(はた)して階段を上れば、その通りの景色が鈴華の目に前に広がった。


 しばし思い描いた通りの風景を眺めて満足した鈴華は、同時に、この風景に気付かせてくれたのが岬悠人だったことも思い返していた。

 あの日、二丁目から逍遥の小道を通ってこの場所に出たときに、岬が急いた歩調を緩めさせた。鈴華が怪訝な表情(かお)になって見返すと、その鈴華の視線を、指を向けて展望台の先の景色へと向けさせたのだ。

 確かに急いでいたはずだったが、この景色には思いがけず鈴華も足を止め、しばしの間、見下ろしてしまっていた。



 あの日と同じくらいの時間この風景を堪能すると、鈴華は、北側の大きな坂を道なりに、落ち着いた赤味の煉瓦造の建物――工部省品川硝子製造所の裏手を回る。

 硝子製造所の中にはショップがあって、色とりどりのかわいらしいガラス細工を手に取ることができた。今日は母へのお土産に何か見繕いたいと思っているが、戻りのときに見ることにして先を急ぐ。


 建物を右手に坂を下ると、宇治山田郵便局舎の脇の道に出た。そこはもう四丁目。すぐ先にザビエル天主堂の白い威容が聳え立つのが見える。高台の上からスロープを下り、三叉路をそのまま行けば天主堂へと続く呉服座(くれはざ)前の広場だ。


 そういえば……と鈴華は思い出した。

 あの日、この場所まで来たとき、煉瓦造りの硝子製造所のショップに寄る時間は無さそうねと口にしたわたしに、岬は「寄りゃいいじゃん。時間は作れるだろ?」と言ってくれたっけ……。

 適当な感じに言うもんだから気付かなかったけど、しっかりと状況を把握して、気遣いまでしてくれてたんだと、いまになってあいつのことを見直した。


 鈴華は、明治村の中でも和の雰囲気でまとめられている広場まで来ると、〝昔懐かしい〟とされる(平成生まれの鈴華にとっては、ただ物珍しい)駄菓子屋――…小泉八雲が夏に過ごした町家――の前で足を止めた。

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