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ソラオチ  作者: 髭琢
まるい世界
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狂気の笑顔

 ──あの時、メイは確かに見ていた。


 炎に包まれながら、少年は笑っている。苦しむどころか、まるで歓喜しているかのように。魔法を使うでもなく、ただ己の身体一つで戦い続けるその姿は、人間離れした異様さを放っていた。あれが本当に人間なのかどうか、メイには判断がつかなかった。


 ──そして今。


 無数に突き出た土柱の森を縫うようにアランは駆け抜けていた。まるで楽しい遊びでもしているように、口元に笑みを浮かべる。


 やがて、少年は柱の上を疾走しながら右手で赤い首飾りを外す。その直後、大きく跳躍し、空気を切り裂いてガウムへと飛び込んだ。


 右手の首飾りに螺旋を描いた銀色の光が集まり、無骨な武器が姿を現す。柄は五角柱のように角張り、その表面には小さな長方形の赤い板が規則正しく並び、冷たく無機質な輝きを放っていた。


 睨み据えた標的に向かい、アランが声を張り上げる。


「くらえっ!!」


 両手で銀の武器をしっかりと握りしめ、全身の勢いを乗せて振り抜いた。空気を裂く鋭い風音が轟き、その一撃が一直線にガウムを襲う。ガウムは反射的に左腕を突き出し、真正面からそれを受け止めた。


「うぐっ……!」


 衝撃が骨を軋ませ、苦痛に顔を歪める。それでも怯まず、右拳を力強く握りしめて振りかぶる。拳が視界を覆った瞬間、アランもまた銀の武器を構えて正面から打ち返した。


 激しくぶつかり合い、鈍い音とともに衝撃が空気を弾ませる。


「……矛盾と矛盾が戦っている」


 圧倒的な魔力を誇るガウムと、魔法も使わず立ち向かうアラン。その光景は、あまりにも現実離れしていた。ルードはただ立ち尽くし、呆然と目の前の戦いを見守ることしかできない。


少年は人間の限界を──いや、常識そのものを軽々と踏み越えていた。


 それは、この場にいる誰もが感じ取っていた。今起きている戦いは、もはや"種の違い"という枠すら超えている。


「……おいおいおい、まずいんじゃねぇのか」


 低く吐き捨てるように呟いたファルダインは、苛立ちを隠そうともせずエリュナを乱暴に突き飛ばし、翼を大きく広げた。その羽ばたきは鋭い突風を巻き起こしながら、一気に空へと舞い上がる。


 アランは無言のまま、迫る拳を弾き飛ばした。その勢いを殺さず、両手に握った銀の武器を振り抜き、ガウムの腹へ容赦なく叩き込む。


「うっ……がはっ……!」


 鈍い衝撃音が響き、ガウムの巨体が大きくのけぞる。そのまま背中から乾いた大地に叩きつけられ、土煙が舞い上がった。


 だがその直後、背後から二本の風の羽が、不気味な唸りを上げて襲いかかる。鋭い空気の振動が肌を刺すように迫るが、気配に気づくのがわずかに遅れ、アランには振り返る余裕すらなかった。


──パシンッ。


 乾いた音とともに、風の羽は彼の背中に触れる寸前で弾け飛び、霧のように四散する。


「マジで、なんなんだよ……こいつ……」


 その声に視線を向け、アランはにやりと笑って力強く地面を蹴った。身体が矢のように弾き出され、そのまま一直線に上空のファルダインへと迫る。


 銀の武器を大きく振りかぶりながら、少年は声を張り上げた。


「それは俺に……効かないみたいだな!!」


 地上から見上げていたメイは、唇をかすかに震わせた。自分を救ってくれた少年。そのはずなのに、目の前にいる存在はまるで別人のようだった。


 空を駆け上がる姿。手に握られた、見たこともない銀の武器。そして、どこか楽しげに浮かぶ笑み。


(……怖い)


 そう思った自分に戸惑いながらも、視線を逸らすことはできなかった。胸の奥がざわめき、熱を帯びていく。それは恐怖と同時に、言葉にできない感情でもあった。


 ファルダインは驚愕に目を見開き、一瞬動きを止める。その隙を逃さず、アランは首と肩の間を狙い、全身の勢いを込めて武器を振り下ろす。鈍い衝撃音が空気を震わせ、彼の身体は勢いよく地面へ叩きつけられた。


「火の生成魔法──イグニ・オルビス」


 アランが地面に着地したその瞬間、ガウムが怒号を上げた。渦を巻く魔力が両手に凝縮し、瞬く間に巨大な火球を形づくる。炎の胎動が轟き、周囲に熱波が広がった。ルードたちは灼ける風に煽られ、思わず身体をよろめかせる。鼻を突く焦げ臭さが村に満ち、大地そのものが唸りをあげた。


 その光景に、アランの瞳が輝く。


「うわっ……でけぇ……!」


 ガウムは怒りのまま、残る魔力をすべて火球へと注ぎ込む。もはや制御など考えていない。ただ人間ごと、目に映るものすべてを焼き尽くそうとしていた。


「人間の分際で! 消し飛べ!!」


 咆哮と同時に、火球が解き放たれる。轟音とともに大気を震わせ、迫り来るその質量は抗うことすら不可能に思えた。


 ──だが、アランは笑った。


 炎の奔流に向かって、一歩を踏み出す。そのまま迷いなく跳躍し、熱波の中へ突っ込んでいく。灼けるような風が肌を焼く中、少年は楽しげに声を張り上げた。


「飛んでけーーっ!!」


 両手で構えた銀の武器を大きく横へ振り抜く。ずしりとした衝撃が腕に伝わり、銀の棍が火球に食い込む。次の瞬間、燃え盛る表面がはじけ飛び、火花と炎が激しく散った。轟音を響かせながら、火球は軌道を逸らされ、空を切り裂くように逆方向へ弾き飛ばされていく。


 やがて、火球がガウムを直撃する。地を揺るがす爆音とともに、火柱が空高く突き上がった。その朱色の炎は、まるで空そのものを焼き払おうとするかのように広がっていく。


 村人たちはその光景に、ただ息を呑んだ。自分たちには絶対に抗えないと思っていた力。それを、一人の少年が笑いながら打ち砕いたのだ。


 炎が鎮まり、静寂が訪れる。張りつめていた恐怖が砕け散り、押し殺していた感情が溢れ出す。


「……やった!」「勝ったんだ......! 本当に……」


 人々の声が次々に上がり、村の空気は一変する。


 その様子を背に、アランの手に握られた銀の武器は、静かに光を失い、じわじわと形を変えて首飾りへと戻っていった。彼はそれを何気なく首にかけ直し、くるりと振り返る。視線の先には、驚きに目を見開きながら駆け寄ってくる村人たちの姿があった。


「ありがとう、少年……」「君は……いったい何者なんだ?」


 アランが口を開きかけたその時だった。燃え残る火柱の煙を切り裂くように、黒い影が現れる。焦げついた翼を重くはためかせ、まるで地獄から這い出した亡霊のように空をよろめき飛ぶ。それはファルダインだった。


 左腕は力なく垂れ下がり、右腕には意識を失ったガウムの身体を抱えている。全身は煤に覆われ、爆炎の爪痕が痛々しく刻まれていた。もはや空を飛んでいること自体が奇跡に思えるほどの重傷を負っていたが、その瞳だけはなお、怒りと執念の炎を宿していた。


「ちくしょう……どうすりゃあのガキを……」


 噛み殺すように吐き出す声。敗北を認めたくないその心が、まだ戦いの続きを欲していた。その時、抱えられていたガウムがかすかに目を開き、唇を震わせた。


「……無理だ。もう、俺には……魔力が残っていない……」


 その言葉に、ファルダインの表情がわずかにひきつり、奥歯をきしませる。


「あの女を連れ帰れなきゃ、"契約"が……」

「話が違った……。今は引け。体勢を整えるんだ……」


 声に力はなかったが、その判断は冷徹だった。ファルダインは唇を噛みしめ、忌々しげに舌打ちをすると、何も言わず村に背を向けた。焼け焦げた翼を広げ、ゆっくりと空の彼方へと遠ざかっていく。


 その背中が見えなくなるまで、誰もが一言も発さず、ただ息を詰めて見守っていた。


 やがて、ルードが小さく呟く。


「本当に……いなくなったのか……?」


 まだ戦いが続くのでは──そんな疑念に縛られていた村人たちは、その一言でようやく安堵の息を漏らした。肩を抱き合う者、膝から崩れ落ちる者。涙と嗚咽が混ざり合う中で、村にゆっくりと"平和"の色が戻り始めていった。


 だが、その中でただ一人、エリュナだけが立ち尽くしていた。空を仰ぎ、目を細める。眉根がわずかに寄せられ、その横顔には警戒の色が浮かんでいた。


(……何かがおかしい)


 ファルダインとガウムが上空で言葉を交わしていたあの瞬間、確かにこちらを見ていた。胸の奥に残る感覚を、言葉にすることはできない。それは氷のように冷たいものではなく、むしろ砂が神経を逆なでするような、鋭い違和感だった。


 ──戦いは終わったはずなのに。


 そんな中、アランが人垣の前へと進み出た。魔族の影が完全に消えたことを確かめると、肩の力をわずかに抜き、朗らかな笑みを浮かべる。


「俺は、エル・アラン。……別の島から来たんだ」


 一瞬、沈黙が広がる。その後、拍手や歓声の中から、一人の中年男性が歩み出た。顔には深いしわと疲労の影が刻まれていたが、その瞳は揺るぎない感謝の光を宿していた。


 彼は深々と頭を下げ、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。


「私はカカオ・ゾーイと申します。……先ほどは、妻と娘を助けていただいて、本当にありがとうございました」


 その声に続くように、ゾーイの背後から女性と少女が現れる。女性はやや緊張した面持ちで一礼し、穏やかに口を開いた。


「改めて……ありがとうございます。私はメリサ、メイの母です」


 そう言って、彼女はそっと少女の手を握る。メイは小さく頷き、一歩前へ出ると、控えめな声で呟いた。


「……さっきは、ありがとう」


 その瞳はアランを見ようとしなかった。小さな手が、母の手をきゅっと強く握りしめる。脳裏にはまだ、炎に包まれながら笑っていた少年の姿が焼きついていた。人ならざる何かを纏った、あの一撃。


 最後に見たその顔は、どこか別人のようにも思えた。


 そっと視線を逸らし、アランと目を合わせようとはしない。その様子を見て、アランはハッと目を見開いた。セフィから聞かされていた言葉が脳裏をよぎったのだ。


 次の瞬間、にかっと笑みを浮かべて指を突きつけた。


「お前が……あの"妻と娘"ってやつか!」


 メイはびくりと肩をすくめる。だが、目の前にいるのは、炎に包まれて戦っていたあの恐ろしい顔ではなく、出会った時と同じ、無防備で人懐っこい少年の笑顔だった。その笑みに吸い寄せられるように、メイの強張った表情がゆっくりと和らいでいく。


 アランはそのままメリサに顔を向け、首をかしげた。


「そういえば、さっきの怪我……もう治ったのか?」

「ええ。アラン君が戦っている間に、村長さんが治してくれたんです」


 ちょうどその時、地面に膝をついていたルードが、苦しげに身を起こそうともがいていた。


 その背後に、老人が静かに歩み寄った。村長は言葉もなく右手を差し出し、ルードの背にそっと当てる。手のひらから淡い緑の光が滲むように広がり、優しい温もりが傷の奥へと染み込んでいった。癒しの魔力に包まれ、ルードは驚いたように目を瞬かせる。


「先ほどは、私たちのために戦ってくださり、ありがとうございました。……後で、他の二人も回復させましょう」


 声は穏やかで落ち着いていたが、どこか揺るぎない重みがあった。村を背負う者にしか持ち得ない、確かな覚悟がそこには感じられた。


「いえ……僕は、ほとんど何も……助けてくれたのは、あの少年です」


 顔を上げたルードの瞳は、自然とアランの方へと向かう。


 少し離れた場所で、アランはメイと何かを楽しげに話していた。ついさっきまで死闘を繰り広げていたのが嘘のように、無邪気な笑顔が戻っている。そこにいるのは、ただの少年にすぎなかった。


 だが、エリュナはその笑顔の奥に、ほんのわずかな"影"を確かに見ていた。

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