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壁に槍

ガウムの視線がこちらを捉え、背筋を冷たいものが這い上がっていった。


「近づくな、人間」


 その声は重く低く、まるで地の底から湧き上がる咆哮のように響き渡った。村の広場に漂っていた穏やかな空気は、瞬く間に張り詰める。


 ファルダインとコルトクは肩を震わせ、余裕の笑いを浮かべていた。だが、その笑みの奥には冷静な力がみなぎっているのが伝わる。


 一方、エリュナをじっと見つめるガウムの瞳には、笑いのかけらもなく、氷のような冷たい光が鋭く光っていた。


「用があるのは──セレヴィス・エリュナ。お前だけだ」


 静かに放たれた声に、刃のような威圧感が宿る。ルードの額に汗が滲み、右手に集めた魔力がわずかに震えた。


 ゆっくりと歩みを進めるガウムの足音が、一歩ごとに大地を打ち鳴らすかのように響き渡る。


「俺たちも、無駄な争いは望んでいない。大人しく来い」


 その言葉に呼応するかのように、ランドとペルシが同時に前へ踏み出し、杖をガウムに向けた。杖の先端が真っ赤に光り、空気がぱちぱちと弾ける。


「火の生成魔法、ブライトバレット」


 二人の前に、小さく燃える火球が次々と現れ、一直線にガウムへと飛んでいく。その光景に、ファルダインは肩をすくめて両手を上げ、コルトクは鼻を鳴らしながら呆れたように首を振った。

 

 笑みを浮かべたガウムは、しゃがみ込むと右手のひらを地面に押し当てる。


「土の操作魔法」


 足元から二つの土の壁がゴゴゴと音を立てて立ち上がる。飛んできた火球は壁にぶつかって火花を散らすが、厚い壁を破ることはできず、勢いを失って消え去った。


 ゆっくりと立ち上がったガウムは、今度は掌を空に向ける。その手のひらに赤い魔力が渦巻き始めると、周囲の空気がぴりぴりと震えた。


「火の生成魔法──イグニ・オルビス」


 彼の掌に現れたのは、直径一メートルにも及ぶ巨大な火球だった。小さな太陽のように激しく燃え、周囲の空気を熱で歪ませる。それを見た村人たちの顔から血の気が引き、ペルシは思わず息を呑んだ。


「な……なんだよ、あの魔力……」


 ガウムは大きく笑い、右手を高く振りかぶる。その灼熱の火球が放たれ、瞬く間に広場全体を包み込む熱波が押し寄せる。


「来るぞ! 水の生成魔法、アクアシェル」


 ランドとペルシから少し離れた場所にいたルードは、すかさず右手を突き出した。空間に三重の水の盾が現れ、青く透き通る水の膜が波紋のように広がり、彼とエリュナの前に展開される。


 二人も慌てて杖を構えたが、火球の爆風に巻き込まれ、地面を転がるように吹き飛ばされてしまった。


 唸る火球はそのまま水の盾に衝突する。巨大な水しぶきが宙に舞ったが、盾は砕け、衝撃でルードとエリュナは後ろに弾き飛ばされた。


 倒れて膝をついたランドは、痛む身体を支えながら立ち上がろうとする。その時、背後に足音もなく近づく気配を感じた。まるで影のように忍び寄る存在──。


 耳元で、氷のように冷たく、それでいて柔らかい声が囁く。


「人間が、魔族に近づいちゃダメなんですよ」


 そこには、ガウムのそばにいたはずのコルトクが背後に立っていた。


 灰色の長い尻尾が音もなく伸び、瞬く間に身体に巻きつく。骨が軋むほどの圧力に、ランドは苦しげに声を上げた。


「ぐあーーっ……」


 その光景を見たコルトクは、うっとりと空を仰ぎ、両手を広げて甲高い笑い声を響かせる。


「……まずい!」


 青ざめた顔で立ち上がったペルシは、震える手でコルトクに杖を向けた。


「魔法を使うのが遅いんだよ」


 突然の声に、ペルシはハッと空を見上げる。そこには、上空を悠々と漂うファルダインの姿があった。


「風の生成魔法、スライサーリング」


 彼の周囲に、鋭く回転する四つの風の輪が現れる。甲高い風切り音が響き、空気を裂いた。


「もっと魔法の練習したほうがいいと思うぜ」


 両手を大きく振りかぶり、前で交差させると、鋭い音を立てた風の輪が弧を描き、一斉にペルシへ向かう。防ぐ暇もなく、胸と肩を切り裂かれ、血を流しながらペルシはその場に倒れ込んだ。


「今は殺すな。死なれたら後が面倒になる」


 冷ややかな声とともに、ガウムは無表情のままゆっくりと歩みを進める。その言葉を聞き、コルトクは尻尾の力を抜いた。


 倒れたランドを横目に見ながら、ガウムがじりじりと前に迫る。


 それを察したルードは、血を滲ませながらも立ち上がり、両手を胸の前で静かに合わせた。右手から青白い魔力が溢れ出し、左手へと脈打つように流れ込む。瞬く間に両手が眩い光に包まれ、空気がかすかに震えた。


「水の生成魔法──アクア・ハスタ」


 ルードの左右に激しい水流が巻き起こり、唸るような音とともに槍の形を作る。先端は鋭くとがり、青く輝くその姿は、まるで氷と鋼を合わせたようだった。人の背丈を優に超える二本の水の槍が完成する。


「すごい……!」


 村人たちから驚きの声が漏れ、誰もが息を呑んだ。希望の視線は自然とルードに注がれる。しかしその重みは、もしも失敗すれば取り返しのつかないものとなる、危うい期待でもあった。


 ルードは両手を思い切り振りかぶる。全力で水の槍を投げ放つと、風を切る鋭い音を残し、二本の槍は光の矢のように一直線にガウムへ飛んでいく。


 だが、その軌道を悠々と眺めながら、ガウムはわずかに口元を上げ、右手のひらを地面に当てた。


「土の操作魔法、ロックガード」


 大地が低く唸り、分厚い岩の壁が地面から盛り上がる。その瞬間、水の槍が突き刺さり、轟音と同時に水しぶきと岩の破片が四方へ飛び散った。しかし、壁の向こうから現れたのは、傷一つないガウムの不敵な笑みだった。


「なんで……魔族の操作魔法で……」


 全力の一撃を無力化されたルードの顔には、混乱と悔しさが色濃く浮かぶ。信じられないといった表情で、ガウムを見つめていた。


「遅いな」


 低く呟いたガウムの姿が、一瞬で目の前に迫る。反射的に右手を前に出し、ルードは防御魔法を展開した。しかし、鋭く突き上げられた膝の衝撃は、それを上回った。


「ぐはっ……」


 腹にめり込み、身体の芯から痛みが突き抜ける。耐えきれずその場に崩れ落ち、両膝が地面に激しく打ちつけられた。


 うっすらと意識を取り戻したエリュナは、ぼんやりとした視界の中でうめきながら身体を起こす。耳に残るのは、倒れる鈍い音と、大地を踏みしめる重い足音。ふらつく身体を両手で支え、ようやく顔を上げると、そこには自分をまっすぐ見つめるガウムの姿があった。


「行くぞ」


 無表情のまま呟く声には迷いがなく、左手を伸ばしてエリュナの後頭部を鷲掴みする。抵抗する間もなく持ち上げられ、連れ去られようとしていた。


「待ちなさい!!」


 鋭く張り詰めた声が、ガウムの背後から響く。声の主は一人の女性。恐怖に震えながらも前に踏み出し、拳を強く握りしめていた。


「エリュナ様を連れていくなら……私たちも戦うわ!」


 まだ立ち上がれないルードは、顔を上げてその女性を見つめる。


 女性の勇ましい声に応えるかのように、さっきまで怯えていた村人たちが、震える足で一歩、また一歩と前に進み出た。恐怖で顔をこわばらせながらも、仲間を見捨てたくない──その決意が瞳に宿っている。


 住民たちは手のひらに魔力を込め、必死に魔法を放とうと構えた。


 しかし、つまらなそうに眉をひそめたガウムは、右手に魔力を込め、ゆるく下から上へと払った。その瞬間、足元の大地がうねり、無数の土の柱がまるで生き物のように突き上がる。住民たちは魔法を放つ間もなく尻もちをつき、呻き声を上げた。


「ハハッ、お前ら魔導士でもねぇだろ? 動きが遅すぎるんだよ」


 そう笑うファルダインとは対照的に、ガウムの顔には表情が完全に消えていた。鋭く光る瞳だけが、氷のように冷たく輝く。ゆっくりと視線をコルトクに向けるその姿には、恐ろしい威圧感が漂っていた。


「……抵抗が続くようなら、手間が増えるだけだ。一人、殺してわからせろ」


 ガウムの声に、コルトクは目を細め、ゆっくり口元を歪める。その表情には、純粋な悪意だけが込められていた。


「……わかりました」


 エリュナは恐怖に震え、かすれた声を漏らす。


「それだけは……ダメ……!」


 だがその願いも虚しく、コルトクは楽しげに一歩前へ踏み出す。


 その様子を見たルードは、怒りと焦燥に突き動かされるように地面を蹴って立ち上がった。考えるより早く、身体が勝手に動く。右手に魔力を集中させ、痛む身体に鞭を打ち、ガウムへと突進する。


「もう少し寝てろよ」


 上空でファルダインがニヤリと笑い、何気なく風の玉をルードの足元へ落とした。玉が地面に触れると、白い閃光が走り、霧のような風が地面を覆う。その直後、地面から無数の風の矢が噴き上がり、鋭くルードを貫いた。


「うがっ……」


 熱い痛みが一瞬で身体を突き抜け、彼は宙を舞い、無防備に地面へと叩きつけられる。


「ル、ルード……!」


 震える声で、エリュナは喉の奥からその名を絞り出した。しかし返事はなく、ルードは血を流しながら、動かぬまま地面に横たわっている。


 薄ら笑いを浮かべたままコルトクがゆっくりと歩み寄る。その視線の先には、さきほど住民たちを必死に鼓舞した女性が、膝をつき肩を震わせていた。村人たちは恐怖に縫い付けられたように硬直し、一歩も動けない。


 灰色の尻尾がしなやかに伸び、女性の身体を絡め取る。抵抗もできず宙へと持ち上げられ、足が虚しく空を蹴った。コルトクは右手の指先を鋭い刃のようにとがらせ、肘をぐっと引く。


「お前に決めました」


 細めた瞳の奥には、濁った闇のような邪悪さが宿る。その指先が、容赦なく彼女の胸元へと向けられた。


*** 


 その少し前。遠く離れた村の入り口では、穏やかな日常の景色が広がっていた。


「うわー、なんだこれ……? でっかい木の箱がいっぱい並んでるぞ!」


 アランの無邪気な声が響く。目の前に広がるのは木造の家々。整然と立ち並ぶ家並みは、彼が暮らしてきた暗く狭い洞窟とは比べものにならない。どの家も立派に見え、初めて見る景色に彼の瞳はきらきらと輝いていた。


 その反応に、メイは呆れたように肩をすくめる。


「ただの家でどれだけはしゃぐのよ。……とにかく、まずは村長さんのとこに行くの!」


 アランはきょとんとした顔で、メイを見下ろしながら首を傾げた。


「村長ってなんだ?」


 何もわかっていないその言葉に、メイはこめかみをピクピクさせながらも、怒りをぐっと飲み込んで歩き出した。


「人よ! なんでわからないの!」


 頬をふくらませてぷいっと前を向き、足早に進んでいく。その時、アランがふと立ち止まり、耳を澄ませる。


「……なんか、あっちのほうで騒がしくないか?」


 その一言にメイは足を止め、はっと目を見開いた。


「あっ、そうだ! 今日は、王宮からエリュナ様が来る日だった! きっと村の広場に集まってるんだよ! とっても綺麗で、優しい人なんだから」


 メイが初めて見せた満面の笑顔に、アランはなんとなく嬉しくなった。「なにか楽しいことが始まるんだろう」と思い、心が軽くなる。


 二人はそのまま村の中心へと歩き出す。だが、家の角を曲がった瞬間──。


 メイの笑顔が凍りつく。


「……お母さん!!」


その悲痛な叫びが、静寂を切り裂いた。

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