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少年と少女

シオネ村のそばに広がる海では、白い砂浜を茶色い髪の小さな少女が一人で歩いていた。


「ん?」


 少女の視線が浜辺の奥で止まった。砂に黒い何かが埋もれている。胸の奥に好奇心が弾み、彼女は小走りで近づいた。そこで見たのは、砂に半分ほど埋もれた少年の頭だった。


 知らない顔。だが怖がるよりも先に、少女は面白そうに感じた。しゃがみ込み、少年の頬を軽く引っ張ったり離したりして遊び始める。すると、少年がうっすらと瞼を開けた。目が合った瞬間、彼は砂を派手に散らして飛び起きた。


 そして慌てるように少女の両肩をつかみ、驚愕した目を大きく見開く。


「お前、人間か!?」


 あまりにも突拍子もない言葉に、心の中で「この人、ちょっと変かもしれない……」と疑いながらも、乱暴に手を振り払った。そして少しきつめの声で言い返す。


「何言ってるのよ! 当たり前でしょ! いきなり触らないで!」


 少女の不機嫌さなど気にした様子もなく、少年は人懐っこい笑顔を浮かべて右手を差し出した。


「俺の名前は、エル・アラン。こっちの世界ではこうするんだろ?」


 無防備でまっすぐな笑顔に、少女の警戒心は少しずつ解けていく。やがて、ためらいながらも彼の手を取った。


「カカオ・メイよ」


 その名を聞いた途端、アランはじっとメイを見つめ、なんの前触れもなく言い放つ。


「お前、男だろ」


 思わぬ言葉にメイの頬がぴくりと引きつった。


「違う! 女の子よ! 見ればわかるでしょ!」

「胸がないのにか?」


 あまりに失礼な言葉に、メイの表情はさらに険しくなる。ぷくりと頬をふくらませ、怒りをあらわに抗議した。


「うるさい!! 私は六歳でまだ小さいの! 成長したら、ちゃんと大きくなるんだから!」


 アランは一瞬きょとんとした顔を見せると、指に顎を乗せ、空を見上げながら首をかしげた。


(セフィは小いさかったけど……胸はあったよな……)


 記憶の奥底を探ろうとするような、不思議な仕草だった。その様子をじっと見ながら、メイは腕を組んで小さくため息をつく。


「ところで、あんた村では見ない顔ね。どこから来たの?」


 忘れていたことを突然思い出したかのように、アランの表情がぱっと明るくなった。


「別の島から船で来たんだ! 村って、人がたくさんいるところだろ?」


 その答えにメイは思わず目を細めた。


(島?……この近くに島なんてあったっけ?)


 だが、すぐに考えるのをやめた。どうせ親に聞けばわかること。それよりも、目の前の少年はやはり普通ではない。悪い人には見えないが、深く関わるのは危険だと直感した。


「そうよ。……じゃあ、私はもう帰るから」


 そっけなく言い放ち、くるりと背を向けて歩き出す。しかしすぐ背後から、のんびりした声が追いかけてきた。


「村って、どんなところなんだろう……楽しみだなー」


 離れようとしたのに、アランは楽しげに並んでくる。


「なんでついてくるのよ!?」

「村に帰るんだろ? 俺も行くんだから、いいじゃねえか」


 悪びれる様子などまるでなく、にこにこと笑うアラン。その陽気さが、かえってメイを困らせた。


(やだ……このまま村まで連れて帰ったら、私のせいって言われるかも……)


 立ち止まってうつむき、考え込んだ。それに気づいたアランが声をかける。


「ん? どうしたんだ? 行かねえのか?」


 彼も歩みを止め、そこで待っていた。メイはむっとした顔で顔を上げたが、アランの無邪気な笑みを見た瞬間、ため息をついて視線をそらした。


(まったく、変な人……)


 なぜか不思議と憎めない。そう感じたメイは諦めたように肩を落とし、アランに背を向けて再び歩き出す。


「もう……勝手にすれば……」


 二人は朝の爽やかな潮風を受けながら、村へと並んで歩き始めた。


***


 シオネ村は緑の森に囲まれた小さな村で、温もりを感じる木造の家々が点在していた。道の両脇には季節の花が植えられ、村人たちは素朴で心優しく、遠方から訪れたエリュナたちにも気さくに声をかけてくれた。


「挨拶も済んだし、今日は畑仕事を手伝うわ! 王都じゃ絶対に経験できないんだから」

「確かにそうですね! わかりました」


 エリュナが弾む声で言うと、ルードは素直に頷いた。彼は王族ではないが、父が優れた杖職人だったこともあり、生まれた時から王都で暮らしてきた。農業の話を耳にしたことはあっても、実際に土に触れ、身体を動かすのは初めてだった。


 一方、楽しげに歩く二人とは対照的に、後ろを歩く見習い三人はどこか気の乗らない表情をしていた。やがて、エリュナとルードに聞こえないように、ペルシが声をひそめる。


「……俺、農作業が嫌で魔導士になったのにさ」

「俺も似たようなもんだ」


 グンボが肩をすくめるように答える。彼ら三人は農業が生活の一部として当たり前の環境で育ってきた。王都で暮らしてきたエリュナやルードとの間には、温度差がはっきりとあった。


「それに、魔法は使わないんだべ?」

「エリュナ様は王都以外じゃ、ほとんど魔法が使えないからね」


 彼らが意欲を失っているのには、もう一つの理由があった。見習い魔導士の主な任務は、王都近郊の街を巡回して住民の安全を守ること。盗賊の鎮圧や、小規模な魔獣の討伐といった対応は、初級から中級魔導士が担う重要な仕事だった。


 そのため、思い描いていたのは、魔法の光を放ちながら堂々と任務を遂行し、立派な馬車で移動するような格好いい姿だったのだ。


「護衛って聞いて、少し期待したんだが……」


 グンボの声には、ほんの少し残念そうな響きが混じっていた。どうやら彼は、いつもと違う刺激的な出来事を密かに期待していたらしい。


「護衛の仕事で、魔法を使うことになったら大ごとだよ。まして今回は、エリュナ様だしね」


 ランドが現実的な声で釘を刺すと、グンボは「確かにな」と言いたげにあっさり頷き、表情を軽くした。


 その頃、エリュナとルードは村の風景を楽しげに眺めていた。木々の間を抜ける風が心地よく、遠くでは畑の緑が揺れている。そんな二人の前に、道の角から一人の村人が駆け込んできた。そして、息を切らしながら道角に指を向けた。


「問題ないかもしれませんが……魔族が三人、村に向かって来ています! 念のため、お逃げになったほうがいいのでは……」


 隣でその言葉を聞いたルードは、驚きと焦りで目を見開き、慌ててエリュナの顔を見つめた。エリュナ自身も青ざめた表情で、目を大きく開き、困惑の色を滲ませている。


(そんなはずない……魔族に会うのに、お姉様が何も言わないなんて……)


 エリュナは未来を直接見ているわけでも、起こる出来事の一部始終を聞くわけでもない。「未来を知ってしまうと人生が楽しくなくなる」とアストリアは常に言っていた。


だが、魔族の村を訪れる時も、道中で出会った時も、危険が予想される場合は必ず教えてくれていた。


(忘れていたはずはない……でも、セレヴィス王家の妹として、魔族から逃げるわけにはいかない)


 決意を秘めたエリュナの表情を見て、ルードはすぐに状況を理解した。一触即発──その可能性を覚悟し、鋭い視線を前に向ける。


 やがて、道の角から三人の魔族が姿を現した。


 重々しい足音を立て、まるで獲物を見定める猛獣のように、ゆっくりと威圧的に近づいてくる。後ろにいたグンボたちは、魔族の圧倒的な存在感を目の当たりにして、背筋に寒気を感じながら急いでエリュナたちの元に駆け寄った。


 緊張が張り詰めた空気の中、五人は一歩ずつ歩みを進め、すれ違おうとしたその瞬間──魔族たちは、まるで計ったかのように、ぴたりと足を止めた。


「ようやく会えたな、セレヴィス・エリュナ」


 そう言い放つ魔族の姿は、狼を思わせる赤茶色の体毛に全身が覆われた、岩山のような巨体だった。身長は優に二メートルを超え、体格も人間二人分ほどはありそうな威容を誇っていた。


 低く響く声の重みに、胸の奥がざわつく。しかしエリュナは、王族としての誇りを胸に刻み、感情を表に出さぬよう努めた。


「こんにちは。会う約束はしてないと思いますけど、どちら様ですか?」


 魔族は優雅な微笑みを浮かべながら、両手を軽やかに広げて見せる。


「ああ、初めまして。ガウムだ」


 意外にも礼儀正しく名乗るその様子に、エリュナはわずかに警戒を解き、穏やかな微笑みを返した。そのやり取りを見ていたランドたちも、肩の力をゆるめる。


 魔族に会うと聞かされていなかったが、今のところ不安は少なかった。何より三人は、アストリア女王の“予知魔法”を心から信じていた。争いが起きるなら、前もって必ず知らせてくれる。


 実際、王国は何度もその予知の力に守られてきた。だから今回も、何も起こらないはず。彼らはそう信じて疑わなかった。


 ──だが、ルードだけは違った。


(本当に……そうなのか?)


 先ほどのエリュナの表情は、明らかに予定外の事態に直面した者の顔だった。「万が一」という言葉が脳裏をよぎり、ルードは右手を腰元にそっと構える。掌に意識を集中させ、魔力をいつでも練り上げられるよう準備を整えた。


 次に、もう一人の魔族が口元を緩めて名乗る。


「俺はファルダイン」


 彼も身体は大きいがやや細身で、鮮やかな黄色い翼と鋭いクチバシが特徴的。髪は中央に集まり、天を突くように逆立っており、後ろには細い三つ編みが二本、風に揺れて垂れている。


 そして最後の魔族も、静かに口を開いた。


「私はコルトクです」


 他の二人よりひと回り小柄で、手足の指が異様に長く、全身は灰色に覆われている。モグラを思わせる姿だが、体毛は一切なく、代わりに太く長い尻尾が地面を叩くように揺れるのが印象的だった。


 目の前に立つ三人を見渡し、話の通じる相手だと判断したエリュナは、静かに呟く。


「あなた方は、私に会いに来てくれたんですか?」


 親しみやすい笑顔を浮かべ、ガウムが答えた。


「そうだ。あんたはいろんなところを旅してるって有名だからな。俺たちも村を回っていれば、いつか会えると思ってたんだ」


 ランドたちは、ただの追っかけだと理解して安堵し、鼻で笑う。グンボは油断した様子で歩きながら、ガウムに親しみを込めて近づいていった。


「エリュナ様に会いたくて追いかける気持ちはわかるべ。ただ、もう少し丁寧な話し方をしたほうがいいべ? このお方は──」


 その瞬間、ガウムが無言で腕を軽く払った。突如、空気が激しく弾け、グンボの身体が宙に舞い上がる。見えない巨大な壁にぶつかったかのような衝撃に、彼はドンッという鈍く重い音を立てて家の壁に叩きつけられ、そのまま力なく崩れ落ちた。


 一瞬、辺りが静寂に包まれ、ランドとペルシが声を上げる。


「グンボ!」


 ようやく事態の深刻さを理解した二人は、腰元から四十センチほどの杖を素早く抜き取り、エリュナの前に立った。杖を構える表情には、緊張と怒りが入り混じる。


 ルードの掌からは青い光がじわりと滲み出し、周囲の空気が低く重い音を立てて震え始める。


静寂の底で、戦いの号砲が今まさに鳴り響こうとしていた。

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