第1話 街と魔女
「大きく変わりましたね、この街も」
王城の門の上、本来ならば兵士が街を監視しているはずの場所に魔女は立っていた。
絹のような銀色の髪に、深い青の瞳を瞬かせながら、彼女は呟く。
地下牢から上がってきた彼女の腕には、長く囚われていた鎖の跡が目立つ。
魔女はそれを隠すように手首をさすると、ため息をついた。
目の前に広がる情景は美しく、かつての王都よりも遥かに街の様子が良くなったのだろうと簡単に想像できる。
しばらく街を眺めていると、「魔女様だ!」と、聞き慣れた懐かしい子供のような声が彼女の耳に届いた。
「風精。お久しぶりですね」
風精と呼ばれた彼らは、鈴が転がるような音でくすくすと笑う。
姿は見えない。ただ彼女の髪をなびかせるその風だけが、彼らの存在を証明していた。
「魔女様ぁー!」「魔女様!」「遊ぼう、遊ぼう!」「あそぼー!」
「今は少し。また後で遊びましょうね」
「はーい」「わかったー」「あとでね!」「あとでね!!」
風精たちは不服そうにするでもなく、無邪気に返事をすると、あっという間に声が聞こえなくなった。
魔女は、少しの間気持ちのいい風に身を委ねて、街へと飛び降りた。
彼女は自分に不可視の魔法を掛け、路地裏を進む。
長い時の中、魔女は自らの容姿が時に足枷になることを知っていた。
滑らかな肌に、銀髪とサファイアのような青い瞳。藍色の衣装から覗く足は細く、今にも折れそうだ。だがそのどこか哀愁漂う雰囲気に誘われるのだろうか、彼女は言い寄られた数々の記憶を思い出し顔を顰めた。
ふと、路地裏から表通りの間の店で、旅人らしき客と店主が話している内容が耳に入る。
「なあ店主さん、ここら辺だと……魔女のおとぎ話が有名なんだよな」
「ああ、そうだよ。この国は昔に災厄、──魔女に半壊させられたんだ。竜を連れて、国にふらりと現れたと思えば指先一振りで街を消し飛ばす。そういう凶暴な性格だって伝えられてるよ、子供達の脅し文句さ」
店主のおじさんは自分が話せる分野に話が飛んだのが嬉しかったのか、自慢げにおとぎ話を語る。
「へえそうなんだな。イヤ、俺は実は吟遊詩人なのさ。いろんな国の噂話や伝説、おとぎ話を聞いて回っては謳うのが仕事なもんでな。いいネタを聞いたよ、変なこと聞いて悪かった」
「兄ちゃんいい性格してんなーっ!まあいいぜ、せいぜい他国でネタにしてくれよ」
名を出すのも憚られるほどと恐れられる魔女。
人々が囁く彼女の噂は、いつもおとぎ話として扱われた。だが、その噂話には真実も混じっているという事を、大体の人々は知らない。
噂話の中の真実は、往々にして歪められる。
人は理解できないものに理由を与え、理由に名前を与え、やがて恐怖へと塗り替えるのだ。
彼女はそれを訂正する気はなかった。
真実を語ったところで、信じられぬ者にとっては新たなおとぎ話が一つ増えるだけである。
魔女は立ち並ぶ店を横目に路地裏を抜け、やがて王都から少し外れた郊外へとたどり着いた。
先程までの賑やかな空気とは一変し、穏やかな風が頬を撫でる。
「これからどうしましょうか。うーん、どこか当てのない旅とでもいきますかね……」
そう呟いた直後、風に乗って誰かの悲鳴が彼女の耳に届いた。
魔女は少し考え込んだ後、踵を返して声の主の元へと走り出した。
「いやあ!放して!放しなさいってば!!私に触れないで!!」
ゴミが散乱し、汚れた民家が連なる路地裏で、ブロンドの髪が揺れる。
その細い手首を掴んでいたのは酒臭い男だった。
少女の長い髪と地味に見えるが高級なシルクを使われたそのドレスは、一目で貴族だとわかるものだ。
荒い息に恐怖と嫌悪感を感じながらも、少女は必死で抵抗するが、力には敵わず少しずつ引っ張られて行く。
精一杯喉を張り上げ叫んだ助けの声も、人のいない路地裏の奥ではそれも意味を成さなかった。
突如、轟音と共に男の頬を目に見えぬ鋭い風が引き裂いた。
男は驚いたのか、固く掴んでいた少女の手を離し走って逃げて行く。
腰が抜けたのか、少女はカタカタと震えながら地面に座り込んでいた。
「大丈夫ですか」
「え……、ええ、大丈夫よ」
そう声をかけたのは、銀髪に深い青の瞳の女だった。
「そうですか、よかったです。気を付けてくださいね。それでは」
急ぐかのように早口で去って行こうとする彼女に、少女は思わず引き留めた。
「ま、待って!」
「え?」
少女はドレスについた砂埃を払うと、裾を持ち、片足を下げて貴族の礼をする。
「どうかお礼を言わせてください、私はリリア・ラピスラズリ。本当にありがとう、何かお礼を。名前は?」
「リフィーリア、と申します。どうか忘れてくださって構いませんので」
「覚えました、リフィーリア。……そうだ!もしよろしければ私を護衛してくださいませんか?この辺りは少し物騒なんです。先程も、私の迂闊さでご迷惑をおかけしましたから」
「それは……構いませんけれど」
「ありがとうございます、もちろんお給金はお出し致しますので、よろしくお願いしますね」
そう笑顔で言われてしまえば、断る術などリフィーリアにはなかった。




