表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エレクトリックスケートボード ~好きな子の前でかっこつけようとしてただけなのに、全国制覇しちゃった件~

作者: 木村アヤ


「はぁ……僕はこれから一生陰キャなんだろうか……」


 都会から電車をいくつも乗り継いでようやく着くド田舎の小さな町。僕はそこの中学校から肩を落としながら帰宅した。全校生徒が六人しかおらず、僕以外は全員一つ上の女子である小さな学校で、僕は育士という名前をもじって「いくじなし」と言われて毎日からかわれていた。


「昔は仲よかったのに……一年離れてただけでこんなことになるなんて……」


 僕が中学一年生になって、一年ぶりの未羽ちゃん達との再会を楽しみにしていたら、初っ端から子ども扱いされてからかわれたのだ。子ども扱いはそれからずっと続いている。

 ため息をつきながら靴を脱いでいると、いつも通り姉の鴎見崎育未が怒鳴りつけてきた。


「陰気が移る! ちょっとは外で遊んで来たら! いつもいつもため息つきながら帰ってきたと思ったらずっと部屋にこもって!」

「そんなこと言われても……」


 中学校に入ってからはずっとこうだ。僕は自分の部屋でリュックを降ろし、パソコンでYouTubeを開く。僕だってわかってるんだ。こんな性格を直さなきゃいけないことくらい。でもきっかけがわからない。こんな田舎じゃあ同年代はあの女の子たちだけで遊び相手もろくにいないし……。


 そしていつものようにショート動画を次から次へと流し見する。都会ではこんなきらきらした毎日を送ってるんだろうな……。でもこのド田舎じゃあ……それに僕の性格じゃあな……。


 しばらくぼーっと見ていると、ひとつの動画に目が留まった。一回目の再生が終わってもスクロールせず、もう一度再生する。


『eスケートボードのススメ』


 都会で流行っているeスケートボードというものがあるというのは知っていた。以前からあったスケートボードにいくつかの機械的パーツをつけ、電気で動くらしい。だからエレクトリックスケートボードを略してeスケートボード。更に縮めてeスケなんて言われたりもする。


『eスケートボードはどこでも一人でも練習できる! あっ、でも他人の迷惑にはならないようにね! 初心者はこういうシンプルな技から!』


 そう言って動画の中の女性はeスケートボードに乗って走ったり、止まったり、ジャンプしたりする。初心者向けなシンプルな技とは言っているが、それだけでもかなりスタイリッシュでかっこよかった。


『上手くなればこういうこともできるよ!』


 場面が切り替わる。どこかの河原の土手だ。遠くにビルは見えているが、土手に生える雑草の青さは僕の住んでいるド田舎を思い起こさせる。


 その女性は土手の上の道に沿って加速していった。カメラも彼女の後ろから追う。


 女性は道の右側に寄ったかと思うと弧を描いて道の反対側に寄り、eスケートボードを傾けて後ろのテール部分で地面を叩いた。テールの下に取り付けられたインパクターから衝撃波が発生し、eスケートボードと女性を空中へと撃ち上げる。女性はそのまま斜面の上へと飛び出した。


 カメラが切り替わり、土手の下からのアングルになる。カラフルな格好をした可愛いお姉さんは空中へと飛び出すとその身体を躍動させる。弧を描きながら何回転もして、カメラの真横に着地したお姉さんは一瞬画面から消え、すぐにカメラを拾って持ち上げた。お姉さんの顔のアップが映る。


『今度のはちゃんと撮れてるといいんだけど……。今のはフロントサイドダブルバックフリップ1440……後方宙返りを二回しながらお腹側へ身体を四回転させる技だよ!。できればレイダーバウトでこれを使うのはやめてほしいけどね!。みんなもeスケを始めて、イケてる人になろうぜ!』


 ……かっこいい!


 僕はその画面で停止させたノートパソコンを掴んで階段を駆け下りる。一階の台所で夕食を作っていたお姉ちゃんにパソコンの画面を突きつけながら宣言する。


「僕、これやる!」


 お姉ちゃんは最初あっけにとられて僕の顔を見ていたが、やがてパソコンの画面に目を移すと顔をしかめた。


「あんた……これがなんだかわかって……」

「やる! 絶対にやる! 僕は、かっこよくなりたいんだ! もう学校から帰ったらぼんやり動画を見ているだけなんて嫌だ! 未羽ちゃん達にも嫌われちゃったし! ぼ、僕が陰キャだから!」


 お姉ちゃんは心なしか顔が青くなっている。いつも強気なお姉さんにしては珍しい。


「……ダメ。絶対ダメよ。eスケートボードなんて絶対に!」


 廊下がギシとなり、台所の暖簾が持ち上がった。

「なんだぁ? デケェ声出しやがると思ったら」

 そう言って台所に入って来たのはおじいちゃんだ。僕らはおじいちゃんとお姉ちゃんと僕の三人で生活をしている。両親は僕が小さいころに事故で亡くなったらしい。


「育士がeスケートボードをやりたいって……。おじいちゃんからも何か言ってやって!」

「初めてか? 育士から何かやりてぇって言ってきたのは。eスケだろうがなんだろうが、やらせりゃあいいだろうが」

「おじいちゃんだって知ってるでしょ! 私と、両親がどうなったか! お母さんはおじいちゃんの娘でもあるでしょ!」


 お姉ちゃんは絶叫に近い声を上げている。こんなお姉ちゃんは見たことない。いつもしっかりしているお姉ちゃんが、こんなに狼狽えるなんて。


「わかってらぁ……だが、育士がお前ぇみたいになるとは思えん。優しい性格だからな。それにこの辺りには奴らもいねぇ。普通に練習する分には大丈夫だろ。ここで許してやらなきゃ、いつまで経っても男にはなれないぜ、こいつは。いいのか?」

 お姉ちゃんは唇を噛む。

「でも……よりにもよって……」

「まあお前の両親みたいなことにはならねぇよ。なんたってここには、お前がいるしな」


 お姉ちゃんは諦めたようにため息をついた。

「わかったわ。でも約束して」

 お姉ちゃんはいつになく真剣な表情をして僕に一つの約束をさせる。


「絶対にeスケートボードを、暴力の手段にはしないで」


 僕にはeスケートボードと暴力との繋がりが見えなかったが、とても聞き返せる雰囲気ではなかった。よく意味を理解しないままに僕は頷いた。


「……ならちょっと待ってろ。いいのがあったはずだ」

「おじいちゃん! もうおじいちゃんのは誰にも使わせないって!」

「あのシリーズじゃねぇ。せっかく孫がやる気を出したんだ。少しくらいはいいだろ」


 この家には離れがあって、おじいちゃんは日中はそこに入り浸っている。お姉ちゃんから近づかないようにと言われているので、中がどうなっているのか僕は知らない。おじいちゃんも何をしているか言わないように、お姉ちゃんにきつく口止めされているようだった。


 その離れに入っていったおじいちゃんが、手にeスケートボードをぶら下げて出てきた。

「ほら、やるから使え。銘は……そうだな。夜明け、とでもしておくか」

「あ、ありがとう……」

 僕は受け取ったeスケートボードの真っ黒なデッキの表面を眺めた後、ひっくり返して裏面を見た。一日が始まる前の、夜空に薄明かり差し込んでいるような風景が描かれている。


「夜明け、か……」


 僕は家の前の道へ駆け出て早速乗ろうとした。しかし片足を乗せてもう片足を地面から離したところで、盛大に後ろに転び、後頭部を撃って意識を失った。



 それから僕は学校が終わった後、eスケートボードの練習に没頭した。車もろくに通らない道や、山を貫くトンネル、山崩れ留めの壁、山の中の崖のようになっている場所、ありとあらゆる場所に夜明けを持って行き、トリックの練習をした。


 トリックのやり方は、僕が見たYouTubeの女性が他にも色々な解説動画を投稿していたので、それを参考にした。


 中学三年間、日中は学校が終わったらずっと、日が落ちた後も街灯の明かりを頼りに何時間も練習した。最初は動くeスケートボードの上でバランスを取るのにも苦労したけど、だんだん上手くなっていくのには手ごたえを感じていた。


 女の子達もだんだんと僕をからかわなくなり……一年後くらいにはまた一緒に遊ぶようになった。


 そして中学卒業後、僕は東京の高校に進学した。お姉ちゃんは止めたけれど、僕はこの件では頑固だった。最終的におじいちゃんが味方してくれて、僕は晴れて東京英嵐高校に入学した。



「eスケートボード部……? そんなのないわよ?」

「えっ? だってこの高校にはeスケートボードの部活があるって……」

「あー、まだホームページ更新してないのか。問題起こして数カ月前に廃部になったわよ」

 僕は抜け殻のようになって職員室を出た。eスケートボード部で仲間と技術を研鑽したり、友達を作ったり、といった夢を見ていたのが、東京に来た理由の半分だ。まさか廃部になってるなんて……。


 肩を落としながら僕は東京英嵐高校を出た。校則で徒歩と公共手段以外では登下校してはいけないと決められていたので夜明けは持ってきていない。アパートで留守番をしている。


 しかし東京英嵐高校の生徒で、eスケートボードに乗って校門を出て行く数人の集団がいた。着崩した学ランを着た男子達の先頭を滑るのは、金髪に染めた小柄な女の子。


 部活はないけど、やってる人はいるのか!


 僕は追いついて話を聞こうと走って後を追った。元々はすぐへばる僕でも、三年間毎日練習をしたことで体力はついている。全力で滑られたら絶対に追いつけないが、街中ということであまりスピードも出ないだろう……と思っていたけど、予想は裏切られた。


 eスケートボードに乗った五人は校門を出ると、車が走っているのにもかかわらず車道に出た。そして車に劣らないスピードで車道を走っていく。


 eスケートボードは後輪の上にあるアクセルに体重をかけることで一瞬のウェイトタイムの後、既に後輪が回転している方向に更なる力が加わる仕組みだ。

 全員加速していくが、男子達はぐっぐっとアクセルを踏む様子がよくわかる一方で、女の子は慣れているのか、遠目で見るとほとんど動いているようには見えない。少し先の赤信号の交差点を彼らは止まっている車の間を縫うように抜けていく。そして赤信号を無視して左折すると、僕の視界から消えた。


 僕は立ち止まってそれを見送った。eスケートボードをする友達は欲しいけど、不良か……という葛藤が僕の中で暴れた。

「残念だけど、避けておくか……」

 eスケートボードをやっている人は彼らだけじゃないだろうし、リスクが大きそうだ。別の人を探そう。

 


 入学直後の慌ただしい日々が過ぎて、僕は学校でeスケートボードの友達を作るのを諦めた。あの不良集団以外にはeスケートボードで滑っている人が見つからなかったのだ。でも乗らずにはいられなかったので、授業が終わると近くに見つけた公園に夜明けを持って行った。


 公園には同じくeスケートボードを持って練習している人達がいた。知り合いになりたかったが、いきなり話しかけるのは難しかったので、取り合えずその辺で練習を始めた。

 練習をしながら辺りを見回すと、大体七割くらいはその柄の悪さから不良だと気がついた。そういう奴らはeスケートボードを持ってたむろしてるだけでろくに滑ってない。たまに滑ったと思ったらオーリー(ジャンプ)をするくらいだ。


 eスケートボードのオーリーは、普通のスケートボードとは違って練習すればすぐにできる。テールの裏についているインパクターのおかげだ。


 eスケートボードは普通のスケートボードとは大きく三つの点で違う。

 まず、テールに地面との接触で作動するインパクター(衝撃発生装置)がついている。衝撃波はデッキと水平に発動する。つまりデッキを斜めにしてテールを地面に接触させると、地面に対して斜めに衝撃波が発生し、デッキを空中へと打ち上げる。衝撃波の強弱はテールを地面につける勢いで調整できる。


 次にテールの手前、後輪の上にあるアクセルとブレーキだ。左足を前にしてボードに乗った時の、右足を置く部分のつま先側にアクセル、かかと側にブレーキがある。つま先側のアクセルに体重をかけることで、一瞬のウェイトタイムの後、後輪が回転している方向に更なる力が加わる。ウェイトタイムがある理由は、ジャンプをしながら空中でボードの前後を入れ替えるトリックを使った後など、着地した瞬間にもパーツに体重がかかるが、その時は進行方向とは逆回転をしているからだ。ウェイトタイムがないと反対方向に加速してしまう。また一度踏むことで起こる加速度は小さく、何度も体重をかけることで加速していく。一度踏んだらそのまま足を置いておいても加速していくことはない。


 三つめはデッキが金属製であることだ。普通のスケートボードは足をかけて乗る部分のデッキが木製だが、eスケートボードでは激しい滑りに耐えるために軽い金属製になっている。


 忘れてた……もう一つ違いがある。靴とデッキだ。eスケートボード用の靴には仕掛けがあり、eスケートボードのデッキに簡単に固定・解除ができる。これによってテールから衝撃波が発生したときに、ボードだけが飛んでいってしまうことがなくなっているのだ。


 そういう仕組みなので、ちょっとかじっているならジャンプするのは簡単だ。テールを地面に叩きつけて、インパクターを作動させればいい。あとは着地さえできればいいが、靴とデッキが固定されているのでそれもそこまで難しくない。


 オーリーの先にこそ練習し甲斐があるトリックがあるっていうのに。ただ格好つけてるだけじゃないか。僕にはどうしてもそう思えてしまう。



 それから数日後、僕はいつもの公園から帰るときに別の道を使った。未だに知り合いは出来てない。

 その時に頭上を走る鉄道を見つけた。その高架線路を支えている橋脚が縦に長く、コンクリートでしっかりしていたので、垂直壁走行バーチカルウォールライドの練習によさそうだと思った。


 そのまま一度帰宅して夕食を食べ、さあ二回戦だと出てきた。高校になって宿題が多くなったので、東京に来てからは初めての夜練だった。

「電車が通るところの近くなら騒音対策もされてるよな……?」

 多少音を出してもそれほど近所には迷惑は掛からないと信じよう。


 僕が住んでいた村にこれほどの高さの滑らかな壁はなかったので、楽しみだ。村に遭ったコンクリートの壁は、一番高いものでトンネル横の補強部分で精々七メートルくらい。それ以上だと辛うじて滑らかだと言えるのは山の土壁だったけど、流石に垂直の土壁はウィールが空回りして登れなかった。

 十五メートル以上もあるこの滑らかな高架脚は僕にとってかなり魅力的なのだ。


「所々鉄筋が出てるけど、生えてない個所を使えば大丈夫だな」


 僕が心を躍らせながら夜明けに乗り、さあ加速しようというところで??高架下の広場に人が現れた。

 人数は六人。男が四人、女が二人。みんな高校生くらいのようだ。男たちはみんなeスケートボードを手に持ったり脇に抱えたりしている。


「ここなら誰も来ねーからよォ! 思う存分楽しめるぜェ!」

「お前……初めての女だからって興奮しすぎだろ」

「虎っち……じゃねぇ、虎梅サンはどんな男でも堕とそうと思えば堕とせるから、わからねーでしょうがねェ!」


 なんだあのコテコテの舎弟男は……と思いながら夜明けを止めて様子を伺った。舎弟男が女の肩を掴んで無理矢理歩かせている。虎梅サンと呼ばれた先頭の女以外は、歩かされているもう一人の女を囲んでいた。


「あれ……うちの高校の不良たちじゃないか?」

 今日は休日だったのでお互い私服だったが、あの金髪と身長には見覚えがある。間違いなく、僕が避けていたeスケートボードに乗る不良たちだ。


「おォ? なんだテメーはよォ! ここは俺っちらの縄張りだぜェ?」

 気がつかれたみたいで、舎弟男が怒鳴って来る。

「見えねェのかよォ! そのステッカーがよォ!」

 指を指した先にあったのはベンチだった。その背もたれに一枚のステッカーが貼ってある。


「虎と雷……と槌?」


 確かに気がついてみるとそこかしこに同じステッカーが貼られていた。そのデザインは雷を背景に虎と槌がクロスしたものだった。わりとかっこいい。


「かっこいいね」

「そうだろォ? テメーにもこの良さがわかるのかァ。……じゃなくて! とっととどけって言ってんだよォ!」


 僕と舎弟男が問答をしている間に、不意を突いて舎弟男に抱えられていた女は腕を振り払って逃げ出した。しかし周りを固めていた男たちに取り押さえられる。


「やめて! 助けて!」

 その茶髪の女の子をよく見ると……。

「あれ。……未羽ちゃん?」


 一年前に東京に出た、僕と同じ中学校の女の子だった。髪色が変わっていたのでぱっと見じゃわからなかった……。まさかこんなところで東京に来た目的のもう半分が達成されるなんて。


「未羽ちゃん? 未羽ちゃんだよね? 大丈夫っ?」

「えっ……? その声……育士君?」


 未羽ちゃんが僕に気がつき、こちらを振り向く。東京に来てだいぶおしゃれになっていたが、確かに未羽ちゃんだった。


「こいつは隣の高校のレイドリーダーを潰した時に貰ってきたのよォ。流石は頭の女だぜェ。上玉だァ……」

 舎弟男は未羽ちゃんの顎を掴み、僕に見せつけるように顔を寄せてその頬をべろりと舐める。未羽ちゃんは恐怖で声も出せない様だった。


「……わ、悪いけど返してくれないかな。その女の子、僕の知り合いなんだ」

 僕もごくごく僅かに少しビビりながらも、そう告げる。未羽ちゃんを酷い目に遭わせるわけにはいかない。


「あァん? 返すわけねェだろうが……」


 舎弟男は僕の夜明けを見て、何かに気がついたように言葉を切った。そしてニヤリと笑う。

「いや、そうだなァ……考えてやってもいいぜェ」


 男は僕が登ろうとしていた高架脚を指した。

「だが勿論タダでとは言わねェ。あのウォールの上を見ろォ」

 ウォール……高架脚の天辺、高架付近を見ると、高架脚の所々に飛び出ている鉄筋の中でも、一際長い一本の鉄筋が見えた。地上からはおよそ十五メートルほど。


「二人で同時にスタートして……先にあの天辺の鉄筋に掴まった方が勝ちだァ。途中の邪魔な鉄筋をかわしながらなァ……。テメーが勝ったらこの女を返してやるよォ。代わりにテメーが負けたらァ……」


 舎弟男は僕の夜明けを指さす。

「そのeスケを寄こせェ。見たこともねェ型だァ。結構高値で売れそうじゃねェかァ」

「……っ、そ、それはっ」


 夜明けは三年間を共に過ごした親友だ。僕のスケートボーダーとしての経験が全て刻み込まれた、魂そのものであると言ってもいい。それを渡せだなんて……。


 そこで虎梅サンと呼ばれた金髪の女の子が呆れるような、嘲るような声で言った。。

「どうしたの? 賭けられないの? 雑っ魚」

 虎梅さんは僕より圧倒的に背が低いにもかかわらず、僕を嘲り、見下していた。顔を反らし、僕を嫌悪するような眼差しすら見せている。そして吐き捨てた。


「かっこ悪いな、お前」

「っ!」


 それを……それを言われては引くわけにいかなかった。かっこ悪いなんて言われてしまっては。

「……わかった。やってやる。やってやるよ」


 僕は片足を乗せていた夜明けのノーズを踏んでテールを上げると、トラック部分を蹴り上げる。

 空中へ浮かび上がった夜明けを右手で掴み、舎弟男に対して突き出した。

「僕のスケートボーダーとしての魂……夜明けを賭けて」


 

 僕と舎弟男は高架脚から十メートルほど離れて、並んで立った。既に片足をデッキに乗せている。虎梅さんが硬貨を片手に構えた。


「いくぜ。このコインが地面に触れた瞬間にスタートだ」


 僕はつばを飲み込んだ。これほど高く滑らかな壁は本当に昇ったことがないのだ。


 キン、と硬貨が弾かれる。硬貨は放物線を描き、僕と舎弟男の間に落ちた。

 僕らはほとんど同時にコンクリ床に付けていた足で地面を蹴る。


 高架脚との距離はわずか十メートル。たったそれだけの加速で垂直の壁を十五メートルも昇ろうというのは、ほとんど不可能だ。


 舎弟男も加速する距離を作るために僕の反対側へ旋回を始める。高架下のスペースを広く使い、弧を描くように速度を増しながら滑る。


 そして僕はと言うと……真っ直ぐ、高架脚へ向かっていた。


「ハッ、馬鹿でェ! 無様にずり落ちてきたところをブチ抜いてやんよォ!」


「……滑らかな壁は七、八メートルしか昇ったことがないんだ。でも滑らかじゃない壁なら、昇ったことがある。例えば、岩壁とか」


 村の近くにあった高さ三十メートルほどの岩壁なら、僕は昇ったことがあった。凸凹が酷く、滑らかとはとても言えない壁……というより崖だ。昇った、というより登った、が近いかもしれない。


「僕はこの高架脚には滑らかな部分があるから、そこを昇る練習がしたかったんだ。でも滑らかな部分を滑る必要がないなら、その練習をするわけじゃないなら、こんな壁、いくらだって昇りようがある」


「何を言ってやがるッ! この壁には滑らかな部分しかないだろッ! 所々に鉄筋が突き出ているだけで……っ!?」

「そう。あるだろ、鉄筋が」


 僕はテールを地面に叩きつけ、インパクターを作動させる。生まれた衝撃波が、夜明けと僕の身体を空中へと弾き出す。

 跳躍した僕は空中で体勢を変え、テールの裏をコンクリート面から突き出た鉄筋に、ジャンプの勢いを殺さないまま叩きつけた。

 インパクターが再び作動する。


 鉄筋へ衝撃波を与え、その反動で夜明けは壁を斜め上へと駆け上る。四輪が高架脚に僕の滑った証を刻む。勢いがなくなってきたところで、次の鉄筋が待っていた。勿論狙った軌跡だ。テールを振り、再びインパクターと鉄筋を接触させる。衝撃。


 僕は踊るように、突き出た鉄筋を足場にして高架脚をジグザグに駆け上った。



 ……天辺の鉄筋を掴んでぶら下がる。

 広場を一望すると、高架脚の前で立ち止まった舎弟男は、唖然として僕を見上げていた。僕は舎弟男を高架脚の天辺から見下ろす。

「さあ、その女の子を返してもらうよ」


 舎弟男は悔しそうに難癖をつけてくる。

「ズ、ズリーだろそんなん! 鉄筋を足場にして登るなんて、反則、反則だ!」

「え、いや……おっ?」

「おっ?」

「お」


 僕の全体重がかかった錆びた鉄筋は、僕を支えきれずにコキッっと軽い音を響かせながら、掴んでいる先から折れた。


「おあわわわわわわわっ!」


 落下しながらパニックに襲われるが、なんとか意識して平静を取り戻す。eスケートボードの練習をしていたらこの程度のことは日常茶飯事だ。


 僕は空中で体勢を立て直して、高架脚に四輪で触れる。そしてテールを踏み込み、インパクターを壁に叩きつけた。


 衝撃波が僕と夜明けを斜め下に跳躍させる。高架脚の下にいた舎弟男の頭の上を飛び越え、着地。そしてそのまま他の三人の男のいるところに突っ込んでいき……。


「未羽ちゃん!」

「えっ? ……うんっ!」


 その中央にいた未羽ちゃんを抱き上げ、僕たちはその場から逃亡した。



 夜の街を、僕は未羽ちゃんを抱いたまま滑走する。とりあえずあの場所から距離を取らないと。でもその後は?


「どうする? このまま家に帰しちゃって大丈夫?」

「う、ううん。家も知られちゃってるかもしれないから、ちょっと怖いな」

「そっかー。じゃあ必要なもの取ったら僕の家においでよ。一人暮らしだから狭いけど」

「う、うん……」

 あの意気地なしの育士が一人暮らしの家に私をさそ……と呟く未羽ちゃん。僕だってずっと子供じゃない。家に帰れない女の子を外に放っておいたりはしないのだ。


 未羽ちゃんのアパートに着くと着替えや必要なものを取ってもらい、未羽ちゃんは自転車で僕のアパートまで移動した。自転車に乗るときに何度も自転車に乗って本当にいいのか確認してきたのは何だったんだろう。未羽ちゃんだって僕にずっと抱かれたままで街中を滑って行くのは恥ずかしいはずだ。


 そして未羽ちゃんには僕のベッドを使ってもらい、僕は床に余っていた布団を敷いて寝た。未羽ちゃんは電気を消した後も薄暗がりのなかで不満そうな顔で僕を見下ろしていた……。自分が床で寝るべきだと思ってるのかな? 気にしなくていいのに。女性を床で寝かせるほど僕は甲斐性なしじゃないんだぞ!


 

 翌日、未羽ちゃんを高校に送り届け、東京英嵐高校の門をくぐる。いつまでも未羽ちゃんの身の上が危ないのはまずい。ちゃんと話をつけないと……。

 休み時間に僕は校内を周り、虎梅さんと呼ばれた金髪の女の子と舎弟男を探す。


「おォ?」

「あ」


 非常階段の踊り場に舎弟男が見えたので近づいたのだが……舎弟男は練乳イチゴアイスを食べていた。しかもカップに入っていてスプーンで食べるタイプである。


 舎弟男の顔が苺もかくやと言わんばかりに、赤く染まる。


「てっ、テメェ、ここは俺の心の癒しだぞッ! なんでここにッ!」


「あー、あの面子の前で練乳イチゴアイスなんて食べられないもんね。一人で隠れて食べてるところを邪魔してごめん」


「……コ、殺すッ」


 舎弟男が言うと本当に聞こえるので良くない。身の危険を感じる……が、今回は思いとどまったようだ。


「……で、何の用だよ。女はテメェが攫っていっただろォ? 昨日はお楽しみだったかァ?」

「未羽ちゃんはそんなこと望むような女の子じゃないよ……。それでそのことなんだけど、未羽ちゃんの安全はもう確保されたってことでいいのかな?」

「いや、それはどうだろうなァ」


 舎弟男は昨日の夜に高架下の広場で見たような、邪悪な笑みを浮かべた。


「俺はもうあんな女どうでもいいがァ……虎っち……虎梅サンは違うみたいだぜェ?」

 にわかに顔がこわばり、神経が張り詰める。

「どういうこと?」

「虎梅サンはなァ、テメェに興味を持ったのよ。それでレイダーバウトをしたいと仰せだ。あの人は生粋のレイダーだからなァ。勝負を実現させるためには……手段を選ばねェと思うぜェ?」


 レイダーバウト……どこかで聞いたことがある気がした。

 僕が不思議そうな顔をしているのに気がついたのか、舎弟男がさらに説明してくれる。

「簡単に言やァ、eスケを使った喧嘩だァ。ただし攻撃にはeスケしか使っちゃいけねェ。どちらかが戦闘不能になるか、負けを認めるまで終わらねェタイマン勝負だァ……」

「……eスケをそんな風に使うなんて」


 思い出した。僕が参考にしていたYouTubeのお姉さんが、たまに言っていたのだ。レイダーバウトで自分が教えたトリックを使わないでほしいと。

 東京に来てからたまに心配して電話をくれる育未姉さんも、暴力の手段としてeスケートボードを使うなと言っていた。レイダーバウトやレイダーについて知っていたのだろう。


「まあ近いうちに段取りが出来たら、俺が宣戦布告に行ってやるよォ。……ついでに聞いておくと何組だお前? 探すのめんどくせェからなァ」

 なんとも事務的なやり取りを経て、僕は教室に戻る。途中で二年生の教室の前を通ったので、虎梅さんを探しながら歩いたがやはりいなかった。


 その日の午後、僕は舎弟男から宣戦布告を受ける。内容は未羽ちゃんを見逃してほしければ、虎梅さんとのレイダーバウトを受けろというものだった。時間は今夜、場所は郊外の八ヶ峠トンネル。


「あの女も連れて来いよォ? 賭けの対象なんだからなァ……。近くでお前が無様に敗北する様子を見せてやるぜェ?」


 

 放課後になると、僕は急いで未羽ちゃんを学校まで迎えに行った。壊滅したレイダーチームの元・リーダーの女ということで腫れ物に触るような扱いだったらしいが、直接の被害はなかったようで安心した。


 未羽ちゃんと一緒に僕の部屋まで帰った後、一人だけ外に出て村に残った育未姉ちゃんの携帯に電話をした。

「姉ちゃん……レイダーバウトって知ってる……よね?」

「っ!? あんた、まさか!」

「ごめんね……でも、姉ちゃんも知ってる未羽ちゃんが危ない。放っておけないんだ」

「だから、だから言ったのに! あなたが大怪我をしたら、死んだらどうするのよ!」

「ごめん……ありがとう姉ちゃん」

 僕は通話を切る。その直後に何度も育未姉ちゃんから着信があったが、しばらくすると沈黙した。ごめん、姉ちゃん。僕にとって未羽ちゃんは、命より大切な存在なんだ。


 少しして僕と未羽ちゃんはアパートを出る。自転車に乗った未羽ちゃんと速度を合わせて、ゴーゴリマップで検索した八ヶ峠トンネルへ向かって国道をひた走っていく。


 途中で何度もスケートボーダーに追い抜かれる。様々な格好をしたスケートボーダー達、……いやおそらくはスケートレイダー達は、皆一様に八ヶ峠トンネルの方へ向かっていた。 

 滲み出る嫌な汗が止まらない。夜風にすぐに乾いても、不快な感触だけが残った。


 

 国道にそって真っ直ぐに滑っていくと、人家がまばらになり、道の脇の森が途切れて、一面に広がる田んぼと暗闇の中に浮かぶ稜線が現れた。そして国道の先、山を貫く八ヶ峠トンネルの入り口だけが異様に明るい。近づいていくと様子がわかった。


 複数の巨大な照明装置によって煌々と照らされたその場所には、道の脇に沿って数多くのスケートボーダー達が集まっていた。道は通行止めの工事用バリケードで封鎖され、ざわざわと狂騒的な熱気がこの場所を包んでいる。

 未羽ちゃんはバリケードの横に自転車を停めた。僕らはその一帯に足を踏み入れる。僕は夜明けは左脇に挟み、道の両側に分かれたスケートボーダーの中心を歩いていった。


 不安からか未羽ちゃんが右腕にしがみついてきた。胸が当たる。柔らかくて気持ちいい。なんだか安心するのでこのままでいいや。


 八ヶ峠トンネルに入ると両側の人垣はなくなった。しかし五十メートルほど先にもトンネルを遮断するように、道を塞いで人が集まっている。

「あ、あれ……」

 トンネル内に入って十歩ほど歩くと、未羽ちゃんが僕の腕を引っ張り、背後を指さした。振り向いてみると、道の脇にいた人達が移動し、人垣でトンネルの入り口を塞ごうとしている。


 閉じ込められるようで嫌な感じがした。しかし僕はトンネルの奥へ向かってゆっくりと歩みを進め、道の中央にいる人物に近づいていく。小柄な体躯から放たれる凶暴なオーラに、僕は恐怖で足が震える。もし負けたら未羽ちゃんは……そんな不安が胸を握りつぶそうとする。


 でも、だからこそ。

 大切な存在を守るためには、恐怖に立ち向かわなければいけない。


「よお、逃げずによく来たなぁ。雑魚のクセにさぁ」


 僕は目の前の女の子に侮られないように胸を張り、震えた声で挑発をし返す。

「そっちこそ……保護者はちゃんと連れて来たのかい? お漏らしの後始末、僕はやらないよ?」

 額に青筋を浮かべる虎梅さん。小柄な虎梅さんには、子ども扱いを絡めた挑発が効くようだ。

「いい度胸じゃねぇか、テメェ……」

 虎梅さんは荒れたアスファルト舗装の道路を指さす。


「這いつくばらせてやんよ」


 それが合図になったかのように、観衆がうぉおおおっと囃し立てるような声を上げた。僕は未羽ちゃんに離れるように目で合図をした。未羽ちゃんは下がろうとする間際、不安げな顔で僕を見上げた。僕は未羽ちゃんを落ち着かせるように肩に手を当てる。


「……無事に帰って来て」

「安心して待っててよ。僕が守るから」


 視線を転じて僕達二人をせせら笑っている虎梅さんを睨みつける。


「僕があの人を倒すから」


 未羽ちゃんが人垣の手前まで下がると、僕と虎梅さんは十五メートルほどの距離を取る。虎梅さんが左手で持っていたeスケートボードを空中に放り投げた。僕も同じく宙に放る。


 僕と虎梅さんは回転しながら落ちて来たeスケートボードに、空中で飛び乗った。


 空中で態勢を整えて地面にインパクターを当てる。衝撃波によって前方に僅かに飛翔。すぐに十分な加速を持って着地し、お互いへと一直線に進んでいく。


 小刻みにアクセルを踏み、どんどんと速度を増していく。お互いが五メートルほどの距離になったところで、二人ともテールを下げてインパクターを作動させた。


 宙を舞う二人。空中で身体を捻り、eスケートボードを百八十度回転させる。


 フロントサイド180オーリー。


 地上二メートルでeスケートボード達が衝突し、轟音と共に火花を散らした。



 初撃は互角。しかしあの小柄な体格で僕と衝突して互角ということは……速度や技のキレでは、虎梅さんの方が上だったということだ。

 着地した僕達はすぐに加速を繰り返しながら距離を取り始める。トンネルは横幅十五メートル、奥行きが人垣までで五十メートル、そして高さが十メートル。広さを十分に使う。


「オレの初撃を受け止めるとはなぁ。やっぱりやるな」

「……何でそこまで未羽ちゃんや僕に執着するんだ!」


 虎梅さんはせせら笑うように答える。


「あの女なんかオレは興味ねーよ。オレのテリトリーの中でそこそこ上手い奴が出てきた。だから潰す。それだけだ」


 互いに背後の人垣近くまで下がった二人は、再び加速しながら接近を始める。

「オレのeスケートボードの名は雷虎だ。オレの力……見せてやるよ。まずは……〈雷霆〉」


 虎梅さんはこちらに直線で向かうのをやめ、突如斜めに進行方向を変えた。そして数メートル進んだところで再び鋭く方向を変える。

 高速で滑りながら数メートルを滑ったところで鋭角にターンを繰り返す。チックタックの応用……その軌跡がバトルフィールドに描く紋様は……まさに稲妻。


「っ、左右どちらから来るのかも、タイミングもわからないっ」


 読み切れないうちに、虎梅さんは僕の左側の壁近くまで滑ったかと思うと、急激に角度を変え、僕に迫って来る。

「取り合えず迎撃をッ」

 僕も方向を変え、虎梅さんへと向かっていく。インパクターを使った再びのフロントサイド180オーリー。


 しかし僕が跳躍した後、虎梅さんは鋭く進行方向を変え、僕とすれ違うように僕の迎撃を躱した。何度かターンを繰り返し、およそ180度進行方向を変えると、空中にいた僕の背中を追い始める。


 空中にいる間は加速が出来ない。ほとんど速度を落とさないターン技術に加えて、アクセルを用いて更に速度を上げた虎梅さんには、すぐに追いつかれてしまう。


 トンネルに対して斜めに跳び上がったことで、僕の目の前にはトンネルの湾曲した壁が迫っていた。僕は壁に対して平行に夜明けを構え、四輪で接地。そのまま壁を地面と平行に滑っていく。

 直後、背後に迫っていた虎梅さんが壁に跳び上がり、当たり前のように壁面走行を始める。僕も必死に加速を繰り返すが、初速が違う。すぐに後ろに張り付かれた。


「〈雷爪〉……無様に転げ落ちな!」


 超高速で走行しながらのターンオーバー。前輪を支点に雷虎を回転させ、テールで夜明けのテールを薙ぎ払おうとする。


 食らえばバランスを崩し、壁から落ちてアスファルトに擦り下ろされることになる。

 僕は後輪を上げて前輪のみで走行するノーズマニュアルで、なんとかその壁を伝うような一撃を躱す。

 かわされた虎梅さんは雷虎を360度回転させて元の体勢に戻す。そして間髪を入れず僕の上がったままのテール部分を……。

「ケツ上げて誘ってんのかぁ……? フン、初心者が」

 雷虎のノーズ先端でカチ上げた。

 夜明けのインパクターが、起動させられる。



 テールの下側に衝撃を与えられた夜明けはインパクターを作動させた。予想外のタイミングで放出された衝撃波は、前傾姿勢だった夜明けを更に前方に向かって進ませようとする。前傾姿勢が深まり、ノーズが壁に触れた直後、僕は宙を舞った。


 自転車でスピードに乗って坂道を下っている最中に、前輪のブレーキを思い切りかけた時のように、僕は勢いよく吹き飛ぶ。しかしこれまでトリックを失敗して宙に投げ出された経験から、咄嗟に空中で体勢を立て直した僕はなんとか四輪での着地には成功する。


 しかし横方向の勢いを殺しきれず、盛大に地面を転がった。打撲、裂傷、擦過傷……様々な傷を負いながら地に伏した僕の頭の先に、虎梅さんが雷虎を停める。

「落車した相手を攻撃しない……これはルールだ。立ち上がれなきゃお前の負けだがな」


 僕は全身を襲う痛みを噛み殺しながら顔を上げる。虎梅さんは嗜虐的に顔を歪ませた。

「審判はあの見ている奴らだ……。あいつらが本当に立ち上がれないか、決める。他にも卑怯な真似をしたり、詰まらない真似をしたりしたらあいつらが許さねぇ。だが……だからこそか? 攻撃はダメでも……これくらいは許されるんだよなァ」


 立ち上がろうとする僕の後頭部に虎梅さんが足を乗せた。

「どうした? オレの前で這いつくばる……言ったとおりになったなァ?」

 僕は屈辱に震える。アスファルトに手を突いて起き上がろうとするも、力が入らない。


「ほらほら、頑張れ。さっさと起きないと負けちゃうぞ?」


 ぐりぐりと一層の力を込めて頭の上でねじるように足を動かす。燃えるような屈辱が沸き上がった僕は、虎梅さんの足を払いのけて立ち上がった。目の前で煽るような笑みを浮かべる虎梅さんを憎々し気に見下ろす。


「……ハッ。いい威勢じゃねぇか」


 虎梅さんは片足で地面を押して初速を得るとアクセルを踏んで離れていく。

 僕も悔しさを噛み殺しながら滑り出す。虎梅さんは入り口付近まで行き、僕はトンネルの奥の方で円を描くように加速した。


 入口の人垣にいる未羽ちゃんの前を通り過ぎ、Uターンした虎梅さんは、動きを捉えきれない高速のジグザグ軌道〈雷霆〉で再び僕に迫る。


 僕はトンネルの中央を真っ直ぐに疾走する。右に左に高速で動いていた虎梅さんが今度は右側から接近してきた。


 さっきは自分から跳んだから隙をさらした。次はギリギリまで様子を伺ってから反撃してやる??そう思い、虎梅さんの動きを注視しながら真っ直ぐに向かっていく。


 虎梅さんは直前で細かいチックタックを入れて左右へのフェイントをかけた後、180スピンで雷虎の前後を入れ替える。これでインパクターが前面に来た。

 そして前側に来たテールを蹴り下げてインパクターを接地。衝撃波を発生させて宙を舞う。通常のスケートボードでいうノーズを下げるジャンプ、ノーリーだ。


 通常とは違いインパクターを使用したノーリーはより高い飛翔を得る。同時に側転のように回転し空中で身体を逆さに入れ替えた虎梅は、更に身体を180度捻り、雷虎を宙高くから振り下ろす。


「くぅっ」


 その予想外の上方からの攻撃を僕はかわしきれず、両腕を頭の上に掲げて防御を試みた。

 しかし振り下ろされたテール部分が腕に触れた直後、インパクターが発動する。


 真上からの振り下ろしと、インパクターから放たれた衝撃波が全身を駆け巡る。衝撃を逃がせず、ほぼ全てのダメージが減衰することなく僕の身体に叩きこまれた。

「が、はっ」

 少しの間勢いで滑った後、無様に転倒した僕はぴくぴくと全身を震わせる。まるで雷に撃たれたかのように全身が動かせない。


「フロントサイドシングルバックフリップ180……〈雷神のトールハンマー〉。どうした? もう終わりか? 雑魚が」

 虎梅は僕の髪を掴み、顔を持ち上げる。しゃがみ込んで僕と目線の高さを合わせた。

「オレはガキ扱いが一番嫌いでなぁ……徹底的にわからせることにしてんだよ。まだまだ終わらせねェぜ? ボケカスが」

 嗜虐的な喜びに虎梅はその顔を染める。そしてトンネルの入り口を見た。

「そういやお前が負けたらあの女はどうなるかなぁ。犬彦は興味なくなったらしいが……悪くねェ見た目をしてるし、他の奴らまで放ってはおかねェだろうなぁ」

「……未羽……ちゃん……」


 僕のいた自然豊かな田舎村で過ごした十五年間が脳裏を駆け巡る。小学生の間は一つ年上の未羽ちゃんに連れられてよく遊んでいた。


 未羽ちゃんが中学に入った後の一年間は確かに距離が出来ていた。その間に思春期が来て大人びた未羽ちゃんに、中学に入ったばかりの頃の僕は色々とからかわれた。でもeスケートボードに熱中し始めてからは練習を見に来るようになり、再び距離が縮まった。少し大人びた未羽ちゃんと、僕はもう一度仲良くなった。中学を卒業するまで、よくみんなで遊んだけど??一番長い時間を過ごしたのは未羽ちゃんだ。それは幼い時からずっと変わらない。


「が、あ、あぁぁぁっぁぁぁぁあああああああっっっっ!」

 僕はほとんど気合だけで立ち上がった。全身に激痛が走り、涙が出る。全身の骨……特に腕と脚にはひびが入っているだろう。だがそんなものは僕が敗北した後に未羽ちゃんが味わう苦痛に比べれば何でもない。

「絶対に……負けない……っ!」

「え? 泣いてんの? え? え? 負けない? そりゃ負けないよなぁ? こんな小さくて可愛い子に、負けるわけないよなぁ? 負けて泣くなんて、ぜぇ~ったい、ないよなぁ?」


 虎梅はひとしきり僕を煽った後、再び雷虎に乗り離れていく。僕は少し泣きそうになりながらもギリギリで耐える。なんとか気持ちを切り替えて、YouTubeのお姉さんを思い出した。

「ごめんなさい動画のお姉さん……。でも今だけは使わせてください。お姉さんの技を」


 僕は傍らに転がっていた夜明けに片足を乗せる。ここまでついて来てくれた相棒に対する感謝の念も沸き上がっていた。

「今までありがとな、夜明け。そしてこれからも……。まずはあいつを倒すのに力を貸してくれ」


 僕は地面を蹴り、滑り出した。虎梅は早くもトンネルの奥側でUターンして戻ってこようとしている。変わらず〈雷霆〉によるジグザグ走行を繰り出し、僕を眩惑する。しかし、今は付き合わない。


 突っ込んでくる虎梅を大きく迂回するようにターンし、壁に向かって滑る。


「なっ、おい! 逃げるのは反則だぞ!」

 虎梅が怒鳴り、トンネルを封鎖している観衆からもブーイングが飛ぶ。戦闘放棄と見なされれば奴らが襲い掛かって来て、僕を無理矢理にでも敗北者にするのだろう。


 だけれど、僕は逃げているわけじゃない。

 壁に向かって走った僕はアクセルを何度も踏み、壁面走行に入った後も加速し続ける。

「……何かを狙っているのか?」

 鋭くターンをし僕を追っていた虎梅が、僕の意図に気付く。

「面白れェ……付き合ってやるよ」


 僕は壁を走ったまま、トンネルの奥側付近に辿り着く。そこで地面に降り、道を横切って再び壁に乗る。

 加速、加速、加速、加速……。

 加速し続ける僕を見て観衆もブーイングを止めていた。息を止めて僕の挙動を見つめている。


 入口付近で再び地面に降り立った僕は反対側の壁を目指す。その途中で未羽ちゃんと目が合った。

 未羽ちゃんは心配そうに瞳に涙を浮かべていた。僕は大丈夫だよと親指を立てる。

 僅かに微笑んだ未羽ちゃんとほんの一瞬ですれ違い、僕は反対側の壁面に乗り上げる。


 斜めに乗り上げた僕はそれまで地面と平行に戻していた夜明けを、斜め上に向けたまま壁面を駆けあがった。


「うおっ、あいつ、天井走行シーリングライドができるのかっ!」


 観衆から驚愕の歓声が上がる。僕は壁を駆け上った勢いのまま天井を駆け、反対側の壁から地面に降りた。そしてまた加速しながら壁面を駆け上がり、天井を伝って反対側の壁から降りる。何度も、何度も。観戦しているスケートレイダー達から再び驚きの声が漏れる。

「あいつどこまで加速する気だっ!」


 既に僕のスピードは理論上の限界値に近づいていた。

 その限界を、越えるッ!

 トンネルの地面を縦横無尽に使い、僕と同じく加速し続けた虎梅も歓喜に染まっていた。


「なるほどな……。面白れぇ、面白れぇぜ! オマエっ!」


 僕らは互いに接触しないように加速を続けていく。十分に加速しきり、僕と虎梅はトンネルの入り口と奥側から互いに迫っていく。虎梅は雷のような軌道で。僕は天井も使い螺旋を描いて。その時点でおそらく僕らは二人共、スピードの理論的限界値に到達していた。


 トンネルの天井の半ばで夜明けの向きを変え、虎梅に向かって真っすぐに天井を滑る。そしてテールを思い切り踏み、天井にインパクターを叩きつけた。


 発生した衝撃波が天井から僕を撃ち出す。

 そしてその衝撃と落下による加速で……理論的な最速値を、越える。


 虎梅も180スピンから前端になったインパクターを叩きつけ、跳び上がる。


「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおっっっ!!!!!!」

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっっっっ!!!!!!」


 虎梅はより高く跳び上がり、側宙をしながら身体を捻る。

 僕は天井を離れた直後から回転を始める。お姉さんの動画と同じ、後方宙返り二回、お腹側へ身体を四回転。

 ではない。

「〈雷神のトールハンマー〉ぁぁぁぁあああああああっっっっ!!!!!!!」

 弧を描いて襲い掛かる雷神の槌を迎え撃つのは、更にその上から……雷も届かない、雲上の天空から撃ち下ろされる天帝の拳。


 お姉さんの動画を元に、僕の村のトンネルで練習に練習を重ね、練り上げた大技。超高速の天井走行があって初めてできる最高難易度のトリック。

「シーリングライド・フロントサイドクアドラバックフリップ2520……〈天球の怒り(メテオラース)〉ッッッッ!!!!!!」

 

 後方宙返り四回、身体の回転を七回。


 夜明けのデッキ裏と雷虎のインパクターが激突する。金属同士が衝突する不快な轟音が八ヶ峠トンネルに響き渡る。


 空気が揺れ、撒き散らされた金属音に観客が耳を塞ぐ。広がった衝撃波に押され、倒れ込んだ者もいた。

 そして……落下による加速と回転による威力増加で優った僕のトリックが、雷神の槌を打ち砕く。

 落下する僕と虎梅。しかし僕は夜明けで着地し、虎梅は直接地面に叩きつけられた。


「く……そ……」


 喘ぎながら手を突いて立ち上がろうとする虎梅。

 しかし、いつまで経っても虎梅の頬が荒れたアスファルトから離れることはなかった。



「あーん」

「恥ずいって……」

 身の安全を確保し、誰かに狙われることもなくなった未羽ちゃんは……しかし僕の部屋から出て行かなかった。

 その上この夏休み前の中途半端な時期にもかかわらず、僕の通っている東京英嵐高校に転校してきたのである。それに関してはリーダーの元カノってことで居づらいだろうし、別に仕方がない面もある。


 だけど中学の時と同じように弁当を作っては、昼休みに一年生の僕のクラスまで来るのは変に目立って困る。非常に困る。何度言っても聞かないので、仕方なしに昼休みは校舎の裏で待ち合わせをすることにした。


「もー、昔は素直だったのに」


 未羽ちゃんは中学時代と同じように、僕に食べさせようとする。でも未羽ちゃんの思春期(?)が中学一年生で来たように、僕の思春期は未羽ちゃんがいなくなった後の一年間だったのだ。流石にもう田舎で呑気にピクニックしていた頃とは違う。


「それにしても、みんなバラバラになっちゃったと思ったら、育士君がこんな近くの高校に来てたなんてねー」

「他の四人は北海道、沖縄、名古屋、大阪だっけ。全国制覇って感じだね。今でも仲良いの?」

「そんなにかなー。みんな現地のレイダーチームのリーダーと付き合ってるから、あまり会えなくて。レイダーチームってみんな仲悪いし」

「へー、みんなリーダーと付き合ってるってすごいね」

「それはほら、私達って美人だから!」

 かわい子ぶったポーズを取る。美人にしか似合わないやつだ。確かに美人ではあるけど自分で言うかオイ。


「みんな僕がeスケやってるとこを見るの、好きだったもんね」

「……eスケが上手い人に惹かれる性癖になっちゃったんだよねー、誰かさんのせいで」

 未羽ちゃんは口を抑えてぼそぼそ何かを言っていたが聞き取れなかった。


 今いるのは校舎の裏ということで、僕達以外にも目立ちたくなかったり、後ろ暗いことをしていたりする人が通ることがある。


「ナニィっ、女狐の奴らが虎梅サンを呼び出したってェ? あの傷で勝てるわけないだろッ?」 

 犬山だったか犬彦だったか。名前を覚えられなかったが舎弟男が別の子分を連れ、僕と未羽ちゃんの前を通りかかった。舎弟男は僕に気がつき、ガンを飛ばしてくる。

「テメェ……テメェのせいで虎っちがっ」

「……そう言われてもなぁ」


 数日で日常生活を送れるようになった僕とは違い、地面に直接叩きつけられた虎梅はまだギプスも取れていない。それで先週のようなレイダーバウトをするのは確かに無謀と言えた。

 というか度々思ってたけど虎っち……? 幼馴染かなにか?


「アニキッ、今はそいつどころじゃ……」

 一年っぽい子分が舎弟男を諫める。

「クソッ……だが俺じゃァ間に合わねェっ。それに行ったところでどうにも……」

 スマホを見ながら唇を噛み締め、震える舎弟男。その顔からは彼が本気で虎梅さんのことを心配していることが伝わって来た。僕は内心でため息をつきながら立ち上がり、一応未羽ちゃんに聞く。


「ここで助けに行かないのと行くの、どっちがかっこいい?」


 未羽ちゃんの顔は少し驚いた表情をした後、じわじわと笑顔に変わった。

「決まってるでしょ?」

「やっぱり?」


 僕は少し冷や汗をかきながら苦笑いを返し、舎弟男に虎梅さんが呼び出された場所を聞く。舎弟男は俯けていた顔を勢いよく上げる。

「……テメェ本気か? これはテリトリーを賭けたレイダーバウトだぞ? そこに虎っちに勝ったテメェが! まだギリギリレイダーではなくボーダーのテメェがッ! 虎っち側に立って戦うってことは! テメェはレイダーで、このテリトリーはテメェのものだと宣言するようなモンだぞッ! ここは多くのレイダーチームに囲まれた場所だ。誰もが狙っているんだッ! テメェはそこに首を突っ込む覚悟があるっていうのかッ!?」


 怒鳴る舎弟男に僕は苦笑いを返す。


「しょうがないかな。未羽ちゃんの前ではかっこつけたいし」

 ……それが理由でeスケートボードを始めたし。

「じゃあ家に一回取りに帰って……って間に合うか?」

 途端に焦り出す僕の背中を未羽ちゃんは叩いた。

「走れ! 育士君!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ