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あなたとワルツを! ~大好きな乙女ゲームの世界に転生しました。母と一緒に~

作者: ほし

あなたとワルツを! ~大好きな乙女ゲームの世界に転生しました。母と一緒に~




「以前から思っていたのだけれど……貴方、もしかして“明子(あきこ)”?」


 広大な敷地の西洋風庭園。

 常に庭師によって手入れされ、今の季節はピンク色や白色などの色鮮やかなコスモスが咲き誇り、見頃を迎えている。

 庭師がどこかで手入れをしているのか、遠くから、パチン、パチンという剪定の音が心地良い。

 二輪のコスモスが、風に揺られる様が微笑ましい。


 その美しい庭園を眺めながら、私は庭園内にある四阿(あずまや)で母と談笑していた。



 “明子”――それは前世での私の名前だ。


 私は普通のOLだった。他の人と違うところを上げるなら、漫画やアニメが好きなところかな。


 前世での最後の記憶――休みの日に、母と街へ買い物に出かけた時のこと。別行動後に落ち合い、信号待ちの間にどこのカフェで休憩するかを話し合っていた。

 その時、信号を無視したトラックが数人の歩行者と走行中の車を巻き込みながら、私たちの方へ……。


 目覚めたら、私の大好きなアプリで楽しめる乙女ゲーム『あなたとワルツを』の悪役令嬢、ルイゼ・ワーゲンに転生していた。

 ルイゼはワーゲン伯爵家の息女で当時8歳の子供だったけど、10年の時が経ち、現在は18歳だ。

 外見は、紫色の瞳に、紺色の髪。8歳のころは肩までの長さだったが、今では腰のあたりまである。

 どちらかというと、美人系。


 ちなみに、ルイゼには婚約者がおり、その婚約者はヒロインのストーカー。

 婚約者を取られたと思い込み、八つ当たりとして同じ学園に通うヒロインを虐めるのだ。


 末路は社交界から追放されて処刑、または貴族籍を剥奪されて平民落ちした後に行き倒れる。

 処刑、平民落ちは実際にルイゼが虐めをし、卒業後も実家の権力を使って執拗に嫌がらせを続けていた場合。


 虐めをしていない場合が一番マシで、戒律の厳しい修道院送り。

 婚約者のストーカーを止めさせることができず、責任を感じて自ら望んで修道院へ行くのだ。

 対立派閥の貴族によって「ヒロインを虐めた」という噂が流れるが、この修道院エンドではそれは間違った事実ということに。

 ルイゼがヒロインに注意していたことに尾ひれが付いて、悪意があったように改変されたのだ。スキャンダルの方が面白いからか、「ヒロインを虐めた」という噂の方が広まっていった。

 ヒロイン視点で、卒業パーティーまでに噂を訂正する選択肢はない。シナリオ上の都合なのかもしれない。


 なので、私は「ヒロインを虐めた」というのは対立派閥の貴族が流したデマ。

 婚約者のストーカーを止めさせることができず、自責の念から修道院へ行くエンドを目指したい!


 そのためには、卒業パーティーでヒロインに「ルイゼに虐められていない」と証言してもらう必要がある。

 この修道院エンドのルイゼはヒロインに対して厳しい物言いだけど、婚約者を取られたと思っていないのが特徴。


 正直に言って、“わざわざ破滅エンドを選ぶ必要はない”と今まで何度も思った。

 頑張れば、平穏に暮らせる結末に書き換えることもできるかもしれない――と。


 でも、その逆もまた然り。


 処刑、平民落ちより酷い結末に書き換わる可能性も十分ある。

 漫画やアニメを見て、『自分が悪役令嬢に転生したら』と仮定した想像をしたことがある。穏やかに暮らせる結末を新たに作るため、奮闘すると思った。


 しかし、当事者になって自身の未来がかかっていると思うと迂闊なことはできない。

 良かれと思って取った行動が、最悪の事態を招く引き金になるかもしれないからだ。


 もう、精神的に若くはないので冒険は御免だ。それに、シナリオに無い行動を取れば、それだけリスクを生む。

 確実で、リスクを最小限に抑えた選択をしていきたい。


 それならシナリオ通りに行動し、余計なことをせず、最も軽い罰を受ける結末を選ぶ。


 幸い、疑似恋愛を楽しむゲームなので、ルイゼ以外に死亡エンドのあるキャラクターはいない。

 どうせなら、ルイゼでも無くして欲しかったけど……。



 私が思いを巡らせていることも知らず、尚も母は私に語りかける。


「覚えているかしら。お母様――“お母さん”よ」


 母は何を当たり前のことを言っているんだろう。

“お母さん”と言われても「そうですね」としか……。

 というか、なぜ私の前世の名前を知っている?


 まさか――


 母は続けて私に訴えかける。


「事故のこと覚えてない? ほら、休日に街に出かけて信号待ちをしていて……そしたらトラックが突然――」


 どうしよう。前世の“お母さん”かもしれない。

 私がどう答えたら良いのか分からず、何も言わずにいると、ゲームの世界での母が悲しそうにする。


「あら、違ったかしら? 絶対に“明子”だと思ったのに……もしかして、前世の母のことは忘れてしまったのかしら」


 お母様、悲しいわ……と呟く現世の母に驚く。幼い頃に私が悪さをすると、前世の母はよく「お母さん悲しいわ」と言っていたからだ。「悲しいわ」の「わ」のイントネーションが、ちょっと違う気がするけど。

 前世では普通のおばさんだったのに、この世界では上品な貴族夫人だったから気付かなかった。


「え……お、お母さん? 本当に? “芳江(よしえ)”お母さん?」


 私の言葉にこの世界の母――“お母さん”が喜ぶ。


「やっぱり! そうだと思っていたのよ! 良かったわぁ!」


 そう言いながら私の手を握るけれど……良くないよ。お母さんだけでも生きていて欲しかったのに。

 他の方の安否も気になるけど、やはり身内のことが一番気がかりだったから。


 前世の母が私と一緒に乙女ゲームの世界に転生し、今世でも母になっていた。


「でも、どうして私が“明子”だって分かったの?」


「すぐに分かるわよ! 母親ですもの!」


 本当に、どこで分かったんだろう。


 転生した直後、大好きな乙女ゲームの世界に生まれ変わったから、年甲斐もなく、はしゃいでしまった。すぐにルイゼだと知って、スン……ってなったけど。

 もしかしたら、はしゃいだ時に前世に関することを口走ったのかもしれない。

 私だと知られた瞬間があるとすれば、その辺かな?

 だったら、もっと早く言って欲しかった……。


 中身は三十路なのに恥ずかしい!


「なんだか楽しそうだね」


 母と会話をしていると男性の声が。


 声の主の方へ顔を向ける。


「まあ! マティアスお兄様、いらしていたのですね」



 マティアス・ハイドン

 隣国の貴族、ハイドン侯爵と母の姉の間に生まれた子息で現在25歳。

 簡単に言うと、ルイゼの母方の従兄だ。

 ルイゼと同じ紫色の瞳に、薄い青色の髪。長さは肩甲骨の上部あたりまであり、リボンで一つに束ねている。

 性格は、年齢の割に子供っぽいところがあること――多分。



 実は、私は“ルイゼ”になるまで『マティアス・ハイドン』というキャラクターが存在していることを、知らなかった。


 なぜなら、ゲームに登場しなかったから。


 攻略対象のように、キャラデザに手間がかかっていそうだから隠しキャラだろうか? だとしたら、やり込んだはずなのに知らないなんて悔しい。

 ということは、このキャラクターもヒロインとくっつく可能性があるのか。


 自分は今までヒロイン視点でゲームをしていたから、ルイゼ視点になって初めて存在を知ることができたのかもしれない。矛盾が生じないよう、設定を忠実に再現するために、ゲーム内で補完されているのかも?。

 ヒロイン視点では知ることができないので、ちょっと――いや、かなり嬉しい……!


「可愛いルイゼの顔が見たくなったからね」


 そう言うと私の手を取り、手の甲に口づけをする。ルイゼと似た美形だけど、昔から距離感が近いから少し苦手だ。ルイゼに婚約者がいることを知っているはずなのに。

 私は苦笑いをしながら手を引っ込める。

 マティアスは一瞬、少し不服そうな表情を浮かべ、隣の空いている椅子に座る。


「何の話をしていたんだい?」


「ふふ。他愛もないことですわ」


 私と母の前世のことを話す訳にもいかないため、適当にはぐらかす。



 衝撃の事実を知った、この日のお茶会は、多分、一生忘れないと思う。




● ● ●




 数日後、私はヒロインであるリリー・ヴァイスと学園内でエンカウント。



 リリー・ヴァイス

 乙女ゲーム『あなたとワルツを』のヒロイン。ヴァイス男爵家の息女でルイゼと同い年。

 ピンク色の瞳に、肩まである金色の髪。簡素な赤いリボンがアクセントになっていて、純朴な印象を与える。

 白を基調とした制服も相まって、まさに百合の花のよう。

 ファミリーネーム『ヴァイス』に『白い』という意味があるらしく、ゲームファンの間では『白井さん』と呼ばれている。

 ルイゼが美人系であるのに対し、リリーは可愛い系。

 可愛い。



 ヒロイン――リリーからは話しかけないので、私から話しかける。


「あら、ごきげんよう。リリーさん」


「あ! お、お早うございます! ルイゼ様!」


 ルイゼはいつも厳しい言葉を投げかけるからか、リリーの表情が強張っている。


「少し御髪が乱れていましてよ? 貴方も貴族の息女であるのなら、身だしなみにお気を付けなさいませ」


「申し訳ありません!」


 リリーは手で髪を整えながら、「失礼します!」と言って足早に去っていく。恥ずかしさからか、頬が赤く染まっているように見えた。


 実際、悪役令嬢であるルイゼに行動や台詞の選択肢はない。

 できることと言えば、ヒロインであるリリーを虐めないこと。「ヒロインを虐めた」という噂はデマ、ということにしたいからだ。

 あとは、リリーに「虐められた」と判断されないよう祈る!


「おい! ルイゼ!」


 リリーと別れてすぐにルイゼの婚約者、ゲオルク・カールが怒りを滲ませながらこちらに向かってくる。



 ゲオルク・カール

 カール伯爵家の子息で、悪役令嬢ルイゼの婚約者。

 そして、ヒロインであるリリーに付きまとうストーカー。

 卒業パーティーでヒロインに告白し、見事に玉砕。その出来事が切っ掛けとなってヒロインが攻略対象に告白するという、言わば舞台装置。



「ゲオルク様、ごきげんよう」


「お前、リリーに対して嫌味を言っていたな!」


「ただ、身だしなみに気を配るよう注意して差し上げただけなのですが……貴方はそのように解釈なさったのですね」


「嘘を吐くな! 俺は全部見ていたんだ! だいたい、お前はいつも――」


 また始まった。

 初めて会ったころから、ゲオルクはルイゼに対して悪口しか言わない。「バカ」だの「ブス」だの、成長して多少の文言は変わったが本質は一緒。

 もう面倒なので、私はいつも「へー、ほー、ふーん」、「そうですわねー」と言いながら軽く受け流す。


「リリーは酷く傷ついたに違いない……」


 ゲオルクはそう言うと、両手で顔を覆う。


「可哀想に……俺が慰めてやらないと。リリーには俺しかいないんだから!」


「お止め下さいませ! リリーさんにご迷惑ですわよ!」


 正直、このシーンについては知らない。

 でも、『婚約者のストーカーを止めさせることができず、自責の念から修道院へ行く』ルイゼなら婚約者の暴走を止めようとするはず。

 私は必死で引き留めるが、煩わしいと言わんばかりにゲオルクに「うるさい!!」と怒号をあげられ、突き飛ばされる。尻もちをつき、突き飛ばされた時に足を捻ったのか、立ち上がることができない。

 そうこうしている内に、ゲオルクは走り去ってしまった。


 この後のシナリオは確か、リリーは現時点で好感度の一番高い攻略対象といるはず。

 すぐに、ゲオルクは追い返されると思う。


 私は心の中でリリーに謝罪しつつ、学園に駐在する衛兵の手を借りながら、足の怪我を診てもらうために医務室へと向かう。




● ● ●




「ルイゼ、ちょっと宜しいかしら」


「あ、お母さん。や、ちが――お母様」


 学園から帰宅し、着替えを終えると、見計らっていたかのように母に呼び止められる。

 今世の母が前世からの母だと知ってから、何となく調子が狂う。


「ゲオルク様とケンカなさったのではなくて?」


「嫌ですわ、お母様。少し意見が相違しただけです」


 あれをケンカだというのなら程度が低すぎる。

 しかも、あの程度のことに対して私の母に苦情を言うなんて!


「ルイゼ。嫌ならゲオルク様との婚約を解消しても良いのよ?」


 毎回つまらないことに苦情を言われて辟易しているのかもしれない。

 でも、ゲオルクとの婚約解消を勧めるとは意外だった。父は結婚を望んでいるんだろうけど、母が私の味方なのは嬉しい。


「ありがとうございます。でも、ご心配には及びませんわ。貴族の娘ですもの、多少のことは覚悟しております」


 それに、余計なことをして処刑、平民落ちより酷い結末に書き換わることを避けたい。

 目指すのは、婚約者のストーカーを止めさせることができず、自責の念から修道院へ行くエンド!


 母は安心したような、不安そうな、微妙な表情を見せる。


「いらっしゃい。貴方に渡したい物があるの」


 ついて行ってみると、物置部屋の一つに案内される。

 私が疑問に思っていると、母は部屋の扉を開ける。


 そこには一種類の小瓶が部屋を埋め尽くすほど大量に、所狭しと並べられていた。

 部屋自体それほど広くはない。でも、それは邸宅の中ではの話。前世を日本の庶民として生きてきた自分にとって、十分な広さだった。

 それにしても、この小瓶。どこかで見たことがあるような……。


「殿方の心を惹きつける物があるという噂を聞いて購入しましたの、何て言ったかしら……そうそう『夢魔の香水』! これを貴方に渡したくて」


 ああ! 課金アイテムの『夢魔の香水』か!

『夢魔の香水』の効果は使用した者の魅力を上げ、全ての攻略対象の好感度を微増させる。


 もう一度言う。


『夢魔の香水』の効果は使()()()()()()()()を上げ、全ての攻略対象の好感度を微増させる。


 これは、私に魅力がないと暗に(けな)してる? 自覚しているだけに、直接言わずにアイテムを渡す優しさが、私に追い討ちをかける。

 それに、私はゲームをする時は、予め攻略対象を決めてから始めるようにしている。

 全ての攻略対象の好感度を微増させる『夢魔の香水』は、正直に言って使いどころに困るのだ。実際、SNS上でも好んで使う人は少ない。


「本当は切り良く1000万個、購入したかったのだけれど、なぜか9'999'999個しか売ってくれなかったのよ」


 一種類のアイテムにつき、所有できる上限が9'999'999個だからね。


「しかも、見たこともない貨幣しか使えなかったから焦ったわ」


 多分、課金用の貨幣だと思う。

 どこで、その貨幣を調達してきたんだろう。


「どうしようもなくなったら、このアイテムを使いなさい」


 いや、ゲオルクは攻略対象じゃないから使えるかどうかも分からないし……。

 でも、そのことを伝えることはできなかった。


 母の表情が、今まで見たこともないくらい真剣だったから。


「お母さん……」


 今まで、母に心配をかけてきたんだろうと考えると申し訳ない。

 これだけの『夢魔の香水』を購入するのは、大変だったと思う。

 これが、母の娘への愛情表現なんだろうな。

 私のために、ここまでしてくれて感謝している。


 でも、ごめん。


 このアイテムは使えない。


 だって私――



 無課金勢だから!!



 課金はいつでもできる。

 でも、一度でも課金してしまうと、二度と無課金勢には戻れない。

 それに、お金を使わずに攻略したいから、課金で得たアイテムは使いたくないのだ。

 どんなに周りに馬鹿にされようとも、その信念を貫きたい!


 ちなみに、『夢魔の香水』はログインボーナス、期間限定で配布されるポイントを使えば、無課金勢でも入手可能。

“ルイゼ”になっても、いつの間にか自室に様々なアイテムが置かれているので、多分ユーザーとして認識されている。


 無課金勢にも課金アイテムをお恵み下さる公式様、なんて慈悲深い……!


 ただ、そうなると公式様にお金が入らないので、コラボカフェやグッズなどを通してお布施させていただいている。

 ファンの心をくすぐるメニュー、普段使いしやすい小物に、ついつい財布のひもが緩む。


 コラボカフェのメニューは、ゲームに登場していたお菓子や、キャラクターをイメージした飲み物が再現され、世界観を楽しめるようになっている。

 グッズは、いつでも好きなキャラクターを近くで堪能できるよう、日常に溶け込みやすく工夫されているので、オシャレなデザインのものが多いのだ。


 ゲーム内では課金しないけれど、別のところで応援しているので許して欲しい。



「ありがたいけれど、私は使わないかな……」


「そう……でも、これは貴方のために購入したものだということは、忘れないで頂戴ね」


 母に「貴方の花嫁姿を見ることができたら嬉しいわ」と言われて、何となく罪悪感を感じる。

 ごめんね……前世では三十路になっても、結婚どころか彼氏すらできなくて……。




● ● ●




 庭園内、木漏れ日の中を散策する。

 時々、優しい風が吹いて気持ちが良い。


 常々感じていたけど、ゲームの世界なのに意外と描写が細かいことに驚く。


 機嫌よく歩いていると、どこからか猫の鳴き声が。


 探してみると、木の枝に子猫がいた。木から降りられないらしい。

 辺りを見回してみても、母猫の姿が無い。

 木登りは、あまり得意じゃないから少し不安だけど、猫を助けることに。


 子猫を怖がらせないように少しずつ木に登る。普段着用のドレスだから他と比べて簡素だけど、ズボンの動きやすさを知っているからか、思うように身動きが取れない。


 ようやく子猫の元にたどり着き、手を伸ばす。


「ほら、おいで!」


 私を怖がっているのか、こちらに来ようとしない。

 すると、子猫は降りられなかったのが嘘のように、器用に木の枝に飛び移りながら降りて行った。

 そして、子猫の向かう先を見ると母猫がいた。私が来たから隠れていたらしい。

 子猫が無事、母猫の元へ帰っていくのを見届けて安心する。


「家族か……」


 自分も木にいる理由がなくなったので、そろり、そろり、と降り始める。


 もうすぐ学園の卒業パーティーだ。

 卒業すると皆それぞれの領地へ帰るか、宮仕えになる場合は王宮に勤務することになる。婚約者がいれば、そのまま結婚する者もいるだろう。


 私も婚約者がいるけど、シナリオ上では結婚するルートはない。まだ確定していないから分からないけど、修道院で余生を過ごすことになると思う。

 自分で望んだことなのに、なんだか虚しい……。


 そういえば、今日はマティアスが来る日だ。

 なぜ、彼は今も独身なんだろう。

 貴族の子息なら結婚していても、おかしくはない歳なのに。そんなことを言ったら、攻略対象のキャラクターたちも婚約者すらいないから一緒か。

 マティアスが今も独身なのは、攻略対象であるという証左かもしれない。

 まあ、乙女ゲームだから現実世界の貴族社会と照らし合わせることの方が、間違いなのかもしれないけど。



 ズルッ!


「!!!」


 考え事をしながら降りていたからか、ろくに確認もしなかったせいで枝から足を滑らせてしまった!!


 落ち――



 た……と思ったら、誰かに抱き留められていた。


 荒い息遣いがやけに近い。

 急いで駆け付けてくれたんだろう。


「はあ、はあ……間一髪だったね」


「マティアスお兄様!」


 知ってた。


 さすがゲームの世界。都合良くできている。

 でも、そういうことはヒロインであるリリーにするべきだと思う。


 マティアスにゆっくり降ろしてもらったけど、なぜか手を握られる。

 不思議に思いながらも、お礼と怪我はないか心配をする。


「助けて下さり、ありがとうございます、お兄様。お怪我はございませんか?」


「……」


「マティアスお兄様?」


 いつもと様子が違って少し不安になる。


「君の婚約者は馬鹿だ……」


 君の婚約者は馬鹿だ……――多分、母から色々と聞いているんだろう。甥と叔母の関係である二人は仲が良く、文通をしているらしいから。



「こんなにも魅力のある女性なのに」



 マティアスの表情はドキッとするくらい格好良かった。

 直接的な言葉ではないが、想いは伝わってくる。

 ここで行動すれば変わると思う。この先ずっと、平穏な日々を過ごすことも可能かもしれない。


 しかし、良かれと思って取った行動が、最悪の事態を招く引き金になるかもしれないという不安が拭えない。


 それに、マティアスもヒロインのために存在するキャラクターだ。

 リリーのことを好きになるに違いない。

 そうでなくても、ルイゼには婚約者がいるのだから想いに応えることはできない。マティアスもそのことを承知しているからか、直接的な表現を避けている。


「ありがとうございます。でも、そのお言葉はマティアスお兄様の大切な方に、お伝えするべきですわ」


 褒めてくれたから否定するのは申し訳ないと思うけど、私は人に好かれるほど魅力的ではない。


 私は握られていた手を、するり、と抜け、再度、お礼を言った後に立ち去った。




● ● ●




 卒業パーティーの日。


 生徒として自由に過ごせる最後の日なのか、皆、楽しそうにしている。

 卒業パーティーのために用意された豪華な料理に舌鼓を打つ者、遠く離れてしまう友人との会話に花を咲かせる者、今後のためにコネを作ろうとしている者など様々だ。

 和やかな雰囲気の中、私の心の中は修羅場だった。


 今日で私の今後の人生が決まる。

 何としても一番、軽い罪の修道院行きエンドに進まなければならない!!


 大丈夫……大丈夫だって! 私! リリーに虐めなんてしてないんだし。ちょっと言葉はキツめだったけど!

 よし!


 自身を鼓舞した後、会場を見渡してみると少し離れたところにリリーの姿が。


 ドレスやアクセサリーは何種類か用意されており、ヒロインであるユーザーが自由に選べるようになっている。

 この世界のリリーが選んだドレスは薄いピンク色で、レースやリボンが品良くまとまった、可愛らしいデザインだった。

 イヤリングやネックレスなどもあり、純朴なリリーに合う小ぶりでシンプルなアクセサリーは、身に着けている人の魅力を引き立たせている。可愛い。

 緊張しているのか、困っているような表情をしているのが気になるけれど。


 リリーの可愛さに酔いしれていると、どこからかリリーに大声で話しかける人物が。


「リリー! 俺だ! ゲオルクだ!」


 ゲオルクが人を掻き分けながら、リリーの元へ。


 ついに始まる!

 自分の心臓が、バクバク、と音を鳴らしているのを感じる。


 ゲオルクは片膝をつき、右手をリリーの方へ向ける。


「俺、ずっとリリーのことが好きだった。愛してる! 結婚してくれ!」


 リリーは迷惑そうに、少し顔をしかめる。

 ゲオルクに一切、気持ちが無いらしい。


「申し訳ありませんが、私には心に決めた方がいます。貴方の気持ちに応えることはできません」


 リリーの視線の先には、攻略対象が不自然に勢ぞろい。

 誰を選ぶんだろう。


「私が心に決めた方は――フェリックス・シェーンベルグ王子です!」



 フェリックス・シェーンベルグ王子

 この国の第一王子。

 王族だからか常に堂々としていて、性格は意外にも一途。

 金色と緑色のオッドアイに、短くまとめた黒髪。

 ネットで行われた人気投票では一位を獲得。

 攻略対象の中で一番、人気のあるキャラクターだ。



 この世界のリリーは王道派だった。


 フェリックス王子はリリーへの好感度が最大になっているらしく、すぐに想いを受け止める。


 二人には幸せになってもらいたい。

 でも、その前にリリーには言って欲しいことがある。


 周囲が二人を祝福している中、ゲオルクが不服そうに叫ぶ。


「そんな……俺にはリリーだけなのに! ルイゼから虐められた後、慰めてやったんだぞ!!」


 フェリックス王子はリリーを守るように、自身の背後へ隠す。

 ゲオルクの言葉を聞いて、会場にいる生徒や保護者らがルイゼとリリーについて話し始める。


「そう言えば、ワーゲン伯爵令嬢はヴァイス男爵令嬢を虐めているという噂が……」

「その噂、私も耳にしていましてよ」

「なんでも、ノートを破ったり、噴水に突き落としたりしていたとか……」


 会場中の話し声に胃が縮こまる。

 シナリオ通りだと分かっていても、画面を通して体験するのと、実際に体験するのとでは没入感が段違いだ。

 しかも、今の私は“ルイゼ”


 でも、“ルイゼ”として言わなければならない台詞はまだある。


「言いがかりですわ! 私はそのようなことをした覚えはございません!」


 お願い、リリー!「虐められていない」と言って下さい! 心から二人を祝福させて!


 私の願いが聞き届けられたのか、リリーは私の望む台詞を言ってくれた。


「ルイゼ様の言う通り! 私は虐められてなんかいません! ルイゼ様は、いつも私の至らない点を指摘して下さいました! 勝手なことを言わないで下さい!」


 リリーは今まで溜まっていた、ゲオルクへの鬱憤も爆発させる。


「カール伯爵令息! そもそも私は付きまとって来るのは迷惑だと、何度も、はっきり、申し上げましたよね!?」


「くっ……!」


 ゲオルクは言われたことを覚えていたのか、その場で項垂れる。本気で言っているわけではないと、思い込んでいたんだろう。

 しかし、リリーはフェリックス王子への想いを告げ、相思相愛になった。

 今になって、本当に迷惑していたのだと痛感したに違いない。


 ありがとう、リリー! お二人共、末永くお幸せに!!

 これで、私が修道院へ行くと宣言すれば修道院エンドが確定する!!


「ありがとう、リリーさん……。ですが、私は自身の婚約者の暴走を止めることが、できませんでした。その責任を取って修道院に――」


「そんな! ルイゼ様は何も悪いことをしていないじゃないですか! 責任を感じる必要はありません!!」


 あれ? リリーにそんな台詞あったっけ?


「そうだな。カール伯爵令息が自身の行動の責任を取るべきだ。衛兵、そいつを連れていけ」


 不味い。

 フェリックス王子の台詞も知らない。

 おかしな流れになってきた。どこで間違えた?


 思い当たる節は見当たらない。

 私が忘れているだけか? いや、シナリオの流れはしっかり覚えている。


 特に『あなたとワルツを』は、乙女ゲームの中で一番好きなのだ。


 すべて、しっかり、はっきり、一言一句、完璧に覚えている!!


 課金アイテムの『夢魔の香水』が、すぐに出てこなかったことは忘れていただきたい。


 ゲオルクが衛兵に連れて行かれるところを見送った後、リリーとフェリックス王子がワルツを披露。

 両想いになった二人が華麗に舞う様を見つめる。


 ああ、ここでタイトル回収……。



 これは、破滅エンドを回避した?


 とりあえず、家を追い出されるまで、お気に入りのお菓子を食べておこう……。




● ● ●




 卒業パーティーから三ヶ月。


 広大な敷地の西洋風庭園。

 常に庭師によって手入れされ、今の季節はオレンジや赤色などの様々な色の薔薇が咲き誇り、見頃を迎えている。

 庭師がどこかで手入れをしているのか、遠くで水やりをしている音が心地良い。

 二頭の蝶々が、薔薇の花弁の周りを舞う様が愛らしい。


 その美しい庭園を眺めながら、私はひたすらお気に入りの、お菓子を満喫していた。

 すごい。いくら食べても、公式設定の48.5キログラムから全く体重が増えない。設定を忠実に守っていることに感動する。


 お菓子を食べながら、卒業パーティーから今までのことを思い返してみる。

 ゲオルクは卒業後もリリーにストーカー行為を繰り返し、醜聞を嫌った父のカール伯爵から縁を切られて平民に。当然、ルイゼとの婚約は解消。

 ほどなくして、リリーとフェリックス王子の婚約が発表された。


 そして私、ルイゼは領地に帰っているんだけど……不気味なくらい平穏に過ごしている。

 平穏なのが、逆に怖い。


 シナリオでは、ゲオルクが実家に縁を切られたのと、ほぼ同時期に、修道院に向けて出発するはず。

 父に修道院へ行こうと思っていることを話すと、誰かから卒業パーティーでの出来事を聞いたのか、「責任を取る必要はない」と慰められた。それどころか、ゲオルクと婚約させてしまったことについて謝罪された。


 後日、カール伯爵からも直々に謝罪されたので受け入れた。ゲームのシナリオだから全く気にしていないんだけど……。

 リリーにも謝罪をしたらしく、酷く、やつれていて心配になった。


 ちなみに、ルイゼの父であるワーゲン伯爵は、「ルイゼがリリーを虐めた」という悪質な噂の出所を調査。

 シナリオ通り、流したのは対立派閥の貴族だったので正式に抗議文を送ったらしい。


 お菓子を楽しみつつ、初夏に合わせて出された冷たい紅茶で流し込む。

 お菓子の甘さと紅茶の程よい苦みが、口いっぱいに広がる。


 新たなお菓子に手を伸ばそうとしたとき、不意に誰かに話しかけられる。


「たくさん食べるルイゼも可愛いね」


「マティアスお兄様!」


 この人は、いつも突然現れる。


「お兄様、今日はいかがなさいましたの?」


 マティアスは、いつにもなく上機嫌だ。


「つい先ほど、ワーゲン伯爵に打診して許可を得たんだ――君との結婚を」


 結婚――リリーとフェリックス王子の婚約が発表されたからか、何となく“結婚”という単語に、ときめいてしまう。


「ルイゼ」


 マティアスは私に跪く。


「私と生涯を共にしてくれないか?」


 真っ直ぐ私を見つめる瞳に、鼓動が早くなる。


「貴方と二人で生きて行きたい」


 彼の瞳に惹き込まれる。


 いつも子供っぽい彼が、大人の男性であることを思い起こさせる。

 庭園内で助けてもらった時のことが脳裏に浮かぶ。


 できれば、この申し出を受け入れたい。

 予想外だけど破滅エンドも回避したし、今は婚約者もいない。

 障害は何もない。


 あるとすれば、年齢差くらいか。

 しかし、私から見れば問題が無いように思える。

 ルイゼは18歳、マティアスは25歳。その年齢差は7歳。

 そして、ルイゼの中にいる私は三十路でマティアスとの年齢差は5歳。

 ギリギリ許される範囲だと思う。


 結婚を受け入れようと思い、了承する旨の返事をするために口を開く。


「私――」



 その時、ふと、あることに気付く。

 私が三十路だったのはルイゼが8歳の時。あれから10年の時を経ているので、今は四十路ということになる。


 そこから導き出されるのは、私とマティアスの年齢差は15歳という事実。


 年齢差15歳。


 駄目だ! 背徳感がすごい!!


「この件は一旦持ち帰って、検討させていただきたく存じます」


 危なかった!


 本当は、断った方が良いことは分かっている。

 分かっているけど……どうしてもできなかった。


 私が保留にしたい旨を伝えた後、マティアスは残念そうに溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。

 先ほどとは一変して、可愛らしく笑いながらお願いしてきた。


「色よい返事を待っているよ。でも、早くしてね? 痺れを切らして攫ってしまうかもしれないから」


 マティアスは私の右手を取って立ち上がらせ、もう片方の手を背中に添える。


 丁度その時に風が吹き、庭園の色鮮やかな薔薇の花弁が、ひらり、ひらり、と宙を舞う。



「期限は――このワルツが終わるまで」


挿絵(By みてみん)




 現実世界ではSNS上で、アプリで楽しめる乙女ゲーム『あなたとワルツを』について、あることが話題になっていた。


 特定のアイテムと選択肢によって開かれる、『大団円エンド』の存在が発見されたのだ。


 条件は二つ。

 一つ目は『夢魔の香水』の一定数以上の所有、または使用。

 二つ目は悪役令嬢ルイゼを庇うため、卒業パーティーの時に「ルイゼに虐められていない」と証言の選択をすること。


『大団円エンド』では、悪役令嬢ルイゼは隣国の貴族で従兄のマティアス・ハイドンと結ばれるようになる。

 噂では、続編の舞台がマティアスの母国だそうだが、そちらには登場しないらしい。


 実質、“ルイゼのために存在するキャラクターではないか”という憶測が飛び交っている。



 このことがゲームファンの間で瞬く間に広がり、一時期『あなたとワルツを』がSNSでトレンド入りした。

絵でも表現したくて、あのシーンの挿絵を描きました。

想像と違っていたら、ごめんなさい。


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転生前のお母さんが娘の好きなゲームの情報をこっそり見てて大団円の為に購入・転生後お母様が娘の婚約者が屑すぎる!で娘の為に購入等、夢魔の香水の購入理由によっては卵が先か鶏が先かみたいな話になりそう。 娘…
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