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黒の烙印  作者: 猫宮三毛
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第八話〈ギルドマスター〉


 ルシアは宿に戻る気になれず運河沿いの道を歩いていた。暑い訳では無いが流れる風が心地良かった。


「家族……か、酷いことをしてしまったかしら」


 夜風に吹かれながら昔のことを思い出していた。

 街道に倒れた母を抱きかかえる父、そして背後から迫る無数の松明の炎。

 父と母に言われるままに小さな自分は一人で逃げた。

 両親はどうなってしまったのか、他に方法は無かったのか、自分さえ生まれてこなければ。そんなことばかりが浮かんでは消えた。


「良い夜ですね、ルシアさん」


 声の感じから誰かはすぐに分かった。

 ルシアは運河の欄干に両腕を乗せたまま、振り向かずに答える。


「後を付けてきたのかしら? 良い趣味じゃないわね」

「そんなつもりはないけど、君と話をしたかったのは事実かな」


 ルシアは欄干に寄りかかるようにして向きを変えた。

 シオンは石造りの簡素なベンチに腰を下ろしていた。ルシアが振り向くと人懐っこい笑顔で軽く手を振った。


「あなたは人にとても好かれそうね」

「皮肉かい? 君は人付き合いが酷く苦手そうだね、本当はとても良い子なのに」


 ルシアはクスクスと笑うと再び運河の方へ向き直る。


「ゼラは大丈夫……じゃないわね」

「そうだね、長いこと葛藤していたんだ。無理もないよ」

「酷いことをしてしまったわね、私」


 二人の間に沈黙が流れる。

 ルシアは運河に映る歪んだ月を眺め、シオンは空には浮かぶ満月を見ていた。


「僕たちが見ている物は同じだ。それでも何を通して見るかで見え方は変わってしまう」

「何が言いたいの?」

「黒髪の伝説。人々には歪んで伝わってしまっていると僕はそう思っているんだ。少しだけ話をしても良いかな?」


 ルシアは返事をしなかった。シオンはそれを肯定と捉えたようだった。


 ――黒髪の伝説


 それは三千年前の魔王ベルファリス討伐に端を発する。

 ベルファリスは光すらも飲み込む漆黒の黒髪を持つ暴虐の魔王。彼は勇者一行によって封印された。しかし現存する伝説に勇者一行の記述はほとんど無く、得に勇者に関しての情報は驚くほどに少ない。

 称えられるべき勇者はその名前すら曖昧で魔王の容姿とその残虐性、そして魔王の血を継ぐと言われる黒髪のことだけがはっきりと伝えられていた。


「人間は臆病よ。辛かったこと苦しかったことの方が強く記憶に残るものよ」

「そうかも知れないね、でも僕は君を見て改めて思ったんだ。伝説自体に嘘はないかも知れない、でも大切な何かが抜け落ちている」


 ルシアは欄干から離れると何も言わずに宿に向かって歩き出す。


「戻るのかい?」

「ええ、行くわ。私も自分のことを知りたくて旅を始めたの」

「僕はこの街にいるよ。いつでも君の力になれる」


 ルシアが振り向くことは無かったがシオンは満足そうな表情をしていた。

 少なくとも拒絶されることはなかったし、素っ気なくても自分のことを少しでも話してくれたのだ、それで十分だった。

 去り行くルシアの髪は夜風になびき、月の光を浴びて眩いほどに輝いていた。


* * *


 ルシアは空が白み始めた頃に目を覚まし身支度を整えると外へ出た。

 暖かい季節ではあるが日が昇っていないとさすがに肌寒い。いつもの通りを外れ、昨晩通った運河沿いの道へ出る。

 ルシアはシオンが昨晩座っていた石造りのベンチに腰を掛けた。


「こんな生活、考えもしなかったわね」


 昨晩のシオンの話のことを考えていた。

 言われてみれば魔王の伝説は不自然かも知れない。勇者が魔王を倒す英雄譚は誰もが好むはずだが、魔王ベルファリスに関わることばかりが記されている。

 勇者はどこで生まれ育ち、どんな容姿でどんな人間だったのか。なぜ誰も気にしなかったのだろうか?

 言伝えや噂話など、どこで歪曲されて真実を捻じ曲げられているか分からない。それでも小さな頃から聞かされていれば自然とそれが正しいのだと刷り込まれてしまう。真実かどうかなど関係なく。


<私は何者なのかしら……もし本当に私の中に魔王の血が眠っているとしたら?>


 下らない考えをかき消すかのように頭を左右に振ると、ルシアは大きく伸びをしてベンチから立ち上がった。 


「バカらしい」


* * *


 ルシアはタリアの店で朝食をとってからギルドへと来ていた。

 ギルドの入り口に見知った顔を見つけてルシアは足を止める。悪いことをしたつもりはないが昨日の今日で少しバツが悪かった。

 もう少し店でくつろいでくれば良かったと思ときだった。


「ルシアっ!!」


 ルシアに気が付いたゼラは駆け寄って来ると目の前で止まり大きく深呼吸をした。


「昨日はすまねえ! 礼もせずにみっともねえところを見せちまって……本当に俺って奴は」


 ルシアはゼラが思ったよりも元気そうで少しホッとしていた、余計なことをして彼を深く傷付けてしまったかもしれないと気にしていたのだ。


「私こそ頼まれてもいないのに余計なことをしたわ」

「良いんだ。おかげで踏ん切りが付いたし、あいつらも喜んでくれているはずだ」


 ゼラは少し家族との思い出話をすると、しばらくしたらきちんと埋葬してやるつもりだと話した。


「それでな。以前にバルドーに伝言を頼んだはずなんだが、あんたは店に来てくれなかったな」

「伝言……忘れていたわ」


 ゼラはやれやれといった風に首を横に振る。


「だが今回は絶対に来て貰うぞ。俺はこの街でちゃんと鍛冶屋をやる、それが家族との約束だったんだ。だから最初の客はあんたが良いんだ」


 バルドーやタリアから話は聞いていた。ゼラは田舎町で鍛冶屋をやっていた、造るのも直すのももっぱら生活用品ばかりだった。

 ゼラはドワーフだ。鍛冶に誇りを持っている、生活用品が悪いわけではないが冒険者たちが自分の打った剣や防具を使って世界を旅する姿を見たかった。

 そんな胸の内を家族にぶつけた。

 妻も子も彼を否定せず、むしろ彼の夢を応援してくれた。家族みんなでお金を貯めて、この自由都市ラーゼに小さな鍛冶屋を建てた。

 そして引っ越しの日、事件は起きてしまったのだ。

 それからというものゼラは塞ぎ込み酒に逃げ、自分を責め続ける日々を送っていた。

 自分のわがままに付き合わせたせいで家族をあんな目に合ってしまったのだと思うと、鍛冶屋を開く気になどなれなかったのだ。

 

「ギルドに寄ったら必ず行くわ、約束する」


 ゼラの真剣な表情に強い決意を感じた。

 三年間も立ち止まっていた男が再び歩きだそうとしているのだ、切っ掛けを作ってしまった自分が放っておくわけにはいかなかった。


「すまねえな、何から何まで」

「いいのよ、私の〝せい〟でしょ?」

「かもしれねえな。まあ、準備して待ってるぜ」


 ゼラはそう言うと人ごみの中へ姿を消した。


* * *


 ギルドに入ると受付にシアの姿はなかった。

 昨日の報酬を貰い忘れていたことに気が付いて話がしたかったのだ。


「居ないなら仕方ないわね。新しい依頼は……」


 掲示板で目ぼしい依頼を探すが薬草採集、店の清掃、逃げたペット探し。

 Eランクが受けられる依頼と言えばこんなものばかりだった。


「酷いわね。いっそのことタリアさんのところで雇って貰えないかしら」

「ルシア。働くとなったらタリアさんは死ぬほど厳しいわよ」


 後ろから声をかけられてルシアは振り返る、そこには呆れ顔のシアが腰に手を当てて立っていた。


「シア。さっきは居なかったじゃない」

「バルドーさんのところに行っていたのよ。あなたに用があってね、居なかったけど」


 『私のせいじゃないわ』と言おうと思ったが、シアと口論するほど愚かなことはないと思い言葉を飲み込んだ。


「それで? 私に用事ってなにかしら?」

「奥の部屋に行って。ギルマスがあなたを呼んでるわ」


 シアはそう言うと受付の先にある扉を指した。

 自由都市ラーゼの冒険者ギルドは大陸全土のギルドを統括する本部だ。

 この街に来てから何度かギルドに来ているが、確かにギルドマスターを見たことはなかった。そして突然の呼び出し、心当たりは無くもないが今までの経験からするとろくなことはない気がした。


「私に用があるの? 会ったことも無いのに?」

「そうね。それでもあちら様はあなたを良くご存じよ」


 シアはからかうように言うと『待たせないで。さっさと行きなさい』と付け加えた。

 ルシアは受付の少女に会釈をする、少女は『どうぞ』と返事をすると奥へ行くように促した。

 まるで犯罪者でも閉じ込めているのかと思うような金属で補強された扉をノックする。一呼吸ほどの間をおいて『どうぞ』という男性の声が聞こえた。

 部屋の中は全土のギルドを統括するギルドマスターの執務室とは思えないほど質素だった。そして奥の事務机に初老の男性が座っていた。


「呼び出してしまってすまないね。ルシア君かな?」

「ええ、そうよ」

「驚いたかい? こんなに貧相な爺さんが本部のギルドマスターで」


 優しく微笑みながら冗談を言っているように見えるが、眼光の鋭さがただ者ないことを物語っていた。


「いいえ。本部のギルドマスターだからこそでしょうね」

「買い被り過ぎだよ。ただの爺さんさ」


 苦笑いをしながら頭の後ろを掻く。


「ああそうだ、名前を聞いておいて私が名乗っていなかったね。私は〝ルドルフ・アーペ〟だ、ルドルフと呼んでくれて構わない」

「分かったわルドルフ。私もルシアと呼び捨てで」

「それで早速だが」


 ルドルフの話はバルムークの森からルシアが持ち帰ったゴブリンカーネルの耳についてだった。

 懇意(こんい)にしている冒険者たちに現地まで確認に行かせ、死体の確認もしたが確かに間違いはなかった。彼らの話では周囲に大量のゴブリンの死体もあり、そのような状況の中でEランクの少女が一人でカーネルを仕留められるわけがないとの報告を受けたと話した。

 しかしルドルフは一目会ったときから気が付いていた、ルシアはカーネルを倒していると。

 ルシアを呼び出した理由はのはDランク昇格への知らせと帝都からの軍隊派遣についてだった。

 ルドルフはカーネルの存在を確認した後、帝都へその旨を知らせた。

 ゴブリンたちの凶暴化とカーネルの出現、ルドルフも帝国もそれだけではないと踏んだ。帝国は調査団を派遣し、しばらくラーゼに駐留させることにしたのだ。

 それ自体は問題無いが駐留する部隊は帝都の人間であり、ラーゼの人々のように寛容ではない。ルシアの黒髪のことは伝わっているが何が起きるか分からない。だから事前にルシアに伝えることにしたのだ。


「そういう訳だ、すまないな。駐留している間は宿に閉じこもっていても良い、バルドーからその間の料金は気にしなくて良いとも言われている」

「バカを言わないで。誰でも平等に扱う、それがこの街の方針でしょう? 特別扱いも厄介者扱いも気分が悪いわ」

「そう……だな、今のは忘れてくれ」


 ルドルフはそう言うとDランクの登録証と金貨十枚を机に置いた。

 金貨十枚は破格である。元々のゼラの依頼は銀貨五枚、これだけでも一般家庭の月収に相当するが、それの二十倍となれば尚更だった。


「本気? 多過ぎるわ」

「詫びの分も入っている。あの依頼をEランクのまま出してたこっちの落ち度だ。カーネル一匹ならまだしも、取り巻きがあれだけ居たんだ。一人でやるならBランクに近い仕事だ」


 ルシアは食い下がることなく、『返さないわよ?』と言いながら登録証と金貨を受け取った。

 ルドルフは『バカにするな』と返事をすると笑いながらもう行けと手で合図をする。ルシアは何も言わずに手を振って退室した。


「若いのに気持ちの良い奴だな」


 シアの言った通り裏表の無い気持ちの良い人間だったが、裏を返せば駆け引きの出来ない愚か者とも言えた。

 ルシアは両親と離れてから身ひとつで生きてきた。彼女の実力もそうだが、運に恵まれたことも多かったに違いない。ルシア自身がそこに気が付いているかどうかで、彼女の未来は大きく変わってしまうとルドルフは感じていた。

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