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黒の烙印  作者: 猫宮三毛
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第七話〈バルムークの森〉

 ルシアの足元にはゴブリンの死体が三体転がっていた。

 街道だったと思われる場所は草木が生い茂り獣道のような有り様であった。


「三年で酷いものね。それにとても嫌な感じ」


 ルシアはうつ伏せに倒れたゴブリンを足で転がす。どんよりと濁った瞳、何より森から飛び出して人を襲うほど狂暴だった。

 ゴブリンは臆病な生き物だ、わざわざ身の隠せる森から飛び出して人を襲うことは少ない。それも少数で。

 情報の通りであるなら探し物はそこまで森の奥ではない。面倒なことが無ければ日が暮れる前には帰れるかもしれない。

 ルシアはためらうことなく森へと踏み入る。

 森は緑豊かで木漏れ日が射し込むとても良い場所だった。しかし森に入る前から感じていた視線と嫌な気配は強さを増していた。


〈ここでは部が悪いわね……〉


 多くの低木が足元の視界を遮っている。ゴブリンは身の丈一メートル程度、近づかれても自分からは見えないことになる。

 ルシアが前方を遮る枝を押し退ける。その音に反応したのか木々から鳥たちが飛び立った。


「ーーッ!!」


 周囲がざわついた。

 ルシアがその場から大きく飛び退くと、先ほどまで立っていた足元を刃こぼれし錆びた剣が薙いだ。

 周囲を見回すと笑っているのか興奮しているのか『ギィギィ』と鳴きながら取り囲むようにゴブリンが姿を表す。見えているだけでも十体は確認できた。

 彼らが態勢を整えるより早く、ルシアは彼らの間を走り抜け、そのまま森の奥へと急いだ。しばらく走るとわずかに開けた場所に出た。


「ここなら少しはまともに戦えそうね」


 ルシアが立ち止まると同時に茂みから複数の投石が放たれた。

 いくつかをかわし、残りを剣で弾き落とす。やかましい鳴き声と共にゴブリンたちが姿を表す。錆びた剣、石斧、棍棒、彼らの武器はまちまちで統一感は無い。先ほどよりも明らかに数が多い、二十体はいるだろうか。

 一体がルシアに飛び掛かるのを皮切りに次々と襲いかかる。数だけで戦術も連携も無い彼らは次々とルシアの細剣の餌食となる。


〈この程度なら問題はないけど……〉


 気が付けば二十体は倒しているが数が減っているようには見えない。ゴブリンたちは茂みから沸き出るように姿を現していた。

 この程度であればいくら相手をしても大したことはない。しかし日が落ちると話は別だった。視界が悪くなれば投石も足元からの不意打ちも格段にかわし難くなるからだ。

 そんなことを考えながら頭上から飛び掛かってきた一匹を剣の柄で地面へ叩き落とす。ゴブリンは地面を転がりのた打ち回っていた。

 背後から襲おうとするゴブリンに剣を向けて牽制すると、突如として彼らは騒ぐのを止めて大人しくなった。


「予感は的中ね……嬉しくないけど」


 剣先を向けたまま後ろへ振り返る。

 人間と同じような体格に深緑色の肌、〝ゴブリンカーネル〟だった。

 歪な形をした大剣を引きずるように持ち、『グルグル』と低い声で唸る。

 そして一声吠えて、その身体に似合わない早さで大剣を振り下ろす。それと同時に周囲のゴブリンたちが騒ぎ出す。

 ルシアは振り下ろされた大剣をかわし一撃を放つ。カーネルの指がいくつか宙を舞った。

 醜い叫び声が上がり、ゴブリンたちが一斉にルシアに襲いかかる。四方八方から迫る攻撃から身をかわしてゴブリンたちを切り払う。 

 カーネルが指のある手に大剣を持ち換え、こちらきに向かって走るのが視界の端に入ったがゴブリンたちの猛攻を捌くので手一杯だった。

 そのときルシアの背中に痛みが走った。投石が命中したのだ。怪我を負うほどの威力は無いが一瞬意識が削がれ、視線を戻したときにはカーネルの大剣が目前に迫っていた。


〈ーークッ!〉


 激しい金属音が響く。ルシアは吹き飛ばされて木の幹に叩き付けられた。

 大剣が当たる瞬間、何とか刀身で攻撃を受けて直撃を免れたものの叩き付けられた衝撃は大きく呼吸ができず視界が歪んでいた。

 ゴブリンたちの攻撃も止むことはない、歪んだ視界の中で何とか攻撃を受け流す。


「油断したわ……このままじゃ」


 視界が陰る。

 いつの間にか大剣を振り上げたカーネルが正面に立っていた。

 驚異的な集中力だったのかもしれない。周囲の動きが遅くなり、ぼやけた視界の中でカーネルの胸元の一点だけがやけにはっきりと見えていた。


「終わらないわ、こんなところで!」


 その一点に目掛けて渾身の突きを放とうとした瞬間、ルシアの右股に激痛が走った。

 大剣は振り下ろされ目前まで迫っていた。躊躇(ちゅうちょ)すれば直撃は免れない。ルシアは大剣をかわすために半身を捻り、大きく一歩を踏み出して突きを放つ。

 踏み込んだ右股から鮮血が吹き出す。


ーー轟音が轟く。


 カーネルの大剣はルシアの体をかすめ、なびく黒髪を散らせて地面へと吸い込まれた。

 ルシアの細剣はカーネルの心臓を背まで貫き、その息の根を止めていた。

 細剣を引き抜いたルシアは片膝をつき剣を支えに倒れ込むのを何とか堪えた。しかし周囲のゴブリンたちを打ち払う余力は残っていなかった。


<あぁ……万事休すね>


 息絶えたゴブリンカーネルが仰向けにゆっくりと倒れる。騒ぎ立てていたゴブリンたちが静まり返ったかと思うと一段と大きく騒ぎ出したが、その視線はルシアを見てはいなかった。


「一体……なに?」


 数匹のゴブリンが逃げ出したのを皮切りに、ルシアを取り囲んでいたゴブリンたちは散り散りに森の中へと逃げて行っていまった。

 静寂が訪れる。

 ルシアとゴブリンカーネルの死体だけが取り残された。すでに森に入ったときの嫌な気配すら感じなくなっておりルシアは安堵の一息をついた。


「助かったのね。これまで恵まれなかった分の運かしらね」


 ルシアは気の抜けたように尻餅を着いた。

 途端に忘れていた太股の痛みが激しくなる。目をやると錆びて刃こぼれした短剣が七割ほど突き刺さっていた。

 ルシアは短剣に手を掛けると大きく息を吐き一気に引き抜いた。


* * *


 傷の手当てを済ませて大岩に背を預けて座り目を閉じていた。

 手持ちのポーションは安物で深い傷の治癒は期待できなかったが感染症にはならずに済む。時間さえあれば歩くこともできるようになるが長居できる場所でもなかった。


「日が落ちてきたわね……依頼は終わっていないし、行かないと」


 ふと背にしている大岩の陰に視線を向ける。

 朽ちた布の切れ端が目に入る。足の痛みを堪えて立ち上がり岩肌を支えに歩み寄るとそこには人が入れるような裂け目があった。


「ここで待っていたのね」


 ルシアは裂け目の中からひとつの指輪を拾い上げた。

 古ぼけてはいるが金にサファイアがあしらわれた美しい指輪、依頼の品と酷似していた。


* * *


 ルシアが街の門を抜ける頃には空には星が瞬いていた。


「お前、大丈夫か? 手を貸すぞ」

「大したことないわ、ありがとう」

 

 足を引きずって歩くルシアを心配して衛兵たちが声をかける。当たり前のやりとりなのかもしれないがルシアにとっては新鮮だった。

 通りを歩く酔っぱらいたちは黒髪を茶化すが足の心配もしてくれる。この街ではあり得ないことばかりが起きる、ルシアの顔に自然と笑みがこぼれた。

 やがてギルドの前に到着すると中からは一仕事終えた冒険者たちのどんちゃん騒ぎが聞こえた。


「ルシア、大丈夫なの!?」


 ギルドに入るとルシアの怪我に気が付いたシアが慌てて駆け寄る。

 太股に巻かれた包帯が血に染まり酷い怪我のように見えたのだろう。実際に傷は深かったが、安物のポーションで治療したとはいえ傷は塞がり始め出血も止まっていた。


「もう大丈夫だから心配しなくても平気よ」

「だから言ったじゃない……」


 そう言いながらルシアを支えてカウンターまで付き添ってくれた。

 『心配し過ぎよ』と言いかけたが、心配そうな表情のままでカウンターの内側に戻っていくシアの横顔に言うことはできなかった。


「それで? お目当ての物は見つかった?」

「もちろんよ。怪我までして手ぶらなわけないでしょう」


 ルシアがカウンターの上に古ぼけた指輪を置くとシアは指輪を手に取り確認すると、指輪を内側を見て手が止まる。


「確かに依頼の物ね。後は本人に——」


 そのときギルドの扉がけたたましく開かれた。

 飛び込んで来たのは血相を変えたゼラだった。彼はルシアを見るなり叫んだ。


「おい! 大丈夫なのか、俺の依頼を受けたばっかりに!」


 ゼラはルシアに駆け寄ると太股の包帯に気が付いて目を見開いた。


「こんなに酷い怪我を……俺のせいで……」

「落ち着いて迷惑よ。もう何ともないわ」


 『でも』と言いかけたゼラにルシアは人差し指を自分の唇に当てて黙るように促す。ゼラもそれに従った。


「本当に大丈夫よ。ポーションのおかげで傷は塞がっているわ。それにあなたが気に病むことじゃないわ、怪我は冒険者の常でしょう?」

「それはそうだが……」


 ルシアは呆れたように首を横に振りシアに目をやると彼女は小さく頷いた。

 カウンターの指輪を手に取ると項垂(うなだ)れたゼラに指輪を差し出した。


「そんなことより、これ」

「あったのか!?」


 ルシアはゼラの手を取るとその上に指輪を乗せる。

 ゼラは指輪を取り上げて確認する。


「これは……確かに俺があいつに渡した物だ」


 ゼラは指輪を両手で握りしめると自分の胸に押し当てて俯いた。


「余計なお世話かも知れないけれど、これも渡しておくわ」


 ルシアは両手ほどの大きさの袋を取り出すとゼラに手渡す。


「これは?」

「指輪の側に。あなたにとって必要かどうかは分からないけれど、あなたを待っていたはずよ」


 ルシアはそう言うと扉に向かって歩き出した。扉に手を掛けたそのとき、妻と娘の名前を叫ぶゼラの声がギルドに響き渡り、それはむせび泣く声に変わった。

 賑やかだったギルドは静まり返り誰もが動きを止めてゼラに注目したがすぐに目を逸らした。

 ルシアは一瞬立ち止まり、すぐに黙ってギルドを出た。

 ゼラの嘆きは往来の人々の足も止めた。

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