第六話〈冒険者ギルド〉
「嬢ちゃん、起きてるか?」
ルシアはバルドーのダミ声とノックで目覚めた。
ベッドで目覚めるののは久しぶりだった。これが中年オヤジの声ではなく、鳥たちのさえずりだったら最高の目覚めだったに違いない。
「ええ、今起きたわ。最悪の目覚めだけれどね」
「そうかい、そりゃ良かった」
扉の外からバルドーの特徴的な笑い声が響く、一転して真面目な声で言う。
「それはそうと客だぜ、ゼラの野郎だ。俺が言うことじゃねえが……」
「分かっているわ。支度をしたら行くから待っていてもらって」
扉の前から足音が遠ざかる。
皆の反応を見るにゼラという男は悪い人では無いのだろう。ルシアはどうしても八つ当りの対象になりやすのだ、特に魔族絡みでは。
「やれやれね、面倒なことが無いと良いけど。さっさと済ませてギルドに行かないと」
髪を整え軽装鎧を身に付けると部屋を出る。ロビーに入ると項垂れているゴツイ小柄の男と目が合った。昨晩の男だった。
「すまなかった! 昨日は飲み過ぎちまって、本当に俺って奴は……すまねえ!」
ゼラはルシアに駆け寄ると、目の前で床に頭をこすりつける勢いで土下座をした。
ルシアはしゃがみ込むと彼の肩に手を掛けて言った。
「立って。こんなところで迷惑よ、お客は私だけじゃないのよ。それにやり場のない怒りあるものよ、相手が私で良かったわね」
「なんでそれを……シオンの奴か……」
ゼラは渋い顔をしてルシアを見上げた。
昨晩のことは詳しく覚えていない。しかしギルドの受付嬢やシオンから大体は聞いていた、つくづく自分が嫌になった。
「そうね、でも彼らに言われなくても分かるわ。心配してくれる人たちが居ることに感謝するのね」
「だが……俺はあんたに」
ルシアはため息をつくとゼラの横を通り過ぎながら言った。
「興味無いわ。それに私は忙しいの、そんな些細なことはどうでも良いわ」
そう言い放つとルシアは宿を出て行ってしまった。
唖然と扉を見つめるゼラの背中にバルドーが話しかける。
「嬢ちゃんだなぁ……諦めろよ。酔っぱらいの戯言なんざ興味無いとよ」
「若いのに大した女だ。自分も辛い目に合ってきただろうに」
「だろうな、俺も知らねえが黒髪だ。あの様子じゃ親も居ねえ、ずっと一人で生きてきたんだ。肝が座っていやがる一筋縄じゃいかねえよ」
ゼラは腕組をして虚空を見上げると何かを思い付いたのかバルドーに向き直った。
「バルドー、気がが向いたら俺の店に来てくれるように伝えてくれ。詫びに何かしたい」
「ああ、伝えといてやる。それと客じゃねえならさっさと帰れ、迷惑だ」
* * *
通りは露天目当ての客で賑わっていた。その一角にあるギルドの前にルシアは居た。
入りづらいと言うわけでは無いが、昨日の今日でトラブルに再び巻き込まれたくないという思いが足を進ませなかった。
そのときゼラの件で朝食を食べ損ねていたことを思い出した。
どこかで朝食を摂ってから訪れるでも良いのではないか、ルシアは自分への良い言い訳を思いついた。
「そうよね。何があるか分からないもの、ちゃんと食べておかないと」
露天には様々な物が売っていた。
武器や防具、魔法道具に日用品、そして見たことの無い美味しそうな食べ物たちがルシアの鼻腔をくすぐった。
誘惑に負けそうになったが朝食はゆっくりと食べたかった。そんなことを考えながら通りをぶらついていると、路地の角にこじんまりとした食堂を見つけた。
ルシアはひっそりと構えられたその店に引かれて吸い込まれるように扉を開いた。
「いらっしゃい。お好きな場所にどうぞ」
店に入ると白髪の老女がカウンター越しに中に入るよう促した。
窓からはカーテンを通した優しい朝日が射し込み、店内は程よい明るさだった。ルシアは窓の脇に有る二人掛けのテーブルに着いた。
「おやおや、噂の子かい?」
水の入ったカップをルシアの前に置くと優しい表情で老女が訪ねる。
噂とは何のことだろう、昨晩のことかそれとも黒髪のことか。
「噂ってどのことかしら?」
「愉快な子だね、そんなに心当たりがあるのかい?」
「そんなに愉快でもないわ。それよりもお勧めはなにかしら?」
「良い香りがするでしょう? 自分で言うのも恥ずかしいけれど、私の焼くパンは人気よ」
確かに店に入ったときからパンの芳ばしい香りで室内は満たされていた。
焼きたてのパンも両親と別れてから食べた記憶はない。この街に来てから止まっていた時間が少しずつ動き出しているような気がした。
「確かにとてもいい香り。パンとあとは適当にお願いしていい?」
「朝食にピッタリのメニューを用意するよ。少し待っておいで」
老女はそう言うと小さなお盆を脇に抱えて厨房へ戻って行った。
改めて店内を見回すとカウンター席の一番奥に一人だけ客が座っていた。
金色に縁取られた黒いローブ、安物ではない。美しい銀髪が朝日に照らされ神々しいほどに輝いていた。高貴な人かも知れない、そんなことを考えながらぼうっとしていると食事が運ばれてきた。
「気になりますか? あの方が」
「とても良いローブを着ているなと思って」
話をしている間にルシアの前に料理が並ぶ。出来立てのトーストからは濃いバターの香りがした。それに目玉焼きとサラダ、温かいミルクが添えられていた。
「いつも来てくれるのよ、物静かでとても良い方よ。それよりも、温かいうちにどうぞ」
「美味しそうね。いただくわ」
老女はお辞儀をすると厨房へ戻っていった。
温かいミルクで喉を潤し、トーストを一口大に千切ると切り口から湯気が立ち上った。
* * *
ルシアは半分程度ミルクが残ったカップに両手を添えて窓の外を眺めていた。
薄いレースのカーテンの向こうには賑やかな通りが見えていた。店内では外の慌ただしさとは別世界のように穏やかな時間が流れていた。
「ルシアさん?」
不意に声をかけられ慌てて目を向ける。
金色に縁取られたローブにウェーブのかかった銀髪、カウンターに座っていた男は昨晩ギルドで助けてくれた男性だった。
「昨晩の……」
「シオンです。昨日は迷惑をかけてしまいましたね」
そう言うとシオンは深々とお辞儀をすると、人懐っこい笑顔を向けて向かいの席に着いた。
「おやおや、二人は知り合いだったのね」
いつの間にか側に立っていた老女がそう言いながら二人の前に紅茶を置いた。
「タリアさん、ありがとう」
「あの……私は頼んでないです」
「気にしないで飲んでおくれ、シオンに付けておくから」
シオンは口に含んだ紅茶を吹き出しそうになりながら老女の後ろ姿に目を向けた。
「全くしっかりしてるよ、あの人は。これからギルドかい?」
「そうね、ギルドで仕事が貰えないなら他の方法を考えないとならないから」
ルシアはそう言いながら紅茶を一口啜ると言葉を続けた。
「それで? 私に何か用があるんでしょう?」
「参ったな……聞いていた通りの子だね。まあ君には遠回しに言っても仕方なさそうだね」
シオンの旅には理由があった。
それは黒髪の魔王ベルファリスを打倒した勇者の伝承の真偽を確かめるという。
「僕は黒髪の魔王ベルファリスを打倒した勇者の伝承を追って旅をしている。この伝承には不可解な部分が多過ぎて違和感を覚えているんだ」
「違和感……確かにそうね。肝心の勇者たちには触れられずに魔王についてばかり」
シオンは深く頷く。
彼の話によれば、伝承を追って各地を回っているが勇者のことにはほぼ触れられず、魔王ベルファリスによる大侵攻と彼の象徴でもある黒髪についてばかりだったと言う。
何よりも不自然さを感じたのは勇者の生まれ故郷に訪れたときだった。町の中央には勇者の石像が祭られてはいるものの、伝承については他の村とさして変わらなかった。確かに三千年前という長い時を経てはいるが生まれ故郷ですら同じというのはあまりに不自然であった。
「それで黒髪の私に話を聞きたかったってこと? 残念ね、父も母も勇者とは関係のない村の生まれよ。私が生まれたのも全然関係のない場所」
シオンは『そうか……』と呟くと深く溜め息をついた。
ルシアも似たような目的で旅をしていたがそのことは話さなかった。彼の目的が本当かも分からない。
この街にしばらく滞在していれば何かと関わることになるだろう。そうなれば彼の真意も見えてくる、彼にもまだ話していないことがあるとルシアは感じていた。
いつの間にか日は高く昇り、通りは賑やかさを増していた。
ルシアはカップに残っていた紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「役に立てなくてごめんなさい。私はそろそろ行くわ。紅茶美味しかったわ、ありがとう」
「引き止めてすまなかったね。僕はこの街にしばらくいるから何か困ったことがあれば声をかけてくれ」
ルシアは支払いを済ませて店を出るとギルドへと急いだ。
* * *
ギルドに入ると昨晩とは違い、依頼の貼り出された掲示板の前に冒険者たちが集まり依頼を吟味していた。
受付に向かうと昨晩の受付嬢がルシアに気づき笑顔で手を振った。
「来てくれたのね」
「ええ。早く仕事を探さないと街に居られなくなってしまうもの」
受付嬢は『そうね』と愉快そうに返事をすると、いくつかの書類をカウンターの上に置いた。
それは冒険者ギルドへの登録書で彼女は丁寧に説明をしてくれた。書類の記入中にふと受付嬢の胸元を見ると名札が付いており、そこには〝シア〟と書かれていた。
書類を確認していた受付嬢が視線に気付く。
「そう言えば名乗ってなかったわね。私はシア、今日からあなたの担当よ」
「それって……」
「ええ、問題ないわ。登録は完了。登録証を渡すから席で少し待っていてね」
シアが指差したのは椅子が六脚ほど並べられている大きな丸テーブルだった。夜になるとこのテーブルは一仕事終えた冒険者たちの憩いの場になる。
今は朝食か朝帰りの休憩なのか分からない冒険者たちが虚ろな表情で食事をしていた。昨晩の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
「ルシアさん、お待たせ。これであなたも駆け出し冒険者の仲間入りね」
いつの間にかシアが横に立って登録証を差し出していた。登録証には大きく〝E〟と刻まれていた。
冒険者はS~Eまでの六つのランクに分けられている。依頼には難易度が設定されており、高難度の依頼はランクの低い冒険者では受けられないことになっていた。
「やっと人並みの生活ができるわね」
「そうね。でもEランクの仕事は子供のお小遣いに色が付いた程度の報酬よ。Dランクに上がれば、ひとつ上のランクの依頼まで受けられるから、それまでの辛抱ね」
ルシアは登録証を受けとると掲示板の前に向かった。
Eランクの仕事はと言うと、掃除、探し物、荷物運び、どれも街の中で終えられる簡単なものばかりであった。
「これ……」
ルシアは他の依頼書の裏に古ぼけた依頼書があることに気が付いた。内容は街の外での探し物、登録日は三年ほど前の物だった。
「まだ残っていたのね……確かにEランクの依頼だけれど、今はとても危険な場所よ」
隣に立っていたシアが呟いた。
〝バルムークの森〟。以前は街と街を繋ぐ街道が走っていたが、いつからから魔物が出没するようになり旅人や商人への被害が増えたことから迂回路が整備された。
今では草木が生い茂り、街道の名残があるだけで道と言う道は存在しない。
「この依頼受けられる?」
「当時はEランクだったけど今では……それと、ここ」
シアはそう言いながら依頼者の部分を指差した。
依頼者は〝ゼラ〟、依頼内容は森で亡くなったと思われる家族の遺品回収だった。
ゼラは三年前にバルムークの街道を通ってこの街に引っ越して来た。その途中でゴブリンの集団に襲われ妻子と離ればなれになったのだ。
無事に街に着いたのはゼラだけだった。家族とはぐれた場所に何度も赴いたが魔物の群れに阻まれてしまい妻子を見つけることはできなかった。
「彼はこの街に鍛冶場を建てていたのよ、家族で新しい生活を始めるつもりだったのね。それがあんなことに……」
「家族を失うなんて良くある話よ。珍しくもないわ」
「ルシア……あなた」
シアは失望したような目でルシアを見ると再び口を開こうとしたが、先にルシアが口を開いた。
「この依頼は彼にとって現実を受け入れるための切っ掛け。依頼すら忘れ去られて辛かったでしょうね」
「……そうね。ゼラは運が良かったのかも知れないわ、あなたが引き受けてくれて」
シアのサインが入った依頼書を受け取ると『行くわ』と言ってルシアは颯爽とギルドから出て行った。