第十九話〈悪魔〉
翌朝、ルシアは調査団が駐留する宿のラウンジでレオンが来るのを待っていた。
しばらく時間がかかるようで朝食が用意されていた。街でも一位二位を争う宿だけあり、シンプルだが高級感のある食事が提供された。
ミルクがたっぷりと入ったカフを口にしながら洞窟でのことを思い出していた。
〈私には何も捉えることができなかった……〉
レオンがジェネラルを葬り去ったときのことだ。彼がジェネラルの武器を弾き返した次の瞬間には背後に立っていた。
そしてジェネラルは細切れの肉片になった。彼の容姿には似つかわしくない〝白銀の悪魔〟という二つ名は伊達ではなかった。
「待たせてしまったね。本当に来てくれて嬉しいよ」
聞き覚えのある甘く優しい声にルシアは立ち上がって振り返る。いつもの鎧姿ではなく平服のレオンが立っていた。
見るからに上質な生地に洗練されたデザイン、彼の容姿と相まって興味のないルシアですら息を飲むほど美しい姿をしていた。
「どうかしたのかい?」
「ええ……ごめんなさい。あなたは城から出るべきではないわね」
「なんだい藪から棒に。相変わらず難しいね君は」
「なんでも良いわ。稽古を付けてくれるんでしょう?」
「そうだね。その前に私の執務室に来てもらえるかな」
レオンの後に続き彼の執務室へと向かう。部屋は広々としており本来は催事用のホールか何かだったのかと思われた。
先に部屋に入ったレオンは壁に掛けられていた剣を手に取ると部屋の中央てルシアの方へと向く。
「稽古の前に全力で私に打ち込んでみてもらえないかな?」
「ここで?」
「大丈夫、本当にやりあうわけじゃないよ。私はここで君の剣を受けるだけだよ」
「分かったわ」
ルシアは細剣を抜いて構える。
レオンは右手に剣を持ってはいるが構えは取らず、いつもと変わらない優しい笑みをたたえて自然体で立っているだけだった。
「構えないの? 確かにあなたは強いけれど、甘く見られたものね」
「そんなつもりではないけれどね」
〈それなら!〉
ルシアは一段と身を低くして踏み込むと、しなやかな全身のバネを使って渾身の突きを繰り出す。
長身のレオンに対して低く踏み込んだルシアの姿は追いにくい。ルシアはわずかに正面から外れることで剣閃はレオンの視界から外れているはずだった。
レオンの首元に剣先が触れる瞬間彼と目が合う。
ルシアの渾身の突きは彼が頭をわずかに反らしただけでかわされ、その瞬間にルシアは首に衝撃を受けた。
「──どういう……つもり」
「それが全力かい?」
レオンの左手はルシアのか細い首を掴み、体は爪先が地面に触れる程度の高さまで持ち上げられていた。
彼の顔に目を向ける。全身が総毛立った。先程まで浮かべていた笑みはなく、感情の読み取れない深い瞳がルシアを見つめていた。
身じろぎをして逃れようとするが、まるで動くなと言うように首にかけられた手がさらに首を締め上げる。
〈呼吸……が……〉
意識が薄れかけたときに体が解放され、崩れ落ちそうになった体をレオンが抱き止めた。
「なんなのよ……いったい」
「なぜ抵抗を止めたんだい?」
顔が触れ合うほどの距離でレオンが問いかけた。そこには先程のような得体のしれない恐ろしさはなくいつもの彼がいた。
「なぜって……」
「身動きが取れなくても、その剣で私を殺すこともできたはずだ。君は普通じゃない、いつ命を狙われたとしても不思議じゃないんだ」
ルシアは怒りに満ちた瞳でレオンを見据えるが言葉に詰まり言い返すことができなかった。
無条件に彼を信頼し大丈夫だと高を括っていた。ラーゼでは誰も敵意を向けてくることはなかった、ただそれは表面的なことだったのかもしれないと気付かされたからだ。
「怖い顔をするね、それは私に向けてかな? それとも自分に?」
「本当に嫌な人ね……」
「嫌われてしまったね。稽古は諦めるかい?」
「それとこれとは別よ」
レオンは元の笑顔に戻ると頷く。そしてルシアをさらに抱き寄せると頬に口づけをした。
「稽古が対価なしというのも気が引けると思ってね」
「最低ね」
* * *
それから一ヶ月の間、兵士たちと共に慣れない長剣を使い剣術の基礎を学び続けた。
ルシアの吸収は早く瞬く間に成長し、二週間も経過するとレオンの精鋭たちですら歯が立たないほどに洗練された動きをするようになっていた。
「見違えるようだね、感心したよ」
兵士たちの訓練を見ていたレオンが声をかけてきた。
白銀の鎧に身を包んだ姿は帝国一の将としての風格を漂わせていた、平服姿はあの一件以来見ていない。
「借りは必ず返すわ」
「今試してみても構わないよ、無理だったら次は唇を貰うけどね」
ルシアが軽蔑したような表情でレオンを見ると、レオンはお手上げだというような仕草をして笑いながら他の兵士の下へと去って行った。
ルシアは訓練を続けながら調査団の一員として洞窟の調査にも加わった。洞窟にはカーネルを含む多くのゴブリンが存在していたが、彼女が遅れを取ることは二度となかった。
──三ヶ月後
「ルシア……僕も呼ばれるなんて、いったい何が起こるんだい?」
「手加減なしということかしらね」
訓練場の外周をレオンの兵士たちが取り囲んでいた。そして中央にはレオンが凛と立っていた。
ルシアがレオンの姿を見据えながら答える。
「復讐よ。私の初めてを奪った悪魔への」
「は……初めてって、ルシア! どういう……」
そんなシオンの問いかけを無視してルシアは訓練場の中央へと進み出た。
「シオンまで呼ぶなんて死ぬ気かしら?」
「面白い冗談だね。君のためだよ」
「そんなことよりも木剣なんてどこまでも私をバカにするのね?」
「バカに? そうとも限らないよ、私は本気でやるつもりだよ」
ルシアはここに来てから彼のことを少しだけ理解した。街の娘たちが憧れるような優しく紳士的で甘いマスクを被っただけの男ではなかった。
その本質は彼の持つ二つ名のとおりの悪魔だ。彼がただ女性に騒がれるだけの道化であれば、誰も彼を信頼し尊敬などしていなかっただろう。
シオンを呼んだのはそんな彼の優しさだ。勝っても負けても自分は無事では済まないだろうことは分かっていた。
ルシアが無言で細剣を構える。四ヶ月前とは明らかに違い隙のない構えだった。何よりその瞳には闘志が見てとれた。
「良いね。でも気迫だけでは私には勝てないよ」
レオンも剣を構える。笑顔は消え失せ剣士としての顔をしていた。
ルシアは軽快な動きでレオンとの間合いをはかりながら牽制の攻撃を放つ、周囲の兵士からは驚きの声が上がる。
以前のような単発の突きではなく、常人の目には止まらないほど早さで数発の突きが打ち込まれていた。レオンはそれを事も無げにかわすとルシアへ斬撃を放つ、彼女は大きく飛び退き間合いを取るが上腕部が裂け血液があふれ出していた。
傷口から正面に視線を戻したときにはレオンの姿は目前に迫り、突きが繰り出される瞬間だった。ルシアは半身をひねり攻撃をすんでのところで回避したつもりであったが、突きだと思っていた攻撃か横薙ぎにルシアの腹部を捉えていた。
〈ッ!?──嘘でしょ!〉
腹部への衝撃をともにルシアは吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。
即座に立ち上がるが肋骨に鋭い痛みが走り膝が震えていた。しかしレオンの動きは止まらずルシアへと再び迫っていた。
〈全然話しにならないじゃないッ!!〉
思うように動かない足で側方へ飛び退き繰り出される攻撃をかわすが、即座に次撃が繰り出され地面を転がり回避する。ルシアは咄嗟に地面の砂を掴みレオンへ投げつける、彼が顔を庇った瞬間に大きく間合いを取り態勢を立て直した。
再びレオンに向けて細剣を構えたルシアの表情が苦痛に歪む。
痛みを堪えて構えたものの自由に動き回ることは難しくなった。このまま迎え撃って決着をつける以外に方法はない、戦闘が長引くほどルシアは不利になることを悟っていた。
「確かに腕は上がっているけど少し早かったみたいだね」
「まだ決着はついていないわ」
レオンは笑みを浮かべると地面を蹴る。十メートル近くあった距離は瞬時に縮まり、迫り来るレオンの攻撃を身を低くして避け、すぐさま反撃するが連続で放った攻撃は全て受け流された。
ルシアに彼の攻撃はほぼ見えていない、攻撃を放つ瞬間のわずかな動きに反応して回避行動を取っているだけだった。
「頑張ったけれどこれ以上は無駄みたいだね。終わりにしようか」
レオンが涼しい顔で放った攻撃はルシアが頼りにしていたわずかな動きすらも見えないほどの速度で放たれていた。
しかしルシアの視線は彼の瞳を見つめたままだった、そしてレオン方へとさらに一歩踏み込んだ。
「──ッ!?」
二人は半歩にも満たないほどの距離で動きを止めていた。
周囲が静まり返る。
ルシアの細剣に血が伝い地面に流れ落ちると周囲の兵士から驚きと歓声が上がった。
「あそこでさらに踏み込んで来るとは思わなかったよ」
ルシアの突きはレオンの鎧の継目を的確に捉えていたが、彼は細剣の先端を直前で掴んで阻止していた。
「仕留め損ねてしまったわ。復讐はお預けね」
ルシアが不敵に笑うとレオンはおどけたような表情で細剣から手を離した。彼の指先からは先程よりも激しく血が滴り、地面に血溜まりを作っていた。
「技術も動きもまだまだ私には遠く及ばない。それでもあのときとはまるで別人だよ」
「そうね、残念だけどあなたに勝てる気はしなかったわ」
「そうは思わないけどね。君が最初の一撃で怪我を負っていなければどうなっていたかは分からないよ。今回は引き分けかな」
「ルシア! レオン!」
二人が声の方向を向くと慌てた様子で駆け寄るシオンの姿が見えた。
ルシアとレオンは顔を見合わせると吹きだした。




