第一話〈別れ〉
「が……はっ……」
大剣を掲げた大男の胸元を少女の細剣が貫き、言葉を発しようとした男の口からは言葉の代わりにゴボゴボと泡立った血があふれ出していた。
夕日に照らされ怪しく輝く少女の黒髪が風になびいた。
「黒髪の人間は高く売れる死体でも。そうでしょう?」
そう言った少女の瞳は何も映していなかった。取り囲んでいる数十の男たち、そして目の前で血を流す大男すらも。
少女の言葉は誰に向けて放たれたのか誰にも分からなかった。
「嘘だろ……」
「親分が一撃で」
少女を取り囲んでいた男たちが口々に驚きの声を上げた。剣を構えることすら忘れ、親分と呼ばれた男と少女を見つめていた。
「それでも当然のように悪意を向けてくる村人よりずっとましよ。躊躇せずに殺していいんですもの」
少女は吐き捨てるようにそう言うと、大男の胸元から細剣を引き抜く。大男の手から大剣が地面に落ち、大男が鈍い音を立てて地面に倒れた。
大男が倒れた音で正気を取り戻したかのように男たちが再び武器を構えた。
「野郎! ふざけやがって!」
何人かの男が少女に切りかかったが、彼らの剣は空を切るだけだった。
男たちはキョロキョロと周囲を見回す。
「いない!? どこに行きやが――」
「どこを探しているの?」
少女の言葉と共に一人の男の背後から細剣が喉元を貫いていた。
残った男たちは悪態を付きながら少女に向かって再び武器を振るう。少女は細剣を引き抜くと男たちの攻撃をかわし、一人の男の手首を切り裂いた。
男は武器を取り落とし、切り裂かれた手首を押さえていた。押さえた指の隙間からとめどなく血があふれ出していた。
「頭目は死んだはずよ。まだ私と戦う意味があるの? 自分の命を落としてまでの価値があるとは思えないけれど」
「うるせえ! 黙って殺されろクソアマ!!」
男の瞳には怒りと恐怖が入り交じり剣先はわずかに震えていた。
自らを奮い立たせるように大声を上げて少女に飛び掛かるが武器は少女に届かず、次の瞬間には頸動脈から血を吹きだし地に両膝を着いていた。
男たちはしばらく首を押さえていたが、やがて地面に倒れるた。
少女は男たちが倒れるのを見届けると細剣の血を振り払った。
「……どうするの?」
そう言いながら周囲を取り囲む男たちを一瞥する。少女の問いかけに周囲を取り囲んでいた男たちは戸惑いながらも道を開けた。
「余計なことをしなければ理不尽な目にあうことが無いなんて幸せね」
そう言いながら道をあけた男たちの間をゆっくりと通り過ぎる。
男たちは一回り以上は年が違うであろう少女の背中が見えなくなるまで見つめていた。
* * *
三年前––
「逃げてルシア! 貴方だけでも!」
足に矢を受けて倒れた女性が少女の背後から叫んでいた。その傍らには女性をいたわるように男性がしゃがみ込んでいた。
「お母さん!」
「行きなさいルシア! 私たちもすぐに追い付くから、走り続けなさい!」
少女に向かって、女性の傍らにしゃがみ込んだ男性が叫ぶ。
彼らの背後には多くの松明の炎と彼らを探す荒々しい男たちの声が聞こえていた。
「お父さん……」
少女は意を決したように一人で走り始めると、何度も振り返りながら夕闇の先に両親の姿が見えなくなるまで走り続けた。
やがて森に迷い込み、何かに躓いて倒れ込んだ。何とか起き上がったが、心臓は張り裂けそうなほど早く鼓動していた。
少女の名は〝ルシア・ユーレリア〟、このとき十二歳であった。
人間の両親の間に生まれた一人の赤ん坊。両親に望まれ、村の人々からも祝福を受けて幸せに暮らせるはずだった。
しかし彼女に髪が生え始めたときから事態は一変する。
彼女の髪色は黒かった。この大陸でただ一つの例外を除いて、黒髪の人間が生まれることは無いのだ。
例外とは魔王の血を引いていること。
三千年前に世界を滅ぼさんとした魔王ベルファリス。彼の髪は光すら飲み込む漆黒であったと伝えられている。
それゆえに人々は黒髪を恐れ忌み嫌う。生まれれば一家は迫害され、村から追放される運命が待っている。酷ければ一族郎党無事ではいられない。
ルシアの一家も例に漏れずルシアが十歳のときに村を追われた。一家はそれから住む場所を転々としながら二年間を過ごし現在に至っているのである。
「どうしてなの? 私の黒髪はそんなに悪いことなの、何もしていないのに……」
父と母の温もりを失い疲れ果てた少女は深い森の暗闇の中でそう呟き、意識を失いその場に
倒れた。
* * *
空が白み始めたころ、ルシアは寒さで目を覚ました。周囲は薄いモヤに覆われ、未だ夢の中にいるかのようだった。
「お父さん、お母さん……どこ? 寒いよ」
ルシアはモヤの先に父と母がいるのではないかと思い二人を呼んだ。当然、返事は無かった。
そして唐突に昨晩の出来事を思い出し、不安と恐怖が心を支配した。
茂みの先から誰かがこちらの様子を伺っているような気がして、彼女は近くの大木に身を寄せた。
「誰?……そこに誰かいるの?」
そんなところに誰も居ようはずもないが、彼女の不安と恐怖心がモヤの先で揺れる木々の影をそう見させたのだ。
しばらく膝を抱えて一点を見つめていたが、再び眠りに落ちてしまっていた。
次に彼女が目を覚ますと日は昇り、周囲のモヤも消え失せていた。
先ほどまでの心細さを打ち消すように、暖かい木漏れ日と鳥のさえずりが聞こえていた。
「寝ちゃったんだ……」
立ち上がろうとすると体のあちこちが痛んだ。
泥で汚れた服、露出した肌は傷だらけで唇はカサカサに乾燥してひび割れていた。
背にしていた大木を支えに彼女は立ち上がり天を仰いだ。
* * *
それから数日、地獄のような日々を過ごした。森を彷徨いながら雨水や朝露をすすり、食べる物は木の実だけだった。
それでも食べられる日は幸運であった。
やがて森を抜けて村に辿り着いたが、黒髪の少女を歓迎する者は居なかった。石を投げられ、鍬や鋤で追いたてられ森へと逃げ帰ることになった。
人目に付けばどうなるか思いしらされた彼女は人目を避け、偶然見つけた森の洞穴で生活を始めた。
食べ物や飲み物は森の中で手にいれることができたが、それ以外に必要な物は盗むしかなかった。
十二歳の少女が一人で生きて行くには仕方のないことであった。