04.ラピ執事
「うわぁ……ひどいな……」
夕陽もすでに沈みきり暗い店の中を用心深く歩く。母が生きていた頃の面影は一切なく店の中は荒れ果てた状態だった。
ランプひとつ見つけるのも一苦労で、やっとの思いで灯りをつける。
「盗賊にでも入られたみたい……」
あちこちの引き出しが開けられ、床に物や羊皮紙が散乱。逆に、母が作った品が並んでいた商品棚はすっからかんだった。極め付けに床に薄らと残るたくさんの足跡。
「みたいじゃなくて……入られたんだ……」
二階にある住居スペースの部屋もきっと同じ様子だろう。
店のことを気にも止めず三年も留守にしていた私には何も言う資格がない。いまさら街の治安を主に守っている警護団に訴えたところで請け負ってすらくれないだろう。
でも、やっぱり……もう少しだけでもいいから母の面影を残しておいて欲しかった。
「あ、あれは……」
散乱する床の中から私の目にとまったのはラピットの木彫り人形。まだ私が幼かった頃、母が私の為に彫ってくれたものだ。
どうやら盗賊も小さな木彫り人形には興味を示さなかったらしい。
ごろんと床に転がった人形を手に取る。
ラピットとは、額に角が生えた一角獣。最弱の魔物とも呼ばれている。
ピンと立った長い耳に、ちょこんと飛び出た二本の前歯。
なぜか母の彫ったラピットは額に角がなく、大きな涙型の窪みがある。幼かった私が怪我をしないようにだろうか。
今改めて見ると母の作ったラピットはとても面白いと思った。
なにがって魔物のラピットに片目にモノクルを嵌めて燕尾服を着させているところ。佇まいはまるで品のある人間の執事みたいだ。
片時も手放さず何よりも大切だったこの子を、ここに置いていったのは学園に入学する時。
母を失ったばかりの幼い私はこれを見るたび母の笑顔を思い出し、涙が止まらなくなってしまうから。
それまでは、名前だってつけて眠る時も遊びに行く時も常に一緒だった。
服の袖で埃を拭う。思わず視界が歪んだ。
「ラピ執事、わたし帰ってきたよ」
瞬間――、私がつけていたネックレスが眩しく閃る。
「っ……!?」
強い光に目を開けていられない。瞼を閉じても視界が真っ白に見えるほどの眩しい光に包まれる。
首元に引っ張られるような痛みを感じると、ブチッッ!首元の鎖が音を立てて契れた。
決して片時も外さないようにと死ぬ直前、母から渡された水晶のネックレス。私にとって何より大事なものだった。
がむしゃらに何も見えない視界に手を伸ばす。
もふっ。
「……え?」
思ってもいなかった掌の感触に恐る恐る瞼を開く。そこに立っていたのは――。
「ラピ執事……?」
真っ白な産毛に真っ赤な瞳、ちょこんと飛び出した前歯。質の良い真っ黒な燕尾服を着て、真っ直ぐ二本足で立つラピ執事の姿。
木製の人形だったときよりも、うんと大きくなり地べたに座る私と同じくらいの高さになっている。
何より驚いたのは、ラピ執事の額に私がつけていたネックレスの水晶がキラキラと輝いていることだ。
驚きのあまり声を失ってまじまじと見つめる私へラピ執事はまるで本物の執事のように一礼する。
「イエス、ご主人様」
「……えっ」
「あなたのお帰りをずっと待っておりました。ご存知の通り冷たい床の上で埃に塗れてね」
「あっ、それは、えっと……ごめんなさい」
思わず謝る、が……ちょっと頭が追いつかない。
混乱する私とは反対にラピ執事は飄々とした表情で首元のスカーフを綺麗に結び直す。
「でも、まあ良かったです。破裂する前に戻って来られて」
「破裂?」
「ええ。ご主人様がつけていたのは吸収の水晶。これは貴方の膨大な魔力を吸収するものです」
そ、そうだったの……?
母が亡くなる直前に渡されたネックレスだったから、てっきり先祖代々伝わるなんかの石かと思ってた。
それが、まさか私の魔力を吸うためのものだったとは……。
言われてみれば、母から受け取った時は無色透明だったのに、今は濃い紫色に変色している。あれはきっと私の魔力を吸ったせいに違いない。
「もしこの水晶が破裂していたら簡単に街一つぐらいは吹っ飛んでいたでしょうね。世にいう爆散というやつです」
「ひぇ……じゃ、じゃあそんな危ないのつけたらラピ執事が……」
街を爆散させてしまうほどの魔力を溜め込んだ水晶は今現在ラピ執事の額に埋め込まれている。それって爆弾を額にくっ付けているのと同じなんじゃ……。
「いいえ。私は操り人形。この水晶の魔力を吸って動力としています」
「ラピ執事がマリオネット?」
貴族のご家庭にはメイドのマリオネットが必ずいると聞く。魔力を与えれば、主人の命令を聞きその通りに動く高価な魔術道具だ。
そう、ごく一般のマリオネットなら。
普通のマリオネットと何が違うかって、まず姿形が違う。ラピットが最弱とはいえ魔獣型のマリオネットなんて聞いた事がないし、本来マリオネットとは言ったことしかできないものだ。
風呂を洗えとか、肩を揉めとか、そんな簡単なことしかできない。学園にいたマリオネットだって、ひたすらずっと床掃除をしていた。受け答えだって、挨拶とイエスかノーかぐらい。
こんな風に意思を持って喋るマリオネットなんて初めて見た。
「生きてるみたい……」
ラピ執事の真っ白な綿毛に手を伸ばす。ちゃんとあったかい。元は木製のはずなのに……不思議だ。
「私の動力として膨大な魔力を消費しますので爆散は致しません。そして、私自身が吸収の水晶になるので近くにいればご主人様の魔力過多も抑える事ができるでしょう」
「なるほ……ああ、だからかぁ」
私の魔力は年々強くなっているとローラ先生に言われた。
入学当初はまだ多少なりともコントロールが出来ていた。しかし最近は調合する度に大釜を割る始末。
騎士科の授業だって程よくやり返す事が出来たらヒルマ様にあんなでかい顔させずに済んだのに、コントロールできない私がやり返したら加減できずに下手したら殺してしまうから。
だからずっと歯を食いしばって、我慢して、必死に堪えて。
でも、私に一番必要だったのは抑え込むことではなく消化させることだったんだ。
しかし、今となってはもう後の祭り。
これから、ここから始めるんだ。
「私ね……学園追い出されちゃったの。それでね、ここを大切な場所にしようって決めたんだ。だからラピ執事。また一緒にいてくれる……?」
私の言葉を聞いてラピ執事はもう一度しっかりとスカーフを整える。そして大きな前歯を動かしてラピ執事は答えてくれた。
「イエス、ご主人様」
きらり、額の水晶が輝いた。