03.魔法騎士団の青年
カシャン、ゴロン、カシャン。
歩くたびにリュックにぶら下げた荷物が音を立てる。じろじろとこちらを見る街の人達の目から逃げるように、肩を竦めて歩いた。
「とりあえず、座ろう……」
学園を追い出された私に今決まってることと言えば、広場の隅にある薄暗いベンチに腰をかけることだけ。
行き先が何も決まっていないのは当たり前だ。本来ならば、卒業まであと二年は学園で過ごせる筈だったのだから。
「っ!……冷た」
腰をかけるとベンチは少し濡れていた。足元までひんやりすると思えば、下は水溜り。学園指定で購入させられた高級ローファーもびしょ濡れ。最悪。
「ほんともう、はぁ……」
夕陽の色を受けて、広場の美しい噴水まで茜色に染まって見える。
今日は街の宿に泊まろうか。でも財布の中はもう残り僅かだ。
……今日追い出されてよかったかもしれない。
だって明日の授業で魔導書の購入があれば、私はもう払えなかっただろうから。
特待生といっても学費は免除だが、学用品は別だ。授業で使う魔道具も薬草ですら購入しなければならない。
母が残してくれた沢山の金貨も三年でほぼ使い切ってしまい、残ってるのはこの巾着の中の僅かな銀貨と銅貨だけ。
どこか住み込みで働けるような場所を探さないといけない。食うにも寝るにもお金は必要だ。宿屋なんかはどうだろう。頼み込んだら雇って貰えるだろうか。
でも……。
そんなことをしたら、私……魔女じゃなくなってしまう。
「どうしたの?」
突然、降ってきた声と見つめていた足元の水溜まりに影が映る。
慌てて顔を上げると、一人の青年が私を覗き込むように見ていた。
紅く……いや、夕陽が反射してキラキラと輝く、銀色の髪だ。私をじっと見つめる瞳は、夏の青空みたいな綺麗なブルー。透き通る水色だった。
「――っ!」
思わず息とめて見惚れてしまうほど、美しい瞳の色。
そんな彼の瞳に映るのは、私の情けない顔で。慌てて下を向いた。
「君、学園の子だよね?」
「……ち、違います」
「でも、その制服って……」
……そうだ。まだ制服のままだった。
ちらりと彼を見上げると、青年が着ているのはホワイトシルバーの軽甲冑。その胸元にはローセンタル王国の紋章が燦々と輝いている。
(……やばい。)
間違いなく彼は王家直属の部隊、魔法騎士団だ。
「こんな時間に、こんな所にいたら危ないよ」
ローセンタル魔法魔術学園の生徒ならば、この時間に広場にいるはずがない。寮の門限はとっくに過ぎてる。でも、私は。
「退学になったんです。今日、今さっき」
思ったより大きな声が出て、ちょっと後悔した。
ぎゅ、っと奥歯を噛み締める。言葉にして自分の耳に届いた時、酷く実感してしまったから。
――もう、私は学園の生徒ではないと。
「……そっか。なら、もう自由だね」
「じ、自由……?」
青年から返ってきたのは想像もしていなかった言葉だった。聞き返した私に青年はやんわりと優しく笑う。
「学園は君にとっていい場所だった?」
「……ううん、あんまり」
そう聞かれたら、辛くて苦しいことの方が多かった気がする。
誰もが憧れる学園のローブは重くて、まるで鎧を着て過ごしてるみたいだったし、クラスに足を踏み入れるのが毎日怖かった。
「そっか……明日からは行かなくていいんだ」
「うん。もういいんだよ」
青年の声はとても穏やかで、優しい。
くすくす私を笑う声も、痛くて怖い騎士科の授業も、高価な授業の用具も、大釜を割った時の先生の大きなため息も。
もう何も聞こえない。何もいらない。
……そっか、わたし自由なんだ。
「でも、これからどうしよう……」
せっかく少しだけ浮上した気持ちも、これからのことを考えるとまた沈み始める。
せめて寝る場所さえ確保できたら……。
「うーん……もし、帰る場所がなければ」
「帰る場所……」
その言葉でふと頭に浮かんだのは、王都の中心地から離れた職人街。その隅にある、一軒のちいさな店。
「あ、ある!帰る場所……っ!」
思わず、パッと顔を上げ青年を見た。
青年は一瞬目を見開いて、また穏やかに笑う。
「そっか。君の笑顔が見れてよかったよ」
送って行こうか、と言ってくれた青年に首を振り、相変わらず沢山の荷物を抱えて一歩踏み出す。
「ありがとう!騎士さんっ!」
……変なの。
あれだけ重かった荷物がすごく軽い。
どうしてあんなに大切な場所、忘れちゃってたんだろう。毎日、必死過ぎたのかな。自分が思ってたより駄目になっちゃったんだろう。たぶん、きっと。
広場から歩いてしばらく。いつの間にか自分の足が中心街の美しく施工された鋪道ではなく、歩き慣れた砂利道を踏みしめているのに気がついた。
一面に並ぶ懐かしい職人街の街並み。土と草の匂い。
「帰ってきたんだ……」
一軒の古いちいさな家の前で足を止める。
庭の林から好き勝手伸びた蔓草に覆われ、壁に打ち付けられた看板まで見えない。
でも、私の頭の中にはしっかりとその文字が浮かんでくる。
「ベラドンナの魔女工房……」
重たい扉を開けると、ガランゴロン音が鳴る。とても懐かしい音。記憶の中で「おかえり」の声がした。
「……わたし、決めた」
店を開こう。ベラドンナの魔女工房を。ここをもう一度、私の大切な場所にしよう。