赤提灯の映える日本の夕べ
挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
台湾島から僅か数時間の空の旅で降り立つ事の出来る西日本は、私にとって第二の故郷と言っても過言ではない。
大学の卒業旅行で訪れた京都の寺社仏閣には知的好奇心を大いに刺激されたし、今の妻との新婚旅行先に選んだ神戸の美しい夜景に心より魅せられた事をよく覚えている。
中でも若手社員時代に日本法人の駐在員として三年間を過ごした阪堺地域は、町全体に満ちているエネルギッシュな活気と陽気な人情味が何とも心地良くて、単身赴任の期間を満了して台南へ帰郷するのを惜しんだ程だったよ。
だからこそ、一週間の海外出張という形で件の日本法人に再び赴く事になった時には、辞令を出してくれた会社の上層部に心から感謝したものだ。
大阪市のビジネス街である本町の一角に構えられた日本法人のオフィスは、全体的には私が駐在員として勤めていた十数年前と概ね同じような印象だった。
当然至極の事だが、経過した歳月に相応の変化は生じている。
デスクの配置や内装は色々と変わっていたし、そこで働く社員達の顔触れも随分と入れ替わっていた。
そうした多少の変化はありながらも、日本法人の持ち味であるアットホームで和気藹々とした雰囲気は当時のままに受け継がれていて喜ばしい限りだ。
だからこそ、オフィスへ入った次の瞬間には「ここへ帰って来たんだなぁ…」という懐かしさと郷愁が湧き上がって来たのだけれど。
そんな私のノスタルジーは、駐在員時代の昔馴染との再会で一種のピークを迎える事になったのだ。
もっとも、それは向こうも同じだったのかも知れない。
何しろ孔子だって、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや。」と言っているのだから。
「また日本で会えて嬉しいよ、呼延勝。今じゃ日本法人代表の肩書きがスッカリ板に付いたみたいで、なかなかの貫禄じゃないか。」
「それは俺の台詞だよ、田小竜。こうして話していると、若い頃を思い出すな。」
先祖を辿れば五胡十六国時代の前趙に仕えた呼延翼の傍流に遡れる旧友は、青年時代と変わらぬ気さくな笑顔で私の事を迎えてくれた。
昔馴染というのは本当に有り難いよ。
御互いにキャリアを重ねて色々と背負う物も増えたはずなのに、こうして会えば若き日の感覚に一気に戻れてしまうのだからね。
「どうだ、田小竜?お前の来日を祝して、今日は俺に一杯奢らせちゃくれないか?若い頃の俺達が毎晩のように行った立ち飲み屋だって、今も船場センタービルの地下で変わらずに赤提灯を点している訳だし。」
気さくな旧友のフランクな誘いには、思わず心が動いてしまう。
若き日の私だったら、この誘いに一も二も無く飛び付いていただろう。
だが、今日に限っては…
「気持ちは有り難いが、それは明晩にさせて貰うよ。生憎だけど、今夜は先約があるからな。」
「先約?ああ、成る程な。」
誘いを断られてキョトンとしたのも束の間、呼延勝の口元に悪戯気な微笑が閃いたのだ。
こんな笑い方をアイツがしたら、何を言い出すかは大方予想はついている。
「小竜、お前もなかなか隅に置けんな。学生時代からの付き合いで見事にゴールインした奥方がいると言うのに…」
「変な邪推は止せよ。そういう呼延勝だって、神戸の三宮で生まれ育った美人の嫁さんがいる身の上じゃないか。」
冷やかすようにニヤニヤと笑う旧友を軽くあしらいながら、私は日本法人のオフィスを後にしたのだ。
本町から乗った大阪市営地下鉄御堂筋線に揺られる事、おおよそ三十分。
終点である中百舌鳥駅に着いた頃には、堺市北区の街並みは日没の光で茜色に染め上げられていた。
御堂筋線と南海高野線の乗り換え駅という事もあり、この時間帯になると中百舌鳥駅周辺は学生や勤め人でごった返してしまう。
「流石はマンモス校として名高い堺県立大学の最寄駅、聞きしに勝る帰宅ラッシュの混雑振りだなぁ…」
噂には聞いていたとはいえ、芋の子を洗うような人集りの騒々しさには苦笑するより他はない。
とはいえ、中百舌鳥駅周辺を埋め尽くす人垣の中から目当ての人間を見つけ出す事は、そう難しい事でもなかった。
何しろ相手の方から、私に気付いてくれたのだから。
「久し振りだね、お父さん。日本へ…ううん!堺へようこそ!」
「王美竜…どうやら堺県立大学では、楽しくやっているようだね。」
長期休暇を利用した帰省から数えて数ヶ月振りに対面する愛娘の様子は、至って元気そうだった。
色白の素肌に腰まで伸ばした黒髪、そして何より王姓と合わせて妻から受け継いだ童顔の美貌。
何もかも、私の記憶にある美竜その物だ。
勿論、何から何まで同じという訳では無かったけれど。
白いニットの上に羽織っている秋冬用の黒いアウターは日本製のブランド物だし、眼鏡だって私が知っている物よりレンズの度が低くなっていた。
恐らくは、こっちに来てから買い求めた物だろう。
そして何より、娘の操る日本語ときたら…
「美竜の日本語、台湾にいた頃よりも随分と上手くなったんじゃないか。特に発音なんか、もうスッカリ関西弁のイントネーションだよ。」
「そ…そうかな、お父さん。学部の先生や友達と話していると、まだまだ私の日本語には台湾訛りが残っていると痛感させられちゃうんだよね。」
そうして日本式に頭を掻く照れ隠しの仕草も、スッカリ板に付いている。
日本語の上達や日本式の仕草やジェスチャーの会得は、日本の人達と円滑にコミュニケーションが出来ている証であり、娘の留学生活が上手くいっている何よりの証拠でもあった。
メールやSNSでも大体の事は分かるけれども、こうして元気そうな様子を実際に確認出来ると嬉しくなってしまうな。
まだまだ子離れ出来ていない自分が少し恥ずかしいが、これも娘を持つ父親の心理と言えるだろう。
そうした親心は、思うだけでなくて行動でも示さなくてはならないな。
「何にせよ、そんな積もる話は晩酌でもしながらジックリしようじゃないか。今日はお父さんが奢ってあげるから、好きな物を頼んで良いんだよ。どうだい、美竜?心斎橋の辺りなら、本格的な台南料理を出している店もあるんだよ。」
−久々に食べる故郷の味は、日本で一人暮らしをしている美竜にとってはホームシックの予防薬となるに違いない。
そんな親心で出した提案だった。
「台南料理かぁ、それも悪くないね。美味しい海老が使われた坦仔麺や蝦仁飯は、ビールとの相性も最高だもの。」
指を折りながら料理名を次々と諳んずる美竜は、何とも嬉しそうな表情を浮かべていた。
ビアジョッキを持つような仕草までしちゃって、今宵の晩酌が待ちきれないんだろうな。
ところが留学生活を送る娘は、私が思っていた以上に日本慣れしていたらしい。
「でもさ、お父さん。今日の所は、私の馴染みのおでん屋さんで飲んで行こうよ。台南料理は、また今度に誘ってね。」
「えっ、馴染みのおでん屋?」
鸚鵡返しに聞き直す私に、娘は夕焼けで茜色に染まった顔に微笑を浮かべながら頷いたのだ。
「そこのおでん屋さん、出汁が本当に美味しいんだ。カップ酒を出汁で割って七味を入れたら、もう最高なの。こないだも同じゼミの友達を誘ったんだけど、その子も随分と喜んでくれたよ。」
「ゼミの友達って、よくメールやSNSに名前の出てくる『蒲生さん』っていう子の事かい?おでん屋で日本酒の出汁割をやるだなんて、女子大生にしちゃ随分と渋い趣味の子じゃないか。」
おでん屋を贔屓にしているのにも驚いたが、まさか出汁割日本酒という渋い物まで愛飲しているだなんて。
娘の日本慣れと親日振りには、実に驚かされてしまう。
とはいえ考えてみると、台南生まれの美竜が出汁割日本酒を好きになるのは至って自然な話だった。
温暖な台湾で生まれ育った人間にとっては、日本の秋や冬の寒さは殊更に堪えるのだから。
若き日の私が、そうであったように。
「そう言えば若い頃のお父さんも、日本酒を出汁で割る飲み方を知った時には『こんな美味い飲み方があるのか!』と驚いたものだよ。あの頃何度も足を運んだ船場の立ち飲み屋の赤提灯は、今でも忘れられないなぁ。」
「お父さんも、そう思うでしょ?せっかく久々に来日したんだから、日本の居酒屋文化にドップリと浸るのも乙な物だよ。」
快活に笑う娘に促されて顔を上げてみると、そこには実に美しい光景が広がっていた。
西日を浴びて茜色に染まった、中百舌鳥駅周辺の下町情緒溢れる街並み。
そのあちらこちらで、店名を黒字で記した赤提灯が点されていた。
この夕焼け空の下で点される赤提灯の暖かくて柔らかい光こそ、日本の居酒屋文化の魅力なのだろうなぁ。