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微かな百合とBL(短編まとめ)

十年ぶりに会った友人は、幽霊でした

作者: ユト

 今日、私は十年来会うことのなかった友人の葬式に来ている。


 おごそかな空間。公営斎場に響き渡る読経。

 私は、艶のない黒の喪服に身を包み、黒いストッキングを履いて、安物の数珠を固く握る。

 空調が効いているせいか、七月の暑さを忘れるくらい、部屋は肌寒かった。

 啜り泣く声は彼女が愛されていた証明のようで、悲しいのに、どうしてか嬉しくなった。


 パイプ椅子から立ち上がり、親族と来客に一礼をする。

 喪主である彼女の父親は、思いのほか毅然としていた。白髪混じりの彼女の母親は、記憶よりもずっと老け込んでいて、落ち窪んだ目元をハンカチで抑えている。

 母親の隣に座る高校生くらいの子は、彼女の弟だろう。母親と顔が似ていた。その奥の三十代前半と思われる男性と目が合う。メガネをかけた堅苦しそうな人だ。誰だか全く思い出せないまま、私は目礼した。

 一際大きく啜り泣いているのは、赤ちゃんを抱いている女性だったらしい。白髪混じりの頭を伏せて、ぐしゃぐしゃのタオルを握りしめていた。その横で、小学生くらいの子どもが居心地が悪そうに座っていた。


 焼香に向かうと、遺影の中で楽しそうに笑う彼女に吸い込まれた。

 私の知らない大人の顔。でも、私の知る友人の顔。途端に、懐かしさと寂しさに苛まれた。

 全然、実感が湧かない。

 彼女の目の輝きも、彼女の声も、彼女の笑みも一つとして忘れていないのに。もう二度と会えないなんて。

 ツンと鼻が痛み、彼女の顔がわずかに歪む。こぼれ落ちそうな涙を堪えて、私は手を合わせた。


 ねぇ、どうして死んでしまったの?

 幸せだった? 連絡もしなくて、ごめんなさい。

 いつの間に髪を伸ばして、ピアスなんてしたの?

 こんな風に会えなくなるなら、ちゃんと謝りたかったよ、波美≪なみ≫。


(髪は、死ぬ二年前からかな。ピアスは大学入ってすぐだよ)


 耳元で聞こえた、懐かしい彼女の声。

 明るくて、澄んだ、夏風鈴のような声。

 答えが返ってくるなんて、微塵みじんも想像していなかった。びっくりして左右に首を振ると、遺影から抜け出たような彼女と目が合った。


(やっほー。元気してたー?)


 ふわりふわりと宙に浮かぶ、茶目っ気たっぷりな友人は、あぐらをかいて私に手を振っていた。


「え? なんで、どうして」


(わかる、わかる。戸惑うよねー。でも、今は席に戻った方が良いかもー)


 腕を組んで、ウンウンと頷く友人。

 ハッとして周囲を見る。いくつかの目が不審なものでも見るように、私を見ていた。

 私は、慌てて一礼して席に戻る。座り心地の悪いパイプ椅子に浅く腰掛けて、目をつむり呼吸を整える。

 見間違いだったのかも知れない。

 自分の後悔と希望が見せた幻だったのかも知れない。

 そう思って顔を上げたのに、やっぱり彼女は焼香する来客に向かって手を振っていた。

 一人、二人と順調にお別れは進む。

 誰も彼女に気付かない。

 それでも、葬儀が終わるまで、友人はずっと焼香台のそばで嬉しそうに笑っていた。



§


 十年前、大人気なく喧嘩別れをした彼女。

 喧嘩の原因を、今はもう覚えていない。

 喧嘩をしてから最初の数ヶ月は、怒りに支配されていたと思う。それがいつしか罪悪感になり、感謝となり、もう嫌われたくないという恐怖へと変化していった。

 気付けば、仲直りのきっかけを失っていた。

 同時に、話すきっかけも忘れてしまったらしい。

 アドレスから電話番号を引っ張り出しても、メールを書いても、最後のボタンが押せない。

 ごめんねも、ありがとうも伝えることの出来ない、私は意気地なしだった。


 ガラケーからスマホに変えても、彼女をアドレス帳に縛り付け続けた。

 名前を見るたびに胸が疼いても、懺悔に苛まれても、苦い想いさえ大切で。まだ彼女と繋がりがあるように思えるだけで、私は幸せだった。

 私が死んでも、彼女の名前はバックアップに残り、電子の海に漂流し続けるだろうと思っていた。


 彼女に、会いたいとは思っていなかった。正確には、会ってはいけないと感じていた。彼女に会わせる顔も分からなかった。

 代わりに、時折思い出すように、大切な友人の幸せを願い、一方的に想いをせて、満足をしていた。


 それなのに、まさか十年経った今、彼女が私のアパートにいて、しかも目の前で笑っているなんて。


(いやぁ、自分の葬式を観れるとは思わなかったわー! みんな、結構真面目な顔なんだねぇ。一人くらい笑い()み殺してる人とかいると思ってたのに。あと、泣いてる人とか見ると、ちょっとグッとくるものがあったよねー。あ、盛り塩しないでくれて、ありがとね!)


 大人になった見た目以外、彼女は話し方も雰囲気も何一つ学生の頃から変わっていなかった。

 そのことが嬉しくて、でも、信じたくなくて。私は彼女を見れなかった。


「……ねぇ、本当に波美なの?」


 グラスを二つ乗せたローテーブルを挟み、私と波美が向かい合う。肩につかないくらいのセミロングに、赤のピアス。お尻の隠れる白のロングシャツに、ベージュのカーディガンを羽織り、黒のズボンを履いていた。

 足元の五センチヒールは、玄関で脱げなかったため、土足だった。


(まあ、疑っちゃうよねー。わかる、わかる。でも、疑う余地がないくらい、あたしなんだよね。ごめんね、海莉(かいり)。全然連絡しなくて)


 ヘラリと軽く笑う波美を見て、あんなに溜め込んでいた言葉がするりと口から出た。


「私も連絡してなくて、ごめんなさい」


 ようやく、一つ、謝れた。嘘みたいだ。本当に、彼女は波美なのだろうか。これが幻覚なら、随分と都合が良すぎて、自分に幻滅しそうだった。


「ねぇ、波美。波美は、私といつ知り合ったか覚えてる?」


(もちろん! 知り合ったのは、中二のクラス替えで、初めて話したのは期末試験の後。テスト中に消しゴムを落とした波美の代わりに、私が手を挙げて先生を呼んだののお礼が初会話。忘れるわけないじゃん。

 さては海莉、あたしのことをまだ疑ってるなー? 

 バレンタインの時はチョコを作るのを手伝ってもらったのだって、覚えてるんだからね。焦がして、鍋に張り付いたクッソ苦いチョコを食べてたら、ママに怒られたとか。

 ほかにも、一緒に屋上に行ってお弁当食べたら、あたしだけ怒られて、海莉が職員室に乱入したのとか。あとは、あたしの彼氏が浮気した時に、海莉がモップで殴りに行こうとしてくれたこととか。まだまだあるけど、続ける?)


 ニッと笑う波美。

 まるで昨日の出来事のように、鮮やかに蘇る景色。甘くて、愛おしくて、ちょっと恥ずかしい過去。

 私は首を振った。十分だった。

 本当に疑う余地がないくらい、そこにいる彼女は私の大切な友人だった。


「……ねぇ、いつからお化けになったの?」


 聞きたいことはたくさんあった。

 何していたの? どこにいたの?

 彼氏は? 結婚はした?

 なんで、死んじゃったの?

 でも、言葉は出てこなかった。


(やっぱり、私、お化けなんだよねぇ。ねえねえ、どうせならゴーストって言ってよ! かっこいいから)


 ケラケラと無邪気に笑う彼女が憎らしくて。でも、憎みきれなくて。「ゴースト波美」と呼べば、波美は笑顔を深めた。


(で、いつからゴーストになったか、だっけ? んー、いつだろう? 気付いたときには、もうあそこにいたんだよね)


「あそこって、葬儀場?」


(そうそう。で、誰の葬式なんだろ~? って、遺影見たら自分じゃん? びっくりして笑っちゃったよね)


「波美は……、亡くなっちゃったんだよね?」


(え、うん。海莉だって、お花入れてくれたじゃん。顔の近くに)


「病気だったの?」


(ぜ~んぜん。健康体だったよ)


 じゃあ、どうして? とは聞けなかった。なんとなく、聞いたらダメな予感がして。


「いつまで、こっちにいられるの?」


(さぁ?)


「……私について来て良かったの?」


(うん。他に見えてる人もいなかったしねぇ。なんか海莉、質問ばっかりだね)


「それは、そうだよ。だって、」


 だって、私たちには十年間の空白があるのだから。と続けようとした言葉は飲み込んだ。

 代わりに、私は曖昧に笑う。

 ぽんぽん何でもかんでも言いたいことを言い合って、好き勝手に話していた学生の頃が遠い。それが歳のせいなのか、拭えない過ちのせいなのかは、分からない。

 でも、十年ぶりに会った大切な友人は幽霊でした、なんて神様は本当にブラックジョークが好きすぎると思った。


「……お化けと話す機会なんてなかったから」


(だから、ゴーストだって! でも、たしかにそうだよねぇ。あたしたち、別に霊感なかったし。ふっしぎ~)


「そう、だね」


(ねぇねぇ。海莉は彼氏いるの?)


「いないよ」


(え~! いないの?! 久しぶりに海莉と恋バナ出来ると思ったのに! じゃあさ、いつからここに住んでるの? 今日は会社休み?)


「ここに住み始めたのは、退職してからだから、二年前くらいからかな。今は、会社員じゃなくてフリーランスなの」


(かっこいいじゃん、フリーランス! なんの仕事してるの?)


「SEのデザイナー。ねぇ、どこか行きたいとこない?」


(え? 突然、なに? 海莉って出不精じゃなかった? あ、あたし、邪魔だった?)


「違うよ! 邪魔じゃない! 邪魔なわけ、ない。たしかに、出不精でインドアだけど、ただ波美と出掛けたくなっただけで」


 半分は、本当。

 もう半分は、唾と一緒に飲み込んだ。

 仕事の話をすれば、会社員を辞めた話もしてしまう気がして。言いたくなかった。もう、辛い思い出は共有したくない。それに、波美の前では、昔と変わらないしっかり者の私でいたかった。くだらない、小さなプライドに、心のなかで自嘲する。


(そっか~。たしかに、あんまり遊びに行ったこともなかったもんねぇ。でもさ、あたしと出かけたら、海莉は一人で喋る変な人になるよ?)


「それは大丈夫。心の中で話せば良いんだもの。それに、たとえ変な人と思われても良いわ。波美と出掛けられるなら」


(へへ、嬉しいなぁ。じゃあさ、水族館行こうよ! 昔行ったの、覚えてる? あとはー、動物園に、遊園地でしょー? あ、カラオケも良くない? あと、バーも! 一度で良いから、海莉とお酒飲んでみたかったんだよねー。あたし、結構強かったんだよ? 温泉も良いんだけどさ、どう考えても服が脱げそうにないんだもんなー)


 プゥと不満そうに唇をとんがらせた波美は、ぐいっとシャツの裾を引っ張った。


(あーあ。明日になったら、新しい服に変わってないかなー。ずーっと、この格好って飽きちゃうじゃんね。あと、メイクも変えたいなぁ)


 幽霊とは思えない、あっけらかんとした発言に私は笑い、涙した。

 彼女にも私と同じで明日がある。

 そう思えることが、とてつもなく嬉しかった。


(あ、やっと笑顔見せたねー! 良かったー!)


 と笑う波美は太陽のように眩しいのに、目を逸らせなかった。


 幸いなことに、直近に片づけなければいけない仕事は終わっていた。

 波美と話してすぐに、取引先に「しばらくお休みをください」と連絡をした。

 それから、五日目。

 波美は、まだ私のそばにいた。と言うか、一緒に暮らしていた。


 一度だけ、「家に帰らなくて良いの?」と聞いたけど、(別に、いっかなー)と曖昧な笑いと共に返された。境界線を引かれたように思えて、私はそれ以上聞かなかった。

 寂しいけど、すぐに切り替えた。波美を独占出来ると思えることに比べたら、どうでも良かった。


 再会してから、私たちは出掛けまくった。


 泳ぐ魚に心癒されるはずの水族館は、忙しなかった。時間に追われていたわけじゃない。ただ波美が、写真を撮るカップルたちの間に入ろうと画策したり、知らない人の肩に手をだらりと乗せてみたり、並んでいる人に変顔でしてみたりするのを止めていたせいだ。

 本当にヒヤヒヤした。はたから見ると私は一人で慌てたり笑ったり、百面相を始める危ない人だったと思う。

 波美いわく、(心霊写真になってみたい!)とのことで、それならと、私がスマホを撮りだすと逃げ出された。「海莉とは、ちゃんとした姿で写りたいんだもん!」と言う彼女に絆されて、途中から自由にさせてしまった私も、大概だとは思う。


 平日の人の少ない動物園では、たまに幽霊が見える動物がジッと波美を見ていることがあり、ちょっと焦ってしまった。でも、波美は動揺するどころか、そういう動物と目を合わせては、睨めっこの勝負をふっかけて楽しんでいた。

 あまりに一戦が長いので、邪魔をするときもあったけど、大体が引き分けだった。波美は、(十戦十勝! 不戦勝も勝ちは勝ち!)と言っていたけど。


 カラオケで私が歌えば、波美は合いの手を入れまくった。バラードに合いの手はいらないのに、気持ちよさそうな彼女を止める気にはならなかった。

 マイクに声が載らない彼女はオペラ歌手のように口を大きく開けて、胸を膨らませながら歌った。

 拍手を送ると、(結構上手いもんでしょ?)とドヤ顔をするので、私はさらに拍手を送った。カラオケの音と少しズレていたなんて、絶対に言わない。

 綺麗な歌声だったのは、本当だったから。


 クチコミで評価の高いバーでは、波美の分のカクテルも出してもらった。もちろん、彼女御所望のものを。

 最初、グラスの違う二つのカクテルが私の前に置かれたが、私が誰も座らない隣の席にカクテルを移動させると、「もしかして、御影膳みかげぜんですか?」と聞かれた。

 「友人が来たがっていたので」と答えると、「どうぞ素敵な夜を」と店員さんが微笑んだくれた。だが、彼の横に浮かぶ波美が、テンション高く(イケメン! イケメン!)と両手両足を上げ下げして、全身で悶えてるものだから、大人っぽい落ち着いたバーの雰囲気は台無し。

 (こっち向いてー! きゃー! ファンサ!)とか言い出した時は、どこのライブ会場に迷い込んだのかと思った。でも、それがちょっと面白くて、必死に笑いを噛み殺した跡は、今、口内炎になっていた。


(カクテルをさ、シューってテーブルを滑らせてさ、『あちらのお客様からです』みたいなのをやりたかったのに、触れないの本当不便! めっちゃ悔しい! でも、飲めないけど、この雰囲気酔っ払いそうで楽しい!)

 と、赤ら顔で喜ぶ友人を楽しませたくて、私は慣れないお酒をたくさん飲んだ。だから、今日は二日酔いを起こして、頭が痛い。


 本当に楽しかった。

 他の人から認識されないけど、波美は波美だった。

 クーラーを消して、私と波美はフローリングにひっくり返る。波美がもっと外の音を聞きたいと言ったから、窓を開けた。

 硬い床は、ひんやりとして気持ちが良い。


(めっちゃ楽しかったー! 海莉も楽しかった?)

「もちろん」

(良かったー。昔はさ、一緒に遊ぶと帰り際に『疲れた』ってよく言ったから、ちょっと心配だったんだよねー)

「そうだっけ? でも、たしかに遊ぶのって、ちょっと疲れるかも。すっごい楽しいんだけどね、体が」

(ちょっと、ちょっと! まだまだ若いんだぞ、あたしらは!)

「波美は疲れなかったよ?」

(ぜ~んぜん! 超楽しかった! 今なら、不眠不休で遊べそう!)

「それは、私には無理かも」

(だよねー。肉体がないからなのかなぁ? 全然疲れないの。でも、こんなに楽しいなら、生きてるときにもっと誘えば良かったなぁ)

「これから、いっぱい一緒に出掛ければ良いじゃない」

(言うねー、海莉! でも、インドアなのに大丈夫?)

「大丈夫よ。体力は、……これからつけるわ」


 私は横向きになり、波美を見る。

 友人は仰向けのまま、私を見ることなく(良いね、期待してる!)と笑った。

 外の風を受けて、レースカーテンが膨らんでは、しぼんでいく。

 水気を含んだ夏風が、ぺとりと頬を撫でた。

 床は段々とぬるくなる。

 沈黙が苦痛じゃない。

 気を許せる相手と一緒にいる居心地の良さに、じんわりと心が安らいでいく。

 アナログ時計の秒針が、チクタクと聞こえる。近くの道路を走る車の音と、シャワーのように降りそそぐセミの鳴き声が、暑さを強めていた。


「ねぇ、波美。他に行きたいところはない? 会いたい人とか」

(う~ん。会いたい人には、式場で会えたからなぁ)

「じゃあ、見たいものとかは?」

(そりゃ、新作コスメとか、洋服は見たいよねー! でもさ、結局変わらなかったからさ、服。脱げないし。まあ、お金持ってないから、そもそも買えないんだけどね!)


 ケラケラと笑う声に、初めて寂しさが滲んでいる気がした。ごめんというのは、多分、違う。私は投げ出された波美の手を握ろうとして、フローリングの固い感触に弾かれた。

 もう、彼女に触れることは出来ない。

 彼女の体温は、二度と存在しない。

 それでも、良かった。波美は、ここにいるのだから。


「ねぇ、」

(あたしたちって、ちっぽけな存在じゃない? 宇宙の歴史から見たらさ、砂時計の砂にすらならないくらい)

「え、うん。急にどうしたの?」

(あたしさ、自分が太陽だと思ってたんだよね。でも違った。月だったんだ。誰かに照らされないと、光れない)


 彼女の言いたいことが、理解出来なかった。そんなことないよ、と言いたかった。

 あなたは私の太陽で、灯台で、北斗七星だったと。

 でも、彼女の心を知りたかった私は、黙って、話の続きを待つ。


(あたし、何かになりたかったんだよね。でも、何者にもなれないって気付いちゃってさ。子どもも産めないし、社会貢献とか出来ないし。税金納めてるだけで、社会貢献だって、人には言われたけどさ)


「……結婚してたの?」


(うん、二年前にね。でも、離婚したよ。あたし、子ども産めない体だったから)


「え? それ、ひどくない? 子ども産めないから、別れろって言われたの?」


(まさか! 全然違うよ! 元旦那は、めっちゃ良い人でさ。まじ、神だったの。見た目は魔王補佐官って感じなんだけど。二人だけでも生きていこうって言われたんだけど、あたしがあの人の未来を奪うのが嫌で、別れてもらったの)


「……そんなに、好きだったんだ」


(うん、大好き)


 ズキリと胸が痛む。羨ましかった。

 だからだと思う。

 意地悪く、私の口を突いて出た言葉は。


「それで、死んじゃったの?」


 彼女の顔が強張ると思った。

 自分が最悪なのは分かってた。

 どんな視線でも良いから、私を瞳に映して欲しかった。でも、彼女の目は天井を見たままだった。


(全然、違うよ。ただ、何者かになりたかっただけ)


 友人の言ってることが、分からなかった。


「何かになりたくて、死んだの?」


(もちろん、死ぬつもりはなかったよ。結果として死んじゃっただけで、さ)


「どういうこと?」


(人助け、なのかな。小学生くらいのがね、目の前で線路に落ちたんだ。で、何も考えずに助けに行ったら、死んじゃった。

 知ってた、海莉? ああ言う時って、先に緊急停止ボタンを押すべきなんだよ。分かってたんだけどさ、気がついたら体が動いてたんだよねー。で、ホームの下にある避難場所にその子を入れたところで、ジ・エンド。死んだところを見ると、私は間に合わなかったんだろうねぇ)


 まるで他人事のような、あっけらかんとした口調。

 ようやく交わった彼女の瞳には、誇りに満ちていた。


(海莉はさ、順番を間違っちゃダメだよ)


 ニッと笑う彼女が、腹立たしかった。

 私は彼女の胸を思いっきり叩く。ドンッと、硬い音がした。私の手は、フローリングを叩いていた。

 それが無性に悲しくて、悔しくて。ジンジンと痺れるまで、私は彼女の体を叩き続けた。ドンドン、と虚しいを響かせて。


「なんで、そんなことをしたの! なんで! なんで、そんなので自分の命を無駄にしたの!」


(無駄って、ひどいなぁ。だから、何者かになりたかったんだって)


「それで、死んだら元も子もないじゃない! 波美は、物語のヒーローでもないんだよ?!」


(痛いとこを突くよね、海莉って。でもさ、じゃあ、海莉だったら目の前で死にそうな人を助けない?)


「……助けない。私には、そんな勇気も優しさもないもの。救援を呼ぶくらいは、するかも知らないけど」


(優しさ、ね。死にそうなのが、あたしでも?)


「そんなの、」


 助けるに決まっていた。

 命を賭しても、私は彼女を助けるだろう。

 それで私が死んだとしても、波美を助けられずに二人とも死んだとしても、構わない。彼女に手を伸ばしたことを誇らしくすら思うだろう。

 むしろ、私は喜んで死を受け入れると思った。だって、死が私たちを別つことがないのだから。


「……その質問はズルいよ」


(ははは、ごめんね。言うと思った。正直さ、海莉が、どうしてそんなにあたしに良くしてくれるのかは分からないんだ。

 でも、最初にあたしを救ってくれたのは海莉だったから、だから、あたしもそれを誰かに返したかったのかも。そうすれば、あたしは何者かになれるって)


「なにそれ……。私、波美に何もしてないよ……」


(したんだよ。初めて会話した時、あたし、ちょっとグレてたの覚えてない? 両親が弟ばっかり構ってさ。

 何でもかんでも『あんたは、おねぇちゃんなんだから』で済まされて、なりたくて『おねぇちゃん』になったわけでもないのに、勝手に我慢を強いられるし、好きなものは独占出来なくなるし。

 そもそも、なんで子どもが出来るかも分かる時期だったしさー。もう、なんか気持ち悪くて。生理的嫌悪ってやつ? で、まあ、むしゃくしゃしてたよね)


「そういえば、そうだったかも?」


(だから、海莉の代わりに消しゴムを拾ってもらったのも、グチグチ偉そうな教師を見下ろしたかっただけだったし。

 まあ、今にして思えば、あたし最悪だったなーって思う。でもさ、そんな自己満足にさ、わざわざお礼を言いに来た海莉を見て、なんか変わったんだよ。おっかなびっくりだけど、ちゃんとあたしと目を合わせてくれる海莉にさ。

 上手く言えないけど、ああ、あたしを見てくれる人もいるんだって。嬉しくなっちゃったんだよねー。ほら、私って単純だからさ)


 信じられなかった。でも、波美の言葉だから信じられた。

 たった五年間の関係で、彼女からもらったものは数え切れない。

 そのうちの一つは、今でも私の中で一番星のように輝いていて、きっと最期まで抱いて持っていくだろう。


「……ねぇ、波美。覚えてる? 私が、出掛けられない時期があったの」


(出掛けられない? 出掛けたくない、じゃなくて?)


「私、中三の時にいじめられてたじゃない? 覚えてない? あの時は、いつ誰に悪口を言われて、指をさされて笑われているか分からなくて。怖くて、怖くてしかたなかった。ずっと耳を塞いで、俯いて。もしかしたら、一生こうやって生きていくのかも知れないって。もう死にたいって、死んじゃいたいって、何度も思った」


(……あったねぇ。あの、胸糞悪い連中ども。あいつら、今ものうのうと生きてんのかなぁ)


「波美、言葉遣いが悪いよ」


(だって、むかつくじゃん。海莉は苦しんでたのに。きっと、今も苦しんでるのに。どーせ、平然とのうのうと生きてるんでしょ。あーあ、天罰下んないかなー。蚊に局部を刺されろー! ラブホの前で、親に会って気まずくなれー!)


「なにその天罰、限定的すぎる」


(だって、今、「死ね」とか言えないじゃん。ゴースト波美なら、それくらい出来そうじゃない?)


「ゴースト波美、強すぎるよ」


(まぁね!)


 ドヤッと頬を持ち上げる波美が、おかしすぎて。

 私は、腹を抱えて笑う。

 アハハ! と私と波美の笑い声が部屋に満ちていく。

 辛い記憶は変わらない。傷ついた心は完全には戻らない。それでも、波美がいてくれた記憶が、そこに少しだけあたたかさを混じえてくれる。生きたいと思わせてくれる。


「波美がいたからね、私は今も生きているし、外に出掛けるのも悪くないって思えているんだよ? 『誰と会っても、海莉はあたしが守ってあげる! だから、一緒に出掛けようよ!』って、言ってくれた時から、波美は私の太陽で、永遠のヒーローなの」


 波美の目が大きく見開いていく。

 水の膜を張ったような彼女の瞳に、私が映った。


(……そっか。あたし、波美のヒーローだったんだ。何者かになれてたんだ。あたし、無価値な人間じゃなかったんだ)


「無価値なんかじゃないよ。波美は、私の一番大切な、友だちだよ」


(すっごい嬉しい。えへへ。なんか、めっちゃ照れるね。あたし、最後に海莉と会えて良かったなぁ。死ななきゃ、一生聞けなかったもん)


 頬を染めて照れたように笑う彼女は、綺麗で、儚くて。どうしようもなく、悲しくなった。

『死ななきゃ』なんて、言って欲しくなかった。『最後』なんて、聞きたくない。

 後悔ばかりが、先に立つ。

 どうして、もっと早く会わなかったのだろう。どうして、ごめんの一言を伝えなかったのだろう。どうして、喧嘩なんてしてしまったのだろう。


(ねえ、海莉。あたしら、なんで喧嘩してたか、覚えてる?)


 私は黙って首を左右に振った。

 もう、彼女には正直でありたい。

 もう二度と、喧嘩別れなんてしたくなかった。

 どんなに責められても、きちんと謝ろうと思った。


(そっかー。実は、あたしもなんだよね。覚えてないの)


「波美も、覚えてないの?」


(うん。なんか、すっごくムカついたのは覚えてるんだけど、何があったのかは覚えてないんだよね)


 身構えていたのに、肩透かしを食らった気分になる。

 波美がおもむろに起き上がって座る。正座だった。


(だからさ、あんまり誠実とは言えなくて、ごめんなんだけど)


 波美の両手が、勢いよく合わせられる。

 パンッと、聞こえないはずの音が聞こえた気がした。

 両手を掲げ、ブンッと勢いよく上半身ごと折り曲げた波美は、頭を下げて


(本当、ごめん!! 本当、謝れなくて、ごめん!)


 と、叫んだ。

 慌てて、私も正座になる。


「待って、待って! それなら、私の方こそ、ごめんなさい! 何がごめんなのかも、もう分からなくてごめんなさい。連絡もしなくて、本当、ごめんなさい。謝りたかったのに、これ以上嫌われるのが怖くて、何も出来なかったの。ただ、波美が幸せであれば良いって。幸せに波風を立たせたくなくて、臆病でごめんなさい」


 もう、そこからは謝罪合戦だった。

 お互い一歩も譲らない攻防戦。

 絶対に謝り通すと思っていたのに、波美が提案したジャンケンに私が負けて、彼女の謝罪を受け入れてしまった。世界で一番平和な終戦だったと思う。


(あー、もう、めっちゃ疲れたー! あたしら、何してんだろ)


「本当にね」


 再びフローリングの床に寝っ転がる。

 ひとしきり笑うと、波美はふうっと息を吐いた。


(あのさ、海莉。最後にお願いして良いかな?)


「最後と言わず、何個でも何度でも良いよ。私に叶えられるものは、叶えてあげる」


 むしろ、最後なんて言って欲しくなかった。


(さすが、海莉チャン! じゃあ、お言葉に甘えて、たくさんお願いしようかなー)


「どんと来い、だよ」


 へへへッと笑った波美が、コロンと私の方に向く。


(両親にね、産んでくれてありがとうって伝えて欲しい。それから弟には、生還できるヒーローになれって。あとは、あたしの元旦那に愛してたよって。いや、これはいらないか。うん、やっぱり今のはナシで!)


「波美、そんなの聞きたくない……」


 耳を塞いで、目を覆ってしまいたかった。

 でも、波美の声を、姿を、一秒でも逃したくなかった。


(ねぇ、海莉。これからも、もっと出掛けて欲しい。そんで、次会ったとき、あたしにいーっぱい思い出話を聞かせてよ。これが、あたしの最後のお願い)


 波美がニッと笑う。

 覚悟を決めたような、もう未練なんてないような笑顔。

 耐えられなかった。


「そんなの、私とずっと一緒にいて、一緒に出掛ければ良いじゃない。どうして、なんで、そんなこと言うの」


(もう一緒にいれないからだよ、海莉。心残りも消えたからね。もう、舟に乗らないといけないの。手招きしてる、あたしが最後の乗客だって)


「やだ、嫌だよ! 波美!! 行かないで!」


(大丈夫だよ、海莉。あたし、ずっと待ってるから。閻魔さまの補佐官になって、海莉と一緒に天国に行けるよう、向こうで偉くなってみる。そしたら、今度は天国で出掛けようね)


 話しているうちにも、波美の体がどんどんと透けていく。

 フローリングの色が、線が見えるくらいに。

 慌てて波美に抱きつこうとして、バランスを崩した。べしゃんっとみっともなく、体が床に叩きつけられる。


 (ちょっと、大丈夫ー?)


なんて、笑う波美の声。ズキズキと痛む顔を上げれば、足元から消え始めた彼女の体は、もう顔しか残されていなかった。


「待って、波美!!!」


(またね、海莉。大好きだよ)


「波美!!! あたしも世界で一番、波美が大好き!! だから、だから待ってて!」


 私は泣き叫びながら、無理矢理にでも笑った。

 彼女の中で最後に残る顔は、せめて笑顔でいたかった。


 そうして、波美は消えた。

 赤いピアスだけを残して。






 泣き喚くだけ泣き喚き、気付けば夜になっていた。電気も付けず真っ暗ななかで、ずっと泣いていたらしい。

 目が腫れて、喉も痛い。鼻の下もガビガビになり散々な姿で、私は床に転がった。

 どうでも良かった。

 寝れば、夢だったと思える気がしたから。

 そんなわけないのに。

 そんなこと、微塵も願っていないのに。


 何度も何度も起きては寝るを繰り返していたが、明け方には、完全に目が覚めてしまっていた。

 背中と腰が痛い。部屋は蒸し暑くて、頭がぼんやりした。

 むくりと起き上がり、立ち上がる。フローリングに伸びる一人分の陰を見て、ツーっと頬が濡れた。ポタリと涙が床に落ちる。

 

「朝日は、希望に溢れていると思ってたのにな……」

 

 目元を拭い、床に置きっぱなしのバッグからスマホを出した。

 バッテリーは二十パーセントを切っていた。波美といるときは放置していたせいで、メールと着歴、SNSの通知が見たことのない数になっていた。

 私は近所の皮膚科を検索し、オンラインで予約を取る。今すぐに、波美の置いて行ったピアスをしたかった。


 耳に穴を開けるのは、思ったほど痛くなかった。それよりも、すぐには波美のピアスを着けられないことがショックだった。耳にジクジクとした痛みを感じながら、私は波美の願いを叶えるべく、私は動き始めた。

 最初に向かったのは、彼女の実家だった。

 葬儀のハガキを手に顔を出すと、驚かれつつも歓迎された。家には、波美の気配が至る所にあって、何度も視界が滲みかけた。

 出されたお茶とお茶菓子をいただきながら、たった五日間の波美との出来事を私は話した。信じてもらえないかも知れないと思ってた。でも、彼女の伝言を伝えた途端、波美の両親は崩れ落ちた。「波美、波美」と呼ぶ声が、私の胸を裂き、気付けば私も一緒になって泣いていた。


 彼女の元夫や、助けた子のところへは行かなかった。彼女が求めていなかったから。

 彼らが気にならないわけでもなかったけど、私から会おうとは思わなかった。


 波美のピアスを着けられるようになると、私は次の行き先を考えるようになった。

 仕事は、パソコンとネット環境があれば続けられる。幸いにも、少しなら貯金もある。


「まずは、日本全国制覇かな」


 すぐに始まった果てのない旅。パソコンとポケットWi-Fiを片手に、津々浦々。出不精だったのが嘘みたいに、フットワークが軽くなった。


 新しい風景に、知らない風習、そこで暮らす様々な人たち。一日の終わりには、空に向かって波美に報告する。

 楽しいかったことや、美味しかったご飯、人の優しさに触れた話。

 稀に、アンラッキーなこともあった。そんなときは、波美に愚痴った。

 そのうち、絵日記も書くようになった。

 そうした方が、良く思い出せるからだ。

 人に見られることを意識した日記は、今でもなれないし、少し恥ずかしい。


 ここ最近は、アパートの家に帰ることもめっきり減った。季節に一度、掃除と換気のために帰るくらいだ。

 家賃が勿体無いとも思ったこともあった。でも、波美と最後に過ごした場所を残す意味で、今も契約を続けている。


 もうすぐ、彼女が消えて三年。

 

 裸足になった私は砂浜に座り、綿菓子の雲が浮くロゼワインの夕空と白波がラインダンスをする海を眺める。

 鼻から吸った空気は、潮の香りがして心地良い。

 夫婦岩の間を抜けていくように見えるのは、客船だろうか。

 線香花火のように、太陽はゆるりと海へと落ちていく。

 あれから、彼女の声が聞こえたことはない。

 それでも、問いかけてしまう。

 

「ねぇ、波美。明日は、どこに行こうか?」

(どこでも良いよ、海莉となら)


 湿った夏風に、彼女の声が聞こえた気がした。

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