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第三話

 初めての顔合わせでペリシエ侯爵家を訪れたとき、アランはその上腕三頭筋だけでなく、顔も、性格も完璧である事を知った。


 庭に設えられたお茶席に着いて顔を上げると、正面に座るアランはコバルトの奇麗な瞳が印象的で、その表情はがっしりとした男らしい体つきとは裏腹に、穏やかでとても優しげだった。その端正な顔で柔らかな微笑みを向けられたから、胸がドキリとして思わず鼻の状態を確かめてしまった。幸いにも、小鼻は常と変わらなかったけれど。


 お茶を振舞われた後、ペリシエ公爵家の庭を案内されたが


「近衛は男所帯なので、貴女のように麗しい御令嬢と連れ立って歩く経験はあまりないのです」


 そう言って顔を赤らめるアランに、セリーヌは思わずキュンキュンしてしまい、二の腕以外に心が動く自分に驚いていた。


「歩く速さは、早すぎませんか?」

「えぇ、大丈夫ですわ」


 アランは歩幅を完璧に合わせてくれて、その上、細々と気を遣ってくれた。


「この先、小さな段差がいくつかあります。危ないので、どうぞ私の手を取ってください」

「ありがとうございます。優しいお気遣い、とってもうれしいですわ」


 だからセリーヌも、彼のエスコートに甘えてお淑やかにお礼を述べた。でも心の中の彼女は、ギュッと歯を食いしばりながら必死に自らを律していた。


 ”ダメよ、見てはダメ。直接見てしまったら我慢できなくなる。今は我慢、我慢…”


 今、その太い腕が彼女の顔のすぐ横にある。でもそれを見てしまったら、間違いなく鼻がはしたない事になる。


 ”今は観賞も我慢よ。どうせお触り出来ないんだし。だから今目指すのは、婚約を結んでその所有権に一歩近づくことだけ”

 

 そう自分に言い聞かせ、その筋肉の存在をただ感じるだけに止めた。


 でもそんな心の激しい葛藤をおくびにも出さないセリーヌは、今はアランに屋敷の中を案内してもらっていた。


 洗練された調度で飾られた客間に入ると、その壁に古びた一枚の肖像画。そこにはペリシエ侯爵とアランの兄たち、そして幼い子供を膝に抱いた一人の女性が描かれていた。アランはその幼子を指さした。


「幼い頃の私です。そしてこれが私の母です」


 そこでセリーヌの表情が、一瞬小さく固まった。


「優しそうなお義母様ですわね」


 にっこり微笑んで答えたけれど、その肖像画の侯爵夫人の小鼻はふっくらと膨れていて、まん丸な鼻の穴が覗き見えていた。元々そういうお顔付きなのだろうけれど、その鼻の形が、ムフフな時のセリーヌのそれに余りにそっくりだったのだ。


 そんな小さなハプニングもあったけれど顔合わせは成功裏に終わり、そうしてセリーヌとアランの婚約は滞りなく成った。婚約後、二人は夜会や茶会に連れ立って出かけたが、立派な体躯に甘いマスクを持つアランと、気品に溢れる美しいセリーヌは、どこに行っても羨望の眼差しを向けられて


「正に完璧カップルね」


 程なくそんな風に呼ばれるようになった。



 ***

 

 

 アランはヴェリテ家を頻繁に訪れてくれたが、今日はセリーヌがペリシエ家に招かれた。そして二人で穏やかに紅茶を楽しんだあと庭を散策し、途中でガゼボに寄って休憩をとった。


 初夏の清々しい午後で、心地よい微風が気持ちいい眠気を運んできたから、隣に座るアランがウトウトと微睡だした。ガゼボの壁に背を預け、目を閉じて、腕を組んで。その姿を見て、セリーヌの胸が早鐘のように高鳴った。


 鼻の穴が拡がるリスクを避けるため、結婚するまで我慢我慢と、これまで上手にその二の腕を意識しないよう努めてきた。でも今は、組んだ腕のシャツがピチピチになっていて、そしてその薄い生地の下で、あの上腕三頭筋がその存在を誇示している。


 “寝た?寝てるかな?寝てるよね?”


 その端正な寝顔をじっくりと確かめてから、恐る恐るその腕をツンツンしてみた。適度な弾力が美味しそう。


 “起きない?起きてないわよね?”


 今度は指先で筋肉を触ってみると、それに反応してピクンと硬くなったから思わず指を離した。


 ”…大丈夫、まだ寝てるわ”


 じっと寝顔を確認してから、今度は指でスリスリしてみる。暖かくて、硬いのに適度な柔らかさも併せ持つ不思議な感触。


 “うへへ、たまらん…”


 今度は両手でモミモミしてみたら、セリーヌの小さめの手のひらに溢れるほどの肉厚な感触に


 ”あかん、もう限界、我慢できひん”


 思わず頬をスリスリとすり付けだした。


「セリーヌ?」


 はっと顔を上げると目がパチリと合った。直後、アランの瞳に驚きの色が走る。


「きゃぁ!」


 短い悲鳴をあげて、セリーヌは顔を両手で覆い隠して俯く。


「セリーヌ、今のは…?」

「ご、ごめんなさい!」


 “まずい、見られた?”


 顔を覆う手の感触から、鼻の穴がモッソリと拡がっているのがわかる。


「今のは…」


 “でも一瞬だったから見られてないかも”


「今の…」


 ”お願い、見られてませんように…“


「今の鼻の穴はなんだ?」


 ”あかーん、オワター“


 あのまん丸の鼻の穴を見られたら、完璧令嬢のイメージはガラガラと崩れ去ったはず。そうしたら失望されて婚約も破棄される。


 ”さよなら私の婚約者、さよなら私の幸せな結婚、いやそれよりも、さよなら私の理想の上腕三頭筋“


「何だ?今の美しい鼻の穴は?」


「へ?」


 思わず間抜けな声が出て、顔を上げるとアランがうっとりとした顔でセリーヌを見つめていたから驚いた。でもその一瞬の後、彼の顔がサッと青ざめるのが分かった。


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