第一話
緑の芝生に設えられた茶席で、完璧令嬢と名高いセリーヌ・ヴェリテ侯爵令嬢は、その呼び名に恥じぬ完璧な所作でお茶を口に含んだ。ついさきほどまで同じ席にいた令嬢たちは、今は目の前の柵に身を乗り出して、その先に熱い視線を向けている。
「まぁ、あの方、なんて厚い胸板なんでしょう!」
「えぇ、抱きしめられながら頬ずりしてみたいわ!!」
「うふふ」「おほほ」
彼女たちの視線の先で、訓練用の軽鎧を身にまとった騎士たちが、腕や足を露わにしながら並んで剣の型練習をしていた。
セリーヌは、上質な紅茶の良い香りが鼻からふっと抜けたのに満足して、瞼を閉じるとそのままその顔を横に向けた。すると、後ろに控える侍女が音もたてずに近寄ってきた。
「美味しい紅茶。さぞかし、研鑽をお積みになったのですね」
今日のホストであるバルビエ伯爵家の侍女が、丁寧な礼をしてその言葉に応えたが、彼女の頬がほんのり上気した事はセリーヌには見えなかった。
「みてみて、あの方、なんて太い腿なんでしょう!あなたの腰より太いんじゃなくて?」
「あぁ、あんなおみ足に抱き付いてスリスリしてみたいわ!」
「うへへ」「あはは」
今日はバルビエ伯爵家のマドレーヌ嬢に誘われて、近衛騎士団の訓練を見学に来た。
彼らは王城を守るエリート集団で、魔物暴走と呼ばれる魔物の大量発生の際には、王国騎士団と共に王都を守る役目も担う。
普段は王城内の訓練場にいるが、ふた月に一度、この王都郊外の訓練場で訓練を行う事になっていて、それを見学に来た人々の茶席が彼方此方で広げられていた。その参加者の殆どは、マドレーヌ嬢のように結婚相手を探しに集まる若い令嬢たちだった。
婚約者のいないセリーヌが、マドレーヌ嬢の招きを受けたのは今日が初めてだ。ここに通い浸る令嬢のグループの中でも、彼女たちはマッチョ大好きな肉食系女子だと小耳に挟んでいた。
「ヴェリテ様、お茶のお代わりをお入れしましょうか?」
完璧令嬢と呼ばれるに相応しい洗練さで、しかも他家の使用人にも労いの言葉をくれる優しさに感激しつつ、侍女が尊敬の眼差しでセリーヌの横顔を伺う。
「えぇ、お願い」
すると侍女は、これまでの知識と経験を総動員してお茶を淹れ始めた。
「見事なお点前ね」
そうセリーヌから言葉を掛けられて、顔が綻びそうになるのを必死にこらえながら、侍女は渾身の紅茶をそっと差し出した。
「それなのに残念だわ」
誰も居ない席の冷めた紅茶を見やりながらセリーヌがため息をついたから、侍女は完璧とは程遠い我が主の後ろ姿をガッカリした目で見つめた。
「みてっ、あの方の太い腕を!」
その主からはしたない嬌声が聞こえた刹那、場に不釣り合いな殺気にも似た鋭い気配を感じて思わず見回したが、セリーヌが完璧な動きでティーカップを口に運んでいるだけだったから、気のせいかと思い直して後ろへ下がった。
「すごいわ、あの方の力こぶ!」
「えぇ、あの硬そうな力こぶをモミモミしてみたいわ」
「ぐへへ」「うひひ」
セリーヌは、これも完璧な所作でティーカップをソーサーに戻すと、サッと扇子を広げてその口元を素早く覆った。その動作も、凛としてまるで芝居の一シーンのようだ。だから彼女の心の内に滾る熱情に、そこにいる誰も気が付かなかった。
”さっきは危なかった…思わずマドレーヌさんの言葉に反応してしまったけれど、隣に侍女の娘が居るのを忘れてたわ”
セリーヌは扇子で顔の下半分を隠しながら周りの気配を探る。
”人の気配無し、こちらを見る目も無し”
安全を十分確認してから、セリーヌはマドレーヌ嬢たちの視線の先をもう一度凝視した。そこには一人の、美丈夫とも言える立派な騎士。汗の雫を迸らせながら木剣を振り上げ、振り下ろす、その逞しい姿。
”さすがマドレーヌさん、見込んだだけの事はあるわ。これだけいる殿方の中から、良い物件を見つける能力はズバ抜けてるわね”
視線を再度ティーカップに戻すと目を閉じて、たった今、脳内にキャプチャーした画像を呼び出すと、瞼の裏にあの騎士の逞しい姿が映し出された。
”でも分かってないわね。殿方の魅力は胸板の厚さでも、腿の太さなんかでも無いわ”
セリーヌの脳内で画像処理の演算が高速で行われ、余計な情報が次々と切り捨てられてゆく。
”割れた腹筋でも、盛り上がった肩でも、腕を上げたときの背中の筋肉でも無いし、モッコリ膨らんだふくらはぎであるはずも無い。ましてや力こぶなんかじゃ無い、断然無い”
そして最後に、ズームアップされた騎士の逞しい二の腕が映し出される。
”あぁ、殿方の一番の魅力はやっぱり上腕三頭筋“
素晴らしい。本当に素晴らしい。
”それにしても、この方の筋肉は完璧だわ!まさに完璧な上腕三頭筋!!”
セリーヌは、見事に発達した二の腕の画像を見ながら、身悶えしてキャーキャー叫び声を上げた。もちろん心の中だけで。