古き森
その日、バードは色々と後悔をしていた。
先日ギルドに鉈を預けてしまっていた事。
屋台の酔っ払いから下らない噂話を聞いてしまった事。
迂闊にもその話を姉にしてしまった事。
異様な食い付きで姉と古き森へと行く事になってしまった事。
詳細を確認する為に安屋台でグダる男を探し夜の街を走った事。
自身の弓を強化させる為に木材を探しに行こうとは考えていたし、
思っていたより散財したので狩りの間隔はあまり空けたくはなかったのもあり、
早めに行こうとは思っていたものの……
先日の狩りの疲れを癒す間も与えずに
外壁の外へと出る事になるとは。
背には弓ではなく背負子。
腰元には使い慣れた鉈ではなく、やたら刃の欠けたノコギリ。
非常に心許ない。
「バー坊!おっそいよー!」
少し前を歩くのは元気溌溂の黒肌の女性。これである。
「いや、クロエ姉さん。昨日の今日で……」
「ほんとバー坊は昔っから!疲れた疲れたって親父臭い!
まだ若いんだから!おじいちゃんより親父臭い!」
プリプリと発破をかけられる始末。
それは二日酔いに染みた。
「巨獣は兎にも角にもしても、鳥ですら今は怖い。
やっぱ今から戻ってギルドから鉈を借りてきても……」
「ダメ!」
「えー……」
「私は弓を持ってきてる。昨日仕上げた強化弓。
腰にぶら下げた愛用のマイ鉈。切れ味抜群。
アナタ モンダイナイ ワタシ マモル。リカイシタカ?」
片言になりケタケタと笑うバードの姉は
どこまでも自由人だった。
ため息しか出なかった。
恐らく一度もギルドに返却した事の無いクロエ専用鉈は、
鳥だけでなく人の血も吸っているであろう鈍い光がした。
肩に背負う弓は所謂、複合弓の一種である。
持ち手部分はわずかながら木製部分が残るものの
本体を形成する大部分が金属製だった。
それは非常にしなやかで軽く
両先端の先に滑車を携え弦を張っていた。
その張られた弦ですら鶏肉ぐらいは軽く切断出来そうに思えた。
それは強い弦を女性の力でも矢を引けるようにと
彼女の祖父が魔改造した逸品である。
もはや武装と呼ぶレベルの逸品に達しており
持ち主本人よりも他人であるバードがビクビクしうる仕上がりとなっていた。
そこら辺の鳥狩りの奴隷らのレベルを軽く超えている武装。
そして彼女自身の弓の腕はバードよりも上。
それらから導き出される答えは肯定するより他になかった。
「素直でよろしい!」
ご機嫌である。
ため息しか出なかった。
朝日を見上げた空も中天に差し掛かる頃
二人は古き森の入り口に立っていた。
道中にある背の低い草原で
幾羽かの鳥を遠くに目視したが遭遇戦にはならなかった。
こちらは狩人2名。
群れを避けるのは狩人も獲物どちらも同然の事である。
途中で軽い昼食を済ませ
古き森での探索をする事にした二人だったが
その目的はやはりすれ違った。
「それじゃ姉さん。
まずは入り口周辺で良さげな木を俺は探すから。
周辺の警戒をお願いします」
「え?何言ってんの?妖精探そ?」
彼女の瞳からはハイライトが消えていた。
虫を見るかの様な眼差しだった。
何言ってんのコイツ。頭オカシイんじゃないの?
と、副音声すら聞こえた。
「チッ……わかった。
俺が妖精探すから。
姉さんは周辺の警戒をしてくれ」
「ヤッバ!ちょー怖い!すぐキレる若者!」
「………」
バードは気を取り直し姉の言葉を無視する事にした。
弾力のある粘りのある木を探した。
これまで培った勘を頼りに一本一本確かめる。
これは、と思った枝や木を
手に持った頼りないノコギリで引き
それらを背負子に乗せる。
そんな作業の中
ふと視界に入ったのは
複合弓片手にキョロキョロと見渡す姉。
ありがたい。さすが姉である。
いやしかし。
本当に周囲の警戒をしているか?
目線の低さが気になった。
近い距離を伺っているように見えた。
妖精を探しているかのように見えた。
目の色が本気だった。いや馬鹿な。
確かにクロエには残念なところがある。
弟目線から見ても
可愛らしい女性だと思うのは身内贔屓と言うものなのか。
いまだに分からないのだが。
バードが知っているこれまでの彼女の人間関係の中で
特定の男性(いずれ夫になるだろうと思える男性)は存在しなかった。
活発が過ぎる少女が年頃となる頃には
殴り合いの喧嘩相手としての男友達は確かに減ったし
色目で彼女を見て声をかける男友達は増えただろう。
その中で育まれたのは
恋や愛などといった甘い物ではなかったように見えた。
彼女は現実を見ていた。筈だ。
奴隷区分の女性の中では
容姿の良い者は実入りの良い職業
所謂『娼婦』に自ずと身を落とす。
いや、この場合。
この環境では身を落とすとは言わないか。
いつ命を失うのかも分からない
先の見えない鳥狩りの奴隷よりかは
随分と上等で
真っ当な人間らしい職業である。
彼女らには誇りも矜恃もあった。
彼女に言い寄っていた鳥狩りの奴隷の男が居た。
「なぁバード。聞いてくれよ。
クロエに結婚しようって言ったら……
セックスさせて欲しいなら金よこしなって言われた。
もう死のうかな」
その日以来、男の姿を見る事はなくなった。
街のどこかの屋台にいるのだろうが。
そんな男らを量産していく姉の背中を見ていたバード。
女性としての幸せを願う気持ちも無かったわけでは無いが
何故かとても安心した。
自分が置いていかれない事を安堵した。
彼女の屈託の無い笑顔と気持ちを他の誰にも譲りたくない。
こんな気持ちが浮かび、かぶりを振る。
彼女に対する感情は家族や母性に対するものなのか
一人の女性としてなのか判断する事が出来なかった。
だから。ほんの少し。
距離を置こうと決めた。
その距離はクロエと祖父の住む荒屋の隣の隣。
くっそボロい天幕だった。
その天幕は悩みを打ち明け居なくなった男の物だった。
打算的であり現実的。
そんなものらを見据えた彼女が。
まさか妖精なんて幻想を。なんてあり得ない。
いつものように俺をからかって遊んでいるだけだ。
「……バー坊。分かる?この雰囲気。これは居るでしょ。
どう考えても。間違いないよ。私には分かるったら分かるし。
この森、ひゃくぱー居るよ!……妖精さんッ!?」
クロエの口から溢れる息遣い、
そしてその言葉一つ一つに鬼気迫る迫力があった。
あかん。これマジな奴や。
そろそろ帰宅を進言せねばなるまい。
こんな装備のまま森で野営をするなんてまっぴら御免だし。
数日連れ回される恐れすらある。
下手を打ち、妖精を探しに森へ入り帰って来なくなった狩人。
死後にそう呼ばれるのは是が非でも回避したい未来。
そんな最悪のケースに見合われても姉だけ無事で街へ帰る気がする。
何故なら俺が命をかけて守るからだ。
少しだけ誇らしい気持ちになれた。
「そろそろ帰ろうかなー?なんてーー」
バードが恐る恐る振り返り声をかけると……
「ハッ!?向こうから声が聞こえる!行くよバー坊!」
クロエは有無を言わせずに森の奥へと駆けて行った。
アッと言う間もなく消えた。
光の如く駆けるそのスピードと勢いに
二日酔いと疲れで足がもつれたバードは
全くついて行けなかった。
これでも15歳。
妖精を信じる純真な姉は18歳です。