第一章
次の日、私は朝から登城のための準備をしていた。
婚約者と対面なのだ。
最低でも盛装をする必要があるし、用意するにはそれなりに時間が掛かる。
朝からお風呂に入り、使用人たちに念入りにマッサージをしてもらう。
用意されたドレスに黙って袖を通し、鏡の前に座った。
「お嬢様。今日はどんな髪型に致しましょうか」
「なんでもいいわ。好きにしてちょうだい」
「もう、お嬢様ってば、いつもそれなんですから」
笑いながらメイドのひとりが髪を編み込み、ハーフアップにしていく。
私の髪は長く、腰まである。ふわふわしているので、少しまとめた方が見栄えがよくなるのだ。
「元は良いのですから、もっとお気を付けになれば宜しいのに」
「そう言われても、あんまり興味がないんだもの。仕方ないじゃない」
ファッションや化粧。
そういう年頃の娘なら当然持って当たり前の興味が私には殆どない。
礼儀だと思っているから必要なドレスアップはするが、アクセサリーやドレスなど、そのチョイスはほぼメイドたちに一任しているのだ。
メイドたちのセンスは間違いないし、任せることに不安はない。
だからいつも『お任せ』している。
私が面倒だからという理由には目を瞑っておきたい。
「ドレスより、今日の晩ご飯の方が気になるのよ……」
悲しいくらい、これが本音だった。
だけど仕方ないではないか。人それぞれ興味のあるものは違う。
私の場合はそれが全て食に全振りされてしまっただけ……。
今日用意されたのはレースが美しい薄紫色のドレスだった。あまり着ない色に首を傾げていると、メイドたちが言う。
「殿下の瞳の色に合わせてみました。紫色だとお聞きしていますので」
「ああ……なるほど」
「ご婚約者としてお会いになるのですものね。それくらいはしないと」
「ありがとう」
私だって、婚約者となる人に良い印象を持ってもらいたいという気持ちくらいはある。
メイドたちの気配りに感謝しつつ準備を終え、父と母と一緒に馬車に乗った。
「いいな、ロティ。くれぐれも殿下に失礼のないように」
車内で父はしつこいくらいに念を押してきた。それに私も何度も頷く。
「ええ、お父様。分かっています。でも、今日はご挨拶だけなのでしょう? 特に問題があるようなこともないと思いますけど……」
「……」
何故かそこで父が黙り込んでしまった。
何かあるのかと怪訝に思いつつ父を見つめる。詳しく聞き出そうとしたところで、城についてしまった。
「……」
「行くぞ」
私の視線を無視し、父が馬車を降りていく。
母に続き、タラップを降りると美しい城館が目の前にあった。
城の入り口には武装した兵士たちがずらりと並び、こちらを見ている。その目の強さに怯みそうになった。
「ようこそいらっしゃいました。私たちが案内致します」
私たちの前に立ったのは二人の騎士だった。
すらりとした体格の二人は金髪碧眼。
身長も顔立ちも似ているが、片方は眼鏡を掛けていて長髪。もう片方は短髪でニコニコと笑っているという違いがある。
着ている騎士服も違う。
アーノルドが赤を基調としたもの。カーティスは青を基調とした服を着ていた。
二人とも腰に剣をさげている。
父が私に耳打ちしてきた。
「殿下の側付きの騎士だ。覚えておきなさい」
「お二人とも、ですか?」
「これは申し遅れました。僕はアーノルド・ドゥランと言います。こちらは双子の弟であるカーティスです。二人でかれこれ五年ほど、殿下にお仕えしています」
ひそひそ話していたのが聞こえたのか、眼鏡を掛けた方の男性が自己紹介をしてくれた。
ドゥランといえば、武で有名なドゥラン侯爵家で間違いないだろう。
侯爵は国に五つある騎士団の一つで団長を務めているほどの人で、私でも知っている高名な人だ。
その息子たちが王子の側付きというのは納得できた。
「さ、参りましょう。殿下が首を長くして待っておられますから」
アーノルドが人好きのする笑みを浮かべながら先導する。そのすぐ横にカーティスが並んだ。
「そうそう。殿下、あんたが来るのをすっげー楽しみに待っていたから。あんな嬉しそうな殿下は初めて見るっつーか」
「カーティス。言葉遣い」
「えー、別にいいじゃん」
面倒そうに言い、カーティスはケラケラと笑った。
アーノルドが申し訳なさそうに振り返る。
「申し訳ありません。弟はいつもこんな感じでして」
「殿下はお許しになられているのか?」
「はい」
父の言葉に、アーノルドが返事をする。
父は不快そうではあったが頷いた。
「殿下が良しとしていることをこちらがとやかく言うつもりはない」
「ありがとうございます」
話はそれでおしまいになり、あとは沈黙が続く。
二人の背中を追いかけるだけの時間がしばらく続いたあと、部屋に案内された。
アーノルドが振り返り、私たちに言う。
「こちらに殿下がいらっしゃいます。でんかはシャーロット様お一人との面会を望んでおられますのでここからは、ご令嬢お一人でどうぞ」
「えっ……」
いきなりふたりきりで会うことになるとは思わず、私は焦りつつも父を見た。
父も眉を寄せている。
「私は殿下とお会いできないのか?」
「その必要はないとおっしゃられています。公爵様も事前にお話は聞いておられたかと思いますが?」
「それはそうだが……最初の挨拶くらいは」
難しい顔をする父。
しかし事前に聞いていたとはなんの話だろう。
私は何の話も聞いていないのだけれど。
困惑していると、アーノルドが笑みを浮かべながら言った。
「そうそう。言い忘れておりましたが、陛下が公爵様をお呼びです。公爵様にはそちらにいっていただきたいと」
「……陛下のお呼びなら否やはないが」
国王が呼んでいると聞き、父が頷く。
「よかった。それではカーティス。陛下のところまで公爵様をご案内して差し上げて下さい」
「えー、オレが行くの? アーノルドが行きなよ」
「僕は殿下の護衛がありますから」
「それ、オレも同じだよね?」
「カーティス」
「……分かったって」
肩を竦め、カーティスが父に向かう。
「こっちだよ」
「……うむ。ロティ、達者でな」
「はい……え?」
――達者で?
まるでお別れのような言葉を言われ戸惑うも、父はカーティスと共に行ってしまった。
「……」
なんだろう。どんどん不安になってくるんだけど。
「さ、シャーロット様。殿下がお待ちですよ」
「は、はい」
気分的には帰ってしまいたいところだったが、逃げるわけにもいかない。
仕方なくアーノルドが扉をノックするのを黙って見つめた。
「殿下。シャーロット様をお連れしました」