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「ちがう。ルイス、だ。妻となる人に様づけで呼ばれる趣味はない。もっというなら、敬語もいらない。こう、距離の近い、親しい感じでいってくれ」
「……距離の近い親しい感じ……さすがに難しいですね。殿下に対し、友達口調というのもちょっと抵抗があります」
正直に告げると、王子は見るからにがっかりした顔をした。
アーノルドも王子に声を掛ける。
「殿下、この件に関しては、シャーロット様の言い分が全面的に正しいと僕も思いますよ」
「オレも~」
「あなたが言っても説得力はありませんけどね」
「えー」
会話に参加してきたカーティスをアーノルドが睨めつける。カーティスは気にした様子もなく笑っていた。
「いくら言っても、殿下に敬語を使わないくせに」
「だって苦手なんだもん」
「嘘をおっしゃい。やる気になればできることは知っていますよ」
「じゃ、やる気になってないってことで」
どこまでも気楽なカーティスをアーノルドは睨み付けていたが、やがて諦めたのか大きな溜息を吐いた。
「弟がすみません。ですが殿下、殿下も多少は譲歩するべきかと」
「ふむ。そうだな」
王子は頷き、私に言った。
「……それなら、せめて名前だけでも呼び捨てで頼む。外では無理だというのなら、この館内だけでも構わないから」
「わかりました」
四人しかいない館の中だけと言われ、同意した。
この面々ならもういいかと思ったのだ。
まだ会って一日だということは分かっているが、気づけば私は彼らにあっという間に馴染んでしまった。そのせいか、どうにも気が緩み、被っている猫が簡単に剥がれ落ちてしまう。
あまりよくないことだと分かっているけれども、「どうせ一緒に暮らすのだし」と思うと、晒せるものは最初から晒しておいた方がいいのかもとも思ってしまう。
その方が今後気楽だし――。
そんな風に考えていると、王子――ルイスが嬉しそうな顔で私に言った。
「ありがとう、ロティ。嬉しい」
「こちらこそ。ご迷惑をおかけすると思いますが、末永くよろしくお願いいたします、ルイス。……んんんっ」
――なんだこれ。
ルイスの口から紡がれる自分の名前が恥ずかしい。
照れくさい気持ちを隠すつもりで、私も彼の名前を呼んで見たが、逆効果だった。
じわじわくる。呼ばれるよりも呼ぶ方がずっと恥ずかしかった。
「えっ……あ……」
ルイスも似たようなものだった。
このタイミングで名前を呼ばれると思っていなかったのか、一瞬きょとんとしたルイスだったが、頬を赤く染めていく。
誤魔化すようにポリポリとその頬を掻いた。
「……これは、なんというか……照れるな」
「はい、照れます」
お互い真っ赤になりながら話すのが恥ずかしい。
ルイスは視線を宙に彷徨わせながらも真面目に言った。
「君に呼ばれた時、胸の辺りを掻きむしられるような気持ちになった」
「私は叫び出したいような気持ちになりました」
正直に告げると、ルイスは「確かに」と頷いた。
「なかなか得難い経験だ。だが、こういう積み重ねが私たちには必要なのだと思う。恥ずかしいだろうが我慢してくれ。私も同じなのだから」
「分かりました」
これも良い夫婦となるため。
長い人生。これから共に生きる人と仲良くありたいのは当然のことだ。
二人でうなずき合っていると、カーティスが小声でアーノルドに言った。
「……アーノルド。なんかあの二人、ボケボケなんだけど」
「しっ、だまらっしゃい。おふたりがあれでいいと思っているのですから、僕たちが口出しすることではありませんよ」
「いや、確かにそうなんだけどさあ。突っ込み不在のやり取りって見てると『がああああ!』ってならない?」
「……黙秘します」
突っ込み不在のやり取りってなんだ。
一応こちらに聞こえないよう小声でやりとりしているようだが、ばっちり聞こえているので意味がない。
食後のお茶も飲み終わったので、ルイスに挨拶をし、自室に戻ることにする。
退出許可をもらって立ち上がると、ルイスが「そうだ」と何かを思いついたように言った。
「ロティ、ひとつ尋ねるが、入浴はするのか?」
「? はい。その予定ですけど」
確認したのだが、寝室の奥には浴室があったのだ。
覗いてみると浴室部分は新しかったので、私を迎えるにあたり改築したのかもしれない。
浴室は小さく、おそらくひとり用なのだと思う。
洗い場と浴槽があったが、なんとか入れて二人、というところだろうか。
世話をする人がいないのだからそれで十分なのだろうけど。
「ひとりで入浴というのは初めてですが、何事も慣れですから頑張ろうと思います」
昨日までなら入浴には何人ものメイドがつき、私の世話をしてくれた。
それが当たり前だったけれど、今日からはひとりだ。髪を洗うのも初体験だが頑張らなくてはならない。
「ふむ……」
私の言葉を聞いたルイスが、考え込むようなポーズを取る。
そうしてとんでもないことを言い放った。
「君さえ良ければ、私が入浴を手伝おう。考えてみれば公爵家の令嬢に一人で入浴しろというのはさすがに無茶な話だった。世話をすると言い出したのは私なのだから責任は取る」
「へ……?」
入浴を手伝う?
ルイスが? 私の?
あり得なさ過ぎる言葉を聞き、硬直した。
私が固まったことにも気づかず、ルイスが何かを思い出すような顔をする。
「何、髪を洗うのは得意なんだ。……昔は妹によくやっていたからな」
「妹? ルイスに妹なんていらっしゃいましたか?」
彼はひとりっこだったはずだ。
国にただひとりの王子で兄弟はいない。それなのに『妹』という言葉が出たのが不思議で思わず尋ねると、彼はしまったという顔をした。
「い、いや、なんでもない。ちょっとした言葉の綾だ。……私に妹はいない」
「……」
少し寂しそうに言われ、それ以上深く尋ねるのは止めておくことにした。
聞いては不味いような、そんな気がしたのだ。
「そ、そうですか。えと、手伝いは結構です。その……男性に入浴の手伝いをしてもらうというのはさすがに抵抗が……」
「? 君と私は婚約者だろう? 何が問題なんだ?」
「それはそうなんですけど……」
頼むから、そんな「分からない」という顔をしないで欲しい。
確かにルイスの言うとおりかなとも思うが、婚約者だからといって、いきなり入浴の手伝いなんてされても困るのだ。




