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「えと……その」
「……そんなに急いで出てこられなくても良かったのに。……もしかして、相当お腹が空いていらっしゃいますか?」
「う……そうです」
痛いところを突かれ、一瞬否定しようとしたが、そもそも王子の『美味しい食事』に引っかかった身であることは知られている。ここで否定することに意味はないと気づいた私は大人しく頷いた。
「ええと、とても楽しみにしていましたので……」
「……」
まじまじと私を見つめたアーノルドは、ぷっと噴き出し、酷く楽しそうに言った。
「そうですか。それは殿下もさぞお喜びになられるでしょう。ええ、ええ、さすが陛下です。あの方は殿下がどのような方を望まれているのか完璧に理解していらっしゃる。あなたはまさに殿下が求めていた女性、そのものですよ」
「は、はあ……」
褒められているのか貶されているのかよく分からない言い方だ。
微妙な顔をしていると、アーノルドは笑うのを止め、「申し訳ありません」と頭を下げた。
「馬鹿にしているわけではありませんよ。いえ、公爵令嬢にまさかあなたのような方がいるとは思わなかっただけで」
「それ、思いきり馬鹿にしていませんか?」
「いいえ。殿下の理想の女性に対し、そんな失礼なことは思いません」
「……」
じとっとアーノルドを見つめる。彼は笑顔で私の視線を躱すと、先に立って歩き始めた。
その後に続く。アーノルドが思い出したように言った。
「言い忘れていましたが、僕とカーティスもこの屋敷に住むことになります。部屋は殿下の向かい側になりますので、覚えておいて下さい。まあ、寝る時くらいしか使わないと思いますが」
「分かりました」
「夜は僕とカーティスが、交互に見回りをしますので」
その言葉に頷く。
使用人はいなくても、護衛は二十四時間配備するらしい。
世継ぎの王子が住まう館なのだから、それは当然の配慮だ。
ふと、気になり聞いてみた。
「あの、殿下にも侍従などはおられないのですか? それともあなた方が?」
私にメイドがいない話は聞いたし、仕方ないと納得したからいい。だけど王子がそれでは困るのではないかと思ったのだ。
私の疑問にアーノルドはあっさりと答えた。
「ああ、殿下なら全てご自身でご自分のことはなさいますよ。ご心配なく」
「そ、そうですか」
「人の世話をしたいと言うくらいですからね。ご自分の世話など、言うまでもなく完璧です」
そりゃあそうだ。
アーノルドの言葉に深く納得した。
階段を降り、食堂へ向かう。一階、北側にある食堂は想像していたよりも広かった。
そこにはカーティスがいて、私たちを見ると手を振ってくれた。
「やっほー。いらっしゃい。あ、お嬢様はその席に座って」
「は、はい」
示された席に座る。
ロングテーブルの端と端。反対側は王子の席なのだろう。その王子がいないのに席に座っているというのが変な感じだった。
王子が厨房から出てくる。その手にはプレートがあり、サラダとスープが載っている。
「形式やマナーといったものはこの離宮ではある程度目を瞑ってくれると嬉しい。なにせ、私ひとりなのでな。できることには限りがある」
「も、もちろんです」
食事ひとつとっても、本来ならたくさんの使用人が必要なのだ。それがいないのに同じことを求めるのは間違いだと分かっている。
頷くと、王子が手際よくスープとサラダを並べてくれた。
「サラダはあっさりと野菜メインのものにした。ドレッシングは手作りだ。スープは、今日はジャガイモがあったから、こして冷製スープに仕上げた」
「わ……」
冗談抜きで、料理人が作ったのかと思った。
サラダの美しい盛り付けに息を呑む。
すくなくとも見た目は完璧だ。
「メインディッシュは今から持ってくる。気に入ってくれると良いのだが」
厨房に向かう王子を見送る。
並べられたサラダとスープには手を付けず、私は黙って王子が戻ってくるのを待った。
この離宮でのマナーがどういうものなのか、まだ分からない。
だから、王子に従おうと思ったのだ。そうすれば間違いないだろう。彼はこの離宮の主人なのだから。
しばらくして王子がメインディッシュの皿を持って現れたが――皿の上に載っている料理を見て、私はポカンとしてしまった。
「え……なんですか、それ」
「ああ、やはり驚いてくれたな。これは『オムライス』というものだ」
「おむらいす……」
見たことも聞いたこともない料理名を繰り返す。
視線がその『おむらいす』というものから離せなかった。
丸くこんもりとした形。
卵で何かを包んでいるようだ。その上には牛肉やタマネギと一緒に煮込んだらしいソースが掛かっている。とても食欲をそそる匂いだが、私はこんなものをいままで一度も見たことも食べたこともなかった。
「……」
『おむらいす』から目が離せない。
目の前に置かれたそれから漂ってくる匂いに反応し、唾液が口の中に溜まってきた。
何かは分からないけど、ものすごく美味しそうだ。
それだけは確かだった。
「……美味しそう」
丸く可愛い見た目も良いが、柔らかそうな卵も魅力的だ。茶色のソースも全力で私の食欲を刺激してくる。
じっと『おむらいす』を見つめていると、私の反対側の席に王子が座った。彼の席にも私と同じ『おむらいす』が置いてある。
「さあ、それでは食べようか。――神と精霊、そして全ての生き物に感謝を」