01話 赤い外套の男
遥か昔のことである。ある日突然この世界に穴が空き、そこから魔物と呼ばれる凶悪な生き物が現れるようになった。
魔物は残虐非道の限りを尽くして、人類は滅びを迎えようとしていた。
そんな絶体絶命の間際、一人の青年が立ち上がる。彼は黄金色に輝く剣を持ち、瞬く間に魔物を倒していった。
人々もまたそんな彼の姿に憧れ、胸を燃やし、ある者は拳を握り、ある者は剣を取った。
辛く苦しい戦いの果て、多くの犠牲者を出しながらも、ついに、人類は魔物を穴と共に封印する事に成功したのだった。
人類の英雄となった青年は人々を纏め上げ、穴の近くに国を作った。
封じ込めたとはいえ、またいつ穴が開くかも分からないため、その監視のためである。
青年はその国を希望の地と名付けた。
そして、時は流れて―――
「応援はまだ来ないのか!?」
「もう連絡は送った! クソ、ついてねえ、なんで俺らの当番の時にB級の魔物がでやがるんだ!」
男達の悲鳴にも似た叫びが戦場にこだまする。
青年が封印した筈の穴は、時を超えて再び開き、魔物が現れるようになっていた。
武器を持った男達が戦っているのは、硬い鱗で身を守った、全長15メートルは優に超える体躯の巨大な蜥蜴の魔物だ。
近くの空間には亀裂が走り、底の見えない空虚な穴がぽっかりと空いている。
蜥蜴はその巨大な身体に見合わぬ俊敏な動きで彼らを襲い、一瞬で部隊を壊滅させたのだった。
「くそっ! また一人やられた! 負傷者と新人は下がれ! 俺たちD級冒険者がなんとか気を引きつける!」
そう言って、前に出る男も足がふるえ、歯もカタカタと鳴らしており、一目でまともに戦える状態ではない事が見てとれる。
そんな様子の男達が数人、盾と剣を構えて蜥蜴の気を引こうと音をガンガンと鳴らして新人を逃すための時間稼ぎを必死でしている。
蜥蜴は余裕な様子で獲物を前に舌舐めずりをするばかりでその音を気にもしていない。
「あ、あ……」
「おい馬鹿っ! 早く下がれ新人! こんなところで死にたくないだろ!?」
そんな中、一人だけ逃げ遅れている、新人と思わしき少女がいた。
「う、あ……」
「腰を抜かしてんのか!? 誰かあのガキを連れて行ってやれ!」
「馬鹿野郎! 俺たちにそんな余裕があるか! 一瞬でも目を離したらやられるかもしれないんだぞ!? 逃げることも出来ないような奴はほっとけ! 冒険者ならそうなる覚悟はしていた筈だ!」
腰を抜かし、恐怖で声も上手く出せないのか、少女は言葉にならない音を漏らすのみで、蜥蜴から後退りをしている。
そんな少女を助けようとする者、見捨てようとする者、人それぞれの反応を示す中、魔物である蜥蜴もまた、少女に反応を示す。
よだれをポタポタと垂らし、鎌首をもたげて倒れている少女を凝視している。
筋肉質でガンガンとうるさい男達よりも、抵抗しなさそうで柔らかく、弱そうな少女を獲物に定めたのだ。
その事にD級冒険者達も気付き、その筆頭である先程から少女を庇っていた男が蜥蜴と少女の間に割って入る。
元々、少女と蜥蜴の間には30メートル程の距離があったが、男が割って入る頃には既に蜥蜴の腕が少女に届く程に近づけてしまっていた。
「ひ、いやあああああああああああ!!!!」
蜥蜴の一振りで少女と共に一瞬で挽肉になる、そうなる事は分かっていた筈だったが、男は体が勝手に動いていた。
そして、なんとか少女の命だけは守ろうと、全身の筋肉に力を入れ、蜥蜴に背を向けて抱き抱えるように少女の壁となり、庇う。
目を瞑って歯を食いしばり、どんな痛みにも耐える覚悟で男は蜥蜴の攻撃を待つ。
「……?」
だが、死の覚悟をして、衝撃に備えた男であったが、いくら待てども体に痛みが走らない事に疑問を覚え、背後を振り向く。
そこには、腕をこちらに振りかぶった状態のまま、静止している蜥蜴の姿が。
そんな、状態を飲み込めていない男達に後ろから声がかけられる。
「よく持ち堪えてくれた。もう大丈夫だ。あとは任せろ」
「あ、あなたは……S級の……!?」
フード付きの赤い外套に、この地域では珍しい黒髪黒目。顔立ちはこれといって美醜どちらに偏っているわけでもないが、ハイライトの無い目が特徴的な男だ。
この国唯一のS級冒険者であるその男は、当然名も姿も有名である。普段は赤い外套に白い手袋をしているのだが、今日は何故だか手袋はしていないようだった。
「グゥオオオオオ!!!」
つい先程まで圧倒的強者としてこの場に君臨していた筈の蜥蜴が、今はピクリとも体を動かさずに硬直している。
蜥蜴自身、自分に今何が起きているのか理解していなかった。
ただ、なにかがマズいと、自身の野生の勘が告げている。
なんとか抵抗しようと喉を震わせ、雄叫びを上げるが、逆に言うと、それ以外何も出来ない。
ここでこの蜥蜴は、生まれて初めて恐怖した。ただ、時すでに遅し。
蜥蜴はこの男が現れた時点で逃げる他、なかったのだ。
その事に蜥蜴が気づいたのは、バラバラになった自身の体を、最後の瞬間に首だけになった状態で眺めた時だった。
「す、すげえ……これがS級の力……」
D級冒険者である自分達では、手も足も出なかった蜥蜴の魔物を、一瞬で片付けられる程のその実力差に、S級という名の壁の高さを痛感する。
「! そうだ、大丈夫だったか新人?」
先程まで腰を抜かして震えていた少女に、無事かどうかを問いかける。
「素敵…」
「あー……うん、平気そうだな……」
キラキラとした目で自分を助けてくれた赤い外套の男へと恍惚とした表情を向ける少女。
やれやれと肩を竦めながらも、そんな自分もまた、S級の男に憧れの視線を送っている事に気がつき、頭をかく。
「ありがとうございます! 貴方は命の恩人です! 是非お礼をさせて下さい!」
我先にと、少女が恩人である事をアピールして、赤い外套の男と話す機会を作ろうと躍起になる。
有名冒険者と接点を作る事は、冒険者として生きていく上でとても重要なアドバンテージになる。
魔物には怯えても、チャンスは逃さない、強かな少女であった。
少し離れたところで様子を窺っていたD級冒険者達は皆、先を越された、という表情で悔しがっている。
「いや、そんなお礼なんて、いいよ。むしろ遅くなってすまない。責任者はそこの君かな? 負傷者は?」
「あっ、はい! 負傷者は多数出ています! 新人達に運ばせたので、もうこの場にはいませんけれど、重傷者も何人か…」
「そうか、ならツテを頼って、腕の良い神官を呼んでおく。心配するな」
「あ、ありがとうございます!」
S級ともなると、神官にまでツテがある、という事実に、俄然彼に名を売っておこうと躍起になる少女。
「あのあの! お礼というか、なんというか、もし良かったらこの後一緒にご飯でも……」
もじもじと顔を赤らめて、男を懸命に誘う。その表情は、名を売るという目的のためだけには見えなかった。
「…………」
「あの……どう……でしょう……?」
男は顎に手を当て、少し考えたように黙り込むと、やがて頷く。
「そうだな、ここにいる皆んなにご飯を奢るよ。遅れたお詫びだ」
うおおおお!という喜びの中に、一人だけ「それじゃあ意味ないんです…」というか細い声があったのだが、その声は誰の耳にも届く事はなかった。
その後は何も支障もなく、倒した蜥蜴の鱗や牙を剥ぎ取り終え、帰路につく。
その最中、赤い外套の男がいつの間にか、手袋をしていた事に気がつく者はいなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆
やあ、どうも、俺だ。
え、お前は誰だって? やだなぁ、さっきからずっといただろう? あのクッソ派手な赤いコートの男だ。
あれなぁ……本当は俺も着たくないんだよ。誰が好き好んであんな渋谷のパリピもドン引きな派手なコート着るもんか。
あれを着るのはそれはそれは深い理由が……まぁ今はそんな事どうでもいいか。
あ、渋谷って言った時点で分かると思うけれど俺は転生者だ。
ある日気がついたら子供の姿で鬱蒼とした森の中にいたもんだからびっくりしたよ。
まさか前世でよく見た異世界転生が現実に起こるとは夢にも思わなかったね。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもんだ。
そして悩みの種もまた、同じく前世の記憶のせいで、消えることが無く一生俺に付き纏っている。
その悩みの種は、それこそ星の数あるが、一番の悩みは決まっている。
それは、この世界の誰にも負けられない、という悩みだ。
俺は異世界転生にはお馴染みの、神様からの贈り物の力ってのを御多分に漏れず、貰っている。
そう、この世界で真面目に生きてる人達と違って、借り物の力でズルをしているのだ。
そんな力を持っているのだから、俺は誰にも負けてはならないだろう。
もしそれでこの世界の誰かに負けてしまったら、貰った力に胡座をかいているとんでもない怠慢野郎という事になってしまう。
だから、俺は誰にも負けないように死に物狂いで身体を鍛えた。
子供の頃から、一人で魔物を相手に修行の日々を送り続ける日々。
そうして、何年も戦い続けることで俺は強くなった。
だが、その代償として長期間のコミュニケーション不足から来る重度のコミュ障を患う羽目になったのは誤算だった。
まあ、その修行の日々の甲斐もあって、今ではこの国唯一のS級冒険者という役職に就くことができたのは僥倖だろう。
今回、救援が遅れたのも、修行のため山籠りに行っていたせいだ。
俺専用の通信魔具で連絡が入って、急いで向かったお陰でなんとか一人も死なずに済んだがあと少し遅れていたらと考えるとゾッとする。
「そんな特別な力があってなんで助けられなかったんだ!」って誰かに責められるのが怖い。
大いなる力には大いなる責任が伴う。この世界でスパイダーマンの気持ちが初めて分かった気がする。
とまあ、こんな風に悩みは尽きない。そんな俺だが、目下の悩みが女性関係についてだ。
S級冒険者となったことで、名前が売れて女の子から声を掛けられることが最近良くあるんだが、前世と合わせるとそれなりの年齢になる俺が若い子に手を出していいものだろうか?
もし年齢がバレたら「このロリコン野郎!」って非難されるんじゃないかと戦々恐々なのだ。
というか、俺、前世から元々女の子と話すのが得意じゃなかったし……。
今世では修行に明け暮れたせいで表情筋が発達せず、目は死んでるし、表情もあまり動かせなくなってしまった。
やっぱり、コミュニケーションって大事だったんだな、とお陰で学べました。
いや、それは前世のうちに学んでおけよというツッコミはやめて下さいお願いします何でもしますから!
……こんな風に心中でだけ、一人言をテンション高めでぶつくさ言うようになったのも、長期間の一人修行生活の弊害だろう。
何せ自分自身しか会話相手がいなかったものだから、自然とこうなるのは自明の理だ。
そんなわけで、さっきの少女にご飯に誘われた時は内心キョドりにキョドった。
こんな時ばかりは、あまり動かない表情筋に感謝だ。
数多の修行の末身に付けた、咄嗟の危機回避能力によってあの場の最適解を瞬時に出せたが、やはり異世界は恐ろしい……。
これだけ強くなっても、ピンチは変わらずやってくるのだから。
俺は帰路の途中に、ずっとこちらをチラチラと窺ってくる少女と目を合わせないようにしながら、一人思考の渦に自ら囚われていくのだった。