今日も一杯
イカ釣船の話にするはずが何故こうなった?
クラーケンを釣ろう?
最後が酷い。
「一番缶室、何か突っ込んでいます。青白く光っています」
「機関長だ。一番は火を落とせ。一番蒸気放出、圧力を一気に減らすな。圧力ゲージ見ながらだ」
「重油供給停止しました」
「圧力開放弁開きます」
「機関長、一番タービンへの蒸気供給停止します」
「よし、やれ」
「一番缶への真水の供給は絶やすな。缶を冷やすことを優先だ」
左舷から突っ込んできたクラーケンが三〇ミリ圧延鋼板と二〇ミリ圧延鋼板の二重構造を突き破って、一番缶室に先端を突き刺したのは、一分前だ。
皆最初は何が起こったのかわからなかった。酷い衝撃で吹き飛ばされたからだ。ヘルメットのおかげで頭は守られたが、それ以外の場所は痛い。
クラーケンを捕獲するはずだった。逆にやられて先端を艦の左舷に突き刺された。
先端が青白く光ってウネウネしている。不味いぞ。アレが抜けたら一気に浸水だ。早く缶を冷やさねば。
この状態で缶室が一気に海水に満たされれば、高温の缶に触れた海水は一気に沸騰するだろう。そうなればどうなるかわからない。下手をすれば缶室が吹き飛ぶ。
幸い何処かに引っかかているのか、先端が抜ける気配は無い。艦の動揺が激しい。抜こうとして暴れているな。頼むから抜けるな。
「蒸気温度、現在百八十度」
「缶の点検口はまだ開けられないか」
「まだ温度が高すぎます」
「蒸気温度百二十度まで下がったら一番缶室要員全員退避、退避後注水する」
「了解」
「缶への通風をもっと強くしろ。空気でも冷やす」
「了解、送風量上げます」
「缶温度低下しました。点検口開けます」
「待て、点検口待て」
「現在蒸気温度百五十度」
機関室付近に突撃されたイカ釣り船、東鳥島1号は激しく動揺していた。イカが暴れるのだ。足が舷側まで届いている。ドカンドカン五月蠅い。
護衛駆逐艦を呼び寄せ、主砲で撃つよう頼んだ。本船に当てないように念を押して。
「機関室からです」
「艦長だ」
「機関長です。イカの先端が一番缶室に突入。一番缶の温度を下げています。現状維持をお願いします」
「現状維持も何も。なんだって。イカの先端が舷側を貫通したのか」
「そうです。一番缶室に突き刺さった先端が青白く光っています。今抜けると、高温の缶に海水が当たり沸騰します。缶室が吹き飛ぶ可能性があります」
「分かった。出来るだけ現状維持を心がける」
「お願い押します」
「相手は待ってくれん。急げよ」
「了解」
「樅に砲撃はしばし待てと伝えよ」
「了解」
缶室に吹き飛ばれたら沈むからな。それにしても貫通されたか。三〇ミリと二〇ミリだぞ。
そうだ、右舷注水準備だな。
「蒸気温度百二十度」
「一番缶への送風停止、送風停止」
「一番缶、送風停止します」
「缶内部圧力低下」
「よし、点検口開け」
「点検口開けます」
点検口を開ける。二カ所は開ける。
「点検口開きました」
「点検口開きました」
熱風が吹き出て来る。こうすれば沸騰した圧力が煙路へ抜けるはずだ。応急マニュアルにはこんなやり方は無いが、缶室隔壁が吹き飛ぶよりは良いだろう。
「よし、注水開始、全員退避」
「注水開始します」
「退避急げ」
「点呼」
「一番缶室、全員います」
「よし、防水扉閉鎖」
「防水扉閉鎖します」
「艦長、こちら機関長。缶温度低下、缶室閉鎖完了、注水開始しました」
「了解」
「右舷注水だ、傾斜計に注意」
「樅に撃ち方始めと伝えろ」
「撃ち方始め了解」
駆逐艦が打ち始める。
なんだ?
はじかれた?
いや、射入角が浅くて滑るのか?
体表で潜り込んだ後、跳ね返されている?
だが、多くははじかれている。
十二,七センチをはじくのか。とんでもない化け物だな。
駆逐艦が近寄ってきた。そんなに近づくと俯角がとれないだろうに。
オルジスか。何を言っている?
「艦長、魚雷を発射するそうです」
「魚雷だ?」
「魚雷です」
「電話だ。樅に繋げろ」
「繋げます」
「こちらイカ釣り一号だ。魚雷だと」
「こちら樅、本艦の主砲じゃ歯が立たない。魚雷で始末する」
「当たるのか」
「当てるんだ。それについては協力をお願いしたい」
「何をする?ああ、針路を保てばいいか」
「その通り、お願いする」
「本艦に当てるなよ。これでも新造艦だ」
「神に祈ってくれ」
「神頼みかよ」
「こんな化け物と対戦するようになっていない」
「気持ちは分からんでも無い」
「針路、直進を保て」
「直進保ちます」
「総員、衝撃に注意」
「樅、後方近寄ります」
「樅、後方五百、発射しました」
「衝撃注意、くるぞ」
ドーン、若干の衝撃と轟音と共に左舷に突き刺さったイカから水柱が上がる。どうだ。
心なしか暴れなくなった。効いたようだ。青白く光っていた胴体も次第に色が灰色になっていく。
「こちら樅、どこに当たった?」
「イカに当たったぞ」
「良かった、艦に当てたら首だからな」
「イカが弱っている。砲撃をしてくれ」
「了解」
樅が砲撃を再開した。今度は効いている。胴体に穴を開けている。これはイカ母船を呼ばないと。
イカ母船が近寄ってきた。イカはもう暴れていない。わずかに足がしなるのみだ。
樅の砲撃が頭近くに当たった。足が動かなくなった。
イカが抜けた。左舷から離れていく。
イカ母船がイカに近づいて、イカの頭に艦尾を向ける。
一〇〇ミリ捕魚砲を撃った。連装二基四本の銛がイカの先端に突き刺さる。
アレで引っ張るのか。説明は受けていても、実際目にすると驚く。
イカ母船の艦尾が沈んでいく。ゲートも観音開きで開く。陸軍の揚陸母船や捕鯨母船を参考にしたらしい。
イカを引っ張り上げるのだが、苦戦している。艦尾をさらに沈めた。大丈夫なのか。艦尾の上構が水面近いぞ。
艦尾が上がり始めた。イカは胴体の三分の二ほどが船内に入っている。イカの胴体が海面に出た。同時に大量の海水が胴体から出ていく。
急に艦尾が上がり始めた。イカが船内に引き込まれていく。海水で重かったのか。足の半分ほどが船内に入った段階で水平になった。
完全に引っ張り込めなかった。足が長すぎるようだ。艦尾のクレーンを使ってなんとかするようだ。
イカの収容を始めて二時間、船内に収まった。観音開きの扉が閉まる。
哨戒機によるとこの海域にはあいつしかいなかったようだが、いつ新手が現れるか分からない。
イカ母船から海域を離脱すると通信がある。
良かった。もう一発食らえば、沈んでいたかも知れない。
イカ母船に連絡する。「ワレ缶室二浸水、出シウル速力二十五ノット」
イカ母船から心配されたが、これ以上被害は拡大しそうにない。心配無用と伝えた。
イカ釣船、東鳥島一号は最初の任務であえなく撃破され、本土へ回航の旅についた。
ドック入りの上、缶を一基交換か。内部まで海水に浸かった。腐食の問題が有る。怖くて使えないだろう。
イカがかなり高く売れるようだが、こんなことで採算は合うのだろうか。
それよりも、三〇ミリと二〇ミリの圧延鋼板を貫通された方が問題だろう。
艦政本部では大騒ぎしているらしい。捕魚の連中もだ。捕漁船は二重構造の外側二〇ミリ、内側一五ミリだからな。腹に穴が開くどころではなく、串刺しもあり得る。不安だろう。
本艦も缶室一基ですんで幸運だったのだ。
本土へ帰ったら、金比羅さんへお参りに行こう。
東鳥島南方の海洋混沌領域でのイカ発生条件がボラールの漁獲量の比例することが分かったのは、いくつかのイカ事件の後だった。その間に二隻の捕漁船が沈没し全員行方不明であった。
ボラールを十日間で五匹、それが限界だった。それ以上捕獲するとイカが外縁部に出てくる。
ボラールがイカの餌なのか、それともそう言う条件なのかは混沌領域のこと自体何も分かっていない状況では判断出来なかった。
そんな中、イカ釣りに出かけたイカ釣船東鳥島一号が中破して帰ってきた。
対応に慌てたのは艦政本部だけではなかった。軍令部、海軍省、通産省海外貿易局特殊生物課、果ては厚生省まで出張ってきた。
厚生省は、内務省保健衛生局が独立した物で、公衆衛生の強化と内務省の弱体化を狙ったものだった。国政に於いて民主光輝党の数少ない功績として知られる。
「艦政本部の見積もりが甘かったのではないか」
「見積もりもなにも、誰も相手にしたことがないのですよ。どうやって見積もれと」
海軍省と艦政本部で言い合っている。昔は軍令部がその役だったのに時代は変わったものだ。
「確かにそうだ、では、どうやって装甲の厚さを決めた」
「ボラールの五割増しです。もっと厚くしたかったのに、予算をケチったのは海軍省でしょう」
「なんだとう」
「やりますか」
「止めろ!みっともない」
一喝したのは軍令部次長、有賀幸作少将だった。
「お互いの言い分は分からんでもないが、今はそんな事をしている時では無い。分かるな?」
「「はっ」」
「よろしい、予算をケチったのは初めて聞いた。なぜだ?」
「たかがイカ相手にそんな金額出す必要な無いという意見が強くて」
「貴様もそうなのか」
「・・・」
「そうなんだな」
「は」
「矢継ぎ早の改革で軍令部がまともになったと思ったら、次は海軍省なのか?」
「いえ、そのような事態にはなりません」
「では何故こうなった。海軍次官には伝えておく。反省するのだな」
黙ってしまった海軍省の大佐。軍令部の事は他人事だったようだ。
「申し訳ない。お恥ずかしい所をお目に掛けた」
「気にしないでいただきたい。我々も活動に反映しなければと思います」
「そう言っていただければ有り難い」頭を下げる。
「頭を上げて下さい」
「そうです。我々も資金は出しました。え?」
「そうだな。通産省も厚生省も金は出したよな?」
「出しましたよ?」
「海軍省が金をケチった?」
「おかしいですな」
有賀は頭を抱えた。あの悪夢がまたか。またなのか?海軍はまた大恥をかくのか?
「申し訳ないが、今日はお帰り願えないでしょうか。至急、調査することが出来ました」
有賀の鋭い目は海軍省の大佐を睨んでいた。奴は震えていた。
東鳥島一号艦長は、そんな事態は知らずに暢気にイカで一杯やっていた。
日本海軍ポッケナイナイ事件はこれで三回目です。
一度目は日清戦争前。危うく負ける原因になる所でした。
二度目は正和十年頃。
あくまでも転移国家日本での話です。
話としては正和二十二年くらいの話です。
後で改修して本編に組み込むかも