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紅花  作者: 富山晴京
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変身

 璃子が帰った後、僕は眠った。そして翌日にもなると、葬式や今後の生活などのことが気にかかり始めた。

そのことに関して僕は、病院で叔父さんが言ってくれたことを思い出した。叔父さんは葬式の費用はすべて出すと言ってくれた。そのうえ、僕の生活の面倒まで見てくれるとも言ってくれたのである。

 僕は三日後、叔父さんの家に引き取られることになった。その三日の間に、周りの人間へ挨拶を済まし、身の回りの支度をしなければならなかった。

 とはいっても、それほど苦労することはないだろう。挨拶と言っても、学校に行ってHRでただ一言いうだけだろうし、身の回りの支度と言っても、せいぜい三、四着の着替えくらいしか持って行くものがない。ほかのものは処分するつもりでいた。特に何も問題はなかった。


 僕は赤色の歩道用信号機を見つめていた。信号機の横にある、メーターみたいなもの(あとどれくらいで信号が変わるかを示しているやつ)は半分くらいのところまで来ていた。これならあともう少しで変わるだろう。

 学校へは無理に行く必要はなかった。必要なら休んでもいいと、学校から連絡があったのだ。それでも僕は学校へ行くことにした。これから叔父に世話になるということで、僕はあまり面倒をかけられない立場になった。そうなった以上、きちんと学業に励み、社会へ出る実力を身に着けておく必要が出てきたのである。だからたとえ一日でも学校を休む気には、もうなれなかった。

 突然、背中からものすごい力が加わった。その力は僕を車道へと押し出した。前へとよろめく際、足がもつれてしまい、僕は前に転んだ。 

押されてよろめいている間は、びっくりするばかりで何が起きたのかわからなかった。地面に寝そべった状態になったころになってようやく、僕は自分が誰かに押されたのだということを理解した。

 すぐに起き上がらなければ。僕は腰を浮かせ始めた。その時、耳を切り裂きそうなくらい騒々しい音が響いた。ブレーキ音だ。直後、横の方から強い力で跳ね飛ばされた。内臓のすべてを揺るがすような衝撃だった。僕は再び、地面に転んだ。背中の上を、重いものが通り過ぎていく。車のタイヤだ。車のタイヤは僕の体をつぶした。すると口から血が吐き出される。それは自分がはこうと思って吐いたのではない。体をつぶされたことで中身が無理やりに押し出されてきてしまうのだ。

 いろいろな音が聞こえる。その音のどれも決して小さな音ではないのに、遠くで響いているように感じられた。痛みはもうない。ただ、だんだんと眠くなっていくのが感じられた。

 そこで目が覚めた。僕は布団をかぶって寝ていた。時間は夜であった。僕はまず安堵を感じた。ついで、ろくでもない夢を見たものだという不快を感じた。いやな夢を見た上に、起きたのは真夜中である。また寝直すにはあまりに目がさえてしまっている。真夜中というのはすることが何もなくて、まさに退屈というよりほかなかった。

 とりあえず水でも飲みに行こうか。僕はベッドから抜け出ると、一階へと降りた。

 一階の明かりをつけると、食卓の椅子には璃子が座っていた。僕はそのことに驚かされた。どうしてこんなところにいるのか、そう訊くよりも先に、璃子はこちらへ駆け寄り、僕を抱きしめた。

「よかった、よかった」

 僕はあまりに大げさな反応を見て、どう対応していいのかわからなくなった。璃子はなぜ、僕の姿を見たくらいでここまで喜ぶのか。

「どうしたの?」

「どうしたの、って覚えてないの?」

「覚えてないのって……」

 その時僕はある予感がしていた。けれどもその予感のことは口に出さなかった。

「車にひかれたこと。覚えてないの?」

「ひかれたって、誰が?」

「俊哉君が」

「いやいや。待ってくれよ。そんなわけないだろ。それならどうして僕がこうして、生きているんだ。しかも病院で起きるでもなく、こんな、自分の部屋で」

「それは、だから……」

 璃子は言いよどんだ。が、顔をあげてこう言った。

「信じられないことかもしれないけど、聞いて。俊哉君は一度ひかれて死んだの」

 その記憶は僕の中にきちんと残っている。先ほどは覚えてないの、などと聞かれたが、それに対しては覚えている、と答えることができたはずだ。それどころか、自分の体の上をタイヤが通過していく感覚を、余すことなく説明することさえできる。

「それで、なんで俊哉君がいまも生きてるのかっていう話なんだけど。俊哉君を一度家に連れて帰って、それから治したの」

「治すって、じゃあ僕は死ななかったのか?」

「死んだけど治したから生き返ったの」

「生き返ったって、そんなのできるのか?」

「うん。でもあなたの体はもう今まで通りじゃない。あなたは私と同じような体質になってしまったの」

「同じような体質、じゃあ僕も君と同じように、血を飲まなきゃ生きていられないということか」

「そう」

璃子の話は信じられないようなことだった。僕が事故に遭ったということも、死んでから生き返ったということも。確かなのは僕が生きているということだけだ。

「でも、君の言う通りだとすれば、僕は君と同じように、血を飲むしか生きる方法がないということになるけど」

「そうなるわ。血を飲まなくては生きていけないの」

「なんでそんなことに?」

「だから私にもわからないの。だけど、ある時血がほしくなって仕方がなる。血を飲まないと力が出なくて、だんだん眠くなる。それでなんとなく、血を飲まないと死ぬとわかるの」

 僕は先程から感じている飢餓感のことを思い出してぞっとした。先ほどは水を飲みたいだけなのだと思っていた。しかし今では、水など飲みたいと思ってはいなかったのだということに気が付いた。僕が飲みたかったのは血だったのだ。

 前はあの金臭さが不快であったのに、今はまるで逆だった。鉄の濃厚な味、宝石みたいに深紅に輝く色、それらが恋しくてたまらなかった。血への飢餓感が募ると、たびたび璃子が自分の血を口で拭っていた時のことが思い出された。璃子の手の甲についたあの血が甘美なものに見えて仕方がなかった。僕はあの手の甲についた血をなめとりたいという衝動にかられた。

「なあ、僕はどうしたらいい?」

「それを教えるためにここにいたの。ついてきて」

 璃子は言った。僕らは家を出ると、真夜中の街を歩き始めた。

「今日のところは私がやるから、見てて」

 そういって璃子は一つの住宅の前で立ち止まった。璃子が玄関の前に立つと、かちっという音がした。璃子がドアノブを引くと、ドアが開いた。

 璃子はためらいもなく家の中へ入っていく。僕は璃子のあとへついていった。

 璃子は二階へと上がり、部屋を一つ一つ改めていく。その動作の一つ一つが静かで、まるで幽霊のようだった。

 やがて璃子は部屋の一つへと入っていった。その部屋には二人の男女が寝ていた。

「どっちがいい?」

 璃子が訊いた。

 どっち、というのはどちらの血が飲みたいか、ということなのだろう。

「どっちでもいい」

「じゃあ女の人をあげる。よく太ってるし」

 璃子は僕の手を引いた。そして女の人のそばに立たせる。

「途中で起きたりしないのか?」

「大丈夫。もう止めてあるから」

「止めてある?」

「この人たちの動きを止めてあるの。今はもう、瞬きの一つもできない。だから逃げられる心配もない。私が止めるのをやめない限り」

「そうなんだ」

 璃子は身を引いた。僕が血を吸いやすくするためだろう。僕はいよいよ血を吸わなければならなくなった。今から血を吸おうというその時、僕は飢餓感を一切忘れた。代わりに、僕がこれから人殺しをすると言う事実のことで頭がいっぱいになった。

 僕がこの人の血を吸えばこの人は死ぬ。それだけではない。僕が生き続ける限り、僕に血を吸われて死ぬ人は増え続けるのだ。

 そもそもこの人を殺す権利が僕にあるのだろうか?いいや、無い。それどころか僕はここで死んでしまったほうがいいような気がした。僕が死ねば、これから僕の手によって死ぬであろう人々の命は無事なままになるのだから。

 僕は身を引いた。

「駄目だ。僕はこの人を殺さない。この人を殺すくらいなら、僕が死んだほうがましだ」

「何言ってるの」

「動きを止めているうちにここから逃げよう」

「ねえ、生きるためにはこの人たちの血をもらうしかないの、わかってる?」

「わかっているさ。ただ、僕はこの人たちの血は吸わない。そうするくらいなら死んだほうがましだ」

 璃子ははじめ、目を見開いて、口をぽかんと開けていた。やがて、璃子は口を閉じ、僕を正面から見据えた。

 僕は後ろを向いた。そして歩きだした。僕がドアのほうまで近づいた時であった。後ろから腕を引かれた。驚いて振り向くと、璃子が僕の腕をつかんでいた。

「本当に死にたいの?」

「死にたくはない。でも、誰の血も吸いたくないんだ」

「そんな」

 璃子は顔をゆがめた。

「そんなこと考えないで。あなたが死んだら、私はどうなるの?」 

 僕はその時、初めて彼女のことに考えが思い至った。もし僕が死ねば、彼女は孤独になるのだ。しかも僕がお願いしていることは、彼女自身の手で、その孤独を招き寄せろ、というものなのだ。

 確かに大勢の人間の命を奪うために生き続けることは、恐ろしいことである。そのために生き続けるくらいならば、死んだほうがましなのだろう。

 しかし僕にとって一番重要なのは、璃子のことである。璃子が孤独で悲しませることは絶対にあってはならないのだ。璃子の悲しみと、他人の命など、僕の中では比べるべくもなかった。第一、この目の前にいる女性など僕に何の関係があるのか。この女性が僕にとって何であるというのか。

 残酷な考え方ではあるかもしれない。けれども自分がどんな人間になろうとも、守らなければならないものというのがやはりあるように、僕には思われるのだった。

「ごめん、わがままを言ったりして」

 璃子は、そんなことはない、私の方こそごめんと謝った。

 僕は視線を璃子から太った女へと転じた。僕は女の喉に歯を突き立てた。口の中に血があふれ出す。それを僕は飲み下していった。

 隣では、璃子が男の血をすすっていた。その姿はまさに人を喰らうものの姿であった。僕はそれを横目で見ながら、自分が血を吸っている姿もああなのだろうか、と思った。

 やがて僕は視線を前に戻すと、血をすすることにまた没頭した。


 新しく目覚まし時計を買いました。起きられるようにと、お店で売っているやつのなかでも一番うるさそうなやつを買いました。

 さてどんなものだろうとセットして、翌朝。音がうるさくてしょうがない。ミサイルが来たときの警報みたいな音が耳元でなったものだから、あわてて起きました。

 翌日、目覚まし時計はセットしてありはしたものの、なる前に起きました。あの音を聞きたくなかったからです。ほんとう、期待以上の効果をもたらしました、あの目覚まし時計は。


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