98話 子の成長は親知らずだし神も知らない
「……選べと言ったのは我らだからな」
再度椅子を作り出して深く腰掛けた魔王は、疲れ切った表情を隠すことなくそう言った。
勇者が魔族へと変わるときに放出されるものは、通常時の魔力量を大きく超え、不足していた世界を支える力の補充にあてられるはずだった。
そんな力の大半を私は礼くんに使ってしまったので、まあ、それは脱力もするだろう。でも力を手に入れるための条件に入れなかった魔王が悪いと思う。
「それでも理を理解した勇者はみんな自ら捧げたものだぞ……」
「知らないよその子よりうちの子でしょ普通」
(言い切るのが和葉ちゃんだよね……)
(おかん属性高いからなぁ。人選ミスだな)
勇者陣はそこそこ平然としている。礼くんは私の膝でコアラみたいに抱きついて、にこにこしたまま眠ってしまった。大きかった礼くんが私を膝にのせてたのよりは、若干、いやほんの少しばかり膝からあふれてはいるけどちゃんとおさまってる。
私たちは過去の勇者たちより成熟にかけた時間が短い。それはモルダモーデの持ち時間がなかったせいだ。成熟は勇者がこの世界を壊したくないと願う執着を育てる時間。短かったのだからその分執着が足りないのは仕方がないことだろう。そんな執着が短時間で育つわけもなきゃ、私に至っては想像もつかない。平民で小市民の給食のおばちゃんですし。
モルダモーデは蒸気機関の開発に携わっていたし、時代的にかなりの知識階級で人の上に立つ層の育ちだったんだろうと思う。世界と言う大きな視点でモノを見る素養があったに違いない。おそらくは他の魔族となった勇者たちも。
そしてザザさんとエルネスは、まさにその『人の上に立つ者』なわけだから、さすがにちょっと落ち着かないようだ。ザギルは普通にまだ草食べてる。
「……帰るのだな? 魔族の姿は戦場で見ている者もいる。アレらは受け入れられることはないだろうと言っていたが」
「んー、多分モルダモーデたちの時代ではさ、元の世界でも差別が当たり前にあったのよね。エルネス? 百五十年前は南ほどじゃないとはいえ、カザルナでもそれなりに種族対立とか差別はあったでしょ?」
「まあ、そうね。だからこそ法律や制度ができたわけだし、今だってないわけじゃないわよ。諍いが起きないようにお互い干渉しないだけで」
「は? 俺そんなん見たことねぇぞ。どこにも死体ひとつ晒されてねぇし」
「南と比べるな」
「多分ねー、モルダモーデたちにとっても当たり前にあったことだから、受け入れられないことに疑いがなかったんじゃないかな。今は結構どうとでもなると思うわ。なんなら黙ってりゃいいし」
身近な人に拒絶されるのが怖かったんだろうけどね。そんな心配、私には無用だ。
というか今更じゃないか。私たちはいうなれば勇者族みたいなもんで、こちらに渡ってくるときに既にヒト族ではないものに変わってるんだ。見た目が変わらないからうっかりするけど、元々もっていもしない魔力回路だの勇者パワーだの備えた時点でお察しというもの。
「そうか」
魔王はさらに身を椅子に沈み込ませて瞼を閉じた。むぅ……。
「……別に今すぐに世界がどうこうって話じゃないじゃない。この城にだってモルダモーデの魔力がうっすらと残っているくらいなんだから、フォームチェンジ時の分なくたって通常時に多少の補充はできるわけで。ちゃんと頼むなら私だって多少の協力はしないでもないし」
「魔力が残ってるって、お前にわかんのかよ!? 嘘だろ!」
「和葉ちゃんほんと上からを崩さないね」
「やだーザギルさんわかんないのー? うそでしょー?」
「フォームチェンジて」
「Zですから」
「くそが! 多少でかくなってもむかつくな!」
おそらく私自身が同種の魔族になったからわかるんだろうけどそれは黙っておく。私鈍くない。
「カズハさん、協力ってのの負担は」
「遺跡経由で多少魔力ひっぱられるくらいじゃないですかねぇ。どう? できるんでしょそのくらい」
「無論だ。というかお前は力そのものが我らと大差ない。これまで削ってきた分にこそ満たないが、存在するだけでもかなり違う……だから構わん。好きにしろ」
気だるげに沈み込みながら、ひじ掛けにもたれて頬杖をつく魔王の小さな体は、尊大そうな姿勢とは裏腹にさらに一回り小さく見える。ああ……もう。
「あのさ、よそのおたくの教育方針に口だすつもりはないけどね? 少し過保護なんじゃないの。あんたの導きとやらの網をかいくぐって、育ちたいように育ってるじゃない。この世界」
「―――なんのことだ」
伏せたまつ毛を僅かにあげた魔王の視線は落ちたままだけれど。
「実際のところさ、三大同盟国の誓約や勇者の約定以外の導きにも結構力つかってるでしょ。成長がやばそうな知恵は、発展を抑えてるよね。発展しないように方向づけてる」
だから産業革命が起こらない。新しいものに抵抗がなく好奇心も探求心も旺盛なこの世界の住人達ならば、とっかかりさえあればたどるであろうはずなのに途絶えている発展。きっと目に付いたのがそれだというだけで、多岐にわたってそういう部分はあるに違いない。
竜人の文明が急激な成長をもたらして滅びかけたことを忘れるのは難しいだろうから、抑え込むこと自体は理解できないこともない。
だけど、だけどだ。転びやすい子どもが二度と転ばぬよう手をひき続けるのは実は何よりも簡単な解決策なわけで。
「さっきザギルが氷魔法で鏡つくったけどね、この無駄に器用な男がつくったにも関わらず、鏡には歪みがどうしたって出る。だけど城にある鏡はどれも私たちがいた世界で使っていたものと大差なかったよ」
「無駄にっつったかお前今」
「―――ああ、ネジやナットもそうだね。どれも手作業だけとは思えないほど精密な仕上がりだったよ。魔法のせいかと思ってたけど……なるほどね」
「僕もピアノだけじゃなくて楽器全般、どれもすごいいいものだとは思ってた」
「……実験器具どころか医療器具まで、あっちで見たのと変わんなかった……」
みんながこっちにきてすぐに馴染めて行けたのは、多分そういう細かいところで向こうと変わりないものが身近にあったってのもあると思う。
「技術だけじゃない。労働環境だって人権意識だって、向こうでも理念としてはあっても実現には遠い段階まで到達できてる。勇者の知恵やあんたの導きがないところで、ちゃんと育ってるところがあるのが証拠でしょうよ。てか、育ちたいんじゃない? この世界」
労働には対価を、弱きものには保護を、理不尽な普通を押し付けないのが普通だと、勇者の知恵など必要ないだろうって何度思ったことか。
「少しその導きとやら、加減したら? 力の消費が多少違うでしょそれで」
「……考えておこう」
「ひとつ、教えていただけますか」
ザザさんが、すっと前に出て騎士の礼をとった。あ、かっこいい。
さっきは激昂したザザさんだけど、とりあえず今は敵ではないと判断したんだろう。うん、かっこいい! イケメン!
でもその強張った顔つきに、騎士団長が持って当然の疑問を投げかけるのだろうと気付く。そうだよね。聞くよねそりゃね。
「国境線の侵略にはどんな意味が?」
「それを聞くのか」
魔王は疲労の色はそのままに、傲慢さも冷徹さも滲ませた声音で応えた。
「お前たちとて、魔物の間引きをするだろう。増えすぎないように間引くのは上位種の役割だ」
「な……、ならば他の方法でも」
「お前たちは魔物を間引くときに、どれを間引くか選ぶか? ―――どれも同じだ。我らにとって魔物もお前たちも等しくこの世界のものに変わりない。この間引きは理だ。我らに選ばせるな。ああ、勇者が魔族となった後の三十年は、戦線を下げる契約を初代としている。今回も我らはそれを守る。お前たちにとってはこれまでと変わらんのだからそれで引け。だが、この仕組みを口外することは許さん。聞くことを選んだのはおまえだ。そのくらいは背負うがいい」
私にもそのあたりの知識はチップが与えていったからわかる。わかるのだけれど、教えたくない情報だ。多分聞かれたら聞こえないふりとかしたと思う。
ザザさんの白くなった握りこぶしに触れようとしたんだけど、彼はその前に大きく息をひとつついて、また礼をとる。
「―――っ承知しました。ご教示、ありがとうございます」
それから伸ばしかけた私の手をそっと包んで「やることは変わりませんから」といつもの笑顔をみせてくれた。
「ふん。対価もなく教えたわけじゃない」
「なんでしょう。僕にできることであれば」
「確かあの国でそれなりの地位があるのだろう」
「ええ、まあ」
「オートマタへのミルクと菓子を元に戻せ」
「……は?」
「オートマタへのミルクと菓子を元に戻せ。可能か」
(ちょっ和葉! やっぱりあいつあざとい!)
(わ、わたしもそうきたかとはおもいましたっ)
「か……可能ですね。問題あり、ませ……神官長?」
「ないわ! ないわよ! ミルクと菓子でいいのね!? だったら種類も増やすわ! カズハ特製の菓子も用意するようにしましょう! だからもっと色々理を」
「もういいおまえら帰れ」
◇
「かーずはちゃん! おっやっつの時間!」
「はぁあーぁいぃ、ちょっと待ってねぇ」
これでもかとばかりに首を捻って下膳口に頭を突っ込み叫ぶ礼くんに、変な声出そうになるのを堪えた。そんなに頭低くしなくても下膳口につっかえはしないし、なんなら彼は下膳口に飛びついてるから足はぶらぶらしているはずなのだけど、大きかったころの癖が抜けないようだ。一年近くあのサイズだったからね。
きりのいいところまで芋の皮剥きを終えてから厨房マダムたちに挨拶してホールへ向かう。
ひらひらと手を振る人、手が空いてないからおつかれと明るい声を返してくれる人。マダムたちは私の新しい姿を、あらあらまぁまぁと受け入れてくれた。角以外はあんまり変わらなくない……? とか言ってる人もいたけど、十五センチですよ十五センチ伸びてますからねと、そこは主張しておいた。日本人が若く見えるのは世界を越えて共通認識だから仕方ない。
魔族と勇者の関係は王と高位の幹部くらいにしか伝えられていない。公表するのはさすがに混乱しか招かないだろうし。もしかしたら過去にもその関係は伝えられたことがあったのかもしれない。そうだとしたら時の王たちは伝承しないことを選んだのだろう。先代勇者たちの情報が記録からそぎ落とされていたのと同様に。
周囲には勇者の第二形態に進化したということでごり押ししたらすんなり通った。ちなみにZだと言ってみたけどスルーされた。
前使っていたものよりも一回り大きい三角巾をたたんでエプロンのポケットにしまえば、小走りに駆け寄ってきた礼くんが手を取ってエスコートしてくれる。最近ルディ王子と一緒に礼法を習ってるから、実践したくてたまらないらしい。
十三歳で成人とはいえ、貴族や裕福な家の子どもはその年から上級学校に通うことが多い。
まだ先のことだけど、もちろん礼くんにも通わせるつもりだし、本人もその気になっている。
本来の年齢の姿に戻ったとき、礼くんはすんなりそれを受け入れたわけじゃない。
魔王の城でジャージをお互い取り換えながら、少しだけぐずったのだ。
「だって子どもの時間は大切なんでしょう? だったら和葉ちゃんだって大事じゃないの? ぼく和葉ちゃんの時間とっちゃったんでしょう?」
自分を勝手に変えられてしまったのに、最初に出るのは私への気遣いな子だからこそ何でもしてあげたくなるんだよねぇなんて思う。もっと我儘でいていい年のはずなのに。というか息子も娘も十歳どころか成人してからももっと我儘だったよ。
私が十歳の頃は我儘を言う相手がいなかった。多分曽祖父のところにあのままいたら、きっと我儘を言って甘えることができるようになっていたんじゃないかと思う。だけどそんなチャンスを逃がしてしまった。
我儘をいえるほど安心して甘えてほしいのは、私自身の我儘でもある。十歳の私が得られなかったものを与えることで私が満たされるエゴ。だからまあ、与える者だなんて言い方はなんだか詐欺を働いてるような気分になるのが本当のところなんだけど。
「礼くん、あのね」
ちょっと涙目になってしまっている礼くんの、ふっくらとした柔らかい頬を両手で包んで。
「和葉ちゃんは一回子どもをちゃんとやってるからわかるんだけどね」
「うん」
「とっても大切な時間だけど、二回はやりたくないのが子ども時代なの」
「えぇ……?」
「頭が大人で体が子どもなんて、エルネスだって嫌だっていうよ!」
「そ、そうね!? まあ嫌だわね!?」
「そなの……?」
「そう! だから丁度いいの! ウィンウィンなの!」
「う、うぃんうぃん……」
いやほんとにもう結構子どもサイズは飽きてたし、「まあそりゃ色々待ちきれないこともあるしね」なんてエルネスの呟きはスルーした。
「……あのね、ぼくね、パパみたいになれたのも強くなれたのも嬉しいのはほんとだったんだけどね」
礼くんは、もじもじと視線を彷徨わせながら、きゅうっと私の袖口を掴んで。
「ルディや王女様のお友達に時々会うでしょ、そしたらね、大人なのにって顔する子時々いて、ルディはちゃんと説明してくれるんだけど、でもやっぱりちょっとだけかなしかったの―――ありがと和葉ちゃん」
よし、どこの子か後で調べておこうと思いながら、天使を抱きしめ返した。
「バレエの発表会の準備は順調ですか?」
「勿論! 子どもたちの仕上がりも上々ですよ。ご期待あれ!」
くるみ割り人形も海賊も、衣装合わせしているところだ。あんまり早く用意すると子どもってすぐ大きくなっちゃってサイズアウトしちゃうからね。ぎりぎりまで待ってたんだ。
女の子たちは貴族令嬢でドレスなんて日常だから、私が初めて着たときとかよりテンション上がらないんじゃないかと思ったけど、踊ることを前提とした足のラインがはっきりと出るオーガンジーとシフォンのデザインに案外盛り上がってた。男の子たちは海賊のワイルドな衣装にノリノリだったしね。
「みたらし団子おいしー!」
「なあ、おい、小僧、それなんだその真っ黒いやつ。炭か?」
「ごま団子だよ。多分ザギルさん好きだと思う」
エルネスが手配してくれて入手できた白玉粉のお団子も好評だ。
やっぱり教国の食材は一度現地でチェックしたいねってことで、旅行へ行けるよう調整している。ザザさんは新婚旅行だって言い張ってたけど、いつの間にか普通に勇者陣とザギルがメンバーに入ってたらしい。ぐぬぬって言ってて笑った。
婚姻届は帰ってきてすぐに、ザザさんが陛下のとこに直接持っていってた。だから私たちはもう名実ともに夫婦だ。式だって旅行に行く前にあげることになってるから、あやめさんとエルネスが衣装も用意している。一応ちゃんと私も衣装決めのときに同席してたんだけど、次々現れるデザインに頷いてるうちに決まってた。
「ザザさん、お団子美味しいですか」
「この弾力がいいですね。ミタラシもいいですけど、僕はこのアンコとヨモギ? のが好きです」
「実はですね、スペシャルもあるんです」
そっと差し出すのは、求肥のしっとりとして上品な佇まいに隠した驚きのバニラアイス。ザザさんがうっとり目を細めて味わう顔を堪能してからみんなに振舞った。ザギルがいってぇええってこめかみ押さえながらキレてて、みんなで笑い転げた。
とても楽しくて幸せだから、オートマタへのお供えにしてあげよう。氷詰めの箱にいれてあげれば溶けないうちに持っていけるだろう。
あれでもね、譲歩してるんだ。前線を下げる三十年は、魔族がかつての仲間と直接戦わなくてすむようにって期間なんだよ。間引きが必要なのも本当ではある。世界のバランスをとるために必要なのも本当。だけどそれだけではなくて。
共通の敵は結束と和を産みだす。元の世界でもよく言われてたこと。世界が淀まない程度に三国が発展して、なおかつ諍いを起こさないために敵が必要だった。
だけどこれは秘密の理だ。だって敵でいなくてはいけないから。
多分ね、モルダモーデが、子どもが産まれていたのがわかって、時々様子を見に行ってたりしつつも『魔王の側近』のままでいたのは、あの氷の城に一人で『魔王』をしている小さな創成神を放っておけなかったんじゃないかと思う。
「なあ、これあのガラクタにもたせてやるんだろ」
「あ、うん。よくわかったね」
「俺、後で持っていってやるから氷つめとけ」
笑いそうになるのを堪えて頷いた。
「……カズハさん」
「はい?」
「僕らを選んでくれてありがとうございます」
選んだことが本当に正しかったかどうかなんて、ずっとずっと先にならなきゃわからない。
私は子どもたちを一生懸命育てたつもりだけれど、正しかったかどうかなんて今でもわからない。
魔王に偉そうに言ったことだって先をわかって言ったわけじゃないし、魔王が結局どうするのかもわからない。
だけど、とりあえず私が今ここにいるのを喜んでくれる人がいて幸せだからもうそれでいいんだ。
もしこの先魔王がしくじったって、その時は私が魔王になってやればいい。
異世界だってどこだって、私はこの人らを連れて行けるんだから。
そんなこんなをくるっと包んで呑み込んで、にっこり綺麗に笑い返して見せた。
「最高のご褒美ですね」
お礼なんていらないんだよ。ちくしょうめ!
これにて完結です。
エタりかけながらも気長にお付き合いくださった皆様ありがとうございます。
ブクマ評価もありがとうございます。完結ブーストありがとうございます!(お礼先払いシステム)