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94話 失くした空はいつもきれいで探すほどにみつからない

「……僕は四十二歳です」

「あれ? 間違いちゃった。じゃああと二年分のびるね!」

「ええ、でも僕もその分もっとかっこよくなってなきゃいけませんね」


 礼くんはザザさんより少しだけ背が高い。ザザさんは着やせするタイプながら、礼くんと比べれば体つきに厚みがあるけれど、自分と変わらないサイズの頭を小さな子どもにするように、大切に、それでいて力強く抱きかかえている。低く穏やかなその声は、これまでだってゆるぎない安心を礼くんに与え続けてきた。

 私の肩に添えられた彼の手がわずかに震えているなんて、礼くんにはちっともわからないだろう。


 礼くん、君が憧れるその人は、今度こそその憧れに値する人だ。


 ザザさんにとって、礼くんは幼くて守らなくてはいけない子どもで。

 例え、自分より背が高くたって、力が強く魔力も膨大で、模擬訓練では勇者である礼くんが加減しなくてはいけない側だとしても、困ったことやお願い事ができれば自分目掛けて真っ直ぐに走ってくる小さな子どもで。

 きらきらと輝く瞳で自分を見上げ、受け入れられることを疑わない信頼とともに笑顔をこれでもかとふりまいてくる愛しい存在で。


 わかるよわかる。

 この子が笑っていられるならば何を賭けてもいい。

 この子が泣くことがないように。この子が痛い思いをすることがないように。

 けれど、この子が歩く道の小石を全て避けることはできないから。


 クラスのお友達と喧嘩して泣いて帰ってきた息子を諭して、意地悪する子がいるから学校に行きたくないとごねる娘を励まして、不安げに登校する子どもたちを抱きしめていってらっしゃいをした。

 休ませてもよかったのではないか、休み時間に縮こまっているのではないか、今日の給食はあの子たちの好きなラーメンだったけれど、残さず食べることができただろうかと、帰ってくるまで落ち着かなかった。

 兄弟げんかを両成敗して、部屋で泣き疲れてる子の気配に内心おろおろしながらも平然とした顔をつくって夕食の支度を続けた。

 もってきた進路希望票を間に挟んでにらみ合いながら落しどころを探して話し合って、常に頭の片隅にある通帳の残高なんて気取らせないようにして。


 この子たちの選ぶ道をつぶしてはいないか、甘やかしすぎてはいないか、それとも厳しすぎやしないかと、いつだって自問自答する不安を吞み込みながら笑ってみせた。



 ああ、あの時にこの人がそばにいてくれたなら、愛しい子の未来という重荷を一緒に支えてくれるこの人がいてくれたならどれだけと、逸れる思考を無理やり視線とともに魔王へ戻す。

 姿だけなら本来の礼くんと同じ十歳前後であろう魔王の、観察者じみた眼にぶつかった。

 その瞳の色が揺れるからだろうか、それとも声音がひっきりなしに変わるからだろうか、平坦な無表情の下には案外様々な情感が隠れている気がしてきている。気がしてきているだけで、それが何なのかわかりはしないのだけれど。


 肩にそっと置かれたその骨ばった優しい指をするりと撫でて。


 ―――うん、大丈夫。わからないままでも別に問題はない。




「ところでね? せかいのはんぶんとかいってるけど、その割に魔王あんまりできることなくない?」

「……ぶっこむね和葉ちゃん」

「えー、だって蘇生もできないし」


 ほんとこいつ怖ぇってザギルが両手で肩をさすってる気配がする。

 そうなんだよね。この野生動物風味満載のザギルが怯えを隠し切れないほどに、魔王からは膨大な圧が感じられるのに。

 それは世界の半分といったあやふやな形容にも納得がいくほどのものなのは確かなのだけれど、だけどそれにしてはできることが少ないんじゃないだろうか。

 天候だって操れないわけじゃないけど疲れるっていうし、私のそこそこ無礼な物言いに不快じゃないわけでもなさそうなのに何の制裁をする気配もない。いくら私に何か求めるものがあるのだとしても、加減した威嚇程度はしたほうが効率的だと考えてもおかしくはないだろうに。


「……ねえ、ユキヒロ。もしかしてあっちの世界の魔王は」

「いないから。エルネスさん、あっちに魔王実在しないから」

「だってカズハはあんな自信満々に」

「いつもでしょ」


 エルネスはほんとすごいしょっぱい顔してても美人だ。





 礼くんの手からチップを拾い、サイコロのように私の手の中でふたつを揺すれば、さりさりとこすれた軽い音。


「我らの力を疑うか」


 魔王は今まで包み込むようにしていたカップを、やけに優雅な手つきですいっと脇に逸らして何もない空中で手を離す。瞬く間にひじ掛けから伸びた蔓がカップを受け止めた。

 これまで会話ごとに変わっていた声音が、全て重なる。聖堂に響き渡るオルガンのような和音は、このすり鉢の底みたいな中庭の空気を重くさせた。


「力があるのはわかるよ。さすがに。でもそれがどんな力なのかわからない。それで一体何ができるの?」


 わざとらしく小首を傾げて見せると、魔王は眉間に僅かな皺を寄せた。


「できることが私のしたいことかどうかわからなきゃ、欲しいかどうかもわからないじゃない」


 和葉ちゃん……? 小さく小さく窺うような翔太君の声が耳に入る。大丈夫。きっとあやめさんが翔太君に寄り添っているはずだから振り向かない。幸宏さんだってエルネスを窘められると同時に二人の前にいつでも出られる位置取りをキープしていた。

 ザギルはいつも通りに、ほんのちょっとだけみんなから離れたところで、行儀悪く地面にしゃがみこんでるようでいて即座に膝に力をためられる姿勢でいるのが視界の隅に入っている。


「―――なるほど。力は力だとしか答えようがないんだがな」


 とん、とん、と魔王は桜色の可愛らしい爪で顎を叩きながらわずかな時間瞑目して空を仰ぎ言葉を続けた。


「力は力だ。何をなせるようになるのかはその者自身による。魂の形と量に依存するといっていい」

「じゃあ、もし私がそれを手に入れたとして、何ができるようになるのかはわからないってこと? それじゃしたいことができるかどうかは出たとこ勝負だなんて、そんな博打にモルダモーデたちはのったってことなの?」

「アレらのうち、誰一人今まで後悔を口にした者はいない」

「人は言葉にすることが全てではないよ。魔王はどうだか知らないけど」

「そうらしいな」


 まるで心の位置は同じだとばかりに、魔王はそっと自分の胸をなでおろす。

 幾人もの声が重なり合う音は厳かなほどに静かだ。

 ゆっくりともちあげられた瞼の下から、ゆらりゆらりと波打つように色を変える瞳が覗く。


「どこにでも瞬時に移動できる力、数舜先の未来を知る力、荒野を草原に変えられるほどに芽を息吹かせる力、こことは別の世界を鏡に映し出せる力、動物たちを意のままに操れる力、様々だ。アレらが自ら持つ性質に相応しい力をそれぞれ手に入れ……望みは叶っていた。だからこそアレらは次代を選び引き継いでいた。我らはそう聞いている」

「ふうん? その自ら持つ性質に相応しい力って、その、護る者とか奪う者とかそういうあれのこと? それとも私が持ってるような固有魔法のこと?」

「その二つは元々切り離せないものだ。その者のもつ性質が望み求めるものを手に入れるための力となる。実際にその力を使って直接望みを叶えられるかどうかは別だがな」

「謎かけか。もっとこう、はっきり具体的に言えないの?」


 頑是ない子どもに呆れるかのような小さなため息を鼻でつく魔王に、少しイラっとした。嘘。結構イラっとした。


「どんな力を持っていたところで、どう使うかはその者次第だ。我らにはアレらがそれぞれ何故そう使ったのかまでわからんし、お前たち人というものはいつだって望みはひとつではなかろう。我らが知っているのはアレらは望みのうち最低ひとつは叶えられたということだけだ」


 なるほど。全ての望みがというわけではないのか。

 けれど、魔族となって姿も変わり、それまで共に過ごしてきた人たちと離れても、差し引き後悔をしない程度に望みは叶ったと。


「……そこまでして叶えたいもの」


 勇者の歴史から姿を消した者たち。勇者はいつも複数が召喚されている。

 幸宏さんは前に「複数呼ばれることにもきっと意味がある」と言っていたか。

 それは多分正解だったんだろう。

 そもそも召喚魔法陣は人数を召喚条件にいれているのだから意味がないわけがないんだ。

 だって私自身が、もうとっくにこの子たちがとてもかわいくて大切になっている。


 それなのに、ともに過ごした仲間と離れてまで叶えたいもの?


「一度失ったものをまた手に入れた時、お前たちはそれをまた手放せるか」


 魔王の視線はひたと私を射抜いている。

 重なる声音は忍び寄るように私の鼓膜を揺らしている。


「お前たちはそれまで手に入れたものを失い、それらへの執着そのものも全て捨ててきている。だからこそ、新たな執着はより一層強くお前たちの中に巣食っただろう?」


 それは問いの形を借りた断定。


「我らとて、一度はこの世界を失いかけた。奪われかけた。我ら自身が礎となり築きあげ愛しみ慈しんだこの世界が崩れかけた時、我らはこの身を削り支えた。今もなお我らの力はこの世界そのものだ。もう二度と壊させはしない」


 勇者は元の世界への執着を失うことで弾き出されたと言っていた。

 ここはどこかの世界から弾き出されものたちが、寄り添いあって創り上げた世界。

 はじまりの存在である魔王も、元はどこかから弾き出された存在で。

 それは、そうだろう。産み育て失いかけてまた育てなおした場所。手放せるわけがない。


 いつの間にか強い光を宿しはじめた瞳が、お前たちも同じだと、そう言っている。


「ここは世界に拒まれた者がたどり着く場所だ」


 確かにさっきそう聞いたばかりだ。それがこの世界の成り立ちであり(ことわり)だと。


「失ったものを取り戻せただろう」


 誰かの息を呑む音が耳に届いて、そんな微かな音を伝えるほどに空気が静かに張り詰めていることに気がついた。

 いつかもう一度と思い続けたまま、硬くなっていった関節は何の抵抗もなく開く様になっていた。


「捨ててきたはずのものはいつの間にかまたその手にあっただろう」


 全てがどうでもよくなった瞬間が重なることが召喚の条件だったという魔王の言葉を信じるのなら、ああなるほどと納得していたみんなも今何かを思い起こしているのだろうか。

 きゃらきゃらと甲高く響く子どもたちの笑い声。きゅうと私の指を握りしめた小さな手。

 自分を奮い立たせるために、何度も何度も思い返してはいつしか擦り切れていったもの。


「思い出した過去の絶望は、再び手にした希望をより強く輝かせただろう」


 絶望を思い出せとモルダモーデは言った。

 そうかと、改めて腑に落ちる。


「この世界のものは、お前たちを否定することはない。拒むこともない。ただ喜びをもって迎え入れられただろう。我らの力でそう導いている。お前たちが元の世界でずっと手にできず、手にできないからこそ切望し続けたものだっただろう?」


 なによそれ。そう小さくこぼれおちた声はあやめさん。

 エルネスの、は? って声は、ため息のように吐き出された

 私の肩に触れていた指の温もりがぴくりと震えて僅かに浮いた。


 ずっとずっと不思議に思っていた。

 何故この強大な勇者の力を強く求めないのか。いつだって私たちの意思をまず最初に尊重してくれた。

 まださほど親しくなってもいないのに、どうしてこの人たちはこんなにも私たちを守ろうとするのか。

 当初は戦闘を辞退すると言っていた私なのに、他のみんなと同じように扱ってくれた。

 まだ子どもだとなれば、前線へ行くのを反対までされた。

 自分たちの仲間が次々と前線で失われていく中、それでも誰一人、私たちを急かそうとはしなかった。

 勇者としての働きをしない勇者なのに、それでもこちらが問答無用で招いたのだからと、それを当たり前だとは命を脅かされない環境で育ったから簡単に言えることだ。

 私たちの当たり前が当たり前であれるほど、この世界の環境はけして優しいものではないはずなのに。


「魔王の力はそこで使ってるの? その導きとやらで?」

「お前たちが通ってきた遺跡は、三国全ての拠点に通じているからな。それでもかなりの量は消費する」

「あー、そうね。南にまでは届かないくらいなんだもんね。拠点と言ったらうちで言えばカザルナ城になるってことなのね」


 国の指導者を中心に、その影響力が広がっていくイメージなんだろうか。

 それなら城から離れれば離れるほど、南に行けば行くほど、エルネスがよく言う勇者への誠意が薄れるというのもわかる。あのなんとか砦はそれなりに遠い場所にあったはず。


「導きってものが具体的にどんなものかわかんないけど、あれかな、三大同盟国間での約定とか関係ある?」

「直接個々に強制するほどの力は消費が大きすぎるからそれを軸にしている。影響下にあれば自然に従ってしまう程度のものだが、それでも維持し続けることは我らの力をもってしてもそこそこな消費だからな」

「なるほど。つまり魔王の力は世界の壁と三国の拠点を中心とした導きとやらの維持に大半が使われてるから、違うことに回す余力もできることもあんまりないと」

「……目に見えぬものを説明するのは難しいとアレらも言っていたことがあるが、こういうことか」


 何故だか妙に苦々しそうに魔王が何か言ってるけど、いやちゃんとわかったし。確かに膨大な力は必要となるだろうなくらいがふわっと。なんとなく。そしてなかなかに納得できると頷いていたら、ひどく控えめに服の肩口を引かれた。

 見上げれば、ついさっきまで頼もしく毅然としていたザザさんの眉がへにゃりと下がってる。え?


「なんでそんな顔してんですか!? おなか痛い!?」

「むしろなんで和葉平気な顔してるの!?」

「何が!?」


 見回せば、叫んだあやめさんは若干涙目だし、エルネスはなんか顔を紅潮させてぷるぷるしてるし、そのエルネスを幸宏さんがぎょっとしてみてるし、翔太君はおろおろした顔してて。

 礼くんとザギルはきょとんとしてるけど。


 え、ほんとなにが?


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