92話 つじつまあわせによばれた勇者
「ああ、覚えたというのは正確ではないな。教えた、だ。奪う者である竜人が与えた知識と技術は、奪うためのものでもあったと、我らが気づいたときにはもう築きあげた時間の半分もかからずに滅びかけていた」
それはおそらく私たちが危惧した未来。
段階を経ず一気に進んだ文明は劇薬になりかねないと、私たちは伝える情報を選別しようとしたけれど、はるか昔にこの世界はそれをすでに経験していたらしい。
さぁっと、冴えた風が頭上から吹き込んでくる。
緩やかに流れていた薄雲が速度をあげたのが、足元に落ちる陰でわかる。
しゃらりしゃらり、しゃらしゃら、ガラス細工みたいな低木の葉擦れはテンポをあげていく。
魔王を照らす日差しが明度をあげて、その瞳も、周囲を囲む氷の城壁も、輝きを増して荘厳さを演出している。
「それは、古代文明の話かしら? 例えばこの城も?」
エルネスは、ペン軸の尻で唇をなぞりながら問い、魔王は頷きで答え、んふーと鼻息を荒くしてメモをとる。ぶれない。本当にぶれない。今にもにじりよりそうなエルネスのローブの裾を、幸宏さんが椅子から若干腰を浮かせて手を伸ばしそっとつかんでる。
「てことは、古代遺跡、城のそばの遺跡とかもそうですよねっ、竜人の文明ってことは、だからザギルが扉とかあけれたのではっ」
あー、なるほど。あやめさんが師匠に続いて細かく頷きながら立ち上がろうとするのを、翔太君が軽く肩を押さえて再度座らせる。なるほど。役割分担……。
「……和葉ちゃん抱っこ」
「眠くなった? おいで」
若干よたつきながら寄ってくる礼くんを私の椅子に座らせて、その膝に腰かければ、私のおなかに両腕回して後頭部に頬ずりしてくる。まだ寝ないといいつつも、背中にぽかぽかと伝わる体温は少し高い。……あれ? そういえば。
「おまえらちょっと空気読めや……」
「ザギルに言われたくない。かばん漁っても何もないってもう。てか、寒くなくない? この辺寒くなくない?」
「竜人の魂が彷徨う? のは、古代文明が滅びかけたことと関係が?」
「今ごろかよ!」
「和葉ちゃん……僕らとっくに身体強化切ってるよ……」
「ああ、でも、まず彷徨うといった事象の解説が欲しいわね」
「マジで……いつから……」
「この中庭に入ってしばらくしてからですよ」
振り仰げば確かに断崖からは変わらず樹氷が覗き込んでいるのに、地下での凍りつく寒さが感じられない。暖かくこそないけれど、今のこのジャージとマントで涼しく感じる程度。
「ほんと空気読めねぇな」
「ぶふぉっちょっザギルうまいこというなって」
「……おい、ザザといったか。こやつらはいつもこうか」
「どうかしら。魔王さん。そのあたりから古代文明の詳細まで教えていただけるのよね」
「いつもこうですね」
「そうか……」
ザザさんが礼くんの髪を梳かすように撫で、小腹が空いたのかからっぽのかばんに舌打ちしてるザギル。エルネスとあやめさんが魔王をきらきらの目で急かして、その二人を翔太君が残念そうな顔してみてて。幸宏さんはエルネスのローブの裾をつまんだまま肩を震わせてる。うん。いつも通りだ。
◇
「風通しよくしようとして窓開けてたらいつの間にか暴風雨だった的な?」
「それな。宿舎住まい時代に呆然としたわ……」
翔太君の例えに、幸宏さんがちょっと遠い目で頷いてる。どんだけ油断したんだ。わかりやすいけど。やったことあるけど。
「つまり停滞した世界にあけた風穴をとおってきた竜人が、期待通りどころか期待以上に働きすぎちゃったから排除しようとしたと、そういうこと? ―――知恵の樹の実と蛇みたいだね」
アダムとイブが蛇にそそのかされて手にした知恵の樹の実。林檎だとか桃だとか色々説はあるらしいけれど。あっちじゃ楽園から追放されたのはアダムとイブで、こっちでは蛇が追放された、と。
「それは神話?」
「んー、宗教?」
私が持ちだした創世記を問うエルネスに、翔太君が答える。
「あれ、カズハさんって何か特定の信仰もってたんですか」
「いえ特にはないですね。あれですよ。雑学の範囲内です。あっちじゃメジャーな宗教団体なんで」
「なるほど。では婚姻の儀式とか決まり事というのは」
「こっ!? い、いやこだわり、はない、です」
やだ。どうしてこう唐突にぶっこんでくるのかしらこのイケメン! よしって顔しないで!
「やっぱ和葉には白無垢が似合うと思うけど、ちょっとこっちじゃ無理かなぁ。でもウェディングドレスは外せないしそれなら用意できるよね、和葉お色直し何回する?」
「え、何回て何回」
「うふふーねえ、エルネスさんこっちの花嫁衣裳ってどんなのですか」
「アヤメ詳しく。シロムクとは」
え。なんでザザさんあやめさんに聞くの。私の衣装の話では? 流れるようにあやめさんがかぶせてきたけれど私の衣装の話では?
「種族とか地域によるわねぇ。というかそっちじゃ違うの?」
「はいはいはいはい、後でねーそれ帰ってからねー。なんで和葉ちゃんよりあやめが先に張り切るんだよ」
花嫁衣裳ねぇ。元夫とは式も披露宴もあげてないんだよね。そりゃ特にこだわりも希望もなかったので気にしてなかったけれど、それ以前にするしないの意向も聞かれていなかった。……意向を聞かれていないのは今も同じな気もする。のに。こう、やだわちょっと耳が熱い。
「……続けていいか」
「あ、どうぞ」
何故だろう。どんどん魔王の威厳が剥がれ落ちていってる気がする。
「竜人は奪う者だ。世界が安定してから壁が厚くなって閉ざされるまでの間にこの世界に流れ着いたものは、皆この世界の理に影響を与えながらも融けこんでいった。竜人は違う。この世界の者も、その魂も、理すらも己達と同じものにしようとした。融けこむのではなく、喰いつくそうとした。……それが竜人がいた世界の理だったんだろう。最初に辿り着いた竜人は、召喚魔法陣をつくりあげ同胞たちを呼びよせた。我らが厭うたのはそいつらだ。そいつらが滅びを招こうとしたから、弾き出そうとしたが肉体から魂は弾き出せても世界からは弾き出せなかった―――おい」
「なに」
「茶をくれ」
「あ、はい」
何かこの流れがおかしいと思いつつ、仕方ないからお代わりを注いだ。
「……カズハさん、馴染まないでください」
「!? っそ、そんなわけないじゃないですかっなっ何いってるんですか気のせいですよっ」
あっぶなっあっぶな! なんか変だと!
ちょっと油断してた。いつの間にかもてなしてた。
「弾き出せなかった魂は、それでも元の肉体には戻れないしつくりだせない。この世界の理が受け入れない。彷徨い続けた挙句に、我らの力が及びにくい南で他人の肉体を乗っ取ることを覚えた。肉体が死ねば次の肉体へとうつるうちに記憶も薄れ力も弱まっていったようだな。消滅したものもある。―――そいつは残っているうちのひとつだ」
「ほっほぉ……ザギル」
「あぁ?」
「あんた元の仲間に会いたい?」
「馬鹿じゃねぇの知るか」
「だよね。んじゃあ、いっか」
「おう」
確か、南で竜人の先祖返りは生まれるとか、そういう人は反乱起こしたりするとか言ってた。
なるほど、南は魔王の力が及びにくいからなのか。遠いからか。
「……いいのか」
「なにが」
「いや……いい」
鼻から小さなため息をついた魔王は、お茶をもう一口すする。
「で、召喚魔法陣が出てくるわけね。そのお話だと竜人の世界から召喚するためのもののようだけど、城にある召喚魔法陣との関係は? あるわよね? どう考えてもあるわよね? 誰が改造したの? 魔王さん? 改造したってことは解読できるのよね? 魔王様? ちょっとこれ城の魔法陣の写しなんだけど」
「エルネスさんっちょっステイ! ステイ!」
パラパラとメモを的確に操り、目当てのページを素早く指し示しながら、またにじり寄ろうとしだしたエルネスのローブを、幸宏さんが今度はしっかりがっちりとひっぱってる。魔王はちょっとのけぞった!
魔王をも圧倒する覇気とかエルネスほんとに素晴らしいとしか言えない。
「……自ら断罪した文明なのに、城の魔法陣に関わりがあるんですか?」
ザザさんの声のトーンが僅かに下がった。
「使えるものは使う」
「まあ……わかる」
声は変われど、トーンの変わらない魔王は、少しだけ目を伏せてカップを覗き込みながら答え、幸宏さんが珍しく眉間に皺を寄せて続いた。いやまあわかるけど。使うよね。もったいないし、使いこなせるものが使う分には力は力でしかない。
「勇者の召喚魔法陣をあなたがつくったということか? 何のためにだ。何故」
「召喚するために決まってるだろう」
意図がのみこめないかのように片眉をあげる魔王を見据えるザザさんが、静かに怒ってる。
このザザさんは見たことがある。
攫われた私を迎えに来てくれた時のザザさんだ。
暖かなランタンの灯りに照らされながら、ちりちりと産毛の先を焦がすような怒りを纏わせた、あの時のザザさんだ。
今、清廉と明るい光の下で見るザザさんは、私たちを囲む氷の城のように硬質な表情を浮かべているけれど―――めっちゃ怒ってる。あの時と同じくらい怒ってる。
(和葉ちゃん……見蕩れすぎ)
(し、失礼……)
いやだってかっこいいから……
「つまりアレか。お前が勇者を呼ばせたのか。なんの関わりもない人たちを、勝手に、俺たちに召喚させるために」
「必要だからな。竜人の魔法陣はよく出来ていた。この世界にちょうどよい揺らぎを与えられる程度に進んだ、それでいて違う文明をもつ世界を指定できた」
「ふざけるなっそれでよく竜人が奪う者だと言える! 俺たちに何を奪わせた!! 争いなどない国から勝手に連れ出させたんだぞ!」
ザザさんは、元々召喚自体に反対してたんだよね。
罪悪感などいらないと言っても、あちらに未練などないと言っても、それでも平和な国で暮らせることは替えがたいものだったはずだと。
仮に帰せるとなったとしても、帰す気はないけれど、それなのに、向こうと同じものを用意してやれないと。
今でははっきりと言葉にはしなくなったけど、向こうの話の折とかに、瞳の奥を曇らせていることがあった。
だからまた私たちのために怒ってる。
「……え? 氷壁なんで急にキレて「お前は黙ってろ!」」
(……あんだよ、意味わかんねぇんだけど)
(あ、うん、ザギルさんはそれでいいと思う……)
うん。私もザギルはザギルだと思う。よくこの空気でそれ言えた。むしろ小声にした分、意外に空気読んだ。
「んー……ザザさん?」
頭の上から礼くんのくぐもった声。やっぱりちょっと寝ちゃってたか。
首をひねって見上げれば、礼くんが目を瞬かせてた。
「ああ、すみませんレイ。起こしましたね」
礼くんの前髪を梳かす手は優しいけれど、まだ少し声は押し込めた怒りのせいで震えてる。
「おい、レイとやら」
「なにー?」
「こっちの世界は向こうと比べてどうだ」
「楽しいよっ」
「そうだろう。そう感じられる者を選んでいる」
「そういうことではっ」
「―――ザザさん? ぼく楽しいよ? ほんとだよ?」
「レイ……」
ザザさんの袖をひく礼くんを見下ろすザザさんの眉尻が下がってる。
ザザさんが罪悪感を持つ必要なんてない。彼のせいなんかじゃない。
何より私たちはみんな元の世界に絶望していたのだから。未練などなかったのだから。
むしろありがとうと言ってもいいくらいだ。
だけど、礼くんのことだけは。
元の世界にいたほうがよかったかもなんて馬鹿なことを言っているわけではなく、自分たちの子どもとして育てたかったと思うくらいのこの子のことだけは。
召喚によって、年相応以上に賢いとはいえ、まだ幼い十歳の心のままで大人の身体を持ってしまったこの子のことだけは。
本人が受け入れているとしても。
パパと同じになれてうれしかったと言っていても。
大人と同じに強くなれたと喜んでいても。
子どもでいられる時間の貴重さは、大人になってからでないとわからない。
大人になってからこそ、わかるもの。
ゆっくりと心身ともに育つ時間を、この子は知らないまま奪われた。
今が楽しいと笑う礼くんに、どうしてこの残酷さを今言えるだろう。
自分よりも背が高い子どもに、一緒に暮らそうと言える彼の痛みに、奪われたのではなく捨ててきたのだと胸を張れる私には何もしてあげることができない。
「―――ええ、僕もレイが来てくれて嬉しくて楽しいですよ」
ふふーと照れ笑いする礼くんの前髪をくしゃりと撫でて、ザザさんはいつもの笑顔をみせた。
「選んだと言ったわね? 世界だけではなく個人も選んだと?」
エルネスが椅子に深くかけなおし、メモを膝において背を伸ばした。
幸宏さんがメモを二度見してる。わかる。
「個人を指定できるわけなかろう。条件を指定しただけだ」
「……条件」
次の問いを躊躇う素振りのエルネスを、ザギルが誰だこいつって顔してみてる。わかる。
まあね、好奇心が常に爆走しているエルネスだけど、それは私たち自身のことよりも優先順位は低いんだよね。それは今私たちが知ってよいものなのかどうか迷っているんだろう。
「で、なんですか。それ。条件って。これ、この魔法陣のどのあたりの記述が」
あやめさんがエルネスの膝のメモを覗き込みながら、軽やかに師匠代行をつとめた。エルネス、あんたは立派に弟子を育ててるよ……。
おひさしぶりです!おくればせながらのあけおめです!
そろそろ終盤なのでストックしてから一気にと企みつつ、全然書けなくなってましたぁあ!
リハビリに書いたおはなしから流れてきてくださったからなのか、停滞しているにも関わらず評価をいれていってくださいまして、せめて「三か月以上更新されていません」メッセージだけでも消さねばと……っ消さねばと……っ
あ、ストックは結局できてません……もうちょっとどうぞお付き合いください。
今年もよろしくお願いしますっ