90話 あのこと! すきゃんだる!
『あの坊やもよかったけど、やっぱり君がいい』
モルダモーデは、私と礼くんを天秤にかけていた。それは何のために選ぶのか。消すためなのか連れ去るためなのか。
城に現れたエセモルダモーデたちは私に狙いを定めていた。それは私を選んだということ。殺そうと思えば殺せたのだろう。実際死にかけた。けれども、私はこのとおり生き残っている。それは即死するダメージではなかったからだ。斬り飛ばされたのは片腕と脇腹。多分、首を刎ねようと思えばできたはず。だけどそうしなかった。さすがに首を刎ねられていたら、あやめさんにだって回復はできなかった。この世界に蘇生魔法はない。なんならさっき魔王自身が蘇生はできないといった。
『俺たちにも予定があってね、少し時間をあげることにしたんだ』
なんの予定だったのか。予定があるといったモルダモーデ自身はもう棺の中に横たわっている。
各世代の勇者たちの中から一人か二人が魔族となって姿を消している。それが自発的なものなのか、選ぶに選べない状況でそうなってしまったのか、そうさせられてしまったのか。―――モルダモーデの態度からいって、自らの意思がまるでなかったようには見えない。
勇者の成熟には数年単位の時間を必要としていた。モルダモーデを含む消えた勇者たちは全て成熟してからいなくなっている。
なのに、私たちは召喚されてまだ一年と経っていない。古代遺跡のあの転移陣の光は私だけに纏わりついて引きずり込んだ。みんなは私にしがみついて一緒に来てしまっただけ。
問答無用に襲い掛かった私を軽く行動不能にはしたけれど、攻撃はしてきていない。
ならば。
それらのことから考えるに。
「―――つまり、あんたは私が必要なんでしょ? 必要だから殺すわけにいかない。モルダモーデは私たちに恩着せがましく時間をやると言ったけど、違うよね。召喚されてから成熟するまでの数年の間に姿を消した勇者は過去居ない。なのに私たちは召喚されてまだ一年たっていない。急いでるんでしょ。あんたたちの都合で、急いで私を手に入れる必要があるんだよね?」
相手が望むものをこちらがもっているのならそれを武器にするのが基本。勇者パワーがあってもふりほどけないこのつる草が、今まさに全員の脚に纏わりついて自由が効かない状態だとしても。
私は私自身を切り札にして、このとりすました顔の子どもと対等に交渉することができるはず。
魔王を名乗った子どもは、泰然と寛ぐ姿勢で無表情のまま私を見上げている。
「だったら私たちは客でしょう。願いがあるならまずはもてなしなさい」
「もてなし」
きらきらと赤紫に青緑に光を弾く瞳で、薄桃色の柔らかそうな唇で、無垢な幼子そのままの顔して、その顔に見合わない低くて渋いバリトンボイスで。
「……もてなし、とは?」
よし! そっからか! わかった! 対等な交渉はまず認識のすり合わせからだね!
◇
「いやまあわかんないでもないけどさ、いの一番に要求するのがもてなしってのもどうかと思うよ」
「幸宏さん、おもてなしをなめるんですかどうなんですかそれ日本人として。あ、ひじ掛けほしい―――よし」
伸びた草が編まれ、溶け合いその編み目を無くして、出来上がった一人掛ソファに深く腰掛けた。座面の端まで膝が届かなくて足先は浮いているけど、まあ、座り心地は悪くない。
魔王に正対する私の左右斜め後ろを囲むように、同じ椅子が人数分作られてザザさん以外は腰かけている。ザザさんだけは私の横に立っている。
「椅子がもてなしというものか」
「お茶とか出して」
「ない」
「……しょうがないな。貸しだからね。礼くん、かばんちょうだい」
「はあい」
移動中私を抱え込むために礼くんに預けていたかばんをひきとってお茶の準備を始めた。
かちゃかちゃとカップの触れ合う音だけがする静けさの中で、ザギルがなんともいえないような声で呟く。
「……なんだろうなこのダルっとした感じ」
「ユキヒロ、どうなのこれあっちの世界ではこういう」
「やめてもういつもいってるじゃないっすかエルネスさん一般化しないで」
ザギルとエルネスが幸宏さんからあやめさんと翔太君に視線を流すと、二人とも徐に首を横に振った。礼くんはカップを並べてくれて、ザザさんはなんか悟りを開いたような顔してる。
もうほんとみんなわかってないわ。こちらのペースに持ち込むのは基本じゃないの基本。
「てめぇ、何鼻で笑ってんだむかつくなおい」
「お茶要らないの」
「いるわ」
配給方式でそれぞれにカップが渡ったけれど、魔王はどっしりと構えたまま動かない。
「いるの? いらないの?」
またこてりと首を傾げた後、ひょいと椅子から飛び降りてきて、両手を差し出す姿が子どもらしすぎて違和感がひどい。指先を暖めるかのようにカップを包み、湯気を顔に浴びて覗き込んでる。
「熱い茶は久しぶりだ」
「普段どうしてんの」
「別に飲み食いは必要ないからな。アレらが飲むときにつきあう程度だった」
「必要ないって、さっき団子食べてたじゃない」
「供物を喰っただけだ」
「あんたへの供物じゃないでしょ。ゴーストへの差し入れなんだから。食べたくなきゃ食べないでいいじゃないの」
「あいつらは我らのものだ。あいつらのものは我らのものだろう」
ぷいっと踵をかえして席に戻るとかなにそれ。今拗ねた? なんか今うっすら唇とがってたっぽいんだけど。気のせいか? え、なにそれ。なんなの罠?
(……あざとくない?)
あやめさんの囁きに思わず頷いた。
尊大な口調は王子様じみていて、ルディ王子っぽくもある。けれど朗らかで放埓な彼とは違って、様々な声音で紡がれるそれは平坦で単調だ。
私も席について一口お茶を啜ると、その淡々とした声がザザさんに向けられた。
「お前は座らぬのか」
斜め上にあるザザさんの顔は騎士団長の顔。小豆の時もそうだったけど、護衛モードの時は座らないんだよね。
勇者陣の中で私が最前列で魔王に向かい合っているから、その隣が護衛として最適なポジションなんだろう。戦闘スタイルは指揮官でもあるしどちらかと言えば後衛なんだけど、護衛なら話は別だし。
……飛びだす私を押さえる役回りを礼くんから交代したわけじゃないはずだ。多分。そっと肩に指先を置かれているけどチガウはず。おそらく。
「……妻の隣は夫の場所です。お気遣いなく」
「そっち!?」
やだもうなにほんとこのイケメン。何度でもいう。なにこのイケメン。
ふむ、と目を細めた魔王の顔にはほんの少し感情がのっているようにも思える。それがどういうものなのかはわからないけれど。
「かなり血は薄まっているはずだが、随分アレに似ているな。道理で喜んでいた」
「……なんのことです」
アレって、さっきから魔王が言うアレは文脈から言ってモルダモーデだと思う。けど。
ザザさんは怪訝そうに眉を顰めていた。
「何代目かは知らんがな。お前はアレの血筋だろう」
「―――は?」
「そうなの!?」
思わず袖掴んで叫んだら、ザザさんは思いっきり首を横に振った。
「えっいや知りませんよそんな話」
「あ、ああああ、ほら、モルダモーデって城の侍女と付き合ってたっていってたっすよね!?」
「ちょっとザザ聞いてないの。先祖に未婚で子ども産んだ女性とか!」
「なにそれあいつやり逃げしたってこと!? さいてー!」
「あやめちゃんっ言い方っ」
「だってそうじゃないっ」
まさかのモルダモーデゴシップに湧く私たちに、魔王がちょっとだけのけぞって引いてた。
「……うちの一族、騎士とか兵士が多くてですね、早いうちに夫を亡くすこともよくあるんで子どもは一族総出で育てるのが当たり前で」
ああ、魔物発生率が高いって言ってたっけ。ザザさんとこは領主一族だし、貴族だから魔力も多いし、そうなると戦闘力も高めだろうしな。
「なので、領外から子どもだけ連れて帰ってくる女性もそこそこいまして……」
「珍しいことじゃないからわからないと」
「まあ、そうですね……」
カザルナ王国は結婚事情かなりフリーダムだし、初婚年齢こそ低めだけれど離婚率も再婚率も何気に高い。いやむしろ初婚年齢が低いからか。子どもの成人も早いしリセットしやすいもんね。ザザさんの一族は一夫一妻の夫婦ばかりだと言っていたけど、ザザさん自身今も七人兄弟で、それが標準だということは一族みんな大家族なんだろう。育て手が多くて出戻りにも抵抗ないなら、まあ、そういう家風になるよね。
確か都道府県別の離婚率が高い地域のうちのひとつには、気安く出戻れる土台があったからってとこがあると何かで読んだことがある。
「いやしかしさすがに勇者が相手なら伝わってそうですが……」
「だよねぇ。勇者の血筋って結構大事にされるってエルネス言ってたよね?」
「……だからじゃないかしらねぇ。囲い込まれるのを避けたとか? 矜持の足りない貴族もいるし、勇者本人がいないなら警戒するってこともありえるわよ。そうならないように国で保護しようとはするだろうけど……」
「隠して信頼できる実家に戻るほうが楽よね……」
「そうでしょうねぇ」
「やっぱりさいてーじゃないさいてー」
「そりゃ子どもできたからって逃げたんならそうでしょうけどねぇ」
別にモルダモーデの肩もつわけじゃないけど、そのあたりはわからないのでなんともってとこよね。あやめさんは元々潔癖なとこあるからなぁ。でも、ぷんと頬を染めてるあやめさんかわいい。
「……アレは知らなかったぞ。子が生まれてたのを知ったのは随分後のはずだ」
「へぇ。どんくらい?」
「さてな。十年だったか二十年だったか―――我らには大した差でもないしわからん」
アレとか言ってる割にモルダモーデを庇ってるのかな。つか、魔王っていうからには長命種なんだろうけど何年物なんだろうかこの魔王は。
「なんで子どものことわかったの」
「オートマタを通じて時々様子を確認してたらしいな」
モルダモーデの棺の方へちらりと視線を送ってから、また茶を一口含み、カップを包む両手をお腹に降ろして。
奴が棺の中でも抱えているオートマタ、リゼのことか。やっぱりリゼは斥候というか諜報役なのか。
「そういえば、オートマタはあんたのものなんじゃなかったの」
「アレにくれてやった。まだ何体も残っているからな。問題ない」
「……ふぅん? 名乗り出ようと思わなかったのかどうか知ってる?」
「知らん―――が」
「が?」
「お前らの言うところの魔族にもうなっていた。受け入れられるわけなかろう」
「そう?」
「アレはそう言っていた」
受け入れられるわけがない―――その言葉は、受け入れてもらいたい気持ちの裏返しだろう。
「―――似てないわよっだってザザさんは自分の子ほったらかしたりしないしっ絶対っ」
「だよね」
「アヤメ……ショウタ……」
あやめさんが不貞腐れた声をあげて、翔太君が続いた。ザザさんちょっとうれしそう。そだよねぇ。
「うん。ザザさんが避妊疎かにするとかないよね」
「……カズハさん」
ザザさんちょっと複雑そう。何故。
「アレも『護る者』だった。お前と同じだ」
魔法には適性が必要なものがある。代表的なものは回復魔法。その適性が一体何に依存するものなのか、遺伝なのか環境なのか、はっきりしたことは判明していない。
そして伸びる能力は本人の性質や欲が深く関わっているという説があると、ザギルが講釈してくれたことを思い出す。
ザギルは『奪う者』で、私は『与える者』らしい。ちょっと自分ではよくわからないし納得はあまりしていないけど。
本人の性質や欲が何に由来するものなのか、それは元の世界でだって判明していない。遺伝なのか環境なのか。
子どもが親と同じ性格になるとは限らない。似ているとしても、それは優しい人間は子どもが優しくあるように環境を整えたからかもしれない。ただその一方で、こうならないようにと心を尽くして育てても親の悪いところばかりそっくりに育つ子どももいる。ええ、経験で言ってますけど。
同じように育てても兄弟はそれぞれ性格が違うなんて本当によくあること。鬼子なんて言葉もあるくらいだし。
結局はわからないのだ。その者がどうしてそういう性質を持ったのかなど。こっちでもあっちでも。
だから魔王が言う『護る者』が、『奪う者』『与える者』と同じ本人の性質を示す言葉ならば、似てるのは血縁のせいだとはならないと思うんだけど。
そもそも本当に似てるかどうかも知らないし。
「魂の形とでも言えばわかりやすいか。血は大分薄まっているはずだから、血のせいかはどうかは知らんがアレとよく形が似ている。魔色も同じだろう? アレは碧が散った金だった」
あ、やっぱ遺伝かどうかとかはわからないんだ。ザザさんの魔色は金色と薄青。確かにモルダモーデは金瞳だった。至近距離でよく見たことないから碧が散ってたかどうかはわからない。
「その、魂の形? そんなもの見えるの?」
モルダモーデは私の魂が干からびてるとは言ってたけれど。
魔王は、すっと人差し指を私から後ろにずらして指し示す。
「―――癒す者、求める者、整える者、ああ、お前も護る者か」
あやめさん、エルネス、翔太君、幸宏さん。順番に視線と指先を送る。
「へぇ、俺ってばザザさんと同じなんだ」
「血縁ないのに」
「魂がいくつあると思ってる。全く同じというものはないが似通ってくることもある」
幸宏さんとザザさんが本質的に似たようなものを持っているということなのだろうか。なんとなく納得できなくもない。フォロー範囲というか視野の広さとか面倒見のよさとか。
「ぼくは? ぼくは?」
みんな大概すでに緊張感あんまりないけど、礼くんも気負いなく魔王に尋ねてる。両膝揃えて背を伸ばして、わくわく感に満ちている。大物。
「切り拓く者に近いがな……まだわからん。形がまだしっかり固まっていない」
「えー」
「子どもだから?」
「性質なんだから年関係ねぇだろ」
「滅多にいないが、固まりにくいものもいるし変わるものもいる―――お前、竜人ごときが何故こちら側に居つけたのかと思ってたが」
「ああ?」
魔王が初めてわかりやすく浮かべた表情は、厭わし気な、嫌悪。僅かに眉を寄せて、まるで視界の正面に入れたくもないように、ザギルを横目で見下している。
魔王が背にしている樹の肌が小さく抉られて弾けた。
一拍遅れて、ぽろりと転がるのはダイヤの原石。
ザザさんの指がきゅっと軽く私の肩を押さえたから、とんとんとその指を軽く撫ぜる。
「もてなしなさいと言ったでしょう。作法がなっとらん」
鼻を鳴らしたのか嘆息なのか。魔王はふんと息をついた。
「……竜人の魂は全て『奪う者』だ。ここともお前たちの世界とも違う世界の理を持つ者。血によって継がれるでなく、肉体を産みだせるでなく、彷徨ってはこの世界の肉体を奪うことで存在できる魂。我らの力によっても世界から追い出すことができん。せいぜいが南でしか彷徨えなくする程度だ。厭うて当たり前だろう」
「なん、だ、それ」
「親を覚えているか」
「知らねぇよ―――俺の、生まれたとこじゃ珍しくねぇ」
「育てた者のことは? どんな種族も育てられなくては生きられない期間はある」
「知ら、……ガキなら覚えてねぇことだって」
「ある日突然、お前は『そこ』にいた。違うか」
振り向いて、椅子の背もたれから斜め後ろを覗けば、ザギルが胃のあたりの服を握りしめている。
ポケットのダイヤを全部掴み放り上げて、魔王へ叩き込んだ。
「あ? うちの子に何いちゃもんくれてんの?」