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9話 嚥下障害に高笑いは厳しい

 耳の奥で、ふーっふーっとざらついた息が渦巻く。

 うなじの産毛がじりじりと逆立っている。

 上半分を削り取られた獣だったものの断面は年輪のように線を描き、それがずるりと形を緩め、四肢が崩れ落ちる。

 くつくつと赤黒い血が土に染み込んでいく。


「礼くん、立てるね?」

「か、かずはちゃ」

「立てるね? 大丈夫だから。立ちなさいっ」

「―――はいっ」


 肉塊は動かないけれど、まだ、残り二匹は暴れている。

 こちらに向かいかけたザザさんは、私たちの無事を確認してまた指示と援護に戻っている。

 セトさんは少し離れたところでまだ片膝をついていた。

 背後で礼くんが立ち上がったのが気配でわかった。


「あのね、セトさんを助けて。ほら、肩を貸してあげて? できるね?」

「でも」

「だいじょうぶ。できる。ね、お願い。あの馬車の陰に連れて行ってあげて」

「……わ、わかた」


 軽くけつまずいた音とともに礼くんがセトさんのほうへ駆け寄る。

 よし、少し離れさせられた。


 幸宏さんのほうと翔太君のほう、どちらに向かうべきか。

 それともさっきのように抜けてくることに、ここで備えるべきか。

 

 戦う術があるのなら、私に術があるとわかったのなら。

 守り方ももう決まった。

 背を向けるのなら、大切なものの方へ、だ。


 そう思いつつも、どうすべきか即断できずにいると、情勢が一気に傾いた。


「尾が落ちた! とどめをさせ! ―――落ちる前は駄目だ!」

 背後に回った騎士に尾を落とされた獣は前足を高く上げるけれど、その開いた腹から顎にかけて、幸宏さんの矢が何本も突き立っていった。

 もう一体の尾はまだ落ちていない。翔太君の鉄球が獣の頭にめり込んだ。


 地面と鉄球に頭をつぶされている獣の尾に、紫の光が収束していく。


「伏せろ!! 紫雷がくる!」


 サイツさんを持っていった光が、私の視界を埋めていく。


 ただの反射だったと思う。

 さほど反射神経に自信はなかったはずだけど、窓に飛び込んできたバッタを叩いたかのような感じに右腕が振り上げられて。


 ふぉんっ


 ハンマーは歪む空気をまとい、閃光の軌道を空へと変えた。

 

 ――――は?


 ほぼ同時に左半身を襲った衝撃が私を押し倒し、それが私を抱え込んだザザさんだと気付くまでの数秒、空とハンマーをそれぞれ三度見した。

 ザザさんも五度見くらいしてた。多分他の人たちも。


 幸宏さんと翔太君のそばの魔獣は二体とももう動かない。

 岩壁はすでに消えていて、森は何事もなかったかのように風に葉をそよがせていた。


「カズハさん……何したんです」

「……さあ?」


 ハンマーは握りしめられたまま、その頭の角を地面にめりこませていて、その重さが最初顕現させた時と変わらないことを主張している。

 ザザさんは左手で私の額を撫で上げ、全身を確認して頷いた。


「状況確認! 負傷者の応急処置が終わり次第撤収!」


 機敏に立ち上がるザザさんの声で、止まりかけてた時間が一気に流れ出す。

 動けない者へ駆け寄る者、指笛を鳴らして逃げた馬を呼ぶ者、馬車や荷車の状態を確認する者、荷車から毛布や担架を持ち出す者。

 サイツさんを毛布で丁寧にくるむ者。


 私はもう終わったのかどうかもわからなくて、魔獣は確かに全て殺したのだけれど、その実感が、そもそも今、命のやりとりをしていたということすらまだ実感らしきものがわいていなくて。

 いやでも、終わった気が全くしない。うなじはまだざわついている。



「そんな慌てなくても、もう攻撃しないよー」


 騒然とした場なのにも関わらず、そののんびりとした声は全ての者の耳に届いた。


「今日は今代の勇者を拝みにきただけだからさー、あ、気にしないで続けて続けて」


 いつからそこに立っていたのか。

 確かに私は周囲を確認した。

 私だけじゃない、他の人だってこんなのが陣地のど真ん中に立ってたら気づかないわけがない。


 緑がかった白い肌、背の中ほどまである艶やかな薄茶色の髪、夜の猫のような金の瞳。

 いびつな巻き角には小さな宝石がいくつも飾られていて、背には二対の蝙蝠の羽。


 いくらなんだって気づかないわけがない。

 なのに、ずっとそこにいましたけどなにかって顔している。


 城にも、王都を出る時に馬車から見た町にも、獣人やエルフ、ドワーフ、いろんな人がいた。

 容姿の違いはこの世界で危険信号とはなりえない。

 実際、軽薄としかいいようのない笑顔と声音には、殺意とか悪意とか、そんなものは含まれていない。


 けれど、警戒が心臓を爪でひっかく。

 再度散開し身構えた騎士たちの姿が、私の警戒心を裏付ける。


「……なぜ魔族がこんなところにいる」

「言ったろ? 新たに呼ばれた勇者たちがどんなものなのか見物しにきたのさ」


 低く唸るようなザザさんに、空手を示すように両掌をひらひらと見せてその男は嗤った。


「いやいやしかし、召喚されてまだ一月たってないよねぇ? まさかこいつらを三体も殺せるとは思わなかった。―――あ、こっちも殺す気はなかったんだよ? どんなものなのか小手調べっていうの? ちょっと遊ばせたらすぐ引き上げるつもりだったんだから。でもなんかちょっと手違いはあったみたいだねぇ。まあ、そこは戦争中だし大目にみてよ―――っとっと、落ち着いて」


 ザザさんが踏み出す前に、その爪先の地面が小さく爆ぜた。


 ……ちょっと手違い?


「君くらいの経験者ならわかるだろう? 俺はただの『魔族』ではくくれない。君らが国境線でじゃれてるようなのとは、そう、あれだよ、格が違うってやつだね。こっちはもう手を出さないっていってるんだからさ。蛮勇さはしまいこんでおくのがいいよ。ああ、そこの勇者くん、君もだ」


 かんっと硬質な軽い音が響いて、幸宏さんがガントレットを装備した左腕を抑えた。

 何かをぶつけているのかそうでないのか、うかがい知れる動作をこの魔族はとっていない。



「んー、五人ってきいてたんだけど、今回は四人参加? 随分ちびっちゃいのがいるけど、やっとこの国も変わったのか―――いや、あは、あははははははっ」


 魔族の男は、私と、礼くんを見比べて、突然笑い出した。


「あはっ何それっ、入れ替わりでもされたのかい! これは傑作だ! この国はやはり変わらないね! ふっ、ふははっげほっ」


 ……。


「あはっげほっ、あ、ひっひーーーっひ、げほっげほっげほっ、えっ、ちょっ待っ」


 待つわけがない。

 踏み出すと同時に脳天めがけてハンマーを振り下ろしたのに、男は身をよじって躱した。


 振りぬいたハンマーの勢いを殺さずに回転し、加速させてまた振り抜く。


「ちょっちょっちょっなにちょっ、げほっ、ひ、ひどくない!?」


 横薙ぎを上半身をそらして躱され、さらにその上からの追撃をサイドステップで避けられる。

 地面を穿ち、その反動で加速させ、右から、下からと、追っていくのに、それを全てむせかえりながら回避されてしまう。


「あー、もうっ」


 ばんっと、視界が真っ暗になった。

 口の中に土の味が広がって、地面に顔から叩きつけられたのがわかった。


 身体のどこも触られていないのに、地面に這いつくばったまま身動きがとれない。

 透明な板に押し潰されているように、ぎしぎしと体中の骨がきしむ。

 なにこれ。


「おばさん、落ち着いてよー、バーサーカーなの? そうなの?」


 格が違うと言った。だから私の実年齢までも気がつくのか。

 だからこいつはこんなにも、すべてが些末事のように笑っているのか。


「……っさい! あんたもいい年でしょう! 高笑いでむせるとか老人性の嚥下障害だ!」

「うわ。むっかつく」

「―――和葉ちゃん!」


 礼くんが呼んでる。地面を蹴る音が近づいてくる。駄目。


 ―――起きなきゃ。


 またぱりぱりと火花を散らしながら、両腕で地面を押し返すけれど、真横で何かが吹き飛んでいったのを感じる。何。何が。


「レイ!」

「おー、やるね、それを持ち上げるか。あー、だから君、やめなって。ほら、見えない? これ人質よ? 仲間が人質なってんのよ?」


 これ、というのは私のことらしい。頭がつつかれた。多分爪先でつついてる。

 ザザさん、礼くんどうしたの。押し付けられている顔を地面で擦りながら、なんとか横を見ようと首を曲げる。


「いくら頑丈でも、これだけ擦りつけたら顔傷ついちゃうよ? ほら、大丈夫だろう? 怪我はさせていないって、殺しにきたわけじゃ、わっ」


 髪を掴んで首から上だけ持ち上げられて、横たわり咳き込む礼くんと、助け起こすセトさん、ザザさんが見えた。口に含んだ小石を男の顔めがけて吹き飛ばすと、また顔面から地面に叩きつけられた。

 すぐに顔を持ち上げられ、覗き込まれる。はりついた笑顔で金目がわずかに揺れている。


「……ちょっととか、手違いとか、言うな。殺したくせに」

「―――なかなか。さっきの紫雷をはじいたのもすごいよね。おばさんだけ妙に戦闘慣れはしてないようなのになぁ。天性のパワーファイターなのかな? 未熟さゆえの暴走と、あの子は幼さゆえの蛮勇かな。面白いねえ。百五十年ぶりだけど、相変わらずくそったれで楽しませてもらえそうだ」


 鼻の頭がぶつかりそうなくらいの至近距離で、甘やかな声音で囁く。


「なぜおばさんだとわかるか教えようか? 魂がもう干からびてしわしわだからさ、ははっ、……でも、まだだ。まだ足りない。早く、―――絶望を思い出せ」


 蝙蝠の羽が、滑るように中空へ男を持ち上げる。


「じゃあね、百五十年ぶりの勇者たち。俺は魔王の側近モルダモーデ。運が良ければまた会えるだろうけど、健闘を祈ってるよ! あはっあはははははっ」


 けほっと最後にひとむせして、モルダモーデはゆらりと空気に溶けて消えた。







 ふっと、のしかかっていたものが消えて体を起こすことができた。

 跳ね起きて礼くんのほうへ駆け寄る。


「礼く「和葉ちゃん!!」ぐほっ」


 かなり頑丈な私の体でも、同じ勇者補正のある礼くんの鳩尾への頭突きは効いた。


「だいじょうぶ? 和葉ちゃん、だいじょうぶ? あああ、血! 鼻血!」


 ……多分今のが一番効いたんだけど、泥と血でぐちゃぐちゃになってるであろう私の顔を、触っていいものなのかどうなのか迷ってる子にそんなこと言えるはずもなく。


「礼くんも鼻血でてるよ」


 ジャージの袖口で礼くんの鼻を押さえると、みるみるうちに眦に涙があふれてくる。


「が、がずあぢゃん、ごべん。ごべんね。ぼく、な、にも」

「ううん、ちゃんとセトさん連れて行ってくれたね。私のことも助けようとしてくれたんだもんね。ありがとう。偉かったね」


 地面にへたり込んだ私の腹に、うずくまって頭を押し付けるように礼くんは泣き声をあげた。

 しがみつく力は成人男性のそれだし、まあ、はたから見ても少女にしがみついて号泣する成人男性だ。

 本当は勝ち目のない相手に挑んだことを、不用意に動いたことを叱らなくてはいけないのだろうけども。無様をさらした私にその資格はないだろう。


 優しい子だ。

 怖かっただろうに、自分も痛いだろうに、真っ先に私の怪我を心配してくれる。


「だいじょうぶだよ、だいすきだよ礼くん、いい子だね」


 緊張と恐怖を、年相応に開放させて泣く子が愛しくて、広い背中をさすり続けた。


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