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89話 やあ 我は魔王

 これまでの人生、特に強い憎しみなんてものをもった覚えはない。

 元々の性分なのか、実のところ他人にあまり興味がないせいなのか、好悪はあっても憎しみのような強い執着ともいえるものを抱いたことはなかったと思う。

 確かにこの世界に来てからこっち、制御しにくいほどの怒りやおさえることができない愛しさで感情を乱されることが増えたとはいえ。


 モルダモーデは必ず私が殺してやると決めてはいたけれど、それが憎しみ故だったと言われれば多分違うと思う。

 あの傲慢さが腹立たしかった。

 あの軽薄さが苛立たしかった。

 掠めることもできそうにない力の差を見せつけられることが気に障った。

 私の巣に土足で踏み入る無神経さが邪魔でしょうがなかった。


 だから。


 掃除機をかけたあとは雑巾がけをするように、蚊が飛んでいれば叩いて殺すように、私が排除しなくてはならないと、そうしたいと望んだのだ。


 モルダモーデは魔王の側近。本人がそういった。側近は側近でしかない。最終的な決定権は普通持たないだろう。北の前線で戦いを継続させているのも魔王の指示なのだろうから。そのはず。

 別にこれで争いごとが終わったというわけじゃない。勇者に期待されていた役割が終わったわけじゃない。

 けれど、まだ北の前線にすら投入されたことのない未熟な私にとって、モルダモーデは今の生活を脅かす最大の象徴だった。ただそれだけだ。


 そもそもが憎しみなんて強い衝動ではないのだから、モルダモーデが死んだとなっても特に行き場のない激情が湧くわけでも、虚しさに囚われるなんてこともない。


 開けられないと必死に押してた扉が実は引き戸だったことに気づいたみたいな、軽い驚きと肩透かし感があるだけだ。


「えぇー……」


 棺の中のモルダモーデと対面した瞬間、誰ともなく漏らしたその声が、多分一番しっくりくる心境の表現。








「許可もとらずに王の食物に手をつけるとはな」


 泰然とした口ぶりは厳かささえあるのに、声色は高く幼い。



 ざわりとうなじの毛が逆立った。



 眠っているかのようなモルダモーデを囲んで、なんともいえない空気を醸していた私たちの背へと、唐突に響いたのは少年とも少女ともつかない張りのある涼やかな声だった。


 王都全域を感知範囲とする翔太君や、王城の中全ての気配を見分けるザギルですら、虚をつかれたその声に、全員の神経が瞬時に研ぎ澄まされる。

 背にかばったはずの礼くんが、私をマントにしまいこもうとする。いやだめ、ちょっと今は待ちなさい。

 即座に展開されたプラズマシールドと障壁が、私たちとその声の主の間を隔てた。


 私と礼くんの右側に翔太君、左側にエルネス、斜め後方にあやめさんと幸宏さん。ザギルとザザさんが前方で腰を少し落として構えてる。あやめさんとエルネスが小さく口ずさむ詠唱は葉擦れの音に紛れている。どんな時でも最後の一節まで口ずさんで待機しておくのは、魔法使いの嗜みだと前に言っていた。


 それは中庭と回廊の境目に立ちつくしたままのオートマタの隣に構えることなく立ち、団子を一粒口に運ぶ。こちらの緊迫した空気などまるで感じていない風情で、ゆっくりと咀嚼し小さく頷いた。


 あらゆる色を重ねた黒の髪は、艶々と天使の輪を映す絹糸みたいにふわりと風を含む。オートマタの手から受け取った団子の皿を見つめる瞳は確かに赤紫に輝いていたのに、視線をこちらに向けて陽の光を受けると深い青緑色になった。

 流れる雲が日差しを遮るたびに、瞳の色が瞬く様に色を変える。

 ―――その目線は私とほぼ変わらない高さにある。




 ちりちりとライターで焙られてるような痛みが首筋に走る。

 だめだ。これは。


 ザギルがぐびりと喉を鳴らした。表情こそこちらからは見えないけれど顎の下がひくひくと僅かに震えてる。




 団子をもう一つ口に運びながら、こてりと首を傾げた後、私たちから少し離れた場所に立つ木へと顔を向け、そちらへと歩みはじめる。


 私たちが中庭に足を踏み入れた時、透明でガラス細工みたいな下生えの草はその硬質な印象を裏切り、さくさくとした芝生っぽい音を立てた。

 なのに今、小さな足が一歩踏み出された瞬間、りぃんと伸びやかな鈴音を響かせ、剣先のような葉の形を溶かしミルククラウンとなり、いくつかの波紋を同心円状に広がらせ、そしてまた草に戻っていく。


 一歩、一歩、歩むごとに草から液状に、液状からまた草へと姿を変えていく様は、特別な存在にレッドカーペットなど必要ないのだと、それが立つ場所が即ち特別な場所なのだと、なんとはなしにそう思わせた。これに近い光景、なんかみたことある。某国民的アニメ映画で見たことある。


 半円に展開されていたプラズマシールドと障壁はまだ私たちとそれを隔てているけれど、全くもって意識されていないことは見ていればわかる。中庭に三本しかたっていない高木のうち一本の根元までくると、くるりとこちらに向き直り、幹に背を預けて腰を下ろす。と、しゅるしゅると下生えはその丈を伸ばし、見る間に肘掛椅子を形作ってその体を受け止めた。


 少しだらしなく足を組み、皿をお腹にのせて、団子をもうひとつ。

 咀嚼して飲み込んで。

 おもむろに紡がれたのは老婆のような錆びついた声。



「やあ、我は魔王。はじめまして? 今代の勇者たち」




「撤収っ!!」


 高らかに吠えると同時に礼くんの腕を振りほどき。

 ザギルとザザさんの頭上を飛び越え。

 プラズマシールドよりも高く『落下』して。

 その高度からの落下速度にさらに加速して。

 黒髪の小さな頭目掛けてハンマーを叩きこんだ。





「―――ちっ」

「……お前、挨拶もそこそこの上に舌打ちなど不敬にすぎるぞ」


 平坦な声音は低く響く成人男性のもの。―――色味のないほど白い肌と薄桃色の唇には相応しくない。

 会話ひとつごとに変わる声色は、特にその内容に合わせて変えているわけでもないらしい。

 艶やかな黒髪、深みのある輝きをもつアレクサンドライトの瞳、瑞々しい白磁の肌と、美麗な色合いを持つわりに、顔立ちそのものは至って普通の子どもの顔だった。極々平凡な白人の子ども。いやここは美少年とか美少女とかが出るところだろう。体格は私とそう変わらない。

 驚きを表情に出してはいないけれど、組んでた脚は軽く膝を折って揃えられ、つま先がちょっと地面から浮いてる。両手でつかんだ団子の皿も、さっきまでのせてたお腹から少し浮いていた。


「おまっ! 撤収っつって何してんだ!」

「カズハさんっ戻ってっ戻って!」

「練習したのに! なんで逃げてないの!」

「和葉ちゃんこそなんでそっちなの! 練習と違うじゃん!」


 渾身の一撃だったはずのハンマーは、反動すらなくぴたりと目標から三十センチ手前で止められた。

 絡みついているのは目の前の木と椅子と足元の草から瞬時に伸びたつる草。私の手首にまで巻き込んでいる。

 びたいち動かない腕とハンマーをそのままに首だけ振り返ると、全員が武器を構えたポーズで足首から膝までと両腕をつる草にぐるぐる巻きにされていた。エルネスとあやめさんはさらに顔の下半分を覆われている。


「……ザギル、あんたってばもうがっかりだ」

「てめぇほんとこっちこいやその口ひねらせろコラ!」

「あんたから逃げ足取ったら何がのこんの!」

「あるわ! いっぱいのこるわ!」


 一人でも離脱できれば突破口は開けるんじゃないかと期待してたのに。

 まあ、多分無理かなぁとも思ってたけど。


「勝算はないと見越したうえであがいてみたのか。囮となって他の者を逃がそうとしたか」


 私の内心が聞こえてるように答えるのは、セリフに似合わない鼻にかかった甘え声。

 声がいちいち変わるのって、思ったよりも違和感が強くて会話しにくい。誰だと辺りを見回したくなる。


「勝ちもなにもあんたは勝負の土俵にも立たないでしょう。むかつくからかましただけ」


 少し浮いてた皿をまた腹において背もたれに深く身体を預けた子どもの顔をしている何かを、せめてとばかりに見下ろす。

 予定としては私もすぐ引くつもりだったし、最終的には全員で帰るのが目的なことに変わりはない。ただこの囚われた状態で説明する義理もないし、なんならそれらもお見通しなのかもしれない。


 召喚当時、ゴールは魔王討伐かと聞いた私に、「まさか。魔王ですよ」と、ザザさんはそう答えた。

 魔王に相対した者などいないというのに、存在すら確認されていないというのに、そう当然の理のごとき返された言葉は、予測でも予想でもなくまさに理だったのだと今身に染みる。太陽が東からのぼるのを変えることができないのと同列の理。


 魔法というファンタジーな世界においても異常な存在である勇者にすら、どうこうできるものではない。勝負などというものは対等な立場同士でなくては成立さえしないものだ。


 鈍いと言われ続けてきた私にですら、肌に叩きつけられるように感じられる圧倒的な力の差。差分さえ計り知れない。いや、鈍いからじゃないと思うけど。鈍いってのも認めてはいないけども。


 威圧する覇気があるわけではない。突き刺さる殺意があるわけでもない。

 ただそれがそこにいるだけで私のうなじがちりちりとする。

 ケダモノなザギルが怯えに震えたのと多分同じ。きっとこれは本能。


「……アレは未熟さゆえの暴走と評していたが、成熟が進んでもなおそれはやまぬか」

「暴走違うし。戦略だし。てか、その声なんとかならない? なんでころころ変わるの。落ち着かないんだけど」

「ふむ」


 顔立ちとは裏腹に幼い表情はまるでないまま小首をかしげて、あ、あーと声を試すのを黙って見つめて数秒。


「無理だな」

「だっさ! 魔王のくせに」


(―――ほんっとやめてくれ)

(おう、いまさらだけど俺時々あいつ怖ぇ)

(あの煽りのスタイル、計算か天然かわかんないよね……)


 後ろでこしょこしょ聞こえるのはザザさんとザギルと幸宏さん。聞こえてるあたりあなたたちも大概だと思うの。


「魔王のくせにと言われてもな。そもそもお前らがそう呼ぶことが多いだけのものだ」

「ほほぉ?」

「お前らが勝手に我を魔王と呼ぶ。名がなくては我を我だと認識できぬであろう? お前らにわかりやすいようにそう名乗ってやっただけのこと」

「なるほど」


 世界の半分を寄こすような『魔王』というイメージは私たちだから持ち得るものなのかもしれない。人んちの箪笥漁るのが『勇者』のイメージなのと同じように。それは可能性として考えたことはあったのだけど。


 魔族と魔獣を統べる者だから魔王。


 ただそれだけの意味である可能性だって充分にあるのだ。だって、何故魔族と魔獣が北の前線を押し下げてくるのか、その目的は誰も知らない。今まで交渉ひとつ成立したこともなかったのだから。


 手にしたハンマーを消せば、手にも絡んでいたつる草はその力を緩めてするすると丈の短い下生えに戻っていった。足首に巻きつくつる草はまだそのまま。


「じゃあ、本当の名前は? いや、魔王ってのも名前ではないだろうけど」

「ないな」

「名前が?」

「ああ、我を示す言葉はいくつもあるが、どれもお前たちが呼ぶもの。我らに名は必要ない」

「いくつも? 他には?」


 ふむ、と薄いまつ毛を伏せて一呼吸。これは話すべきか話してもいいものかを考えてる呼吸だろうか。


「精霊だと讃える者がいるな。神と崇める者もいる。今多く呼ばれているのはこのふたつか。魔王が一番長く多く呼ばれているが」


 この世界には、私たちがいた世界での宗教は広まっていない。帝国に国教はなくて、教国は多神教らしいけど、どんな神々なのかとか主神がいてそれを祀っているのかとか詳しいことは知らない。カザルナでは国教こそ定められてはいないけど精霊教が多数派だ。南方諸国は多すぎてわからない。勇者教があるとか馬鹿げた話もあるらしい。


「神かぁ。神ときたかー」

「お前の言う神と同じかどうか知らんがな」

「奇跡起こせたりする?」

「きせき」

「ほら、死んじゃった人生き返らせたり?」

「できん」

「天候を自在に操ったり?」

「なぜそんなことする必要がある」

「できる?」

「多少だから自在とはいえんな。疲れる」

「疲れるんだ」

「当たり前だろう」

「ですよね」


 振り返るとみんなそれぞれ手や顔のつる草はとれていた。足だけはまだ固定されている。

 首を傾げて見せたら、全員に傾げ返された。


 なんかちょっと違うよね? イメージちょっと違うよね?


「いや、何が不思議ってなんでそんな雑談みたいな問答に展開してるのかってとこですからね?」

「ザザさん、何事もまず対話からですよ」

「お前さっき挨拶もせずに我に殴りかからんかったか」


 すごい。魔王から突っ込みはいった。


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