88話 R.I.P.など捧げない
夏の灼ける光でもなく、春秋の柔らかな光でもなく、ただひたすらに静謐な光が幾筋も薄雲の合間から降り注いでいる。
レースのカーテンが重なるような天使の梯子の合間に見える空は、高く抜ける青。
空を円形に切りとるのは亜麻色と胡桃色の茶色が縦に織りなすごつごつとした岩壁で、その崖の上から白銀の樹氷がこちらを覗き込んでいる。
延々と続いた通路は、オートマタが開いた扉で終わりを告げた。
そろそろかなり飽きてきてたところに広がったのは、断崖絶壁を背負う氷の城。
金魚鉢のように球状に抉られた岩壁から掘り出したような城は、茶色の岩壁から徐々に色を無くし薄青く輝く壁でぐるりと私たちを見おろしている。城というよりは神殿のようかもしれない。
私たちがたどり着いたのは金魚鉢の底の中心、中庭になるのだろうか。今いる回廊からでは風を感じられないけれど、ガラス細工みたいな低木がそこかしこに植わっていて、その葉がシャラシャラと乾いた音を奏でている。
「……これは」
「いやはや美しいですなぁ」
「和葉ちゃんて時々台詞まで漢らしいよね」
どんな時でも警戒を怠らないザザさんですら息を呑んで、一瞬オートマタから気が逸れてしまうほどの絶景。慌てて私たちが前にでないように左腕で制していたけれど。
「何これっ植物なの!?」
そんな制止などものともしないエルネスが、即座にかじりついた馬酔木にも似た小さな釣鐘状の花を重たげに揺らす低木は、葉も幹も花も城と同じ半透明で、無機物のようにしか見えない。さすがに無警戒に触ったりはしていないけど、めっちゃ顔近づけてる。
師匠の後を追いたいあやめさんは、ザザさんの腕の後ろからぴょこぴょことすり抜けようとしては止められていた。わかる。私だって礼くんに抱えられてさえいなければっ。
◇
突き進むエルネスの後をじりじりと追う形で私たちも中庭に踏み込んでいく。
何故エルネスが斥候役なのかいいのかと聞いたら、「止められないなら役に立ってもらうしかないでしょう」とザザさんにさらりと返された。ま、まあ、エルネスも無闇に突撃するわけでは当然なくて、周囲を観察しメモりながらだから、うん、適役なのか、な。
流れる雲が落とす薄い影は、ゆっくりと中庭を横切っていく。
しゃらりしゃらりと囁くような葉擦れの音。
「崖の上の風も強くはなさそうだね」
「ですね―――さあ、行くぞザギル号!」
びしっと上空を指させば、私を安定の子ども抱っこしたザギルがはいはいと受け流す。ほんとノリ悪い。別に私一人でも上空偵察はできるって言ったのに、見るだけじゃ偵察なんねぇしとか無礼きわまりないし。
オートマタは回廊から一歩中庭に踏み出した途端に、ぴたりと動かなくなった。素早く団子を一粒摘まんで食べたらまたザザさんに怒られた。オートマタは反応しなかったのに。ちなみに白玉粉でした。間違いない。
オートマタが動かない以上は、その間ひとまず中庭はエルネスを中心として探索し、私はザギルとともに上空にあがることにしたのだ。
「ほんっとゆっくり上がってくださいよ何があるかわからないんですから……ってやっぱり僕が一緒に」
「お前じゃ距離と魔力消費の見通したてれねぇっつってんだろが」
「大丈夫だよザザさん、ここなら僕も感知できる。あの崖の上一帯にはなんの気配もないから」
眉尻を下げてるザザさんは、翔太君に後押しされつつ私の手をきゅっと握りしめてから離してくれた。念を押すようにザギルを一睨みするのも忘れない。
「さくっといってきますよ。おまかせくださいっ」
びしっと拳で胸を叩いてみせたのに、「その自信満々さが嫌なんですよ任せたくないんですよ」とのたまわれた。
「失敬な」
「日頃の行いだろ―――っうぉおおおおって、てめっ、合図くらいだせや!」
いつも通りの加速で一気に上空まであがっただけなのにザギルは文句が多い。
地表からも「ゆっくりって言ったでしょおおおおおお」って悲鳴が聞こえた気がするけどまあいい。
ほら、ぐずぐずしてると余計怖いとか心配とかしちゃうからね。歯抜くときとかささくれ剥くときとかもそうでしょ。
「……ったく、あー、こりゃまた果てねぇな」
「だねぇ……、あっちが南、か」
崖上よりも上空で、ザギルとともに三百六十度見渡して、太陽の位置から南と思われる方角に身体を向ける。
どこまでもどこまでも樹氷の森が地平線まで銀色に続いていた。
見下ろせば、ぽかりと空いた穴を取り囲む真白な樹々と城の壁が同化していて、これはちょっとわかってて探さないと見つけられないに違いない。まあ、上空からあの城を探す手段を持ってるのは魔族だけだろうけど。
「んーーー」
「んんーーーーー」
二人で顔を突き出すようにして目を眇めて遠くを見通す。ザギルは獣人の視力で、私は勇者補正の視力で。
快晴、とまではいえないお天気。地平線と空の間はうっすらと靄がかかっている。
「山、山脈、見える、かな?」
「見える気がすっけどなぁ。てか、お前方角はちゃんとわかんだな」
「任せろっていったじゃん。あれでしょ。大山脈を隔てて向こうがカザルナでしょ」
「帝国かも教国かもしんねぇけどな」
確かに三大国と北の地は大山脈に分断されているし、私たちがいるこの地点が東西のどのあたりにあるかもわかんないわけだしね。なんなら北の地は前人未到なので大山脈より北にまた山脈があるかもしれないし。でもきっと南にどんどん進めばそのうち三大国のどれかには着くと思われる。
ザギルの指示でもう一度全方向をじっくりと見てから、上昇するときよりは緩やかな速度で中庭に戻ると、ザギルの足が地につくよりも早くザザさんに抱き降ろされた。
「どうだった」
「あー、大山脈が見えるか見えねぇかっつうとこだな。辺り一面森だ」
「てことは、火は焚けるかな……水は大丈夫だろ、食えるものとれりゃいいけど」
「ひどく静かだったけど、一応生き物の気配はありましたよ。梢が妙な揺れ方してるとことかあったし」
「さすが狩人。翔太の感知もあるし、狩りはできそうだね」
「私が一気にみんなを運んで距離稼ぐってのもありかと」
「幸いこのメンバーですし、ある程度の行軍は耐えられるでしょう。それは最後の手段ですね。天候もありますし、野営の装備くらいは欲しいとこですが」
「後で城の中漁りましょう。勇者たるもの箪笥やらなんやらがんがん開けるのは基本ですし」
「だよね」
「だね」
「え。カズハさんだけでなく? みなさん勇者像ってそんなんですか……?」
「と、いうかですね。今上から見下ろして気づいたんですけど、エルネスー」
「なによ」
「その葉っぱとか触っても平気よね?」
「ええ。毒性はなさそうよって、あっ、ちょっと」
じわじわと探索範囲を広げていたエルネスとあやめさんがじっくり見ていた茂みをかきわけていく。
中庭には、枝ぶりが梅みたいな横幅もあるけど高さもある木が三本だけ。
回廊から出入りできる部分こそ直径三メートルほどの空間はあれど、その先は私の肩くらいまでの低木が小人用の迷路みたいに生い茂り、縫うように伸びる細い小道を隠している。
低木に埋まるように遮られて、背の高いザギルや礼くんからも見えなかったであろう空間が、上空から降りてくるときにいくつも見えた。
最初に訪れた転移陣のある地下の広間にあった柱や床と多分同じ材質。透明な氷みたいなそれは、今度は棺のような形をしていて。
褐色の肌に牛のような角を二本もつ女性が、その棺の中に横たわっていた。
◇
この世界は地球と同じように月の満ち欠けがある。地球に比べて大きな月ではあるけれど、それを見ていれば、ああ、ここも丸い星なんだなとわかる。図書室や資料室で調べてみれば、地図と各地の気候を照らし合わせても確認できる。四季豊かな地域もあれば熱帯もある。
ただ、一日は二十六時間だし、一年は十二か月だけど一か月は二十九日だ。微妙に違う。そりゃそうだよね。太陰暦やら太陽暦やらが持ちこまれたのか持ちこまれてないのかもよくわからない。言い出したら地球での一分がこちらの一分と同等なのかもわからないわけだし、あちらの暦を換算する意義もあまりないだろうし、何より計算めんどくさくない? と過去考えたのかどうなのか。多分考えた。私も考えたもの。
勇者の召喚は五十年ごと決まった日に行われる。だから勇者たちの誕生日はその日にすると慣習付けされていた。
「―――いた! こっちこっち!」
幸宏さんが片手を大きく振って声をあげた方向へとみんなが集まる。
中庭は何気に広くて訓練場ほどもあり、私たちは二人一組になって点在する棺を探しては確認していた。低木に覆われた棺を見つけるごとに、胸元あたりに彫られた銘を読み上げてエルネスがメモとる流れ。
「ジョゼフ・モルダモーデ・スレイ、カザルナ王国、二千五百六十三年から―――二千七百十四年……今年、だよね」
銘板を指でなぞり読み上げる幸宏さんに、エルネスが頷きを返す。
「これ、は、地下にいたモルダモーデとは違う、わよね?」
一番間近で見てる私に、あやめさんが上目遣いで伺う。
「でしょうねぇ……、明らかに地下のとは扱いが違いますし、この抱えてるのはリゼですから」
いびつな巻き角、薄茶の髪、緑がかるほどの白い肌。骨ばった長い指でそっと抱きかかえているのは毛糸みたいな紫の髪をしたオートマタ。ぼろぼろだったドレスは綺麗なものに着替えて髪も整えられてはいるけれど。
いくつも見つけた棺の中の魔族たちは、みんなそれぞれ何かを大切そうに持っていた。それは瑞々しいままの花であったり、艶やかさを失っていないネックレスだったり、曇りない銀のスプーンだったり。
「……他の棺に銘されている暦年も全て勇者召喚年で始まってる。このモルダモーデもそうね。どう考えても終わりの年は没年でしょう。―――本当に魔族はみんな元勇者なのね」
とったメモを一枚遡ってめくりながら、顎にペンの先をあててエルネスが小さくため息をついた。
「他の人もみんなそこそこ若いよね。見た目」
「いってても五十代、くらいかなぁ……東洋系ぽい顔立ちじゃなきゃ俺もよくわかんないけど、どうっすかね、ザザさん」
「うーん、長命種って大体青年期長いですしね……魔族になることで長命種になったのだとすれば、不思議ではないかもしれません。現にこのモルダモーデは百五十年前に召喚されてますけど、見た目はせいぜいが三十半ばくらいじゃないですか。普通は長命種でも寿命間近ならそれなりに老人ぽくなりますけど……そもそも魔族の寿命はわかりませんから」
ぺらぺらとメモのページを行きつ戻りつするエルネスの手元を、あやめさんが覗き込んでる。
「……昔の魔族ほど、長く生きてますよね?」
「そうねぇ……見つけた限り一番古い年代で四百年くらいかしらね。じわじわと没年までが短くなっていってる。二百五十年前の方は―――召喚年から没年まで百八十六年」
「ねえ、和葉ちゃん」
「ん?」
「これ、モルダモーデ、死んでる、の?」
しゃがみこんだ礼くんの目線は、棺の中のモルダモーデと同じ高さ。眉間にかわいい皺を刻みつつ、こてんと首を傾げて真横から覗き込んでる。
「うん。多分そう」
「さっき見た地下のもそうだったけど、寝てるみたいだね」
「うん。そうだね」
礼くんはまだご遺体って見たことなかったんじゃないだろうか。城に来たモルダモーデは粉となって消えたし、リトさんは認識票が帰ってきた。
繋いだ手はそのままに、礼くんの横にぴったりとしゃがみこんで横顔を見上げたら、ちょっと唇がとがってて。
むぅっと小さく唸ってから、下唇をきゅっと噛み締めて。
それから私の手を挟むように両手を合わせた。
「礼くん?」
「―――ぼく、こいつ嫌い。でも」
「うん」
「リトさんは恨むな憎むなって言ったし」
「うん」
「お墓ではこうして死んだ人にお話するって」
「そっか」
ザザさんが礼くんのつむじをくしゃりと撫ぜて、幸宏さんが肩をぽんと叩いてさすった。
後ろのほうで「えぇ……?」ってザギルが引いてる声がした。
いやまあ、ザギルにうちの天使を理解できるわけがないからね。うん。
「なんてお話したの?」
「お前なんて大嫌いばーかって」
「う、うん? ……そ、そっか」
あれ。なんかちょっと違った?
「それでおしまい。死んじゃったからおしまい! むかついたらコロシテそれでおしまいだってザギルもいっつも言ってるし!」
「だわな。それならわかるわ」
(うわぁ……ここでザギル語録引用かぁ)
(やめて、幸宏さんやめて。こ、これはこれでありです、うん)
(納得はできるのになんか複雑……)
((それね))
ザザさん、どうしようって顔してこっち見ないで。
よし、とばかりに立ち上がった礼くんは、つないだ手と反対側のジャージの袖で目尻を一拭いしてたから、やっぱり天使には変わりないです力強く逞しい天使です。
『じゃあね、カズハ―――もっと、遊びたかったよ』
地下で柱詰めになってるモルダモーデにも、城に現れた劣化モルダモーデにもなかった、どこか軽薄そうに僅かに口角をあげた表情。これは確かにあのむかつくモルダモーデだと思う。
絶対私が殺してやると思っていたのに。
あれは最期になることを知っていた言葉なのだろうか。
だからリゼをひきあげたのだろうか。
心残りがあるようなニュアンス滲ませたくせに、やたら満足そうにもみえる穏やかな顔をして。
なんにせよ、言い逃げで勝ち逃げのくそったれめ。