85話 たきびだたきびだ
放り上げられた勢いのままくるくると回転する身体を制御して、高い天井に叩きつけられる直前に四つ足で着地した。ぱりぱりと細い紫電が手足に走る。
身体強化発動がこんな風に目で見えることはあまりないらしいのだけども、私の場合は最初からこうだ。クラッチを切ってギアをあげるように、強化の段階をあげるたびに紫電が走る。ちょっとスーパーな感じだから気に入ってるのに、ザギルには「……それ見えたら動きの予測立てられちまうだろうよ」って不評だった。予測立てられる前に動けばいい話だと思う。
そのまま重力魔法も加えて、みんなの元へすとんと降りた。
確かに手足もぽかぽかするし体の芯がじわりとあったかい。これかぁ。
「ほんとだあったかい!」
「僕教えた記憶あるんですけど! なんでですかっまた聞いてなかったんですかっ神官長っ!?」
「使えてるものを私がいちいち教えないわよ! あんたが気づきなさいよ!」
「和葉ちゃんもうだいじょーぶ?」
「だいじょうぶー! これあったかいねー!」
「ねー!」
「ねー!」
礼くんとお互い両手で相手のほっぺたをつつみあう。目に見えない薄い毛布を纏っているように、頬と手の間に暖かな空気の膜があるのがわかる。これはいいものだ。
「和葉ちゃん、一冬越えたのに気づかなかったの? 今までどうしてたの」
「冬は寒いもんじゃないですか。訓練とか体動かしたらあったかくなるのも当たり前だし? 身体強化のおかげであったかかったとは気づきませんでした」
「お、おう」
「カズハさんの聞いてない時の顔はだいぶわかるようになったと思ってたんですけどね……」
「まああんだけ自在に操ってたら気づいてないとか聞いてないとかは思わないっすよ……」
「……ふふっ? あっ、いたい、いたっ、やめ」
ザギルに無言ででこぴん三連発された。ひどい。
ほら、家電製品って取説読まなくても基本機能って感覚で使えるじゃないですか。ビデオの再生とか早送りとか。炊飯器の炊飯スイッチとか。それで充分だし困らないし、そしたら取説読まないし。
正直、身体強化は意識して使ったことなかった。紫電がなかったら使ってたかどうかもわかってなかったと思う。あれね。実は基本機能の他に色々な機能があったってことなのね。タイマー予約とか炊飯器でケーキとかそういった感じの。
「あれ? でもそれならみんななんで冬の間がっつり防寒してたの?」
要らなくない? 防寒具要らなくない? 着込めば着込むほど動きにくくなるしさ。
「……お前ら勇者サマは魔力ばっかみてぇにあるから大した事ねぇけどよ。俺ら常人は常時発動してたら魔力どんだけあっても足りねぇだろが」
「常人?」
「もっかい放り投げるか? あ?」
むぅ。身体強化は戦闘中ずっとかけ続けるくらいだから消費魔力量は少ない。
けど、普通は一時間びっちり肉弾戦なんてしないよね。そりゃね。そうなると。勇者陣は平気だとしても。今このいつ城に戻れるのかどころか、あったかい場所に行けるかどうかすらもわからない状況で。
「……みんな魔力足りるの?」
「だから最低限の強化しかしてないわよ。時々切ってるし」
「自己回復でとんとんになるように調整してますから。そう訓練してるんですよ」
「えっと、足りてる? あげようか? 食べる?」
「ああ、大丈夫です。慣れてますし」
「ほんと? 足りなくなる前にちゃんと言ってね。ザギルもお腹すく前に食べなさいね」
翔太君がぼそっと『ぼくのかおをおたべよ』と裏声で呟いて、幸宏さんが鼻水吹いて「うわっ凍る」と焦ってる。
よかった。エルネスにもザザさんにも魔力渡せるようになってて。これはうれしい。
「ざっと見回した感じ、この部屋からの出口は見当たらないな……どうだザギル」
「んー……仕掛けあるかもしんねぇけど、近くまでいかねぇとわかんねぇな。おい小僧。見つけ方教えたろ。手分けすんぞ」
「う、うん。がんばる」
「そうか。じゃあ私も教わったら」
「無駄」
「でもほら」
「動くな触るなそこにいろ」
「和葉ちゃん……ほら、適材適所ってあるから」
不服! 和葉不服!
「ああ、カズハさん。ちょっとまたレイのマントの中でくるまっててください。レイ、いいですね」
「はあい」
ぱふんとレイくんがマントでくるむように私を抱き込んだ。さっき凍えてた時と同じ二人羽織。
ザザさんは、にっこりと綺麗な笑顔をみせながら、私の襟元あたりのマントの端を整えてくれる。
「レイには魔力枯渇こそ心配ありませんけど、唐突に寝ちゃうかもしれませんし、カズハさんも魔力温存しててください。いざってときには魔力の譲渡をお願いしますから」
「う、うん? そうですか?」
「ええ、それが一番助かります。やはり魔力不足の懸念が減るだけで随分違いますから」
そうか。魔力タンクのお仕事だな。いつもはザギル専用だったけど、もうみんなのタンクになれるんだ。
「カズハさんにしかできませんからね、お願いしますね」
「なるほど! お任せください!」
「うわ、ちょろ「ユキヒロ、ここを起点に周囲警戒を頼む。アヤメはその補佐。他は僕も含めてザギルの探索指示下に入る」い……了解っす」
私たちが降り立った魔法陣は部屋の中央より少し外れた位置にあり、ザギルは魔法陣から放射状に並び立つ柱を目印にザザさんたちを散開させて、探索を始めた。
とりあえずはより魔法陣に近い壁のある方角へ向けて、だ。
テレビで見たことがあるのだけど、事件現場を捜索する検察官とか、大奥で針をなくしたお針子たちとかが、一列に並んで這うように探すあれ。見落としがないようにってやつ。あんな感じになるようにザザさんたちそれぞれの感知範囲がお互いに重なるようにしてるんだろう。
ザギルが私の居所とか感知したりするのに結構魔力は消費するって言ってたと思うんだよね。この探索はどのくらい消費するんだろう。ザザさんだってエルネスだって勇者ほどじゃないにしろ魔力量はかなり多いのだと知ってるけど。
探索しながらじわじわと私たちから距離をおいていく彼らの姿を、ときどき柱が遮っている。視界が遮られる位置があるゆえに、幸宏さんとあやめさんは拠点であるこの位置で周囲警戒を怠らない。
柱をびっしりと覆うヒカリゴケは、その量の多さのせいなのか古代遺跡の石造りの中よりも明るく周囲を照らしている。氷のような床がその光を照り返して増幅しているから余計なんだろう。
四方を隈なく照らすそれは、淡く優しい色合いではあれど私たちに影を落とさない。
「思うんですけど」
「うん」
「探索って魔力消費そこそこあるっていうじゃないですか」
「そうねぇ」
「でも今身体強化も併用してるでしょ」
「だな」
周囲警戒をしている幸宏さんとあやめさんは聞き流すような相槌をくれる。
「柱のヒカリゴケを燃やすってのは「「やめて!?」」
かぶりつくような悲鳴をあげられた。
「いやでもあったかくなればその分「「やめてね!?」あ、はい」
「ほんと考えてんだか考えてねぇんだか」
突き当たった壁を探索し、また未探索の壁へ展開してから魔法陣目がけて探索しながら帰ってきたザギルは、脱力顔でそういった。収穫はなかったらしい。次は別方角へ向けて探索を始めるところ。
ザザさんは「実行前に確認しただけ偉いです」と褒めてくれた。なんか真顔だったけど多分褒めた。いや微妙なことはわかってる。ちょっと納得がいかない。礼くん「ねー」じゃない。何に同意したの今。
「そうは言うけどもね、流石に柱を燃やすのは火力厳しいかなって」
「燃やすことから離れろ」
「和葉ちゃん……出口見つからないとこで何か燃やすのはちょっと酸欠とかさ色々とさ」
「どんだけキャンプファイヤー好き」
「待って待って、私をなんだと思ってるの!? そんなでかい火じゃなくて! ほら、焚火くらいの? こうして取って床に積んでさ―――っ」
こんだけ広さあれば多少の焚火したところで問題ないでしょうと、両掌をへらみたいにして手近な柱からヒカリゴケをこそぎとった。
その下は、やっぱり隙間から覗いていた部分や床と同じ材質の氷みたいな薄青。
意外と残滓もなくするりと光る表面。
おわかりになるだろうか。
例えば深夜にカーテンを開けた瞬間の暗い窓の向こう。
例えばシャンプーを洗い流して顔を上げた時に覗いた鏡の向こう。
心霊番組見た後に妄想するような定番のアレ。
硬質な反射光の向こう側から現れたのは、トラの体躯と蝙蝠の羽根をもつ獣の、みっしりと毛に覆われたヒトによく似た面構え。
おもむろにこそぎとったヒカリゴケを元の位置にこすりつける。
つかなかった。ぽろぽろと散らばって床に落ちた。
「―――やっぱ柱ごと燃やす?」
◇
「これ、生きてんのかな」
翔太君が恐る恐る柱をつつく。
「どうだかな」
「お前でもわからんのか」
「ヒカリゴケのほうの魔力が邪魔だ。多分柱そのものにもはいりこんでんな」
理科室につきもののホルマリン漬けのように、透明な柱の中で吊るされているのか浮いているのか。柱の中は液体なのか固体なのかまさかの気体なのか。後ろ足で立ち上がっているような姿勢のマンティコアの眼は光無く虚ろだ。
仕掛けがないかどうか確認しながら、他の柱のヒカリゴケも落としていくと。
マンティコアが四体、ハーピィが二体、フェンリル六体、ケルベロス三体、他にもまだ私が見たことのなかった魔獣もいたし、しかも幼獣までいたし、それから―――
ヒカリゴケを削り落としながら魔法陣から離れるごとに、少しずつ柱は太くなっていく。魔法陣あたりから見ると全部同じ太さに見えてたのに遠近感マジックか。
エルネスとあやめさんは一柱ごとに細かくメモとっていってるから、あまり二人から離れすぎないようにちんたらと中身の確認をすすめていった。
これねぇ、この光景ねぇ、SF映画とかによく出てくるよねぇ。
こんな培養液に沈められている臓器の一部だったり、はたまた胎児だったり。
ノンフィクションでも研究が進められている分野があるよね。
「生きてるんじゃないかしらねぇ」
メモの手を休めず、観察する眼の鋭さもそのままにエルネスが呟く。
「少なくともなんらかの手順を踏んで外に出せば生きてる状態になるんだと思うわ。ほらここ」
ペンの先で指す柱の根元には、いくつもの小さな魔法陣がぐるりと刻まれていた。
「全体効果はわからないけど、ところどころにみたことのある紋がはいってる。育成、安定、促進―――もっとも古文書で部分的に見ただけだし、再現もされてないけどね」
「いくせい、そくしん……培養」
あやめさんが視線をあげて幸宏さんと私に縋るような顔を見せる。幸宏さんは天井を仰いで、また私を伺う。うん。まあ、いいんじゃないかなって意味で肩をすくめて見せると、だよな、と小さくため息をついた。
「あやめ、エルネスさんとなら一緒に背負えると思うんだろ」
「うん」
「じゃあ任せる」
「アヤメ?」
しゃがんだまま眉間に皺を刻んで弟子を見上げたエルネスは、すっと顔の力を抜いて緩やかに優美に立ち上がった。
「エルネスさん、これ、魔法とか魔力とか魔法陣で作られているものだから、もちろん向こうの世界でのものとは違いますけど」
「ええ」
「向こうでも、向こうでは魔法とかではなく、科学技術で研究がされていたものと根幹は同じだと思います。技術と魔法でアプローチは違っていても」
「つまりこれは何をしているのかアヤメたちには予想できるってこと?」
「クローン技術、になるんじゃないかと。あ、でも、ここまでの結果にたどり着いてはいなかったです。こういうことができるように研究がされていたというか、うーん……あのね、エルネスさん」
「なあに?」
「向こうの世界でも、禁忌に触れやすいとされるものなんです。生命を創り出せるものだから、それはうかつに踏み入ることが許されない領域です。研究するのにもいろんな制約があって、それもあって、ここまでの成果はだせてなかったはず、です。向こうでも」
エルネスはヒカリゴケが剥がされている柱の数々を見渡して、頷いてみせた。
「そうね。どうやら危うい未知の領域そうだわ」
「私たちはふわっとした理屈しか知りません。だけどこの世界ではその程度で魔法が発動しちゃいかねません。しないかもしれないけど……やってはいけないことに踏み入っちゃうかもしれません」
マントの中で礼くんの腕にきゅうっと力がはいったのを感じて、とんとんとそれを優しく叩いた。
あやめさんは、一息空気をくっと飲み込んで。
「エルネスさん、私、ふわっとした知識が怖いです。何が起こるのかも、自分で手に負えるのかどうかもわからない。できるようになってはいけないことができるようになってしまう、そんなものを私が伝えるかもしれないのが怖いです。だから」
「アヤメ」
「はい」
「弟子の罪は師匠の罪。その程度引き受ける覚悟もなく弟子はとらない」
「―――はいっ」
「知恵はそもそもいつでも罪を内包しているものよ。それでも追い求めるのが研究者の性であり業。そして弟子が道から外れないよう導くのは師匠の務め」
「はい」
「だからアヤメ、追いたいものを追いなさい。求めたいものを求めなさい。私がちゃんと見ているし、あなたが私を超えるまで全責任は私がとる」
華やかに艶やかに、自信と力強さを溢れさせて笑うエルネスの言葉はまるで神託のよう。
「でもまあ、五十年は超えさせないけどね」
「エルネスかーっこいい!」
「当然よ。崇めなさい敬いなさい奉りなさい」
(五十年ってまた絶妙っすよね。エルネスさんてエルフはいってたんでしたっけ。今五十、すぎ?)
(ユキヒロ黙って。神官長は僕が騎士見習いの時にはもう神官長でしたし五十過ぎと自称してました)
……ザザさんが騎士団入団したのって二十年以上前って言ってた気が。
そうねそうだね。七十でも百でも、五十過ぎであることには違いない。
「「「ぱねぇ……」」」
エルネスの高笑いが柱の間を渡りぬけ響いていく。
柱の中には、あらゆる成長段階の魔獣と―――モルダモーデたちが眠っている。
爆発するかのようなブクマ、評価、ランキングに慄いております。
うれしい。漲る。ありがとうございますありがとうございます。
モチベ維持できるのはみなさまのおかげです。
どうぞこれからもお付き合いください。






