83話 人間、何歳になっても成長できるはずなんですよ多分?
「カズハさん、結婚してください」
「え、やだ」
「―――っ」
思いっきり脊髄で答えたら、ザザさんが片膝ついて崩れ落ちた。
……え、いや、あれ? え?
「さっすがカズハ……容赦ないわね」
「え、いやでも、だって」
「……ザ、ザザさん、だいじょう、ぶっすか」
「―――想定の範囲内で、すが、予想以上に効きますね……それでも少しは悩んでくれると思ったんですが」
「う、うん。俺もまさかの即却下だとは」
「……くっ」
おそるおそる近寄る幸宏さんの手を、大丈夫だと片手を振って制しながら、ザザさんがよろりと立ち上がった。……なんか、もしかして私何か勘違いしてるような気がしないでもない。
「あの……、念のためなんですけど」
「はい」
「誰と……?」
「そこですか!!?? 僕とですよ! 僕と! カズハさん!」
「あ、あー……、そ、そう、でしたか。すみません。なんか間違いました」
「「「うわあ……」」」
やだ。なんでそんなみんなどん引き!? ひどくない!?
ザザさんは両膝を地面について両手で顔覆ったまま天を仰いでるし、ザギルと礼くんは羊羹にとりかかってる。
「いやいやいやみんなちょっと待って欲しい。私にもですね、言い分が」
「何よ何よ何々、言ってみなさいよカズハ」
「エルネスにやにやしすぎだよ! だって急な話だし! ザザさんだって興味ないんだと思ってたし! でもほら前縁談の取り次ぎとか、してたし、てっきりまたそっちかと」
「ないわー和葉ーそれはないわー今の流れでそれはないわー」
「ぐ」
だって思ってなかったんだもの。そんな話も素振りも今までなかったし。
ザザさんとなら別に嫌じゃないんだ。嫌じゃないっていうか、考えないでもないっていうか、ただちょっと―――
「うん、僕が悪かったです。カズハさん相手にこの手のことで言葉を略した僕が悪い。僕と結婚してくださいと言うべきでした」
「それを略したと言うザザさんのきめ細やかさに俺は驚きますね……」
「でも確かに欠かせないポイントだわね。カズハ、アレだから」
「アレっていう、な……し、仕方ないし、ほら、私はザザさんの、こっ恋人なんだから他の人とケッコンとかないだろって思っ、ただ、けだし」
「和葉ちゃん、僕も今の流れでそれは無理があると思うよ……」
ちょっと語尾弱くなるくらいにはどうだろうと自分でも思う。そして翔太君が厳しい。
「……僕との結婚が嫌なわけではなくて、結婚そのものに抵抗があるんですよね? だから考えたこともなかった、と」
「えぇっと……そです……」
拳を膝に降ろして少し首を傾げて覗き込まれれば頷くしかない。ザザさんの肩がちょっとほっとするように力が抜けた。
「それなら想定内です。本当はもうちょっと求婚は待つつもりでしたしね」
「なんと……きょ、興味がなかったわけ、では」
苦笑いしながら中腰になって目を合わせてくれる。
「結婚に単なる興味っていうのなら今もないですよ。ただ、カズハさんと毎日一緒に同じ場所に帰れる立場になりたくなったんです。それならやっぱり結婚でしょう」
毎日一緒に。
同じ場所に。
帰ってきてくれるのをただ待つのではなく?
「僕の性分としては、それこそ抱え込んで閉じ込めたくもなるんですけどね。でも自由に動き回るカズハさんに惚れたのでそういうわけにもいきませんし」
子どもたちとの生活は幸せではあったけれど、結婚生活そのものは楽しくもなんともなかった。
なりふり構わず飛びついた場所は、狭くて息苦しくて、私を押さえつけゆっくりと干からびさせて。
欲しくてたまらなかったはずの場所は、夢見てたものとはまるで違っていて。
現実なんてそんなものだし、それなりの女にはそれなりの男しかつかないものなのだと、今手元にあるものだけを見ていればいいといつも通り受け入れて。
家族が帰ってきてくれることだけを望んでいたから、それ以上は求めるようなものでもないと思ってた。
逃げてきてみてわかった。あんなのもういらない。あんなのは欲しかったものじゃない。何が欲しいのかなど未だに形となって見えてきたりもしないくせに、ただ違うとだけわかった。
けれど同時に思うのだ。それなら本当に欲しかったものに私は相応しいのかと。
両親は、訃報も届いていないし多分どこかで生きてるだろうな、程度の関わりしかもうなかった。持参金として少なくない額をもたせて送り出してくれた後からこっち、国内にいるのかどうかすら知らない。
何不自由なく育て上げて立派に嫁に行かせたからには親の義務は果たしたと、それまで以上に仕事で飛び回る両親の新しい連絡先の知らせはなくなった。
ああ、一度だけハガキをもらった。息子の出産祝いの言葉が綴られたそれは娘が一歳になった頃に届いた。
責める気持ちなどはない。
だって今の私と何が違う。
子どもたちは成人して、自立して暮らせる程度の稼ぎがある仕事をしている。だからもう私がいなくなっても問題ないなんて思ってる今の私と何が違う。
私は今の私が一番好きだけど、家庭をもつのに相応しいのかとか、むいてるのかとか、そう考えると否としかいいようがない。なんなら家庭が本当に欲しいものなのかどうかすらもうわからない。
だってあんなに遠かったあの人たちと私の違いがわからない。
なりたかった自分になれているはずなのに、なりたくなかった人たちと結局どう違うのかわからない。
「私、子どもはもう持つ気ないですよ」
「元々生涯家庭を持つ気もなかった身です。そこにこだわりはないですね」
腰に両腕をまきつけて抱き上げられれば、ザザさんが立っても目線は同じ高さのまま。
「あなたは何をどうしたって自分が納得しなければ立ち止まらない。ならばどこででもその隣に僕がいたい。そして一緒に帰る場所をつくりたいんです。僕がいう結婚はそういう形です。カズハさんが抵抗をもってる形とは違うはずですよ」
うん。違う。その形は知らない。
そっか。なるほど。―――そっかぁ。
「僕がそのつもりなことを知っていてくれればそれでいいです。とりあえず僕が恋人な以上は他の男と結婚なんてないらしいですしね?」
「あ、はい」
「じゃあ、そういう訳で一度城に帰りましょうか」
「む。ザザさん」
「はい」
「なんで今?」
「え」
「ぷ、プロポーズは待ってくれるつもりだったんでしょ? んで、考える時間までくれるのでしょう? なのになんで今突然?」
幸宏さんに視線を流すと、ぶんぶんと激しく首を横に振ってた。あ、ザギルのとは違って別に入れ知恵ってわけじゃないんだ。
「そんなテンプレないだろ! 俺ならシチュエーションなり雰囲気なり考えるって! そんなこんなとこでいきなりプロポーズとかないよ!」
「―――!!!???」
「いやザザさんそんな盲点みたいな顔、俺にされても!」
「まあ確かにこの面子とはいえ、求婚にふさわしい場ではないわよねぇ」
「……和葉が雰囲気に気づくと思えないけど、TPOってあるよね」
ものすごくわかりやすく動転してるザザさんにみんな遠慮ないね!
「か、カズハさん、場を改めてやり直しって」
「あ、大丈夫です。そんなこだわりないです」
「それもまた微妙ですよ!?」
「そんなことよりですね」
「―――っ」
「「「ひどっ」」」
「えっ時間くれるって言ったし! ちょっとキャパオーバーだし!」
ザギルの小芝居といい、唐突なこれといい、なんで今いきなりそれなのかってことのほうが大事じゃないかって思ったわけで。
「なんかちょっと勘違いされてないかなっていうか、すごく心配しすぎてないかなっていうか。ザギルもザザさんも、そんな今すぐ私が北に突撃するかのように思ってませんか。私学習する女ですよ? モルダモーデが私の獲物ってとこは譲りませんけど、今の私ではまだ勝てないじゃないですか。大きく賭けなきゃ大きく勝てませんけど、勝機がないのに賭けるほど馬鹿じゃないです」
「……どの口がいうんだ?」
疑り深い目を隠しもしないザギルが、おそらく最後の羊羹を礼くんと分け合っている。てか結局食べきったのか。
「ザザさんはザギルの能力を信用してるからこそ、ザギルが心配するのならその分危険度が高いって心配してる。でもザギル、あんたが本当に心配してるのは私が負けることなんかじゃないでしょ」
ザギルが視線を泳がす様に、ザザさんとエルネスが眉間を寄せる。
「……ばれちゃってる?」
「ば、ばか翔太っ」
ぽろりとこぼした翔太君の口を慌ててあやめさんが塞ぎ、幸宏さんは、あーあ、と諦めの声をあげた。
「うん、和葉ちゃん、それならもう黙ってるほうが心配かけるんじゃないかな」
「ですよねぇ」
「お前らわかってたのか」
「俺らも情報収集したんだよ。確信に近いトコまでもってけたのは昨日の夜会だけどね」
「……勇者陣の秘密を教えてくれるって流れでいいかしら」
「秘密っていうと語弊があるかな……ザギルがいうところの不確定な情報は無闇に流せないねって感じだったから」
「ユキヒロ、それは知ることで僕らがあなたたちに対して何か変わるかもしれないからってことですか」
「いやいや、そういうんじゃないっすよ。話したところで、ザザさんたちが俺らを変わらず大事にしてくれることがわかってるからこそっす」
「モルダモーデは過去の勇者の成れの果て。私たちが魔族になるかもしれないなんて可能性は、できるだけ小さく潰してから話したかったんですよ」
◇
幸宏さんのプラズマシールドは、衝撃波だけではなく魔法攻撃も物理攻撃も通さない。
何度も実験したのだから確かだ。
弱点はただひとつ。勇者の顕現武器だけはプラズマシールドを破壊できる。
ふざけてじゃれあってた時にわかったことだったから、たまたまザギルはその場にいなかったし私たちもすっかり忘れていた。だって私たちが幸宏さんのプラズマシールドを破壊するなんて事態はありえないし、それなら大したことじゃない。
私の左腕を切り落とした時、モルダモーデそっくりのあいつらのレイピアは確かにプラズマシールドを切り裂いた。
その時ですら気づかなかった。気づいたのは襲撃の後始末がついてしばらくたってから。まさかと思うのと同時に、あいつらは鞘すらもっていなかったし突如として顕れたレイピアに驚いたことも思い出した。
私たちが中空から武器を顕現させるのと、全く同じ現象だったじゃないか。思い出してみれば何故すぐに気づかなかったのか不思議なほどだ。
前線がある程度落ち着けば、国外へ旅立った勇者もいるとエルネスが教えてくれたのはいつだったか。
私は食材や調味料を探していけば自然と勇者が持ちこんだ文化も遡ることになったし、幸宏さんは持ちこまれてないもしくは持ちこまれた技術を検証していくうち過去の勇者たちのことも調べるようになった。
召喚された勇者陣のうち何人かは国外に旅立ったとされ、その後の記録はほとんど残されていない。それはどの代も、どの国でも同じだと気がついたのは割と早い時期だったと思う。
どの代でもどの国でも、今の私たちと同じように大切に扱われていたのであれば、それはちょっと不自然じゃないだろうか。仮に自由を求めて旅立ったのだとしても、全く戻ってこなくなるような原因が召喚国にあったのなら、それは反省点として文献に記されているんじゃないだろうか。過ちを次代が繰り返さないようにするだろう。少なくともエルネスならそうする。
勇者の武器や固有魔法についてのマニュアルもあるのに、肝心の成熟について文献が残ってないのは何故なのか。歴代の勇者たちの内面が語られたものはほぼ残っていない。
それは前にも気づいていたし、ザザさんやエルネスたちの私たちへの接し方を考えれば不思議なことではなかった。大切な人が抱えた絶望を不特定多数に語り継ぐようなことは避けるだろう。
だけどよく考えたら、勇者たちの名前や容姿すら記されていないのは少し変。
召喚国で家庭をつくり骨を埋めた勇者たちのことは、その人生の足跡が大雑把ながらも残されている。
だけど旅立った勇者たちのことは、「旅立つ以前」のことまで遡って消したかのように語られていない。
勇者はいた。だけどその勇者の個を示すような情報は、選んだかのように抜き取られている。
例えば私が召喚国に生涯残っていたのなら「十歳前後の容姿の女性、食文化・舞踊芸術方面で貢献、重力魔法を固有し、顕現武器はハンマー」程度の情報が記されていて、国外に旅立ったとなれば「女性、食文化に貢献、固有魔法をもつ」くらいまで情報がそぎ落とされている。
夜会はいいチャンスだった。百五十年前の勇者を直接知る長命種がもしかしているかもしれないと、手分けして聞き出した。
親しかったとわけではないけれど、昨日のような夜会や舞踏会で会話したことがあると懐かしそうに誇らしげに語ったのはドワーフ系の御年百六十二歳。
穏やかで物静かな印象の青年。その印象だけなら首を傾げるところだけれど、蒸気機関を取り入れたその人の顕現武器はレイピアで、薄茶の髪に魔色は金だったはずだという。城に勤めていた侍女と交際していたからてっきり永住してくれるものだと期待していたのに、彼は旅立ってしまったと。
彼の名はジョゼフ・M・スレイ。記録では「男性、蒸気機関を導入、固有魔法もち」となっている。名前は他の勇者と同じく記されていなかった。
勇者の絶望を知っていて当然だ。彼はいわば私たちの先輩だったのだから。
「―――なによそれ。勇者が魔族になるような、この国を攻撃させるようなことをしたってこと? 私たちは、私が守ってきた約定は」
「違うよエルネス。この国が何かを勇者にしたとか恨みを買ったとかそういうのじゃないんだと思う」
「だってそれじゃなきゃ」
「それなら滅ぼしてるよとっくに。私ならそうする。できるから」
暴走する前に自分を殺さなくてはならないと思うくらいに、私の力は凶悪だ。そしてその私よりもモルダモーデは強い。
なのに、滅ぼすことなく侵すことなく前線で遊んでいる。腹立たしさでいったらザギルの上をいくだろう。
「昨日それを教えてくれた人ね、残った勇者とも話したことあるって言ってましたよ。ジョゼフはアレだからなぁって笑ってたそうです。円満に旅立ったらしいっすね。記録に残ってないのはそれこそ『勇者の意思』を当時の関係者が尊重してくれたんじゃないかなぁ。エルネスさんたちみたいにね」
「……じゃあなんで魔族になんてなったんだよ」
「さあ? それはちょっと当人に聞かなきゃわかりそうもないね。不可抗力かもしれないし、そうしたくてそうしたのかもしれないし。ただまあ、私のことを欲しがったってのは、魔族にしたかったって意味だったのかもね。あんたが怖がってたのはそれでしょう?」
「怖くねぇわ!」
「ザギル、ぼくらは魔族になんないよー和葉ちゃんも城にいるほうが楽しいっていうしー」
礼くんがザギルを覗き込んで頭を撫でて、ザギルはやめろクソガキって牙見せながらもその手を払わないから笑う。
「しかしあんたもよく気づいたね。私らだって今でも半信半疑なのに」
「……気づいたのは最近だ。お前らの魔力の質が似てんだよ。俺な、常に調節してねぇと他人の顔が見えねぇんだ」
「詳しく。味じゃなくて?」
エルネスはやっぱりぶれない。
「普通は魔力が曇ってて邪魔だから調節しねぇと見えねぇ。でもお前らは違う。色はついてっけど透明で顔がちゃんと見える。調節しなくてもな。モルダモーデにやられたとき、俺死にかけたろ。調節なんてする余裕がなくなってたはずなのにヤツの顔が見えてたって思い出したのが、こないだの襲撃の時だった。お前が顔布の下が見えたって言ったから。今じゃ無意識に調節してっから気づくのが遅れた」
「見えすぎちゃって困るの~ってやつなのねぇ」
「なんで歌う」
なんの歌だっけか。忘れた。
「まあ、とにかくですよ。私たち自身の能力に関わることなんでそのうち話はつけたほうがいいわけよ。でも急ぐ話じゃないでしょ? 私らが対抗できるほど成熟するまで待っててもいい。少なくとも、ここの転移陣と行先不明の転移陣を比較して調べることもしないで急ぐようなもんじゃない。約束するよ。勝手に突撃したりなんてしない」
肩に軽く触れてきたザザさんの額がひんやりとしてる。
一緒に行って一緒に帰るんだもんね。
遠足はみんな一緒に帰ってこれるようなものじゃなきゃ遠足じゃない。
「ワタクシ、カズハ・コシミズは学習する女ですからね!」