82話 カザルナ王国春のテンプレ祭り
ダイヤモンドだって磨かれなければただの石ころ。
天上の世界を切り取ったような絵画だって、今にも動き出すかのような躍動感あふれる彫刻だって、浮世を忘れさせるかのように別世界へ誘う音楽だって、それを求める人がいて初めて『価値』が認められる。
市場価格と言ってもいいそれは、確かに本来の意味での価値とは違うだろう。
誰がなんといおうと、美しいものは美しく、好きなものは好きなのだと、価値は変わりはしないのだと。それは間違いなく正しい。
磨かれずにくぐもったままのダイヤの原石は、それでも輝きを秘めているし。
けれどもやはり、磨かなければ輝かないのだ。曇りガラスの欠片のようなそれは、その内包する美しさを十二分に知る者の手で、磨き上げられ最適なカッティングをされて初めて真価を発揮する。
何故そんなに手をかけるか。それは求める人がいるからだ。求められなきゃ誰も磨かない。
ただの石ころのまま地中深くで眠り続ける。
いわゆる芸術家と言われる者たちは、そんな世俗の価値など念頭に置かず、ただ己の求めるままに絵を描くだろう、歌うだろう、奏でるだろう。実際、死後にその作品を認められる不遇の芸術家は枚挙にいとまがない。磨かれなくてもその才能だけで、自分一人の力だけでそれを示すことができる人だっている。でもそれはやっぱり極々ほんの一握りの天才と言われる人たちだ。
そこまでいかなくてもね、プロにはなれる。世の中は天才だけで満たされてなどいないのだから。
そして天才じゃなければ、やっぱり磨いてくれる人は必要になる。
技術を、知識を、教え導いて、世界を切り開く手助けをしてくれる人が必要になる。
ずっと踊っていたいと思ってたのは本当だし、だからどんなに引っ越しを繰り返したって教室には通っていた。私がしつこく親に強請るのはそれだけだった。小学生になる前から、一人で通える場所の教室を自分で探した。送り迎えが必要な場所では通えなかったから。曾祖父以外に送り迎えまでしてくれる人はいなかった。
バレエ教室も色々あって、プロを目指す子が通うようなところばかりじゃ当然ない。ただひたすらに物理的に子どもの足でも通える場所に通ってた。
もしかして先生同士の横のつながりなんかもあって、頼めば引っ越し先にある教室を紹介とかしてもらえたりしたのかもしれないけど、さすがにそれは子どもの私にはわからない。
大体どこの教室も発表会は年に一度で、子どもたちはその発表会に向けて何か月も練習する。
発表会直後に入って半年でやめたり、発表会直前にはいったり、数か月しか通えないことが最初からわかっていたりすれば、役などつきはしない。子どもの発表会でソロの演目なんてそうそうしない。たった一人の子どものためにその足並みを乱させたりしない。群舞はみんなでつくりあげるものなのだから。
それでも何度かは発表会に参加できたことはある。衣装はお金をもらえれば教室で買えたけど、当日の舞台化粧はどうにもならなくて、先生に手伝ってもらって自分でできるように覚えた。
他の子はみんな母親に舞台化粧をしてもらってた。
激励とともに控室から客席へ向かう親に手をふって、親の喝采を舞台で浴びて、控室に迎えに来てくれた親の腕に飛び込んでいく子たち。
舞台での緊張と興奮をそのままに頬を染め、化粧を落としてもらいながらやむことのないおしゃべり。
それを見ないようにしていれば、和葉ちゃんは一人で全部できてすごいわね偉いわねなんて。
両親が見に来てくれたことは一度だってなかった。
特に秀でているわけでもなく、数か月しか通わないような、親が顔も出さないような子どもに、特別な指導を勧めるような教室があるわけもなく。
プロになりたいと思ったことがないのも本当。
だって見てくれる人なんていなかったもの。
求めてくれる人も磨いてくれる人もいないのだから、踊れればそれだけでよかった。
踊る場所があればそれだけでよかった。
舞台も練習場も同じ。広い板張りの床と、サイドバー、壁一面の鏡と音楽。それらがあればもう充分。
才能なんてあるかどうか自分じゃわからないし、あるとも思ってなかったのだけど。
天才は天才を知るっていうでしょとかもうほんと。
私の踊りを喜んでくれる人がいて、楽しんでくれる人がいて、ちゃんと見てくれる人がいて。
翔太君みたいなマジモンの天才にまで認めてもらえるとかもうほんと。
「翔太君」
「うん」
「きっと翔太君はめちゃめちゃイケメンになってモテモテになりますから、いい娘さんを選びきれないときは相談にのりますよ任せてください」
「……う、うん? ありがとう?」
浅漬けを半分くわえたまま、きょとんとする翔太君。
こっちに来たときはまだ頬も丸みがあって幼さの方が勝っていたのに、いつの間にか顔立ちがシャープになってきている。身長だって随分伸びたよね。私一向に伸びないけど。
普通の母親像なんてもので私を見ていた子が、私自身を見てくれるようになった。
自分が自由に羽ばたくだけじゃなくて、私のことまで飛べと背を押してくれるようになった。
この世界は私を育てなおしてくれているけど、まさか一緒に招かれた勇者にまで育ててもらえるだなんて。幸せすぎて私寿命がもう残ってない気がしてしょうがない。
「いやお前、相談っつったって味見は小僧本人がするしかねぇだろがよ」
「やめて! 選択の基準が味だけの人は黙って!」
「な、翔太、あれより俺らましだろ」
「……あのぶれなさだけは見習うべきな気がする」
「ショウタ、気のせいですよ気のせいですからね」
◇
おにぎりも平らげて、みんながそれぞれ手分けしてお弁当箱も片づけて、魔獣駆除もほぼ完了ということでいったん城に戻ろうかって流れだったのだけど。
「あれ? 肝心の行先不明な転移陣がある部屋行ってないよね」
「あー……、今度でいいだろ」
「なんで?」
「帰んぞ」
訓練場に転移するという陣に向けて背を押される。振り仰げばザギルは目をそらしてるし、見回せばザザさんは何か考え込んでて、幸宏さんは気まずそうな顔をしている。
「せっかく来たんだから、その噂の転移陣見てみたいし」
「お前見たってわかんねぇだろが」
「陣はわかんなくても、隠し部屋みたいなとこにあんでしょ? 見たいもん。どんな仕掛けなのか」
さっき言ってたもんね。普通に通路歩いてるだけじゃわかんないところにあるって。ぼくもみたーいって礼くんも笑ってる。
「ほらー、礼くんもそう言ってるしぃ」
「―――待てって」
背を押すザギルの手をくぐり脇をすり抜けようとして、足が宙に浮いた。
絡めとられるように抱き上げられて、ザギルのつむじが顎の下に見えた。顎を前髪がくすぐる。
「ザギル?」
「待てっていってんだろが」
私の胸に顔を押し付けたまましゃべるザギルの声は小さくくぐもっている。サバ折り状態で抱きしめられているけど、苦しいほどじゃない。
「どしたの?」
「……場所は後で神官長サマに教える。知ってたらお前思い立った時に勝手に突撃すんだろ。お前は行かせたくない」
「なんで? 行くかどうか私らが決めていいって言ったじゃない」
背中と腰にまわるザギルの腕は、私の腕の下にある。自由なままの手で、そっとつむじの毛を梳かす。
「やっぱ嫌だ。行くな。俺が行くし帰ってくるから。カズハ、頼むから行くな」
絞りだされるような低く静かな小さい声は、ほんのちょっぴり震えている。抱き寄せる腕に力がこもるけど、やっぱり苦しいほどじゃない。私を全て覆い尽くしてしまうほどの大きな身体なのに、どこか小さな子どもが縋り付いているようで。
こいつはいつもチンピラ口調で、喧嘩腰で人を喰ったようなことしか言わなくて。
それでいてちゃんと私がしたいことを優先するようにしてくれる。
契約だからとか主だからとか、そんなようなことをそっけなく言ってはいるけども。
頭のマッサージをするように、両手の指でつむじからうなじまで髪をくりかえし梳かす。
胸に押しつけられた顔はそのまま動かない。
これだもの。
あやめさんだってそりゃ心配する。みんなザギルの捕獲作戦にノリノリにもなる。ザザさんやエルネスが疑うわけもない。
なんでもかんでもできるし知ってるザギルだけれど、どんなことでもわかってるような顔しているザギルだけども、どうやらこいつでも今一つわかってないことがあるらしい。
あんたはとっくにみんなから身内だと認められているのにねぇ。
「いやまあそう言われても、私の獲物は譲れないし?」
「―――くそがぁ! おい兄ちゃん! 効かねぇぞ!」
「言うなって言ったじゃん! 多分無理って言ったじゃん!」
がっと顔を上げるのと同時に放り投げられて、いつの間にか近くにきていたザザさんに抱き留められた。えーっと……。
「……なんかこそこそ話してると思ったら、ユキヒロの入れ知恵だったみたいねぇ」
「ぼ、僕ちょっとどきどきしちゃった……あやめちゃん口開いてる」
「うん……ザギルが何かにのっとられたかと思った」
呆れた顔のエルネスが頬に片手を添えてため息をつき、翔太君とあやめさんはほんのり頬を染めていた。
「あっちじゃ効果抜群の技だっつったじゃねぇか!」
「だから言うなって! 一般論だとも言ったじゃん!」
「わー、幸宏さんサイテー」
「あやめ! 違うから! 俺が使ってるわけじゃないから! ただのテンプレだろ!」
「幸宏さん……そんなテンプレ小技使ってまでもてたい人だったんだ……」
「翔太やめて! その目傷つく!」
「ねえねえ、ユキヒロ。そのてんぷれ? ってなあに?」
不貞腐れた顔で胡坐かいて座り込んだザギルは、私のかばんを引き寄せて中を漁りチョコバーをいくつかとりだした。いそいそと寄り添うようにしゃがみこんだ礼くんに、ん、とひとつ分けてあげてる。てか、せっかく片づけたのに。
おいしーね! とご機嫌な礼くんの後ろに、何故か隠れるように陣取る幸宏さん。
「や、なんつーの、あっちでのスラングっていうか。こう、異性に人気の仕草というか、これやられるとぐっとくるって定番っていうかね。女の子の上目遣いのお願い、とかさ、言うこと聞いちゃうよなぁみたいな」
「あー、なるほどねぇ……じゃあさっきのザギルのあれは女が男にぐっとくる仕草のてんぷれ?」
「まあ……ギャップ萌え? みたいな? いや和葉ちゃんにはテンプレなんて通用しないって言ったよ? ちゃんと!」
んー?
「いや、私、テンプレとか王道大好きですよ? まあ経験したことはないですが多分」
車バックさせるときの姿勢とかね。前髪かきあげる仕草とかね。たまりませんよね。
「えー、意外。なでぽとか壁ドンとか?」
「いいですね」
「……嘘ぉ。和葉絶対気づかなそう」
「失敬な。わかりやすいからテンプレなんですよ。わからないわけないでしょう」
「……じゃあ、ギャップ萌えは和葉ちゃんのツボじゃなかった?」
うん、そこね。そこがわからないよね。
「ギャップも何も、そんなことやりそうにない人がやるからギャップでしょうに。ザギルは元々懐きたがりの甘えたじゃないですか」
「「「うわあ……」」」
「はあああああああ? お、おま、この俺が」
ザギルは目も口もまん丸に開けて、齧ってたチョコバーをぽとりと落とした。いやだわー、ほんと自分のことってわからないもんだって本当だよね。
「すげぇ……俺和葉ちゃんのおかんフィルター舐めてたわ……」
「ほらね、やっぱり和葉は気づかないじゃない」
「ザ、ザギルさん、だいじょぶ……?」
「……いや、なんだろうな、俺、なんかめちゃくちゃ眠くなってきた帰りてぇ帰っていいか」
「そ、そうね。いったん帰りましょうか。ほらカズハ行くわよ」
「えー」
「ああ、もういいから。まずは帰るわよ。ザザ、そのままカズハ抱えて陣踏みなさい」
「―――え? あ、はい」
ザギルに放り投げられてからずっと私を横抱きにしてたザザさんが、はっと我に返ったように地面にそっと降ろしてくれた。なんだろう。さっきからずっとザザさんぼんやりしてたというか考え込んでたよね。
「……ザザ?」
訝し気なエルネスの声などまるで聞こえてないかのように、うん、と何故か頷いて、真っすぐに私の目を覗き込んで。
「カズハさん、結婚してください」
「え、やだ」