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75話 未知の領域は奥深い

「うーん……?」


 煌めく湖面を囲む岩場に打ち上げられたそれを見おろして幸宏さんが唸っている。


「ザザさん、これ、魚って言ったよねぇ……?」

「魚というか蛇みたいなと言ったと思いますが……」

「これ魔物カウントじゃなかったんだ」

「え、だってこれ襲ってこないですし」


 戸惑いを隠しきれない翔太君とあやめさんの声に、さらに戸惑いを露にしてザザさんが応える。


「この世界の区分けはいつでもどんなものでもシンプルですよね」

「ねえねえ、これがうなぎ? ぼく生の見るの初めて!」


 襲ってくるかこないかで動物と魔物は区分される。それは水棲生物でも同じらしい。

 氷魔法で体温を低下させられたそれは、暴れることもなくその身を晒している。直径三十センチほどで、頭らしきほうの先端にはつるりとした分厚い唇がぐるりととりまく丸くぽっかりとした穴が開いていて、鋭く小さな歯が三重にみっしりと覗かせている。

 鮮やかな赤と青の斑で薄い鱗が覆う背は長く、長く、長く、長く、湖と私たちの間を区切る境界線のように伸びて、その長さ五十メートルはあるだろうか。


 ながーい! と礼くんが何度も頭から尾のほうまで走って往復している。


 小船に乗った騎士たちが槍を湖面に突き刺して引きずりあげてきたのだけど、いつまでもいつまでも終わりが見えてこないその作業に少し不安になってきたところでやっと尾がでてきた。


「つか、すごいさらっと捕獲してきたよね」

「誰もこいつ捕りませんからね。警戒してないんですよ。天敵もいないですし育ち放題です」

「……この湖の底、これがうじゃうじゃいんのか……」


 幸宏さんがぶるりと身を震わせると、それが伝染したように翔太君とあやめさんが自分の二の腕をさすった。


「なあなあ、これ、ほんと美味くなんのか? 俺もさすがにこいつはよっぽど腹減ってねぇと食わねぇぞ」

「いやー、どうだろうな? どう? 和葉ちゃん」


 ナイフで鰓あたりから一切れ身を切り出して、ちょっと匂いを嗅いでみる。皮と身の間の脂と、身を一舐め。匂いはない、けど舌にわずかに残る臭み。でも知らない味じゃないというか、手に負えない未知のものではないかな。


「うん。ちょっとやってみますか」


 裏山を挟んで王城とは反対側の森で、春の柔らかな日差しを受けて輝く湖。

 まだ鬱蒼と茂る樹々の根元には溶け残って汚れた雪が硬くなっているけれど、いそいそとやってきた勇者陣とゆかいな仲間たち。うなぎかなー? うなぎだといいねー? と春を待ち望んでいたのだ。このうなぎらしき獲物、サルディナを夢見て。


 なんか思ったよりすごく長かったけど。

 ちょっとうなぎと違うかな? って空気がすごく漂ってるけど。



 岩場といっても足元が危うくなるほどのものでもないし、波打ち際から五メートルほど離れれば普通に地面なので捌くのは問題ない。


 杭を目に打ち込み、手分けして内臓や血が肉につかないように、身と骨を開いていく。私が一人で捌くつもりだったけど、さすがにこの長さを一人ではおろせない。料理の腕も磨いている騎士たちは手際よく指示に従ってくれる。ついでに言えば、槍で突くときも内臓を傷つけない位置を狙ってというお願いもしっかり叶えてくれている。流石精鋭部隊。


 頭と骨をたれ用に鍋に突っ込んで竈に据える。


 串打ち三年なんていうけど、まあそこまで職人技で味を突き詰めなくても素人が美味しく頂ける程度までならなんとかなるもので。小骨といってもサイズがサイズだから、普通にさんまの骨くらいある。

 ……これ小骨が多くてってザザさん言ってたけど、これを小骨にカウントするって大雑把すぎないかな。邪魔もなにもうっかり口に入るというサイズじゃない。捌いてるときに手でするする抜いていけるし。


 目に留まった骨を抜きながら全員で串打っていく。ザギルはめちゃくちゃ真剣に小骨とってる。各自自分が食べる分を串通してねとは言ったけど、何枚作る気なんだろう。人数分よりかなり多く鉄串持ってきてよかった。


 細長く設置した炭火の焼き場に並べて、残りの肉は凍らせておいた。

 ここまでくればお手伝いはさほど要らないので休憩を呼び掛けて、私はたれの鍋と焼き具合を見張ることにする。


「じっくり焼くから、適当に遊んでていいよー」

「はーい!」


 元気よく返事して駆け出した礼くんは、周囲の魔物警戒班に混ざっていく。父の会メンバーもいるからね、遊びと一緒だね。礼くんにとっては。





「まだか?」

「まだ」



「和葉ちゃん! まだ!?」

「まーだ」



「まだか?」

「……まだまだ」



「ま、まだですか?」

「……まだです」



「まだか?」

「……まだまだまだまだ」

「いつ食えんだよ!」

「そんなに経ってないでしょ! まだ!」



 五分おきに進捗を代わる代わる聞かれて、身をひっくり返しながら答え続けてる。

 返し班も私に倣って次々と身を返していく。


「だってもう旨そうな匂いしてきてんじゃねぇか」

「うなぎと同じなら、臭みはこの皮と身の間にある脂のとこにあるはずなのよ。これをじっくり落とさないと食べても臭いままだよ」


 舐めた感じ似てたんだよねぇ。あの臭みと。


「臭い匂いしねぇぞ」

「匂いでは何故かわからないんだな。これ。いいからいい子で待ってなさい」


 しゃがみこんでサルディナ、うなぎもどきを睨んでるザギルの頭をぽんぽんと撫でたら、ぶすっとした顔でフルーツブランデーをすすった。小さく吹き出した幸宏さんに小石投げ始める。


「子どもか―――『いい子』にしろよ」


 ザザさんがその小石を横からすくいとって鼻で笑えば、ザギルもにやにやしはじめた。


「そういやよー、俺も結構気ぃなげぇけどよー」

「今さっきまだかまだかって騒いでた口で何言ってんの」

「うっせぇな、でもなー、氷壁ほどじゃないかもなー、我慢強いこったな。正直お前が耐えられると思わんかった。すげぇすげぇ」

「……何言ってんだお前」

「まあ、サイズ的に無理なんだからしょうがねぇけどよ、今んとこ三日に一度は泊まりだろ? よくまああれに耐え続けられるもんだ」

「―――おまっ、真昼間からなに」

「……あ」


 はっと何かに思い至ったように目を見開いたザギルの顔に憐みみたいな色がまじる。なんだ珍しい。


「四十超えてんだっけ? も、もしかして、おま、もう、打ち止―――うぉおおおおおお!」


 アイアンクローで顔面鷲掴まれたザギルがそのまま湖に放り込まれて、ザザさんはそれを追いかけて飛びだしていった。





 …………今のは、今の話は、もしかしなくても。


 ぎこちなくならざるを得ない首を回して振り返ると、少し離れたところでお茶してるあやめさんと翔太君はきょとんとしてて、幾分こちらよりで米の準備してる幸宏さんは呆れ顔。返し班の騎士たちはさっと一斉に目を逸らした。


 これはうろたえたらもっと恥ずかしくなる奴だと即断して、サルディナを返し続けるのに専念することにする。

 顔熱いのは、あれだから、炭火の照り返しだから。


「……なにあれ」

「またザギルさんがザザさん揶揄ったんじゃない」


 よしっ! あやめさんと翔太君には聞こえてなかった! 落ち着け和葉!


(どんまい)

(そう思うならスルーして!!)


 すっと幸宏さんが隣に腰を降ろして呟いた。米どうした米!


(……ねえ、和葉ちゃん)

(……はい?)

(すごくなかった?)

(なにがですか)

(……魔力交感)

(―――っ)


 返そうとした身を串ごとお手玉してしまう。あわわわわといいながらなんとか焼き場に再着地させた。


(取り乱しました)

(お、おう)

(……あれですね。未知の世界でした)

(和葉ちゃんて動揺する割にはきっちり律義に返すよね……)

(ゆ、勇者陣の、情報交換、かなって)

(う、うん。そうなんだけど、ほら、他のやつらは向こうでの経験、ないじゃん……比べられないじゃん……)

(ですよねぇ……というか、幸宏さんですらそうでしたか)

(その、ですらってのがなんかひっかかるけど……、いや俺も未知の世界だったよ? 正直、有無を言わせず召喚ってのと引き換えだとしてもチャラになるっつか、あれだったら元とれるどころかお釣り出さなきゃなってくらい)

(やっぱり!? そうですよね!? 私、そんなわかってるわけではない自覚くらいはあるんですけど、なんか知ってるのと違うなっていうか、知ってるのはお医者さんごっこだったのでは? みたいな)

(……っ)


 ぐっと肘の裏に顔を埋めた幸宏さんの肩が震えてる。


(く、比べてどうだった)

(……高度先進医療?)


 BJザザ……ピノコはまりすぎ……とかひぃひぃ言いながら蹲って動けなくなった幸宏さんをそっと横にずらして、サルディナの返しにまた専念した。

 

 そこまで受けられるとは予想外で今更ちょっと恥ずかしい……。





「ふっくらとして、じんわり染み出る脂の旨味……っ」

「おいおいおいおい、これほんとサルディナかよいや見てたけどよ」

「ぱりっと香ばしいサクサクの皮……っ」

「……っ……っ」

「たれも優しく上品で……っ」

「うなぎおいしいいいいいい!」



 無言で天に拳を突き上げた。


 ひれ伏すがいい! これが料理無双!





「箸休めどうぞ」

「ハシヤスメ?」

「メインの料理の間に、一度口の中の味を消して料理の味をまた楽しめるようにすることです。脂強いですからね。さっぱりしますよ」

「―――カズハさん、これ」

「ふっふっふ、ちょっと試してみてください」


 騎士たちにも声をかけて、とりわけた漬物を持って行ってもらう。


「わ、スイカの皮の漬物っぽい! なっつかしい」

「スイカの皮? ウリじゃなくて?」

「スイカもウリですから同じように食べられますよ。栄養価も高いし」


 でもスイカじゃないけどね。これ。ウリでもない。


「さっぱり! おいしいいい! 和葉ちゃん、これスイカなの? スイカはないの?」

「これねぇ、カリッツァなんだよ」

「!!! 和葉ちゃん大好き! ほらーっザギル! ちゃんと美味しいでしょ!」

「……ちっきしょうっなんでむかつくかわかんねぇなおい!」

「おいしくない?」

「美味いわ! くそが!」


 カリッツァは焼いて食べる果物だと言っていたけど、取り寄せてもらって味を見てみたら青臭くてうすぼけた味だった。水っぽくて歯ごたえも中途半端なものだったから焼いてスパイスで整えてたんだろうなぁ。普通に摘果メロンに近かったから浅漬けにした。


 礼くんが食べてみたがってたしね。満足。

 得意満面になってたらザザさんと目があって、うふーっと笑って見せたら、あの蕩ける笑顔を向けられてうっかり赤面した。


 恋人だということはもう周知の事実になっているけど、ザザさんの勤務中の態度は、ほとんど前と変わらない。大人である。……ザギルとトムジェリしてる姿はちょっと大人じゃないけど、それも前からだし、変わらないといえば変わらない。


 でも時々こうしてふと甘ったるい顔みせるから、不意打ち甚だしくてずるいと思う。





「セトさんに感謝されました」

「……ええ?」

「団長が積極的に定時で帰るようになったって」

「あいつはほんとに……」


 カウチに深く身体を預けて、脚の間に座る私を後ろから抱きかかえてるのがいつもの定位置になりつつある。私のお腹の前で組まれた手には蒸留酒のグラスがある。

 私の肩にのっているザザさんの額がほんのり熱い。


 騎士たちはシフト制で動いてはいるけど、役職が高くなればそこには組み込まれない。団長であるザザさんは当然のこと。前なら抱え込んでたであろう雑務なんかを、部下たちに振り分けるようになったそうだ。元々采配は巧い人なのにそれをやっていなかったのは偏に仕事が好きだから。


「ふふふ、慕われてますね。団長さん」

「―――面白がってるだけですよ、あいつらは。ところで」


 肩にキスして、くるりと私の身体の向きを変えさせて膝の上で横抱きにする。


「今日、ユキヒロと何を内緒話してたんです?」

「えっ」

「なんかうろたえてましたけど」

「そんなことは―――ひゃっ」


 首筋に素早くされたキスが、ぞくりとさせる。


「僕にも教えてください?」

「あちらとこちらの医療技術の違いについてですかね!」

「……いりょうぎじゅつ」

「あっまちがいました! えっと、あ、ちょっとお茶こぼれ、人体のちがい? いやなんと、いうか、ひゃあああ、あ、あはっあはははっ」


 がっしり抱き込まれて耳と首に何度も口づけられたら白状せざるを得なかった。




「なるほど……僕らは魔力交感があって当たり前ですからね。ないのが想像つかないですけど」


 ぐったりしてる私の額に、くすくす笑いで口づけるザザさんは時々非常に意地悪い。


「……じゃあ、魔力交感なしで試してみます? ないのならどうしようもないけど、あるものを使わないでってのは試せるじゃないですか」

「嫌です」

「即答」

「これ以上は我慢できないんで」

「がまん」


 ザギルにおちょくられてたやつか、な?

 もう何度もお泊りはしているけど、私の身体はまだ子ども過ぎて受け入れることができていない。……私としては案外なんとかなるんじゃないのかななんて思ってるし、そう言ってはみたのだけどザザさんが「壊れたらどうすんですか」の一点張りなのだ。


 それを何故ザギルが知ってるんだといえば、ザギルだからと納得するしかない。いたたまれなさすぎるのであんまり考えないようにしてる。


「えっと、我慢……やっぱり大変?」

「あー……僕もそのあんまり若造みたいにがっつくのも照れがあるんですが」


 抱き寄せて耳元でささやく彼の顔は見えない。


「できるならずっと離したくないし、毎晩こうしていたい。今のペースがぎりぎりなので、せっかくの夜にわざわざしなくていい我慢したくないです」

「あ、そっち?」


 違った。

 わあ、そっか。今でもすごく部屋に訪ねてきてくれてるってうれしかったのに、本当はもっと一緒にいたいと思ってくれてたってことなんだ。

 うれしくてむずむずしてじたばたしたくなってきたのに、ザザさんの背中の筋肉がぴたっと固まったのがわかった。


「……どっちだと?」

「……」

「カズハさん、そっちじゃないならどっちです?」

「……いえ、特に具体的、には」


 覗き込んでくるハシバミ色は、またひどく意地悪そうで愉し気だ。逸らしても逸らしても追いかけてくる。


「ひ、昼間に揶揄われてた方!」


 視線の攻防戦に観念して答えたら、軽いリップ音をたてるキスがご褒美みたいに降ってくる。

 揶揄いの色はきれいに拭い去られて、とろとろの甘い笑顔。


「そりゃ正直にいえばキツイです。ただそれ以上に幸せなので、ちゃんとカズハさんの身体ができあがるまで待てますよ。魔力交感っていうのはそういうものです。実感したのは僕も初めてでしたけどね」


 そういうものってなんだろう。思わず首を傾げると、額に額がこつんとあてられた。


「多分ね、ユキヒロが未知の世界だったというのも、本当はもっと先がありますよ。ユキヒロはまだ遊びでしかしてませんから」

「そうなの?」

「セトほどじゃないですが、ユキヒロのやんちゃは僕にもそこそこ聞こえてきてますんで」

「ほっほぉ……」

「寿命や成長度合いの違いとか、種族の違いとか、色々な理由で肉体的に結ばれにくい者同士が魔力交感で代わりにするってのは聞きましたよね? 愛情や信頼が深ければ深いほど、魔力交感は快楽や幸福感をもたらすんです。魔力は精神状態に強く左右されますから」

「んっと、それはつまり」


 額にキスして、丁寧に優しく髪を手櫛で梳って、もう一度こつんとまた額を合わせる。


「待つことのキツさなんて大したことじゃないです。長命種が伴侶の成長を待てる理由が実感としてわかりました。もう手放せないし、あなたしか見えないし他はいらない。だから、あなたの身体のほうが大切なんです―――そういうものです」

「わ、わたし」

「はい」

「幸せすぎて明日死ぬ気がしてなんない」

「やめてくれ! ほんっとあなたの場合洒落にならない!」


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