73話 金色の海は蜂蜜みたいに甘く絡んで
「勇者召喚がそちらでは物語なんですか」
「割と人気なんですよ。魔法も、エルフもドワーフも、空想の物語として扱われてます。不思議ですよね。向こうからこちらに来る人がいても、こちらから向こうに行った人の話は聞かないのに」
「……魔法がない世界っていうのは僕らからすると想像もつかないですけど、それを物語として描いたものってのは聞いたことがないですね。元々ないものを想像する能力っていうのも不思議です」
「……それが想像、でしょう?」
「程度の違いなんでしょうかね。架空の物語ってのは勿論ありますけど、こちらにないものは出てこないです。蒸気機関が先代勇者からもたらされる前に物語に出てきていたようなものでしょう? そういうのは聞いたことがない」
「私たちからみると想像上のものは全てこちらでは現実ですしねぇ……やっぱり不思議なかんじ」
ザザさんは切り替えが早くて、今はもう普通にまったりと会話してる。お酒も美味しい、おつまみも美味しい、ソファの座り心地はいいし、わずかにふれあう膝の感触がくすぐったくてうれしい。
ピアノの演奏が会話の邪魔にならない程度の穏やかさで流れて、こちらもそれを邪魔しない程度の声音で話せば、自然と内緒話に近い距離になる。
距離が縮まるほど、ザザさんの耳が私に傾けられるたび、楽しげな笑い声をあげるたび。
めっちゃ睨まれてる。
すっごい凝視と、憎々し気な視線が刺さってくる。
「……どうしました? いや、楽しそうなのは僕もうれしいんですけど」
やばい、面白すぎたの顔に出てたっぽい。
ザザさんが気づかないってことは、完全に私だけに的が絞られてるのかな。
殺気にまでいかないから気付いてないのかもしれない。
「うふふー秘密です」
あのザザさんのモトカノからの視線が面白くてしょうがないとか、ぶっちゃけ気分が最高にいいとか、正直に言ったらひかれちゃいそうだから黙っておくことにする。
「ふむ? 秘密もまたよいスパイスだったりしますけど」
すっと私の手をとって、爪を軽く撫でて、そのまま手のひらに口づけられた。
瞬間流れるわずかな甘い痺れに、心臓が跳ね上がる。
「―――白状してください?」
「嫉妬されてるのが気分よくて!」
そんな上目づかいで試すように言われたら勝てる気がしない!
「あー、あれですか。……カズハさんが気づくと思いませんでした」
「私どんだけどんくさい設定なんですか。気づきますよ?」
「自分への視線に無頓着すぎる自覚をもっともってくださいとは常々思ってますよ」
「き、気づいたじゃないですかってか、ちょ、ちょっと手」
軽く手をひっぱっても離してもらえないし、私の手のひらに唇をあてたまましゃべるから、くすぐったいというか、むずむずする。
「だから意外だったんです……気づいてないなら放置しようと思ってたんですが、楽しんでるならどうしましょうかね」
「えー、ザザさんも気づいてたの?」
指先にもキス。ひいいいい。
「そりゃね。意味不明で少し不快ですし。ただ邪魔されたくないんで、カズハさんが気づいてないならことさら話題にする必要もないかと」
「そ、それわざとですか。飛んでくる視線がどんどんきつくなってきてますけど」
「カズハさんが面白がってるようなんで」
「や、なんかそれどころじゃなくなりますよね、ちょ、ちょっと待って、あ、ごめんなさいほんと勘弁してください」
熱くなってる頬を、もう片方の手で包んでから、耳の横にすこし残して垂らしている髪に滑らせる。撫でた髪の先にもキスして、そんな挑発的な笑顔て!
切り替わりがいいのにも程がないだろうか。ついさっき一緒に赤面仲間だったのに!
「あ、あの、ザザさんは不快なのでしょう? 私はいいので、ほら、ね、そこまでしなくても」
「煽るのが目的ではないですよ。便乗してしたいことをしてるだけです」
「ええええ」
「ちょうどよいな、と」
くすくす含み笑いをして、キスした髪の一房を私の背に軽く流してから手を離し、はい、とベリーを一粒口に放り込んでくれる。繋いだ手はまだそのまま。甘い! 甘いよ! ベリーもこの空気も!
「ただまあ、本当に意味がわかりませんね。なんだってあんな張り合った空気出してるんでしょう」
「お付き合い、長かったんですか」
「んー、あまりはっきりしませんけど四、五か月程度でしょうか。セトの言う通りいつも遠征で振られるので……」
「彼女にも振られたの?」
「そうですよ。だから意味がわからない……ちょっと度がすぎてきてますね」
「煽ったくせに」
「向こうも男連れてるんですよ。なだめられない男もどうかしてる」
若干殺気が混じりだしてきてることに、ザザさんが眉を顰めた。彼女も貴族といっていたし、魔力量は多めなのだろう。まあ、私相手に何をどうできるわけでもないけれど。
「世の中には他人のものほどよく見える性質の人もいますしね、格下がイイ男を連れてるのが気分悪いとかあるようですよ」
「はぁ? 勘違いも甚だしい」
「えっどこ? あ、た、たにんのもの……?」
「なんでそこ……僕がカズハさんのものなのはあってます」
「―――っっ!!!」
そりゃじたばたもしますよ! ソファに倒れこみますよ! 鼻血でそう! あまーい!
両手で顔を覆って悶えてたら、通路側に近づく人の気配。
覆った手をずらして見上げたら、さっきザザさんに首抱え込まれてた人がいた。ちょっと顔強張ってる。……ザザさんが視線で呼んだ、のかな?
「―――あれ、なんとかならんか、というかなんとかしろ。ツレだろう」
「……すみません、引き上げようとしてるんですが」
「なんなんだあれ。お前が付き合ってるのか」
「えー、自分ではなく、あいつが一応婚約してる、はずです……」
あいつ、と目で示された向こうの席に残ってる彼女の隣にいる男性が婚約者らしい。こんやくしゃて。その彼に見向きもしないで目を爛々させてこっちを見ている。こわっこわっおもろっ!
「そんな相手がいるのにどういう態度なんだあれは……」
「やだ、ザザさんたら罪作りぃ」
「僕だからってわけじゃないと思いますが……よし、店を変えるか城に戻るかしましょう」
「えー」
「今は笑いごとでもこれ以上はちょっと看過できませんし、あなたが無闇に見下されるのは僕も不快ですから」
「むぅ」
「―――あ、あの、ザザ団長、彼女に勇者様のことを教えていいものなのかどうか判別がつかず」
「ああ、やっぱり気づいてなかったのか……相変わらずだなあの人も」
「教えれば弁えるのではないかと思うのですが」
「相変わらずって?」
「なんといいますか、自分の生活圏以外のことに興味がないんですよ。貴族ならある程度教育されているはずの意識や知識があまりない。まあ、家を継ぐわけでもないとそういう人間は珍しくはないんですけどね」
「ふうん?」
「勇者に関する情報は、あらゆる分野で重視されますから、ある程度上に立つものなら知っていて当たり前なんです―――教えることに問題はないぞ。悪いが連れ出せるものならそうしてくれ。警護を考えるとこっちは行ける店が限られてる」
「はい―――カズハ様、本当に申し訳ありません」
わ。片膝ついた礼とられた!
「あ、いや、いいですいいです。やめてください。立って立って」
こういうの久しぶりだなぁ。第二騎士団の人たちは、もうみんなすっかり親しくなってるから様づけとかもうないし。
ただ、それが引き金にでもなったかのように、彼女がずかずかと近寄ってきた。うーん、貴族女性にしては歩き方に品がない。向こうの席では慌てて彼女を引き留めようとした婚約者さんの手が空を掴んでる。
さっとザザさんが彼女と私の間に立ちふさがった。
「どうされました?」
背中しか見えないけれど、ザザさんの声は穏やかでありつつ余所行きの声だ。元恋人にこんなよそよそしい態度とられたらどうだろう。……どうだろう? ちょっとわからない。
「なんだかとても重要人物そうな方に興味がわいたの。紹介してくれないかしら」
「恋人です。彼女のことについてはあなたの婚約者も知ってますよ。そちらで聞いてください」
「……随分趣味が変わったのね」
ザザさんの肩が深いため息とともに落ちた。あ、これみたことある。ベラさんの時もこんなため息ついてた。第三騎士団の人が咎める声とともに彼女の腕をひいたけど、強気に振り払われている。
「そうですね……昔の僕は随分と趣味が悪かったようです」
「―――っ、がっかりだわ。でれでれしてみっともない」
「ぶふっ」
やばい。盛大に吹き出してしまった。両手で口塞いだけどまるで間に合ってなかった。
別れた恋人がいつまでも自分を想っていてくれた頃と変わらないと思うのは男性の専売特許というけれど、やっぱり女性にだってそのタイプはいるよねぇ。全く理解できないけど、短大の頃にもこういう人はいたなぁ、なんて思い出す。遠目にみてただけだけど。
「なんなのあなた」
「―――下がれ」
一歩前に踏み出そうとするも、ザザさんに押しとどめられて、硬い制止の声に怯んでる。
「―――失礼しました。ザザさん、出ましょうか」
「そうですね。……すみません」
「ふふふ、イイ男つれてる時の定番を堪能できました。こんな美人さんに嫉妬されるなんて初体験です」
テンプレ展開は大好き。王道時代劇を見てる安心感とでもいうのだろうか。
何よりも、ザザさんがぶれずに私の側にだけついてくれているのが伝わってうれしい。
今は振る舞いの残念さが目立つけれど、彼女はかなりの美人さんで本当なら魅力的な女性だろう。なのにザザさんは私を最優先してくれている。
まあ、正直、それがなんでなのかちょっと腑に落ちないのは確かだけれど。
「定番て。なんですかそれ」
苦笑しつつ彼女を下がらせ道をあけてくれるザザさんの前を、ことさら品よく歩いて見せよう。ルディ王子のお墨付きだよ。
◇
王都は城を抱える山のふもとに広がる都で、段々畑のように建物が連なり区画分けされている。城下と一口に言っても、今まで私たちが呑んでいた店は貴族層の区画にあった。
平民層はよりふもとに近いほうに広がっているので、お祭り騒ぎを見下ろす形になる。
張り出したバルコニーからは、色とりどりの灯りがふわふわと街を漂っているのがよく見えた。
「どうぞ」
差し出された果実酒のグラスを受け取れば、夜風はまだちょっと冷えますねと、部屋に誘導される。
日本の住宅事情から考えれば、邸宅と言えるような二階建てのここはザザさんの持ち家らしい。家持ちだとは知らなかった。でも騎士団長だもんねぇ……。
ぱちぱちと小さめの暖炉が火を弾いている。リビングにあたるのかな。白とブラウンの色調が優しい寄木の壁と、毛足の長い絨毯、深いえんじ色のソファと、シンプルだけど温かみがある部屋。
「立派なおうちでびっくりしちゃいました」
「兄弟や親族が王都に出てきたときに使うんで、僕だけで住むために買ったわけじゃないんですけどね。普段は宿舎にいますし。だからもてなしもろくにできなくて……わかってれば色々用意しといたんですけど」
「それにしては綺麗ですね」
「手入れと管理をするものを雇ってますから。宿舎の部屋には入りきらない荷物なんかもありますんで、休みの日はこっちで過ごしたりもしますしね。使いを出したので、しばらくしたらつまみになるものが届きますからもう少し待ってください」
「使いって、いつのまに。住み込みの人がいるわけじゃないんですよね」
「まあ、いろいろと」
「て、手慣れてますね……やはり」
「ちょっと答えに困りますねそれ。嗜みの一つとでも思ってもらえれば――――ああ、来ましたね。すぐ戻ります」
さっき案内されたキッチンの方へ向かっていくのは、そちらに裏口があるからなんだろう。おつまみが届いたってことかな。
店を出てから、次の店か城に戻るかといったときに、迷い顔で誘ってくれたザザさんのおうち。警護の関係で選べる店は限られているというし、まだ早い時間で城に戻るのもなにかもったいないし、そんなことよりなによりザザさんのおうちと聞いたらそりゃ見てみたいってことでお邪魔した。
実は城を出た時から近衛は配置されていたらしく。それでも不特定多数が出入りする店だと出入り口や席の配置で選ばなければならないから、むしろこういう一軒家のほうが警護しやすいと言ってた。
……私に警護が本当に今でも必要なのかというと首を傾げてしまうのだけど。
しかし、普段使っていないおうちを綺麗に保つ人を雇っているとか、さりげなくもてなしの手配いつのまにかしてるとか、スマートすぎて別世界感半端ない。今更ながら本当に私でいいんだろうかなんて気持ちがむくむく湧いてくる。
戻ってきたザザさんが手にしているのは、ベリーや葡萄といった果物と、クッキーやナッツを盛りつけた皿をいくつか乗せたトレイ。唇にクッキーらしき粉がついてた。毒見してくれてたんだろうな。教えると、ぺろりと舌で舐めとってて、それがひどく色っぽい。思わず目を逸らしてしまうくらいに。
「……? ああ、行儀悪かったですね」
「う、え? あ、いやいや、そんなことは」
照れくさそうな顔と、さっきまでの色っぽさのギャップにまた少しうろたえてしまった。覗き込んでくるハシバミ色に、揶揄いが混じっている。
「なんで目逸らすんです?」
「そんなことないですー気のせいですー」
「そうですか」
「ひゃっ」
ひょいと抱き上げられてそのままソファに座られる。ザザさんの膝の上に横座りの体勢だ。
「あ、あの」
「はい」
「えっと、何買ってきてもらった、んですか。何かつくります?」
「適当に色々ですね。パンとかチーズみたいなのがはいってたかと。小腹空いたら僕が何かつくりますから」
「えええっ、ザザさんが?」
「一応困らない程度にはできますよ。騎士団の連中はみんなできるでしょう?」
「あ、そうですね。遠征でもそうだし」
討伐遠征の野外での食事でもみんな手際がいい。彼らがつくったことのないメニューでもきっちり私のお願い通りにしてくれている。
「じゃ、じゃあ、後で一緒になにかつくりますか」
「ああ、それもいいですね」
「で、では何があるのかを」
「でも後でいいです」
膝から降りようとしたら、見透かされたように乗せなおされた。
ソファの背もたれもひじ掛けも少し高めで、ひじ掛けと私の背中の間にザザさんの腕があって、実にちょうどいい感じに収まっている。ジャストフィットすぎて動けない。
「あの、ほら、ザザさんのお酒」
「ん、あります」
私の背中のほうに手を伸ばして戻すと、そこには蒸留酒のグラスがある。ああ、サイドテーブルに載せてあったか。そうか。
くっと両手で包んでた果実酒を一気にあおって飲み干す。
「お、おかわりするです」
「どうぞ」
そうか! 果実酒の瓶もサイドテーブルにあったか! 配置ばっちりですね! 微動だにすることなく、とくとくとグラスに注がれた。
「首まで赤くなってきてますけど大丈夫ですか。ペース落としたほうがいいですよ」
「そういいつつなみなみと注ぎましたね」
「酒のせいなのか、意識してるせいなのかどちらかなと」
「わっわかっててやってるでしょっ」
「さてどうでしょう。酔うとますますかわいいんで、どちらでもうれしいんですが」
音出そうなほど背中から熱くなった。いやこれどんな薄めた酒でも一気に酔うと思う。血の巡り良すぎる。
「……ザザさんって、振られる振られるっていうけど、すごいもてますよね?」
「そんなことはないですよ」
「ありますよありますぜったいすっごい手慣れてるしこんなんされておちないひといないし」
「こんなんといわれても、こんなに全力だすことないですし」
「うそだっそんな余裕な顔してっ」
思わず叫んだら爆笑された。振動でこぼれそうになる果実酒を慌ててすする。
「酒に強い体質なんでしょうけど、大人だったころのペースとは違いませんか?」
「よく、わかんないです。前はそんなに酔ったことなくて、このあいだのが、多分一番酔ったときだと」
「記憶とびましたしね。今はどうです? 量的には前回ほどじゃないはずですけど」
「少しふわっとする、けど、だいじょぶって、えー」
「なんですか」
「わたしが、どんだけ呑んだか、おぼえてるですか」
「そりゃそうですよ。ちゃんと、ずっとみてます」
「ずるいっ」
「ええ?」
「だって、そんな、わたしばっかり負けちゃう」
「なんの勝負ですか」
「こう、あれで、すよ、うろたえるかんじ、の―――んっ」
柔らかく唇を舐めとるようなキスが、ぞくりと腰を震わせた。
「それならきっと、僕がずっと負けっぱなしです」
唇を合わせたままそう言って、そっとグラスをとりあげる。
グラスの冷たさをうつした指が、頬から首筋を撫でていく。
うなじを支えられて、より深くかみ合う唇。
するりと腰に回された手に引き寄せられて、お互いの胸に私の手が挟まれる。
抑えようのない声が吐息に混じって、恥ずかしさに身もだえしたくなったけど、それも一瞬のこと。
魔力回路へ、緩やかに絡みつく金色が、羞恥も気後れも躊躇いも、全部奪っていく。
蜂蜜色の海に浸されて、その甘さに震えながらしがみつくことしかできなかった。