72話 歩み寄るのは手探りで
恋人ですよ。恋人!
まさかそんな予想外なことが降ってくると思わないじゃないですか。
正直ちょっとあれも真夜中だったし、もしかして夢だったかなとか少し疑い始めてた。
「あの、ちょっと参考までにですね」
「はい」
もう手は離れているけど、私の頬は熱いままだ。
「なんでまたそういうことにというか、血迷っちゃってませんか」
「血迷うて」
「いやその急なお話ですし」
「……急だと思ってるのはカズハさんだけですねきっと」
「そんなばかな」
「えーと、ですね……僕の気持ちはレイですら気付いてましたよ……」
「え。なんで礼くんに教えたんですか。私に教えてくんないのに」
「教えてませんよっ、まあ、僕も伝える気ないつもりだった割に、だだ漏れだったってことですかね……」
「えー……」
礼くんにまでって、そんなの私見逃してたってこと……? ある? そんなこと……いやない。ちょっと納得いかない。
「だだ漏れにしてたのはほら私が寝てるときとかそゆ時ですかね?」
「譲りませんね……」
「私空気読めますし。礼くんにまでわかるものがわからないとかなくないですか」
「本当に僕もそう思いますよ」
「いつですかいつなんですか」
「いつって」
ザザさんは少し考え込んで、うん、と頷いた。
「わかりませんね。僕も」
「ほらーやっぱりー」
「そこ得意になるとこですかね……いつの間にかですよ。気づいたら、普通ならどれだけ腹立たしいことされても、愛しくて仕方なくなってました」
「―――は?」
「こっちが聞いてほしいとこだけを狙ったように何故か聞いてないし、なっかなか本心言わないし、ちょっと目を離すと素っ頓狂なことしてるし、自分のことにだけやたら無頓着で無防備だし、こっちの心臓もたないですし心配通り越して腹立つんですけどね、それまで妙に可愛く見えてくるんだから重症です。口開いてますよ」
「あっはい」
果実酒のグラスを両手で包むようにもって一口すする。
今ものすごい羅列されたけど、それはあんまり心当たりないし、普通可愛く見えるとこじゃないし、私耳おかしくなったか、いやこれはザザさん酔ってるんだろうか、そんなに飲んでたっけでも最近忙しかったはずだし疲れてると悪酔いしたりするっていうし……どう聞いても血迷ってるとしか思えないんだけど。
「……絶対今斜め上のこと考えてるでしょう」
「そんなことないです。誰の事言ってるのかとかはちょっと思いましたけど」
「うん。かなり明後日いってますよねそれ」
「そのお酒強いんですか」
「いつもと変わりませんし、酔わなきゃ言えないほどヘタレじゃないですよ。というか、ヘタレってのもここ最近の話で、僕元々そんなこと言われたことないですしね」
「私はヘタレって思ったことないですよ。なんでなのか幸宏さんにも聞いたくらいだし。教えてもらえなかったけど」
「一応僕にも言い分はあるんですけどね……確かにこういったことをはっきりと伝えるのは慣れてないですし、照れがないわけではないです。ただ方針転換したならとことん変えきるのは指揮官の基本ですから」
にやりとして片眉を上げるザザさんの表情は、確かに時々見たことがある。
普段真面目で堅物っぽいのに、ふとしたはずみに悪戯小僧みたいな顔して冗談言ったり、狡猾で自信にあふれた大人の男の色気を見せたりするのだ。きっちりその都度ときめいてた。てか方針? なんの?
「気の迷いでも血迷ってもいません。あなたを逃がしたくなくて必死なだけです」
「めっちゃ余裕そうにしか見えないですどうしたんですか文化の違いですかコレ追いつかないんですけどちょっと落ち着いてくださいいや私が落ち着きます待ってください」
ほんと追いつかないどうしたの心臓の音が耳からするんだけど。
テーブルにあるベリーに手を伸ばして、もくもくと口に運んでみる。美味しい。ザザさんの方を見れないんだけど、小刻みに震えてる肩が視界の隅にひっかかった。
「かっからかってますね? なんでそんな笑うんですかっ」
「違いますよ。あんまりかわいかったので」
「かわっ―――っいやもうなんか絶対おかしいですもんザザさんいつもそんなこと言わな……いや言ってた? 言ってましたね……」
「僕は褒め言葉はちゃんとその都度言ってましたよ」
「え、あ、そうです、ね? でもそれはほらザザさん紳士、だし」
「アヤメにカズハさんに言うほど言ってましたか?」
「……あれ?」
そういえばそんなに見たことない、かも? 私よりもあやめさんのほうが新しい服とか着飾ったりしてること多いけど、ザザさんがそれ褒めてたりしてるのそんな見たことあったっけ……。
「誰にでも紳士なわけじゃないって言ったでしょう?」
「あれでも今のとかのはそういうのとはちょっと違うというか」
「まあ、そうですね。以前は口説くつもりがなかったんで露骨には言ってないです」
「でしょっ、ほーら……ん? あれ? じゃあ今の、は」
「口説いてますからね。やっと気づいてくれてうれしいです」
「もうほんとちょっと待ってくださいって言ってるじゃないですかっ」
説教コースよりいたたまれない!
◇
「家は兄が継いでますし、家業もほかの兄弟が手伝ってますしね。僕は自由にさせてもらってるんですよ」
そろそろ勘弁してやろうとでも思ってくれたのか、いつもの年長組飲み会的な空気に戻っている。この前城下で飲んだ時みたいに、子どものころの話とか。
ザザさんは内陸にある地域の領地持ち貴族の三男坊らしい。七人兄弟。ザザさんが小さいころに亡くなってる兄弟もいるので、全員生きていれば十人兄弟だったはずと。多いように思うけど、ヒト族同士では平均的だと前に教わった。日本でも戦前ならそんな感じだったのではないだろうか。
異種族間や長命種同士だと子どもができにくいから、多くて二、三人だとか。種としての強さが生涯で子孫を持てる数に影響すると考えると、まあまあ納得のいく話。
この世界ではヒト族はけして突出して強い種族ではない。ただほかの種族より強い繁殖力のおかげで数が多いだけ。そのあたりは元の世界の感覚でも理解しやすい。人間の発展は発情期が年中あることと知恵によるものだからね。戦闘力では成人男性で中型犬と変わらないなんてのも聞いたことがある。
ザザさんが純粋なヒト族なのに騎士団長という役職まで昇りつめたのは、異例ともいえるものなんだとか。確かに騎士団はハーフやクォーターが多い。エルネスもエルフの血がわずかにはいってるそうだ。魔力はエルフ系が、身体能力は獣人系が強いので当然といえば当然の話。南方諸国と違ってこちらでは種族間の差別はほとんどないし、混血に抵抗がない。種として強くなるほうを選ぶからだ。
「うちの地方は国内では田舎のほうですし、貧しいわけではないんですけど魔物発生率が少し高いんです。そういうところって外から人がはいってきませんから自然と種族が偏りがちで。うちのとこはたまたまヒト族に偏ってたんです」
「田舎のほう……あんまり帰ったりしにくいくらい遠いですか」
「魔動列車が領内に来てないんで、王都からだと馬車で片道十日ってところです。帰るとなると一か月くらいの休暇が必要になりますね」
「ザザさん、そんなに休暇とれるの?」
「とろうと思えば。年に一度は帰省のための休暇とることは推奨されてますから」
「……とってるの?」
「二、三年に一度は帰省するようにしてますよ。陛下に怒られるんで……」
「さすが陛下」
「両親ももう亡くなってるので帰省って感じはもうしないんですけどね。兄弟の顔を見に行く感じです」
「似てる? ザザさんに」
「どうでしょうね……今度紹介します。たいした楽しみもないところですけど、景色だけはなかなかのところですよ」
「わ。それは楽し、み」
ザザさんと同じ顔の姉とか妹を想像して楽しくなったのと同時に、親族に紹介されるって意味が脳裏を駆け抜けた。……こっちでもそれは特別な意味あったりするの、か、な?
ザザさんはなんでもないことのように変わらない穏やかな笑顔のままだから、私もえへへと笑っておく。赤面はしてないはず。多分。
◇
「―――ザザ?」
店内でも奥まった席についていた私たちを覗き込むように声をかけてきたのは、背中が広く開いたマーメイドラインのドレスが艶やかな女性。三十代前半くらいだろうか。後ろにいる同年代くらいの男性三人と女性一人が連れのようだ。
奥まった席とはいっても、ザザさんは店内を見渡せる位置に腰かけていて、私は逆に置物やソファの陰になる位置にいる。向こうから見たらザザさんが一人で呑んでるように見えなくもないと思う。
ザザさんはほんの一瞬だけ眉間にしわを寄せてからするりと笑顔を作り、立ち上がって礼をとる。さり気にテーブルの向こう、通路のほうまで進み出て私を隠すように。
「お久しぶりです」
「やだ、本当に久しぶり。……お元気そうね」
「ええ、そちらも」
連れの人たちとも面識があるようで、次々と軽く挨拶を交わしている。男達は久しぶりって感じでもなく、なぜかさっと気まずそうな顔をしてからおどけた素振りを見せて、女性達は親しみをこめた笑顔で―――ザザさんの胸にしどけなく置かれた細く長い指。これは……っ。
「ずいぶん可愛らしいお連れ様ね。紹介してくださらないの? ―――よろしければご一緒しても?」
きたよこれきた。しっかりと、けれど素早く上から下まで観察されてからの『ずいぶん可愛らしい』! かーらーのー流れるように『私への』お誘い!
「遠慮願います」
「……え?」
「お断りします」
私が返事する前に、ザザさんが断りをいれてた。畳み込むように言い直してまで。礼儀正しい笑顔のままで。断られるとは一切思っていなかったのか、それともあまりにもすっぱりとした断りだったからなのか、ザザさんに触れた指と笑顔をこわばらせている。
ザザさんがその指をそっと降ろさせ男性たちのうちの一人の首を抱え込んで何か囁くと、その人は戸惑う顔を隠し切れないままながらも、女性たちを促して自分たちの席に向かっていった。
「……ザザさん? いいの?」
「邪魔なんで」
作ってない笑顔でさわやかに言い放ちながら、また席につく。
「えっと、男性陣はお友達なのでは?」
「第三騎士団のものですね。友達というよりは後輩です」
「第三っていうと……王都警備がメインでしたっけ。後輩、なるほど。だからなんか気まずそうな顔してたの?」
第一が王城警備メイン、第三が王都を中心に各主要都市の警備にあたる衛兵の上部組織だ。警察的な役割を担っている。
「まずいところに来たと思ったんでしょうね。団は違っても騎士ならみんなカズハさんのことは知ってますから……多分僕とのこともですけど」
苦笑してるのはやはりあの騎士団情報ネットワークのことなんだろう。団が違ってもネットワークは機能するのね……。でも戸惑った顔はなんだろう?
「ねえ、ザザさん、なんて囁いてたの?」
「邪魔したら恨むぞって言っただけですよ」
「な、なるほど」
確かに普段は穏やかなこの人にそんなこと言われたら戸惑うに違いない。団長としてのザザさんはきりっと厳しい一面はあるけど、セトさんへの態度のように仕事以外の場面では偉ぶらないし気安い振舞いをしているほうが多いのだ。
「で、声かけてきた女性のほうが元恋人ですか?」
グラスに口をつけていたザザさんが吹きかけた酒をかろうじて飲み込んだ。
「……なんでわかりました?」
「うふー、ほらね! 私空気読めるでしょ!」
みんなね、なんでかしらないけど私が空気読めないって言いますけどね、そんなわけないんですよ。この私が。
「まさかカズハさんが気づくとは思いませんでした……変でしたか?」
「ううん。確かに随分はっきりと断るなとは思いましたけど、ザザさんじゃなくて彼女の方」
「ほお」
「あれですよ。ザギル風に言えば、私を値踏みして勝利を確信してましたね!」
「……まあ、確かに彼女は好戦的なタイプではありますが、どこでそう思いました?」
「ずいぶん可愛らしい、なんて私のことを眼中に入れる価値もないってことでしょ? わざわざ紹介されてもいない私に同席してもいいかって聞くってのは、私が断れないと思って言ったのでしょうし」
「ほっほぉ……」
ちょっとぴくっと片眉をあげて眉間が寄る。
転々としていたバレエ教室。私は違ったけど、プロを目指しているような子たちが主役を奪い合うようなとこもあって。そういうところではライバル足りえるかどうかを値踏みする目で見られたものだった。さっきの彼女は完全にその子たちと同じ顔してた。「勝った」って顔まで同じ。
「私を見て、まず子どもではないと思ったってことは、長命種だと思ったんでしょうか。やっぱりこういうお店にいたから?」
「あー、まあ、そうなりますかね……、あいつらがついてますし一応彼女も貴族ですから、勇者としてのカズハさんを知っててもおかしくはないんですが……違うと思います。勇者に対する態度じゃないので」
「うふふ」
「どうしました」
「一目で大人扱いされたのは久しぶりなので」
「そこですか……、というか不快ですよね、すみません」
「え。別に」
「……向こうが勝手に思ってることとはいえ、値踏みされた挙句に勝利者ヅラされるのは不快でしょうに」
「それはよくあることですし、まあ、女性として勝ったと思うのは妥当でしょう。美人さんですもん。彼女」
「……うーん?」
「ん? んん―――っ!?」
深くではないけど軽くでもなく、素早く二度ほど唇を吸われた。
「僕にとってはカズハさんが不動の優勝ですよ」
「ふ、不意打ちやめてくらさい……」
「付き合いがあったのは随分前の話ですからね? その辺は誤解しないでくださいね」
「は、はい……あの」
「はい」
「あっちではね、その人前でこういうのはあんまりしない習慣でね、ちょっとびっくりしすぎます」
心臓もたないし! そりゃこっちは欧州風の文化だからキスは割とよくある風景だったりしてるけど!
「―――あいつの魔力とってくあれは?」
「あれは食事じゃないですか。なんといってもザギルだし……その、ザザさんは、心構えとか心持ちとかそういうのが」
蕩けるような笑みを向けられて、言葉が続かなくなった。なにそれなにその顔。
「ず、ずるくないですか」
「何がですか」
「だって、その、ザザさん、必死だとかいって全然余裕な顔、だし」
「そうでもないですよ?」
「そんなことない、ですもん。ま、前はもっと、なんか動揺したりとか、してたし」
「前?」
「えっと、ほら、そう、訓練場で見られてたとき、とか」
「あ、あー……、えー、それこそ心構えとか、心持ちの違い、ですかね」
……お? 少し耳赤くなった。片手で口を押さえて少し顔を背けてる。
覗き込むと、逃げるようにさらに目を逸らされた。
「違いとは?」
「……あの時は、まだ伝える覚悟が決まってなくて」
観念したように瞑目したあと、横目で私をちらっとみてからまた逸らして続けてくれる。手をあててるから、少しぼそぼそとした声だ。
「理性が飛ぶことも、取り繕えないこともそんなに経験ないんで、動揺する自分に動揺してしまうというか」
「りせい?」
「……なんで近寄らなくなったかって聞いたじゃないですか」
「はい」
「グレイ……あのゲランド砦の奴のことがあった時に、ザギルが言ったんですよ」
誰だっけと一瞬顔に浮かんでしまったのか、ゲランド砦のと補足してもらえる。すみませんなんか。
「呪いのせいで、よこしまな気持ちで触れる奴を無意識に察知して怯えるんだろって」
「ふむ」
「……」
「…………」
「………………」
あれ? 終わり? 今の会話の着地点はどこだったんだろう。いやまだ続きあるよね?
「……あの、どうしました?」
「……迂闊に触れて怯えさせたくなかったんですよ」
「なんでザザさんが」
「言わせますかそれ……」
ザザさんの耳がどんどん赤くなっていく。よこしま、よこしま、ねぇ? 確かにヘスカと似たような性癖持ちっぽいってところに反応してたようだってのは聞いたけど、それをそんなよこしまだなんていくらなんでも範囲ざっくり広すぎじゃないだろうか。
「……いや、あれはヘスカの性癖というか、ザギルそんな風には私に言ってない、し、それにそれまで別にザザさんに怯えたことなんて」
「徐々に表面化してきてるって話だったんで、それまで平気でもわかんないじゃないですか。試すわけにもいきませんし……あんな顔、僕が原因でさせるかもしれないなんて耐えられなかった」
「そ、そんなにひどい顔でした……?」
「胃がどっかに持っていかれたと思うほど焦りましたよ……」
「それはまた……あの、申し訳、ない……?」
「いえ……」
「それにしたって、よこしまって……よこしま? ザザさんが?」
「そりゃ魔力の調整訓練できない自覚あったくらいですから……」
「んんん? なんで?」
また話とんだ? なんで調整訓練の話でてくるんだろう。
「あああああー……もうほんとにどうして神官長はちゃんと教えておいてくれないのかいつもいつもいつもあの人は」
「なんでですか?」
「……あれは教える方が惚れてるとできないんですよ。だからこその花街なんです。惚れることがないプロだからこそというか」
グラスの中身を一気に飲み干して、またなみなみと手酌してさらに飲み干した。
「えーと?」
「訓練どころじゃなくなるんです。ただの、その」
「ただの……あ」
訓練どころじゃねぇだろ? ってあの時ザギル言ってたアレのことかと思い至った途端、変な汗がどっと出てきた。
「カズハさんが頼んできたのは訓練なんですから。僕にはできないことがわかってるのに応じられるわけないでしょう……あのですね」
「は、はい」
「話題変えてもいいですか……知りたいことなら答えますけど、今ここでってのはもうちょっと限界です……」
お互い真っ赤になって汗だくだくになってるので、うん、確かにちょっといったん仕切り直したほうがいいだろうなと同意した。