62話 カズハ・コシミズ 日本産 二十三年物の熟成
「うふふ。エルネスさん、早く帰ってきてくれないかな」
あやめさんはご機嫌になんちゃってミモザを舐め続けている。うれしいよね。エルネス大好きだものね。
「ほんとあやめエルネスさん好きな」
「当たり前だよ! 強くてかっこよくてきれいで優しくて賢いなんて憧れるにきまってる!」
「なあ、おい、こないだつくったあれつくってくれあれ。ばちばちするやつ」
「確かに国の女性全ての憧れと言われていますし、神官長としては僕も尊敬してますけどね」
「規模おっきい半端ない」
「まあアレなんですよね」
「確かにアレではあるね」
ザギルに果実酒と蒸留酒を割って強い炭酸を仕込んであげる。
「もう! すぐそうやって! 和葉、和葉ならわかるよね」
「うんうん。エルネスはかっこいい」
「だよね! うふー」
うん。あやめさんもかわいい。
「私看護師になりたくて看護科通ってたんだぁ」
「あら。そうなんですか。ぴったりすぎますね」
「おー、あやめの回復魔法はまりすぎだなそれ」
首を傾げるザザさんに幸宏さんが軽く説明すると、ほほぉと頷いていた。
「そうはいってもまだ教養課程だったから全然知識なんてなかったんだけど、でもうれしかった。回復魔法適性あるってエルネスさんに言われて。エルネスさんだって魔力回路治療のすごい人だし。他にもいっぱい専門あるし」
「彼女も大概チートだしねぇ」
「……ねえ、和葉」
「はあい?」
「和葉さ、結婚はやかったでしょう? なんかこう他にもいろいろ試したいとか思ったりしなかったの?」
「へ、随分すっとびましたね。私別に技能も何もありませんし」
「だって和葉って、なんだかんだと変なことするけど頭いいじゃない。いろんなこと知ってるし」
「変なことて」
「まあ、素っ頓狂なことはするよね」
「まあ、考えてんだか考えてないんだかわかんねぇよな」
「……」
えっ、ザザさん無言て! そこフォローはいるとこじゃないの!
「えーと……雑学の範囲内でしょ。広く浅く聞きかじりの豆知識ですよ。年とればそれなりにのレベル」
「ああ、和葉ちゃん好奇心旺盛だよね。柔軟というか。でも年取ってってもそういうの持ち続けられるってのは案外少ないと思うけどな」
「それはありますね。どうしても頭は固くなりますから……カズハさんにはほんと動揺させられますし」
「ああ……」
「……ほめられた?」
「そう聞こえるあたりはすげぇな」
「きいたもん。和葉、法律事務職員してたんだよね?」
「へっ? いやそれは初耳ですよ!?」
「あれ? 幸宏さんが」
「むぅ? 話しましたっけ。というか違いますよ。法律事務所の事務といってもパートですからお茶くみとかそういうの。いわゆるパラリーガルとは違います。……まあ一瞬野望はもちましたが」
「ほらー、やっぱり何かしようとは思ったんじゃない」
「いやいや、えーっとね」
んー、そうなんだよなぁ。あやめさんくらいの年齢で明確にやりたい仕事に夢持ってるとどうしてもねぇ。生活費稼ぐのが最優先ってのはなかなかぴんとこないだろうなぁ。
「あやめさん、看護師なりたかったんでしょ? 私は同じように専業主婦になりたかったんですよ。だから短大も家政科とったんです」
「あれ? そうなの? でも」
「うん。私ね、そうですねぇ、今のあやめさんたちの年齢の頃は、みんなよりずっと甘ったれで愚かだったのです。だからひょいっとプロポーズ受けちゃって夢かなった! とか思っちゃったんですよね」
「ひょいっとだったんだ」
「ええ。ほんとにひょいっと。お嬢でしたのでね、わからなかったんですよ。結婚さえすればいいなんてことはないって―――ああ、こっちは結婚するとどちらかが家庭守るのが普通ですもんね」
「そうですね。子どもがまだ幼いうちはそういう家庭が多いです。いつ襲われるかわかりませんからどっちかが子どもについてないと。まあどっちかというか誰かがってことですけど」
カザルナ王国は王自身が愛妻家で正室だけだけれど、一夫一婦制というわけではない。一夫一婦が多数派ではあるけど、一夫多妻だろうと一妻多夫だろうと当人たちが合意して納得してればそれでいいのだ。そして家庭を守るのが女性とは限らない。確かに女性のほうが多くはあるけれど、稼げるほうが外に出る。実にフリーダム。
ちなみにセトさんのところは、子どもはもう成人して奥さんは神兵の復職組だ。王都や豊かな地域は危険性も少ないけれども、しようと思えば復職できる環境でわざわざ子育て期間働く必要もないし、そもそも成人年齢は十三歳。子育て期間がこちらは短いのも大きい。
「私たちのいた国は一夫一婦制なんですよ。で、まあ、魔物もいないし賊もほとんどないですからね。子どもが小さくても両親ともに働いてるのは珍しくないんです」
「ほほぉ」
「好きでそうしている家庭もあるし、そうせざるを得ない家庭もあるし。こちらでも貧しければ家族総出で働くでしょう?」
「……ですね」
「結婚してからわかったんです。私も働かないと、子どもどころか夫婦二人の生活も厳しいって。で、じゃあしょうがないなって、パートしか認めてもらえなかったし、でもそれならそのうち認めてもらえたらフルタイムになれて稼げるようになれるとこって、そう思って最初そこに勤めたんですよね」
「えーっと、和葉ちゃん、そのさパートしか認めてもらえないとか、なんかこないだ三か月で辞めさせられたとかそういうのってさ」
「あー、パートじゃないと家のことを誰がするんだって。仕事は辞めさせられたというか、んっと、辞表勝手に出されちゃって。それからすぐに子どもできちゃいましたしねぇ」
「……なにそれ」
「まあそうなりますよね。こう聞くとちょっとひどい話っぽいですもん。なんだか色々面白くなかったそうです。あんまり色々言ってたから全部は覚えてませんが、職場に男がいるのとか、嫁のほうがちょっと出来がよさそうに聞こえる仕事してるとかそういうこと。ひとつひとつはね、どこのご家庭でも割とよくあるというか、ありがちなもめごとなんですけどね。総力戦できてますし」
どん引きもしますよねぇ。そりゃね。みんなしかめっ面してるし。
いや、ザギルはナッツをこちらに向けて投擲準備をしているから、ぱくっと口で受けてたつ。ナッツ美味しいです。
「その、旦那さんってどういう……?」
「短大時代にね、バイト先に来てたお客さんでしたね。洋食屋さんの厨房だったんですけど、小さなお店でしたんでホールにも出てて」
「おお。そのころから厨房してたんだ」
「料理を色々覚えたくてね。家政科でしたんでそういう講義もありましたし自炊もしてたんですけど、こう、作ったもの、食べてもらいたくて」
家で一人で食べてもね。つまんないしね。美味しいかどうかわからないもの。
「で、美味しいって、それで店に通って誘ってくれたのが夫だったんですよね。あんまりというか全くそういう経験なかったんでつい」
「え。全くって」
「ええ。全く。……まあ地味ですし」
「和葉は一見地味だけど、ちゃんと見たら綺麗な顔してるじゃない!」
「そ、そうですか? 初耳ですね……」
「えぇぇぇ……」
そんなあやめさん、ソファにそこまで埋まらなくても。実際そんなこと言われたことないし……。
「……ユキヒロ、そっちでは」
「いや、ザザさん俺に聞かないで。俺も和葉ちゃんはそこまでもてないわけないと思う、けど」
「けど?」
「えーとね……和葉ちゃん、旦那さんすごい年上なんじゃないの」
「よくわかりましたね。十歳上です」
「だろ……いるんだよ。大人しそうで目立たないもんだから同年代のガキが気づかないうちに、さくっと年上にもってかれちゃう子って……こっちじゃ二十歳前後は立派な大人だけどさ、向こうじゃ違うから」
「ユキヒロも気づかなかったかもってことですか?」
「あー、いや、俺はそういう子にはというか……基本声かけてこない子にはかわいくても手出さないっす」
「どうして?」
「……遊び相手としてはちょっと……かわいそうだし」
「幸宏さんサイテーだった。エルネスさん正しかった」
「……流れ弾だ」
「自業自得ですよ。ユキヒロ」
「おう、大人しいってのはどいつのことだ」
「黙ってりゃ大人しそうじゃん……積極的に自分からはあんまり騒がないというか突っ込み待ちのボケというか、ちょっと話すようになってからじゃないとわかんないよ」
「……俺初対面で殺されかけたがな」
「しゃべっても大人しいじゃないですか私」
「和葉ちゃんの芸風だし」
「「「ああ……」」」
便利だな! 芸風くくり!
「別れようとか思わなかったの……?」
「思わなかったですねぇ。手持ちの札で勝負しなきゃだと思ってましたし」
「なんでそんなとこでも妙にギャンブラーなの!」
「まあ、それこそ愚かだったんですよ。それなりの女にはそれなりの男しかつかないもんですから」
「はあ?」
あやめさんがまたザギルっぽくて笑う。
「なにいってんの! 和葉はそんなんじゃないでしょ!」
本当にこの子はかわいい。普段ツンデレな分破壊力大きいなぁ。
この世界はどれほどのものを私に与えてくれるんだろう。
「そのころの私は今の私じゃないですもん。言ったじゃないですか。みんなよりずっと愚かで甘ったれだったって。そりゃその時その時考えてたつもりですけどね。四十五年かけてやっと今の私になったんです。今の私がそこそこましにみえるのなら、そりゃみんなより長く生きてるからってだけのことです」
「……カズハさん、あなたは少し自己評価が低すぎませんか」
「どうでしょうねぇ。でもほら、悪いことというか引くようなことばかり今並んだでしょ? だから余計そう聞こえるんですよ。それなりに幸せだと思ってましたよ。家に帰ってきてくれる家族をもてましたから」
「いやそれは」
「その時一番欲しかったのがそれだったんです。全ては手にはいらないもんです。だから欲しいものだけは手に残るように選んできたんで。……ただまあ、そうは思ってましたけど、違ったんでしょうね。結局のところ、もういいやーって思ってこっちに来たわけですし」
「そら手札少なきゃそっから選ぶしかねぇし、手札悪きゃでかい勝ちはなかなかこねぇもんだしな」
「そうそう。でも今はできることがいっぱい増えて、ごはん美味しいって食べてくれる人も私がすることを喜んでくれる人もいっぱいいて、幸せ」
ザザさんが何故うれしいのか伝えるのが苦手と言っていたけど、私も少しそれは苦手かもしれないな。だってみんなちょっと悲しそうな顔するし。いやザギルはそうでもない。
ああ、でもやってみるとなんだかそれも妙にうれしいかもしれない。これあれだな。かまってちゃんの心理だな。あっぶないわぁ。
したいことしかしなくていいんだもの。それなのにちゃんと受け入れてもらえるんだもの。それどころか喜んでくれる。こんなうれしいことない。多分私は今の自分が一番好き。
なんかね、なんだかわかんないけど今のうちにちゃんと、今が幸せだと伝えておいたほうがいいなって思ったんだ。
ああ、エルネスも早く帰ってこないかな。
◇
「愚かなのは夫のほうですよ。レイやショウタの時も思いましたが、この分だとアヤメもユキヒロもそうなんでしょう。例え返せたとしても返しません。みなさんはもうこちらのものです。ざまぁみろですね」
ふん、と鼻を鳴らしてカップをあおるザザさん。あ、やだ見たことない顔かっこいい。
にっこにこでおかわり注いであげちゃうぞ。
「……ザザさん、うれしいっすけど、そこはみなさんじゃな「それであってますユキヒロ」あ、はい」
「なあおい、ばちばちするやつ……名前なんてんだこれ」
(ねえ、ザザさんてさ)
(言ってやるなあやめ……)
「はいはい。特に名前はないけど。じゃあザギルパンチで」
「おお。なんかかっけぇな」
ザギルは何気に礼くんとツボが似ている。おかわりをつくってあげると一口飲んで満足げだ。
「……俺考えたんだけどよ」
「うん?」
「ってこたぁ、お前ほっとんどやったことねぇんじゃねぇの。だから二十三年やんなくても」
「お前そんなこと考えてたのか!」
「もうそれ忘れてよ!」
「他んことはあんまわかんなかったからよ。とりあえずわかるとこ計算してみたわけよ」
「ああ……そうだね。むしろ興味ないことを聞いてたのが凄いかもしれない」
「まあな。こいつ自分がコケにされても怒んねぇし、だからつけこまれたって話だろ。怒んねぇ時点でもうわっけわかんねぇけど今更だろがよ」
「なんだろうな。間違ってないけどそうまとめるあたりがすごくザギルだな……」
「和葉はザギルと足して二で割ったくらいがちょうどいいのかもね……」
「足されるのはちょっと不服です」
「お。なんだお前、二十三年物の分際で喧嘩売ってんのか? 買うぞコラ俺上手いかんな?」
「何言ってんだお前は! 殺すぞ!」
「だからそこ戻らないでってば!」
◇
数日後の堂々たるエルネスの凱旋時には、幸宏さんとあやめさんの成長率が十になっていて、あっという間に制御できるようになってしまっていた。元々制御上手ですしね。不貞腐れてませんよ大丈夫ですよ。
ほんとずるい。
「……ふふっ、これが雷鳴鳥の速度の世界……この私の足を震わせるなど」
私が操作するところのザギル号に搭乗し、高速飛行して帰還すると同時に崩れ落ちたエルネス。
今はもう王都周辺の街や村までの上空を数度旋回するくらいは楽にできる。馬車で数時間の距離程度。それ以上遠くには行っては駄目だと言われているので試していない。
遠征から帰ってきて、盛大なあやめさんのハグを受けてからの一声は「で! 今飛べる!? 私も飛びたいんだけど!」で。
うん。試す前にエルネス出発だったし、飛行訓練の状況は雷鳴鳥で伝達してたからね。我慢してたらしいんだよね。多分すごく我慢してたんだろう……。もしかして速攻の殲滅は早くこれを試したかったからってのもあるのかもしれない。
最初のうちこそ悲鳴をあげていたけれど、後半にはザギルの真似をして防御魔法を展開させていたエルネスはさすがの一言だ。
「ザギル、あなたさっきの防御魔法それぞれの展開理由、教えなさい」
「兄ちゃんに聞け。つか、まずその腰立ってからじゃねぇか」
「ユキヒロ。ちょっと抱き上げることを許すわ。部屋に行くわよ」
「え、あ、はい」
「エルネスさん凛々しい……」
「アヤメ、ちょっと欲目激しすぎませんか」
エルネスを姫抱っこした幸宏さんを先頭にエルネスの応接室へと向かうことにする。ザギルは何故か私を子ども抱っこのまま降ろしてくれない。
「ねえ、ザザさん、さっき飛んでたときにね」
「はい」
「王都から出るうちの馬車見えたの。あれ、ベラさんたちが乗ってるんですよね?」
ベラさんと残り二人ともゲランド砦に帰されることになったと聞いていた。いくら新人教育と言っても、ザザさんの隊に配属するにはあまりに未熟すぎるとのことらしい。ちょうどゲランドでは再教育が行われていることだし、そちらで一緒に鍛えなおせと。
「ええ」
「なんで護送馬車なんです? あれ犯罪者用ですよね」
「……ちょうどいい空きがなかったんですよ。よくあることです」
「そうな―――っいぎゃあああああ! ちょっなんで首」
「目の前にあったか―――うぉっ」
ザザさんはいつも通りの笑顔で、ザギルが意味なく私の首を舐めるのを見て裏拳飛ばしてた。