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50話 ねくぺんぴあねくてかぴあ おまじないはあいのことば

 勇者の身体はお手入れ要らず。


 両脚を前後に開いてぺたりと床に腰を落とす。ゆっくりと筋を伸ばして、呼吸に合わせて上半身を倒していく。緩やかな弧を描く両腕も指先を遠くに合わせたまま、天から爪先へ。

 ストレッチをする時間も余裕もなくて、開かなくなっていく身体を忌々しく思っていた頃とは違って、今の身体は何をするわけでなくても、きちんと私の命令に従ってくれる。―――魔力だけはなかなか思い通りにはなってくれないけど。


 体の向きを逆に変えて、また同じく緩やかに身体を前に倒す。

 何度か繰り返して、今度は両足を左右に開いて。

 

 普段、レッスンに使っているこの部屋で一人、ストレッチを続けている。

 お手入れ要らずのこの身体になった今でも、こうしてる時間は結構好きだ。


 一通り終われば今度はバーに手を置き、基本ポジション。つま先を外に向け踵をつける一番の足。真横に左足を伸ばして重心を移動させて二番の足。床を足裏で舐めるように、踵が床を離れる時には爪先がしっかり伸びるように。左手をつけるのも忘れない。

 はたからみたら、何の苦労もない動作だけれど神経を張り巡らせて、ゆっくりとした静の動作を続けることは見た目よりもかなりの筋力を使う。慣れていなくては腕を水平に持ち上げて一分その姿勢を維持するだけで、二の腕が震えてくるはずだ。


 まるで禅僧にでもなったかのように、一日の終わりのこの時間は私の中をほぐしてくれる。


 礼くんはごはんが終わってから、リトさんたちの宿舎へ遊びに行っている。一緒にシャワーしてゲームもするそうだ。少しずつ少しずつ、私がそばにいなくても大丈夫な時間は増えている。

 一抹の寂しさが混じる歓びは、子どもたちが幼い頃にも感じたもの。

 飛び立つ鳥を見送って一人佇む自分を俯瞰する自分がいて、それでもなお泣きたくなるほどの愛しさがあふれてくるこの感情は、忙しない毎日を送っていた私を支えてくれた。それもすっかり感じられなくなってしまっていたのだけども。


 モルダモーデは見違えたといっていた。からからに干からびた魂が姿を変えたのだろう。私にはそれは見えないけれど、礼くんがいてみんながいるこの世界は、確かに水分を与えてくれていると思う。

 だって、乾いて硬くなっていたはずのところが、桃の皮の産毛をこするようにちりちりとする。

 これは私が変わったのか、それとも取り戻しているのか、覚えがあるようなないような、知りたいような知りたくないような。


 ……思い通りにならない魔力のように忌々しいだけの気がするな。


「―――カズハさん?」

「うひゃっ」


 バーに載せていた片脚を落として振り向けば、細く開けた扉から頭だけ出してるザザさんがいた。


「すみません。ノックはしたんですけど」

「あー、その扉厚いですし、私も集中してたから気付かなかったんだと。どうしました?」


 身振りで招き入れると、革鎧を外した軽装のザザさんが躊躇うような素振りではいってきた。脱いだ外套を手に、生成りのシャツとゆったりとした黒いロングパンツ。部屋着かな。珍しい。


「寒くないです? 宿舎からわざわざこちらに戻られたんですか?」

「ええ、あ、すみません。こんな格好で」


 いやいや眼福ですとも。かっちりとした正装や普段の勇ましい革鎧姿もいいけど、滅多にみれない緩い姿もまたいいものです。レア感。


「急なお仕事?」

「えーと、レイが宿舎に来てまして、で、カズハさんはレッスン室にいると聞いて……あいつは?」


 あいつ、と言うザザさんはちょっとだけ苦々しい顔をするのがおかしい。


「ザギル? なんかどっかに出かけていきましたね。戻るまで魔力使うの禁止だって人の鼻つまみながら」

「……本当になんであれが有能なのか腹だたしいですよ」

「―――ぷっ」

「なんですか」

「いえ、そんな嫌そうな顔して褒めてるから」

「……嫌いだからといって盲目になるのはいただけませんからね」


 そんな嫌いなわけでもなさそうなのになと思うけど、それは黙っておく。というか、私に用事があったようなのに話しにくいのかな。


「んっと、部屋とか食堂いきます?」

「いやいやいや、すぐ出ます。邪魔するつもりもなかったんで、ただ」


 また言い淀むザザさんの顔は、レアな緩い服装と同じくらい珍しい。


「レッスン、付き合ってもらえます?」

「へ?」

「ザザさん、身体柔らかいでしょ? ちょっとお試し」


 戸惑うザザさんの右手をバーに誘導して、私は左手をバーに。

 本当は柔軟からしなきゃなんですけどと言えば、シャワーの後に柔軟するのは日課なんで筋肉はほぐれてますよと答えるザザさんからは確かに石鹸のいい香りがする。


 私の立ち姿をみせて真似させて、少し姿勢を直してあげてから、さっきまでしていた基本ポジションのレッスンを続けてみせる。真剣な顔してるザザさんの首や肩の力を抜くようにとか、時折姿勢を直してあげながら。


「これは……なかなか効きますね」

「ふふっ、幸宏さんにね、レッスン手伝ってもらうじゃないですか。終わるとひっくり返って泣き言言ってますよ」


 向かい合って右腕を水平に横へ伸ばし、そのまま右足も高く横にあげて静止すれば、鏡映しにザザさんが左足を上げる。そのまま三十秒。


「いや、いやいやいや、ちょ」

「まだまだ。ほら指先も爪先も落ちてきてる。肩も力はいってますよ。息も止めちゃだめ」


 さすがザザさん、きりっと姿勢を正して耐えきった。


「はい、じゃあ向きを変えてもう一度―――っぷ、休憩どうぞ」


 滅多にみられないザザさんの貴重な泣き顔に吹き出してから、座り込むことを許して私はそのまま続ける。ゆっくりとゆったりとグランバットマン。

 胡坐をかいて見上げるザザさんをギャラリーに、指先につま先に視線に腰に、しっかりと神経を張り巡らせて、でも筋肉は硬くならないように無駄な力をいれないように。


「小さなころから続けてたんですよね。バレエ」

「はい、四歳の頃にはもう始めてましたね。覚えてませんけど、私が強く強請ったそうです」


 覚えているのはテレビでみたバレエを特集した番組のワンシーン。映画だったかもしれない。糸で吊るされているように高く空中で静止するかのようなジャンプに何もかも持っていかれた。


 バーから手を離してくるりとピルエット、最後のポーズをきっちり整え、向きを変えてまた最初から。


「カズハさんの見かけによらないバネの秘密ですね、これ」

「体術とかとは鍛える筋肉がまた違いますからねぇ。向こうの世界じゃ、格闘家がダンサーとは喧嘩するなとまで言うそうですよ」

「納得です……ああ、やっぱり、こっちのほうが僕は好きです」

「どっち?」

「昼のね、ユキヒロと踊った踊りも、こう、なんというか、えー……」

「あのやり手さんは扇情的と言ってましたけど」

「やり手さんて。ああ、まあ、そうです」

「幸宏さん風にいえば、もっとエロい踊り方もありますよ」

「あ、あれ以上ですか……いやとてもそう、素敵でした、けど」

「けど?」

「バレエのほうがカズハさんって感じしますね。んー……、そう、凛としてて」


 思わず手が止まって、一瞬目があって、素知らぬ顔を装ってまた続ける。やだなにそれぐっとくる。


「どのジャンルの踊りも好きなんですけど、あの曲もとても大好きな曲で。でも元の世界にいたときは身体がついてこなくて踊れなかったんです。こっちにきたら踊れるようになってて。嬉しくて幸宏さんと合わせまくってたんですけど、やっぱり最後はバレエに戻っちゃうというか。こうしてると落ち着きます」

「あー、なんかわかります。無心になれるというか、僕も素振りとかでなりますね」

「そうそう」

「……あの曲、ユキヒロの歌声もですけど、曲自体もすごくよかった」

「ああいうの好きですか?」

「好き……そうですね。惹かれます。あちらの言葉なんですよね。何を言っているのかはわかりませんが、響きが、あ、カズハさんも一緒に歌っていたところあるじゃないですか。あれがとても。なんて言っているんですか」

「あの歌は、私たちの母国語じゃないんです。大部分は私もかろうじて意味がわかるんですけど、あのフレーズは、その言語とはまた別の国の言語でね、意味は私も知らないんですよね」

「そんなに違う言語があるんですか」

「こちらは訛りは違っても大陸中同じ言語ですもんね」

「南方のへき地あたりだと訛り強すぎてやっぱり通じないですけどね」

「それは私の国の中でもそうですよ。訛りが強すぎて同じ言語なのに何言ってるかわからないことあります」


 またくるりとピルエット、最後のポーズを整えてから、ザザさんと向き合ってお互い笑う。


 あ、でも翻訳されないのは歌だからなんであって、歌わないで言葉としてしゃべったら翻訳されるんじゃないだろうか。スワヒリ語だったっけか。音程にのせないように、言葉として呟く。


『私も愛してる あなたがほしいの 愛しいひと』






 ―――固まった。

 二人して氷魔法かけられたように固まった。

 眼球すらお互い動かないけど、いやまって、今翻訳されたね? された。え。なんつった? は? え。え。え。


「―――「かし! い、今の、さっきの、あれの、歌詞です!」あ」


 だーーーっと汗が噴き出してきてるのがわかって頭が熱くて、両手を突き出してザザさんに向けて開いた。

 ないわ。マジないわー引くわーなにいまのおおおおお。その上赤面とかないわあああ。 


「か、かし」

「そ、そう。歌じゃなくて、会話の言葉として呟いたら翻訳されるか、なって、さっきの、ほら私もわかんないっていったフレーズのっ」

「あ、ああああああ、あの」

「そうっあのっ」

「で、ですよねっ、や、なかなか情熱的なうた、なんですねっ」

「はいっ、幸宏さんですからっ彼のねっうたった歌、あれ全部ラブソングですからっ」

「ユキヒロですからねっははっ」

「幸宏さんですからっあはっあははっ」


 やばいやばいやばいどうしようどうするこの空気!

 お互い視線逸らしまくってるくせに、なんかちらちら目が合うし!


「―――え、あれ、カズハさん、今魔力使ってます?」

「へ?」

「あれの魔力禁止でてるんですよね? 大丈夫ですか。具合は?」


 あれってあれか。ザギルか。

 突然それまでのうろたえっぷりから通常モードに戻ったザザさん。何事だ。

 何故がっつり目を合わせる!

 何故、頬に触れて顔をむけさせる!


「え、いや、何も」

「本当に? 魔色が出てます」

「ま、ましょく……? あれ、でも私」


 魔力や魔法を使うと、瞳の色が変わる。ザザさんはハシバミ色が金色に変わるし、あやめさんは紫とピンクに変わる。魔乳石と同系統に変わるそうなんだけど、私は変わらないらしい。私は元の色が黒だし、魔乳石もベースが黒のせいかほとんどわからないと言われた。ザギルも普段虹色だけど、同系色なのか魔力を使っても輝きが増すだけで色は変わらない。


「確かにカズハさんは普段魔色出ないし、僕らもわからないと思ってたんですけど、この間魔力切れで寝込んだ時に出てたんですよ。本当に僅かな時間だけ、ですけど」

「で、でも何も使ってない、と思う。ほんとに?」

「……具合悪くなってないですね?」

「ないですないです」


 心臓ばくばくいってるけどこれちがうし!

 やーめーてー! 本気でザザさん心配してるっぽいのに、私めっちゃ疚しい!


 気が抜けたような脱力をさせて、頬に触れていたザザさんの指が離れていった。


「えっと、私も出るんですね? 魔色」

「ええ、結構はっきりと魔乳石と同じ色になりますね……黒と瑠璃でとても、あ、消えました」

「全然、心当たりないです……」

「前回が前回だったんで、もしかして弱るとそうなるのかと思ったんですが、具合が悪くないのならよかったです」

「なんか……すみませ、ん?」

「いやいや、何か違うパターンがあるのかもですね」


 私はぺたんと床に座り込んで、ザザさんは向かい合わせに片膝をたてた胡坐で何か考え込んでて。


「ザザ、さん?」

「―――あ、すみません、あー、えっと、そう、忘れてました」

「なにを?」

「お礼をね、もう一度ちゃんと言いたいと、そう思って来たんです」

「なんです?」

「携行食の、小豆のあれです」

「やだな。さっきも言ってくれたじゃないですか」

「なんというか、ちゃんと? 僕は、確かに言葉で礼を伝えますけど、何故うれしいかを伝えるのが苦手で」


 胡坐の膝を両手でつかみ、こちらへまっすぐに向きなおって。


「チョコバーの時もそうですけど、今日、あんなに小豆に反応してたのってずっとそのヨウカン? のことも考えていてくれたからですよね。探してくれていた」

「あ、まあ、でもそれだけってわけでも。私も食べたいし」

「カズハさん、他の人に比べたらさほど食べませんよね」

「作ってるとつまむからそう見えるだけですよ。結構食べ」

「あなたはいつでも誰かに食べさせるために作ってる。食べて喜ばせようとしてる。勿論、レイのためが一番でしょうけど、僕ら団員のことも入れてくれている。携行食なんて僕らのためだけでしょう」


 うわ。うわ。うわ。そんなそれは、これはちょっと居心地悪いよ?


「団員はみんないつでも喜んでます。支えてもらえていることに安心して、また帰ってくることを誓って胸に刻めます。士気がね、すごくあがるんです。士気があがれば生存率もあがります」

「はい」


 ザザさんが率いると、生存率が異常に高いと教えてくれたのはセトさん。勿論生き残るだけでは戦果にならない。武功をあげて、なお、その生存率を維持できるのはそれだけザザさんが心を砕いているということ。


「こんな仕事ですから、何も失わないではいられません。時には多を優先して少を切り捨てなくてはならないこともあります。士気の高さは窮地を凌ぐ力になります―――僕は部下たちがかわいいです。あいつらを大切にしてくれることが、とてもうれしいです」


 ありがとうございます、ともう一度頭を下げるザザさんのつむじをつんとつつく。


「へ?」


 意表を突かれてあげた顔は、こちらの意表もつくほど間抜けに可愛らしい。

 どいつもこいつも本当に反則技ばかりかけてくる。

 私たちは、ついていけないから。

 まだ未熟だから、今のままでは、みんな私たちを守ろうとして盾になってしまうからね。


「私は支えることができてるんですね」

「もちろん」

「それが最高のご褒美です」


 私は上手に笑えているだろうか。


 お礼なんて要らないよ! ちきしょう!

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