45話 正座は説教うけるときの基本姿勢ですから
予定調和のごとく夜の温泉にはカザルナ王が参加していて、次の日には国内の温泉事業計画が立てられた。公共事業は経済を活性化させるし雇用も確保できるからいいのだというのは、元の世界と変わらないようだ。
同時に、源泉を城へと引き込んで大浴場をつくる工事も始まっている。
◇
ドレスはもう何着かあるけれど、合コン茶会に向けて新しいドレスが仕立てられていた。まだ着たこともないドレスあるんだから要らないよと言ったら、今あるのは夜会用ばかりなのとまくしたてられた。コーディネーターエルネスは私のワードローブを完全に把握している。
ついでに言えば、普段着には文句をつけられることが多い。シャツと半ズボンとか、そうでなかったらジャージとかばかりを着まわしてるから。もっとこうおしゃれなのいっぱいあるでしょと言われるんだけど、そんなの着てたら礼くんと遊びづらいじゃないね。
というか、エルネスだって仕事中は頭からすっぽりフードかぶったローブ姿なのに。
エルネスの応接室にあやめさんとお邪魔して、仕立て屋さんの到着を待っている。
あやめさんはデザインから自分でも注文してたみたいだけど、私はエルネスにお任せしてた。宝飾屋さんが先に到着していて、煌びやかなジュエリートレイを何枚も広げている。どれを選ぶかは仕立て屋さんがもってくる完成したドレスと合わせてからになるだろうけど、金銀財宝は見ているだけでもわくわくするし夢広がるもんね。あやめさんもエルネスに相談しながら、あれもこれもと悩んでいる。
「あ、このチョーカー、和葉に似合いそう」
あやめさんが手にしたのは黒のレースにアイオライトが散りばめられたチョーカーだ。……サファイアと区別が私にはつかないのだけど、宝飾屋さんがそう言っていた。
うん。可愛い。似合うと言われるのも嬉しい、んだけど。きっと前までなら喜んで試してみるくらいはしたんだけど。
そっか。やっぱり着飾るんだから首元のアクセサリーは必要かもしれない。
「えっと……私はドレス見てからにしようかな。どんなのかまだ知らないし」
「―――カズハのドレスは胸元や襟が華やかだから、そのあたりのは要らないわよ。その分髪を飾りましょ」
エルネスを見やると、でしょ?って顔された。
「エルネス……っあんたほんとだいすき」
「はいはい、あんたも時々可愛いわね」
抱きついた私の背を、あしらうように軽く叩くエルネス。凄いな。気づいてたんだ。
しばらく自分でも気づかなかったのだけど、ハイネックすら嫌なのだ。幅の広いマフラーやストールをぐるぐる巻きとかなら平気。誰かに触れられることだってくすぐったいけど平気。くすぐったいのは前からだし。でも何かが首に直接巻きつく感触は、どうやら首輪を思い出してしまうようで。
あれから随分立つというのに、本当に時々、ふとした弾みに怖気だつことがまだある。
「―――これだな」
「あんたいたの!?」
宝飾屋さんは勿論、私たちも飛び上がった。いやほんと誇張なしに五センチは椅子から浮いた。
唐突に部屋に現れたザギルは、どこ吹く風で宝飾屋さんの後ろに用意されていたものをこちらに寄こす。
なんでこんな筋肉マンが気配を消せるのかいまだによくわからない。そりゃあ近衛やら情報部から引き抜きの話が来るはずだ。私のところにじゃなくて何故かザザさんとこにだけど。
「そ、そんな他人さまの荷物から勝手に出すんじゃありません」
「あ、いえ、次にお見せしようと思ってましたので……」
「……でも、本当にかわいい。和葉似合うよそれ」
渡されたのは、雪の結晶と小花をモチーフにダイヤと真珠が編まれたヘッドドレス。おそろいのイヤーカフまである。
「バングルやピアスの趣味から思ってはいたけど、あなたこういうのセンスあるわよね……」
「見た目完全に野生化してるのにね……」
「てめぇらほんとうっせ」
おとぎ話のドラゴンは金銀財宝が大好きだというけれども、それはこっちの世界でも同じなのだろうか。カラスみたいだ。
「ちょっと出かけてくっからよ、お前ちょろちょろすんじゃねぇぞ。俺が戻るまで料理も禁止な」
「これからレッスンあるけど、それもダメ?」
「あー、あれか。二時間くらいだったか」
「うん」
「あれくれぇならいい。魔力使うなよ」
「……和葉のレッスンって、バレエでしょう? なんで料理のほうが禁止なの?」
「俺が聞きてぇよ。なんで料理のほうがじゃんじゃん魔法つかってんだかよ……」
ザギルと入れ替わりに到着した仕立て屋さんがもってきたドレスは、最初から合わせたかのようにヘッドドレスとイヤーカフにぴったりだった。
◇
この世界での舞踊は貴族なら社交ダンスで平民なら祭りのダンスと、観せるための踊りではなく、自ら楽しむためのものが主流だ。あとは神事と同格のもの。元の世界でも古来から神に捧げるものとして舞踊は位置づけられていることが多い。奉納の舞ってやつだ。
ここでも宗教はいくつかあるけれど、カザルナ王国では精霊教徒が多数派らしい。各地に神殿もあるし、言い出したらエルネスだって「神官長」だから、精霊教の神事を執り行ったりする。魔法がもともと精霊と密接な関りをもっていると信じられていたからこそ、神官長であるエルネスが研究所も管轄としてるのだ。召喚の儀も神事の括りだとか。
ただその在り方は、日本における神道に近くて、宗教として認識しないほどに生活に根差している。無宗教といいながら、七五三やお宮参り、新年のお参りもいくでしょう。精霊は八百万の神のような存在だと思えばかなり馴染みやすい。
ちなみに宗教国家である教国が掲げる宗教も多神教だ。こちらはギリシャ神話やローマ神話みたいに人格を持つ神達が崇められている。帝国は国教を持っていない。
過去の勇者たちは、キリスト教などの一神教の宗教圏から来ていることが多いのに、これだけ貪欲にあちらの文化を取り入れてきている世界が、その宗教観を取り込んでいないのはちょっと不思議だったりする。
ともあれ、自分たちが踊るための踊りではなく、バレエのように観せるための踊りを踊るのは神殿に仕える舞踊専門の神官だけだ。もっとも観客として想定されているのは精霊や神なのだけど。
だからこちらには、社交ダンスを嗜みとして学ぶ以外に踊りを学ぶということはない。騎士たちのコサックダンスだって専門に学ぶわけじゃないしね。あれは自分たちが楽しむ祭りの踊りに近い。
そこにきてクラシックバレエが持ちこまれたわけで。
結構前から、舞踊専門の神官たちにバレエを教えていたりする。週に一度だけ。そして神官たちは有志の貴族子女に教えていく。多分こうして浸透して広まっていくのだろう。
今日は月に一度の、貴族子女にも私が教える日で何気に楽しみにしている。みんな体術を学んでいるせいか、身体も柔らかいし体幹もしっかりしていて覚えがいいのだ。
二時間のレッスンのうち、一時間近くは柔軟やバーレッスン、基本姿勢、基本ポジションの練習に費やされる。叩きこまれる基本ポーズが、自在に身体を操ることを可能にさせるから。
バーに並ぶ神官や子どもたちの姿勢を一人一人チェックしては直していく。
「そう、顎きれいね。指先と肘には空から糸が降りてるの。糸につられたまま、そう、まっすぐ水平に横にひらいていく、うん。きれい」
楽団のピアニストを毎回一人借りて、音楽に合わせながらバットマン・タンジュを繰り返す。
「足裏全体で床をつかむの。そのまま滑らせて。腰はね、ここ、おへその両脇から足の付け根にかけて通っている筋肉を意識して、そう! できたね!」
自分がずっと教えられていたことを、ひとつひとつ思い出しながら伝えていく。
男の子が多いのも楽しみのひとつ。向こうのバレエ教室なんて男の子がいないのが当たり前だから、教室間で男の子の貸し借りしたりするもの。
だから幸宏さんも巻き込んで、男性パートの手本を手伝ってもらったりする。リフトとか私が神官の女性たちを持ち上げることもできることはできるけど、身長差のせいで手本にならないから。
ちなみに礼くんには「え、やってたらぼくみれないもん。みてたいからやだ」と振られた。コサックダンスは騎士たちに習いにいったくせに!
幸宏さんも勇者補正でワルツがすぐに踊れたように、振り付けを教えればそれをなぞるくらいなら楽にこなしてしまう。本当になぞるだけで当然完成度は高くないのだけど、ずるいよね。本当にずるい。
レッスンの途中から参加する幸宏さんが現れると、子どもたちの目が輝く。神官の女性たちもわずかに目元を赤らめる。勇者様だものね。いや、私も一応そうなんだけど。
覚えのいい女性と幸宏さんに振り付けを教えて、彼らがその通りに踊ってくれれば、それが他のみんなの手本となる。たまに身長差の合う子となら私が相手になって教えたりする。
来年にはくるみ割り人形と海賊を発表会でお披露目するのだ。翔太君が楽団に曲を教えてくれている。海賊はちょっと難易度高いかもだけど、男の子たちの人数と身体能力を見る限りかなりいけると思う。
「か、和葉ちゃん、ちょっとこれきっつい……」
「がんばれ勇者!」
訓練とは違う筋肉つかうしね! 時々もれる幸宏さんの泣き言を聞き流して、来年きっと咲き乱れるであろう子どもたちの舞台を夢見てる。
◇
「幸宏さんおつかれさまー」
レッスン後にやってきた翔太君が差し入れてくれた水差しいっぱいの果実水をがぶがぶ飲んで、幸宏さんはもう一度床にひっくり返った。
「……おい、礼、ちょっと前からもしかしてと思ってたんだけど、お前わかってて手伝い断ったな?」
「……」
礼くんが珍しく無言ですいーっと目を彷徨わせた。あれ。そうだったのか。確かに礼くんは最初のレッスンの頃からついてきて見学してたからね……。
「そんなに大変? 嫌ですか?」
聞くだけ聞いてみる。逃がすつもりは全くない。
「……和葉ちゃん、やっぱりエルネスさんと友達なだけあるよね。そんな絶対逃がさない顔して言われてもな」
ばれてた。
手伝いに来てくれていたピアニストに代わって、鍵盤を流し弾きしてる翔太君がくすくす笑ってる。
「楽しいことは楽しいよ。使ったことない筋肉と使ったことない神経使うのは面白い。しかしだ、それがめちゃくちゃきっついんだよ! 俺訓練でもこんなへばったことない! どんなになぞっても和葉ちゃんの見本とは全然違う仕上がりだしさ!」
「幸宏さん、ヒップホップとかのほうが馴染んでるでしょう。今どきの若者だし」
「あー、まあ、そうだね。そっち系のほうがまだ踊りやすいなぁ」
「私もヒップホップやレゲエは踊れませんよ。大好きなんですけどねぇ。姿勢や音の取り方とかが真逆なんですよ」
「そうなの? 翔太みたいになんでもいけそうなのに」
「なんでも好きですよ。踊りは。ただ若い頃に試してみましたけど、やっぱりクラシックの癖が抜けなくて、幸宏さんのバレエみたいに振り付けはなぞれても全然かっこよく踊れないんですよね」
「例えばどんなの試したの?」
「んー、若い頃ね、素人が参加するダンスの番組とか色々あったんですよ。勝ち抜き戦で。そこからはまって、マイケルジャクソンあたりは基本として、ロボットダンスもヴォーグダンスも一通り」
「まじか」
「ほんと若い頃ですよ。んっと、BADとかThrillerあたり」
「このあたり?」
翔太君がなぞりはじめたBillie Jeanにしびれる。くぅ! うずうずするな!
「そうそうそうそう。いやもう流石ね翔太君! んで、すぐに子育てはいっちゃってね、すっかり遠ざかって。ここ数年ですかね、色々動画出回ってるでしょ。ワールドオブダンスとか見まくりました。最近のは身体が全くついてこなかったので試しもしてないですけど」
「ワールドオブダンスのは俺も見まくった」
「まじですか。私、あのフランスの」
「「双子ダンサー!」」
がっしりと手を握り合って、その握り合った手を曲に合わせて左右に揺らす。
裏打ちで肩も揺らして
幸宏さんを立ち上がらせ
腰を上下に刻み
重心を下に
けれど腰の位置は変わらずに
「え、え、和葉ちゃん、これ今の、えっとBillie Jean、完コピできるとかいう?」
「古いライブの振り付けなら覚えてますよ。言った通りかっこよくはないですけど」
「教えて! 教えて! 俺今なら踊れると思う! なんなら俺歌うし!」
「よろこんでー!」
滑るような両足のステップからのムーンウォーク!
「翔太! 翔太! ちょ! 最初から!」
頭からの力強いビートで、空想の帽子と股間に手をあてあの腰から踊りだせば、ちょっと掠れたセクシーな歌声はさすがに自ら言い出すほどで。
そりゃ、マイクもったパフォーマンスで踊らなくてはいけないだろう。
「顔芸付きかよ!」
もちろんですよ! 踊りは表情も含めて踊りです!
あの女芸人ばりにやりますよ! あれ結構好きなんです!
何回か見せれば、幸宏さんはぴったりついてくるようになって、やっぱりバレエよりもずっとかっこよく踊れてる。
そして私も何故か踊れてる気がする。
「和葉ちゃん、どこが踊れてないの?」
「いや、なんか踊れてますね。勇者補正でしょうか」
重心の低さも、裏打ちも、手足の扱い方も、ちゃんと神経を回したまま、バレエの癖がでないように維持できる。
何度も何度も繰り返し見た映像のとおりに、再現できる。
「次なにやる!」
「Smooth Criminalはどうだ!」
直立のまま前に倒れていくあれを、重力魔法で思いっきり低くまでやったら大受けで、「それずるいだろ!」とか笑い転げてたら、
「魔力使うなっつったよな!?」
帰ってきたザギルの説教を、三人正座で受けることになった。