43話 はぁびばのんの
「は? 別に俺いたとこはそこら中で毎日ガキ死んでたし、死にかけも転がってたし。できるんじゃねぇかなと思ったら試すだろ普通」
魔乳石での魔力の与え方のことを、ほんのちょっと恐る恐る聞いてみたら、なにいってんだお前って顔して、いろいろ台無しな返事をくれた。いやもうなんか想定内でもある返事ではあるんだけども。
◇
露天岩風呂は、私が最後にみたときよりも二回りほど拡大されて、切り出された木材の香りもあいまってなかなかの風情をかもしだしてた。
騎士たちをはじめ、城の人間が自由に入れるようにと拡大したらしい。
そうはいっても、城の裏山を登ってここまで回りこんでくる道は、雪に埋もれて獣道にすら至っていない状態というか、私たちが掻き分けた雪道だから、気軽にたどり着けるのは騎士や私たちくらいだろう。春になって雪がなくなったらまた違うとは思うけど、そもそも温泉文化がないので、どこまでみんな楽しんでくれるかちょっとわからない。
でも、小さな滝をつくる源泉と乳白色の湯が周囲を湯けむりで満たし、常緑樹の緑と白雪が目に鮮やかで、湯に手足を伸ばして岩にもたれかかり振り仰げば抜ける青空。夜空も素敵だろうな。きっと気に入ってくれる人は多いんじゃないかなと期待している。
「……極楽ぅー」
湯船に隣接する形で板張りの洗い場もあって、そこは屋根と囲い、脱衣場もちゃんとできてる。なんていい仕事をしてくれてるんだろう。しかも景観を損なわない配置ときたものだ。幸宏さんが極楽を作ると宣言しただけのことはある。
あやめさんは、んふーと桜色に頬をそめてうっとりしながら湯につかり、エルネスは掌で湯を掬っては流して観察してる。
最初は、会議がはいったと悔しそうにしていたのだけど、温泉は肌にいいと聞いた途端に、クラルさんを代行にたててた。ちなみに礼くんにおぶってもらってここまできてる。礼くんがテンションあがって飛び跳ねてたので帰りは幸宏さんを指名することにしたそうだ。
「ねぇねぇカズハ、このお湯少しぬるっとしてない?」
「ああ、してるねぇ、さっき話したでしょ。肌にいいやつだね。これ。刺激もないしいい温泉で当たりね」
「幸せ……」
「ねえ、このぬるっとしたのが肌にいいってこと?」
「んとー、肌にいいお湯はぬるっとしてるーほんとはいろんな種類あるのよー温泉ってー」
「この温泉がどんな効能あるか調べられればいいんですけどねー」
あやめさんもちょっと間延びした声を出してる。
男湯のほうからは、幸宏さんが風呂奉行ばりに入り方を仕切ってるのがさっきまで聞こえてた。かけ湯大事よねー。お水先に飲むのもねー。
「そっち湯加減どうだー?」
男湯女湯の仕切り板の向こうから幸宏さんの声。
「最高です! マジいい仕事!」
「だろ!」
源泉と引いた小川の冷水の量を調整できる弁もあるから、なんなら好みで調整してと事前に説明された。湯船広すぎてちょうどよく変わるまで時間はかかるからと、今は幸宏さんが調整したままの状態だ。でもばっちりである。
「効能って具体的に詳しく」
「お、おう……えーと、泉質? どんな湯なのかでも違うし、その違いの調べ方は私らもわかんないけどね」
「それは任せて。詳しく」
エルネス、人手不足だってずっと言ってるのに……。
「あー、多分どんなお湯でも共通なのがー、疲労回復とリラックス効果?」
「新陳代謝促進だっけ」
「そうそう。あったかいのとー水圧とーあとなんだかで血行がよくなるんだよねぇ。新陳代謝よくなるからお肌の調子もよくなるとー」
「それらが共通効果で、ものによって違う効果もあるのね? 例えば?」
「うーん、やけどや切り傷? あと消化器系にもいいんだっけ」
「心臓病以外には結構幅広くいけた気がしますねぇ。あ、でもそんな回復魔法みたいなものじゃないですよ。じわじわと長期間かけて、そうですねぇ、療養の手助けになる、くらいなもんでしょうか。城内の人たちはともかく、一般の人はそんなに回復魔法を惜しみなく使えないじゃないですか。もちろん私たちの世界に魔法はなかったんで、やっぱり同じように温泉で療養効果をあげたりすることもあるんですよ。それが前に幸宏さんが言っていた湯治ですねぇ」
普段よりおっとりと、それでも回復魔法に専念して研究しているあやめさんらしくエルネスに説明している。
あやめさんが回復魔法に規格外の適性があるというのは、当初からわかっていたことなのだけど、今は医学的知識を元にしてのイメージを加えることで、これまでの回復魔法とは格段に違う効果をあげているらしい。これまで治癒できなかったレベルの大けがを治せるくらい。
もちろんその医学的知識というのは専門知識なわけでもなく、私や幸宏さんも持っている程度の一般的知識だと聞いている。だけど魔法に反映させていけているのはあやめさんだけだ。私そもそも回復魔法全然だめだし。
多分、浄化魔法並の改革が起こるんじゃないかと言われている。
「ふむぅ……比較対象が欲しいわねぇ、候補地を探すことから」
「エルネスぅ」
「なあに?」
「頭使ってたら効果半減よー、だらーんと堪能して、まずは自分で効果を確かめたらぁ?」
「確かに」
「あやめさん特製の化粧水やクリームもあるしぃ、合わせ技したら効果に驚くよきっとー」
「アヤメのあれはすごいわよねぇ!」
「うふー」
こちらのスキンケア用品もオーガニックでなかなかではあったんだけど、あやめさんが調合したものは特別に具合がよいのだ。エルネスがあやめさんを本格的に抱え込んだきっかけといってもいい。
エルネスは堪能することに切り替えて、首をほぐすように回して深呼吸をする。
シミひとつなく、きめ細やかでしっとりした肌はとても五十半ばには見えない。あやめさんのように若い娘さんの輝かんばかりの肌とはまた違って、やわらかで匂い立つような白さの肌。
身体のラインだって、ちゃんと重力に従って下がっているのにそれがまたエロい魅力になっているのだ。一時期もてはやされていた若作りに全力をあげているタイプのではなく、まさに正道の美魔女といえる。ずるい。
「エルネスぅ、その入れ墨かっこいいなぁ。私もいれたい」
左の乳房から腰へ、腰から尾てい骨あたりまでツルバラの意匠が刻まれている。深紅と鮮赤のグラデーションが素晴らしく綺麗。今は乳白色の湯に沈んで、ふわりとピンク色の気配だけ見えている。
「素敵ですよね……」
「あんた達は身体成長しきってからのほうがいいわねぇ。今いれても崩れちゃうでしょ」
「だよねぇ……あやめさんはもういけるのでは?」
「……まだ成長するかもしれないじゃない……胸とかも……」
「十分標準まで育ってると思うけど……」
「いいのっもうちょっと育つかもしれないのっ」
「……ザギルに言われたのを気にしてたり?」
「違うもん!」
「お、おう……あ、そういえば、エルネス、私寝ちゃったから知らないけど、結局魔乳石の味はわかったの? どうだった?」
「聞かせるの忘れてたわ! カズハ! あんのケダモノ……っ」
エルネスがぎりぎりっと奥歯を噛みしめた。なんだなんだどうした。
「あいつ、石食べさせるふりして、普通にキスしやがったのよ! そしてまた上手いのが腹立たしい!」
「ほほぉ……そ、それで?」
あやめさんの頬の赤みが一気に増した。そうか。現場を見たのか。というか、部屋でそのまま実行したのかな。
「ぶん殴ろうとしたら躱されるし!」
「……あいつ防御力高いんだよね。でもエルネスが殴り掛かったの?」
全然それはそれでカモンするかと思いきや。
「私はね! 毒牙にかけるのはいいけどかけられるのは嫌いなの!」
「あ、毒牙な自覚あったんだ」
「あれは喰い尽くされるわよ! 物理的に! カズハ! やめときなさいね!」
「物理的にて。いやまあ確かに食材扱いらしいけどね……」
「和葉……覚えてないの……?」
「ん? 味? 甘いと思ったような気はするけどあんまり覚えてないですねぇ」
「そなんだ……」
あやめさんがますます顔を赤くして、口元まで湯に沈んでいく。
「どうしました」
「ううん……なんか翔太が、和葉ちゃんやっぱり大人なんだ……っていってたなって」
「ああ、前にも似たようなこと言われた気がしますけど、そりゃ大人ですよ」
大人には見えないから忘れちゃいがちだけど大人なんですよって、厨房の裏口で確かに話した。再確認したのかな。あのとき。てか、また忘れちゃってたのか。このなりじゃしかたないけど。
「ザギル! 何それ! かっこいい! すごい黒くて硬いよ!?」
「れ、礼! 言い方っ」
「礼君! あっちに聞こえるから!」
仕切りの向こうから礼くんの歓声と、幸宏さんと翔太君の制止の声があがった。
「……」
「……」
「……」
礼くん……?
「和葉ちゃーーん! ねぇねぇ!」
「ばっばか礼やめろ!」
「礼君! あやめちゃんたちもいるんだから!」
ばしゃばしゃと波立つ音が聞こえるあたり、あれは礼くん仕切り乗り越えて顔出そうとしてるな。
えー……はあい、と礼君の渋々声。
「まさかと思うけど、礼と和葉、普段一緒にお風呂はいったりしてる?」
「いや、バスタブ小さいですからねぇ。さすがにそこまでは」
「バスタブの大きさの問題なんだ……」
「時々気分で恥ずかしがったりするんですけど、その割に風呂上りは素っ裸で浴室から出てきますからね。慣れましたよね」
私が浴室使ってても、カジュアルにドア開けておしゃべりしだすしねぇ。
子どもたちが小さいころ、トイレにまで突撃してきておしゃべりをはじめたノリを思い出させられたよね。最初ね。トイレに鍵かけたら泣かれたもんだ。さすがに礼くんはトイレにまでは来ない。
んー、そろそろいいかなと、タオルを身体に巻いて、源泉を一度溜めおいているところに向かう。ちょうど仕切り板の端。
置いておいたリュックから、トレイを出して器を並べていく。雪で冷やしておいた蒸留酒とジュースをピッチャーに入れて、果物とかも盛り付けて。
「礼くーん。ちょっとお手伝いしてー」
「はあい!」
仕切りの向こうからひょいと姿を現した礼くんは、案の定、安定の丸出しだ。
「ちょ―――!」
「……なかなか立派ね」
「普通なら事案なんだけどな……」
「和葉ちゃん動じなさすぎ……」
「カ、カズハさん! こっちからも少し見えてますからっ」
「お前なに隠すとこあんだよ」
男湯と女湯それぞれからそれぞれの声。なんかうっさいのもまじってる。
礼くんにいろいろ載せたトレイを渡した。
「はい。男性陣にどうぞって。足場悪いから落とさないようにね」
「わかった!」
元気よく礼くんが戻れば、幸宏さんの歓声。
「まじか! 温泉卵じゃん! しかも露天で雪見酒とかサイコウかよ!」
「幸宏さーん、そっちの食べ方や飲み方指導よろしくねぇ」
「任せろ! 任せろ! ありがとう!」
まあ、向こうはみんなお酒の飲み方上手だし大丈夫だろう。ザザさんやザギルの感嘆の声も聴こえてくる。
「エルネスは果実酒でいいよね。冷えてるよ。あやめさんどうするジュースにする? それともジュース割りにしてあげようか?」
一応日本では未成年だけど、こっちでは年齢制限ないからね。ただ、さほど強くないのでたまに舐めるくらいのあやめさん。
「えっとね、うすーいの飲みたい。前に和葉つくってくれたやつ」
「ああ、リョーカイ」
薄めのなんちゃってミモザね。水とジュースと果実酒に、ちょっと重力魔法で圧かけて炭酸を仕込む。
「……あんたほど希少な魔法を生活に使う人、ちょっといないわよね」
「適材適所なんだと思う。我ながら」
仰々しい響きの重力魔法だけれど、何気に料理には活用範囲が広い。圧力鍋代わりとか。
「これは……いいわぁ」
果実酒を一口飲み下して艶やかな吐息のエルネス。私も同じく果実酒を。
「ふわぁ……、憧れの雪見酒が叶ったよ」
「ふふっ、よかったわねぇ」
エルネスは時々こうして優しい笑顔を向けてくれる。とても毒婦とは思えないやつ。
「そういえばアヤメ、結局ゴウコンって形にするんですって? まあ、ティーパーティらしいけど」
「幸宏さんが、そうしたら気軽だろって、縁談の話担当してくれてる人に言ってくれたんですよね。こっちだと舞踏会なんだろうけど、私たちには複数同時に薄く広く話せたほうがいいし、俺らのほうも合同なら一緒に出てやれるしって」
「私も何故か紛れ込むことになったけど」
「なによっイヤなの!?」
「嫌ってことはないですけど、また壁の花になってみんなに気遣われるのが少し……」
「何いってるの。前回よりも情報出てるからカズハ狙いがくるわよ。選定基準に子どもは除外ってしてもらったんでしょう?」
「いや、してもらったというか、ザザさんがそう報告したらそうなってたって感じなんだけど、あんまりピンとこないよねぇ……こっちの年齢感覚とかは理解できたつもりだけど、何をどうしたら私の今の外見年齢で見合い相手として考えられるのか」
「私たちにしてみたら、エルフとかはカズハみたいに外見年齢幼くても中身は大人だったりするから抵抗ないんだけどねぇ……もしかして」
「ん?」
「育つの待つって意味わかってる?」
「え?」
「そういう趣味の人もいないわけではないけど、幼い外見に直接欲情するってわけじゃないのよ?」
「むぅ?」
え、今、なんかすごくあからさまな話題に突入するフラグたったけど。
あやめさんが若干興味沸いた顔してる。
「まあ、長命種が中身も子どものパートナーが育つのを待つってのもあるけど、あんたやエルフみたいに中身は十分大人の場合はまた事情が違うというか」
「ちょっと意味がわからない」
「成熟してない身体のせい以外にも、まあ、性交渉できなくなることはあるじゃない。怪我や病気なり年齢なり」
「そね」
「でも魔力交感できるから」
お……? あ……。
「それで愛情確認するの。感覚は性交渉とほとんど変わらないんだから、自然とそういう対象として認識するようになるってわけ」
「も、もしかして前にみんな日本の夫婦のブランクとかの話にびっくりしてたのって、そういうこと?」
「だって考えられないもの。魔力のない世界なんだから魔力交感だってないでしょう? それでそれならどうやって愛情確認するの?」
「い、いや必要がないとかそのものが嫌いだって人もいるらしいけど……」
「あんたは?」
「えっと……あ、あやめさん?」
「あんまり話が見えないけど、多分私がわかるわけない気が……というか、魔力交感って、その、そんなに、そう、なの?」
「え。そんな両方向からいっぺんに答えにくいこと聞かないで」
「ねえ、あんたはどうやって夫の愛情を確認できたの?」
「で、できてない、ね?」
や、そんなしかめっ面で首傾げないで……。
そうか、魔力交感というものがあるせいでかえって、そういうのがないのがわからないってことなんだ。給食室とかで聞く限りは、夫婦生活があろうとなかろうと愛情を確認できている夫婦はたくさんいるということらしいけど、じゃあ、私はどうかといえば。
「知らないってば……夫がどう私をどう思ってたかなんて……」
「二十三年も!?」
「いやだからもうその数字やめて!?」
だってそれが当たり前だったんだもの! 言わせんな恥ずかしい!