42話 人工呼吸が飴あられ
ふはっと、翔太君が塊を吐き出すような笑い方をして。
「うん。僕もそうすることに決めたんだ。決めたんだけどね、ほら、和葉ちゃんもおかあさんでしょ? もし和葉ちゃんだったらやっぱり悲しいかなって思って、それを教えてもらえたらなって前思っただけで」
「親だからいうの。親は子を産んだわけだから育てる義務も責任もあるけどね? 子どもにはそんな義務も責任もない。要らなきゃ捨てちゃいなさい。悲しもうとなんだろうと子どもには関係ない」
「やっぱりあんた男前ねぇ……」
頬杖つくエルネスに、手を軽く払うように振った。
「や、だって、親子だって別々の人間なんだからそりゃ相性もあるでしょ。相性馬鹿にできないじゃん。愛情だって相性にはなかなかかなわないもんだよ」
「ま、そうね、なんだかんだと相性のいい彼氏のほうが続くし」
「う、うん。ごめんそれ多分私よくわかってないかもしんないけど、おそらくそれであってる」
エルネス! 相性って絶対そっちのこと言ってるでしょ!
「相性……」
「でも、翔太君の親のことは知らないけど、そんな括りだけじゃないんじゃないのー」
「なんで?」
んふーと、たくさんの枕に身じろぎして少し体勢を整えて礼くんの頭をまた撫でる。
こういうのはタイミングが大切。翔太君が聞きたかったことを聞けたタイミングなのだから、それは受け止めてあげたい。
礼くんの親を殺したくて仕方ないけど、吐き気もどんどんひどいけど、それは完全にしまいこんでみせる。こんな時に子どもに遠慮させるなんざ大人の名折れ。
「ピアノってー、一日休んだら指動かなくなるんでしょ?」
「あ、うん」
「バレエも同じ。一日休んだら身体が開かなくなってくる」
「うん」
「好きじゃないと毎日続けられない、でもー、好きなだけでも続けられないし上達しない。才能があっても毎日続けないと指が応えてくれなくなる」
「うん」
「あんな素晴らしい演奏ができるようになるまで、毎日続けてたよねぇ。親に動画のアカウント消されてもさ」
「……うん」
「その翔太君が、自分でできることしてないわけない。いらないって思うまで何もしてないわけないよね。ああ、具体的にリアクションどうこうってわけでもなくて」
「うん」
「それなりの理由があったに決まってる」
「僕にとっては、だけど、でもやっぱり」
「翔太君にとっては、で充分」
前にザザさんも言っていた。本人がそう思うならそうなんだと。
翔太君はもう決めたと言っている。考えに考えて決めたに決まってる。
そんなのがわかりきってるとわかるくらいには、私たちは一緒にいた。
「それに子どもつくるだけなら魔物にだってできるよ。子どもいるからってねぇ、できた人間でもなけりゃ、そうなれるわけでもない。でなきゃ虐待なんておきないし。翔太君にとって大事なものをくれない人なら親でも捨てちゃっていい」
考えに考えて決めたって、すぐ楽になるわけじゃないよね。
今あんまり頭回ってないけどね、多分翔太君に今一番必要なのは肯定だよね。
間違ってなんかない。仮に間違っていたのだとしてもそれは些細なこと。
今翔太君が楽になるより大事なことはない。
合ってるかな。これで翔太君が欲しいものに合ってるかな。ほんとはもうちょっと頭はっきりさせたいのだけど。
「あは、きっと和葉ちゃんならそう言ってくれると思ったんだ」
「そーぉ?」
「うん。僕ちょっとずるいしね。和葉ちゃんはなんも聞かなくてもそういってくれると思った」
てへりと、少し舌を出して笑っている。
「ふふ、ご期待に沿えてよかったー」
「少しばかりヘビーで申し訳ないんだけどさ」
「うん」
「僕、母さんに薬盛られてたんだよね。あ、死ぬようなんじゃなくて、風邪薬たくさんとか下剤とか?」
「んあ!?」
すごいのきたな? 今すごいのきたな? 思わず頭起こしかけてめまいして、ばふんと枕に頭が落ちた。
「……ちょ、大丈夫? 和葉ちゃん……」
「……続きどうぞ」
「えっと、そんないっぱいあるわけじゃないんだけどさ。僕ピアノ結構いいとこいってたんだよね。でも虚弱体質でさ、肝心な時に寝込んじゃうんだ。母さんもね、クラシックはすごい期待しててね、まあ、それ以外は大反対だったんだけど。寝込んじゃうたびに、もうしわけないなぁって思ってたんだ」
「うん」
「そしたらさ、気づいたんだよね。コンクールの決勝とかここ一番のときのご飯にさ、薬いれてんの。信じられないじゃない。なんでそんなことすんだろって、そんなばかなこと、お母さんなのにって。父さんにそれとなく聞いても信じてくれないしさ。そりゃまさかって思うよね。意味わかんなくてさ」
「うん」
「んで、気を付けてたんだけど、まんまとまた盛られてね、残念だったわねーなんて親戚とかママ友? とかにさ、母さん励まされててさ、母さん、なんか健気な感じにその人らの相手してんだけど、部屋で一人で笑ってんの見ちゃってさ。すっげぇ嬉しそうに、笑ってんの。よくよく考えたら僕ピアノだけじゃなくて小さいころから入試とかさ、そゆ時も寝込んでたんだけどね。あーって、そっかーって。理由はやっぱわかんないけど、わかんなくても、なんかもうよくない? って思ったらこっちきてたみたい」
「それは、また……翔太君、運まで悪い……」
「いやちょっと和葉ちゃんそれは」
「や、わ、わかってるすまんなんかいまこれはおかしかった」
ちょっとまて。ちょっとまって。ぐるんぐるんする。何それ。何してくれてんだ。
なんていった? こういうの聞いたことあるな。代理ミュンなんとか?
幸宏さんはちょっと待てしたけど、翔太君は何故かすごく納得顔で。
「いや、運、ああ、でもそうなのかも。それでいいのかも。僕、運がそれまできっと悪かったんだ。こっちにきて楽しいから、運が向いてきたんだね」
何あんたそんなさわやかな顔してんの。あんたちゃんと楽になったのそれで。
だめだ。私が泣いちゃだめだ。翔太君に今必要なのは憐みなんかじゃない。絶対違う。泣いたらそう見えてしまう。
だってこんなはっきりしてるのに。誰が悪いかなんてわかりきってるのに。
なのに翔太君は運が悪いと笑ってる。
ここでなら自由に弾けると笑った顔そのままで。
「和葉ちゃん、ありがと」
「なにが」
「言って欲しいこと言ってくれた。すごくすっきりした。ごめんね? 具合悪いのに。もう眠ったほうがいいよ」
「あ、え、あ、ちょ、一緒に寝る? ここ、ここあいてるよ?」
礼くんとは反対側、私の左側をぱんぱん叩く。いやほんと私なにいってんだ。これも違う。違う違う。
なんか翔太君爆笑したけど!
「それはちょっと、い、いらない、ぷっ」
「ですよね?」
◇
「んじゃ、ここ、俺が座るわな」
「えぇぇ」
翔太君の前を横切ってベッドを回り込み、私の左側にザギルが座り込んだ。すれ違いざまに翔太君の鼻つまみあげたっぽくて、また翔太君が笑ってた。
「あんだよ。もう話終わったんだろが」
「……なあ、翔太。俺もなんか時々あいつ尊敬してきちゃってる気がして怖い」
「でしょ……?」
「いや、二人ともそれ気の迷いですからね。やめてくださいね。アヤメが神官長になつくのと同じ感じですからね」
「いくらなんでもアレと一緒は私も困るわ……」
ザギルは私の首に手の甲をあてて、ふんと鼻を鳴らしたかと思うと、私の左腕の袖をまくりあげた。
「まあ、こんだけ魔力暴れてたら熱も出らぁな。せっかく坊主くっついてんのによ」
「んあー?」
「なんでお前そんな怒り狂ってんだぁ?」
なにいってんだこいつ?
「えーと?」
「あ? 違うのかよ。小僧と坊主の話で腹立ててんのかと思ったんだが。あれだ。リコッタって女が殴られたときと同じ感じだしよ」
いや怒り狂いましたよ? 狂ってますよ? 顔には出してないつもりだけど、でも、あれ、それ不思議か……?
「え。ちょっと待って、和葉ちゃんが怒ると魔力暴れるの? そんで熱出るの? え、ダメじゃん。どうしよ僕」
「―――なんで小僧が気にすんだ?」
こいつほんとに心底不思議がってる……。しかもどっちかいうと私のバングルしか見てない……?
「ねえ、エルネスさん、私なんかこの世界の言語は勝手にわかるようになってると思ってたんだけど違った? 通じてる?」
「大丈夫。アヤメ大丈夫。私もちょっとよくわからないから」
「なんだてめぇらそこはかとなく馬鹿にされてる気がすんぞ。俺だってなぁ、これ怒る奴いるんじゃねぇかなくらいわかんだよ。一応だ、一応確認したんだっつの」
「あ、一応わかるのそこなんだ」
「他になにいんだよ。俺、他人のことで腹立たねぇし」
「わ。どうしよ翔太、一周回ってかっこよくみえてくる気がする」
「僕も……」
「気の迷いですからねそれ」
バングルを外されて、また新しいバングルつけられる。ピアスも。
「あれぇ、それ、―――けほっ、変えたのいつだっけ」
「おとといだな」
魔乳石が満杯になったらいつもさっさと取り換えてくれるけど、それ今することなんだ?
バングルはいつも石がいっぱいついているやつで、その染まった魔乳石の一粒一粒を真剣に吟味してる。
「そらよ、小僧と坊主は俺も可愛くねぇこともねえし、お前らが頼むんなら、むかつくやつ代わりに殺してやってもいいけどよ、異世界じゃなぁ。ちょっと無理だ」
「俺こんな凶悪なデレ初めて見た」
「言葉通り凶悪だよね」
「むかついたら殺すだろ。それでしまいだ」
「これですよ、近衛やらあちこちから引き抜きの仲介やつなぎの依頼くるんですよ。僕のとこに。推薦できるわけないじゃないですか。こいつむかついたら国賓でもさくっと殺しますよ。なのに能力だけやたら高いもんだから、出し惜しみとか言われるんですよ、こいつ僕んとこのやつじゃないのに」
「研究所は問題ないわよ」
「ほんと応援してます神官長。そしたら依頼そっちにいくので」
殺すのに異論はないから黙っておくけど、ザザさんちょっと目の光ない。
「ねえ、そのバングル、おととい変えたっていった? 満杯にみえるんだけど」
「満杯だな」
エルネス研究者モードはいりました。
「おととい……? 私三週間、かかるよ?」
「普通は二、三か月かかるわね」
ザギルは腰にいつもつけてる皮カバンから、じゃらじゃらっと今まで変えたバングルを出す。どれも石がいっぱいついたやつ。
「―――ほれ、これが溜まるまで一週間のやつ。これは十日、あー、もう一本あったがそれはばらして喰った」
順番にエルネスとあやめさんに渡していく。
……私が最初に買った石より、いい石だから早く染まるんだと思ってたけど違うのかな。
「色合い違いすぎるでしょう。一粒一粒違いすぎるってどういうことよ。つけてる時期が別だとしても色合い違いすぎるし、同時につけてたなら同じ色のはずでしょう。こればらしてないわよね?」
「つけてたときそのまんまだな。んで、これが今外したやつ」
前までのバングルは、色合いはそれぞれ結構違ってはいたけど、基本は黒と瑠璃に染まっていた。今外したと、手にぶら下げてエルネスたちに見せてるバングルの魔乳石は、黒と瑠璃だけではなく、赤みが強かったり、緑がはいっていたりそれぞれ全然違う。きらきらと色とりどりの光を弾いてる。針はちょっと私の位置からは遠くて見えない。綺麗だなぁ私いい仕事してるなぁ。
自慢しようとしたら声が出なかった。
「声、でねぇか。うっさくなくていいな」
ひどっ!
「……カズハさん、指さして訴えなくてもわかりますけど、ちょっと眠ってください」
「無理だろ。神経立ってて眠れやしねぇよ。おら、お前らそれ返せ……返せ?」
名残惜しそうにバングルを返すエルネス。観察したかったんですよねわかります。
「こいつ、それほど魔力操作下手ではねぇんだよ―――得意気にしてんじゃねぇよ、黙っててもうっせぇな。上手いわけでもねぇし兄ちゃんたちに比べりゃ雑魚も雑魚だ」
バングルを全部ほぐしだして、布団の上に広げたハンカチの上に転がしていく。
「ただなぁ、毎日毎日、なんなら一日何回もな、あー、魔力の器のほう、カップな。そっちが容量変わるんだ。三割も二割もあったもんじゃねぇ。総魔力量も増えてんのに器まで変わるんだからよ。魔力の方も、流れ方やらなんやら、普通癖っつうもんがあるけど、決まりがない? んー?」
「……規則性とか法則性、かしら」
「ああ、それだな。それがない。神官長サマと氷壁にこないだ聞いたけどよ、もっと前はそれほどでもなかったはずだっつうじゃねぇか」
「あなたに言われてから、長時間見てみるようにしたらね、確かに前とは違ってやけに出力の波があるのよね。魔法もつかってない通常状態なのに」
「他のやつらも大概だが、こいつ常識ってもんを無視しすぎてんだ。んなもん調整訓練したって意味ねぇよ。小僧も落ち着いたし、一時的なもんだとは思うがそれまでは見張ってるしかねぇ」
よーし、難しくなってきたけど、下限気にしなくていいって言った理由はわかったと思う。
「……お前、魔力調整教えてたんじゃなかったのか?」
「へっ、進捗どうだなんて聞くから、気長にいくしかねぇだろって言っただけだ」
「―――おまっ」
「そのツラ面白くてよ」
どんなだ。どんな顔だ。
首起こしてザザさんの顔見ようとしたのに、ザギルに額押さえられた。
「動いてんじゃねぇよ。石ばらまかれっだろが。で、だ。今もう結構たってっけど、まだ魔力はあふれてない。おかしいよなぁ。回復速度は急上昇中だ。こいつ、普段からそうなんだけどよ、溜まってないのに漏れてんだ。少しだけな。神官長サマにはそれが波に見えるんだろ。で、魔力酔いしてる今はもうだだ漏れだ。魔力乱れてる分余計にな―――こんなもんか」
真剣に吟味してたらしい石の粒を手のひらに残して、他はハンカチに包んでまた皮カバンにしまいこむ。
「普通、魔力干渉はお互いの魔力を交換したり寄せていくだけのもんで、量としては差し引き変わんねぇ。一方的に奪えるのは俺みたいな魔力喰いだけだ。ところがだな、小さいガキと親の間でだけは違う。ガキが親からほんのわずかだけ魔力受け取ってんだ」
「なにそれ聞いたことないわよ」
「だろうなぁ。俺以外に知ってるやつもみたことねぇし、俺だってじっくりそのつもりで見てねぇと見えねぇくらいわずかなもんだ。まあ、南方じゃ親子っつっても金持ちの親子がほとんどだったがな。貧民窟ではめったにみねえ。……こっち来てそこら中の親子連れのガキが魔力もらってんの見て驚いたな」
「それは子どもがあなたみたいに魔力を喰ってるってこと?」
「知らね。親が与えてんのかもしんねぇし、ガキが吸ってんのかもしんねぇし。当人同士無意識っぽいし気づいてねぇしよ。自然回復量のほうが多いからな。ケンキュウすれば?」
「だからあなたがうち」
「おい、坊主寝てるだろうな。寝てんな?」
石を一粒、口に放り込んで、ガリガリバキバキかみ砕く、って……えぇぇ、石だよ……? いや普段もぽいぽい口に入れてるけど、舐めてるじゃん……。
「……てめぇ、らに、しょっぱいツラすっぱくさせてるんらよ」
「カズハさん、指さして訴えなくてもわかりますから……」
顎を持ち上げられて、ザギルの唇が降りてきた。
ざらざらとした粒が口の中に入ってきて、それをザギルの舌がかきまわして広げると、そのまま溶けて消えた。ザラメみたいに甘くて、すぅっと喉に流れていく。
「喰えたな? ……俺もこれやんの久しぶりなんだがよ、まあ、覚えてるもんだな」
「ザギル……あなた魔力を与えてるの?」
「飢え死にとかよ、死にかけるとな、最期に魔力燃えるだろ。もう回復もできねぇから残ってる分だけの魔力が暴れて燃えて生き残ろうとする。調律も効かねぇ。燃え尽きちまえば死ぬのは同じなんだけどよ」
「そうね」
「与えてやれば、生き延びることもたまーにはある。大体死ぬけどな。ただ同じ死ぬんでも、多少楽になる。魔力暴れるのがおさまんだよ。これ」
また一粒かみ砕いて、魔乳石の粉を飲まされる。
「死にかけてるガキがなぁ、親から魔力もらって最期に笑って死にやがるの見て、これ使えばできるんじゃねぇかと思ってやってみたら出来た」
また一粒、また一粒。
ザラメが溶けていくたび、頭痛も息苦しさも吐き気も溶けていく。
あんた、これ、昔試そうとしたんだ。誰かを楽にさせてやろうとしたんだ。
「ちょ、ちょっと、あんた、後でそれ私にも食べさせて―――っ」
ぶれないエルネスの声聞きながら、眠りに落ちた。