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41話 そんなもの捨てっちまいな

 気がつけば礼くんの部屋。いつも一緒に寝ているベッドに私だけが横たえられていた。


「和葉ちゃん、大丈夫? お水のむ?」


 両手に持ったカップはいつから持っていたのだろう。ずっとそうやって待機してたのかこの子は。

 少しだけ頭を上げると、ゆっくりと口にぬるめの水が注ぎこまれていく。前に寝込んだときもこうしてくれたものね。上手になった。


「ありがと。ちょっとすっきりした。もう大丈夫。ザギルも大丈夫だって言ってたでしょ?」

「うん。よかった」


 ほっと唇を綻ばせる礼くん。見回せばみんないる。礼くんのすぐ後ろにザザさん、足元にエルネス、一歩下がって、他のみんなが並んでる。ザギルは壁際に椅子を持ってきて座ってた。


「ごめんね。心配かけちゃった。みんなも、ザギルもごめん。ちょっと楽しくなりすぎた」

「酔いはおさまってきてる?」

「んー、さっきよりはまし。ちょっとぼんやりするけど。私結構寝てた?」

「いいえ、今ちょうどベッドに寝かせたばっかり」


 吐き気も頭痛もするけど、とりあえず目は見えるし、めまいはない。


「なんだってそんな張り切っちゃったのさ。俺もノリノリだったけど」

「あー、小さい頃にね、四つくらいだったかなぁ。一度だけ家族旅行したことがあってねぇ。一泊だけだったんだけど。それがあんな感じの露天風呂がある寂れてるけど風情のあるところだったの」


 まあ、実際はたまたま預ける人がいなくて、仕事のついでだったらしいのだけど。でもとても嬉しかったのだ。家に置いて行かれるのではなく、一緒に連れて行ってもらえたのが。


「楽しくてね、お風呂もおっきくて気持ちよくって、親も一緒にはいってくれるしさ。一発で大好きになっちゃってね」

「四つ、だろ? 普段もう一人ではいれてたんだ?」

「私出来のいい子だったしね。それに基本親は家にいないか仕事してたから。あー、家政婦さんも手伝ってくれてたし。結構これでお嬢なんだ私」


 お風呂って、ほかに何にもない。テレビも新聞も仕事道具もなんにも。だから私だけ見てくれる。私だけみておしゃべりしてくれる。独り占めが嬉しくて、一晩に何度も父にも母にもお風呂に行こうとねだった。


「で、結婚してから、子ども達が小さい頃は何度か温泉も行ったんだけど、これがまた全然ゆっくりできなくって、温泉楽しむどころじゃなくってね。だって目離した瞬間に風呂に沈むわ、すっ転んで擦り傷つくってるわ、旅館の中で行方不明になってるわなんだもん」

「……やばい。俺そういうガキだった……」


 うぇえって顔する幸宏さんがおかしい。子どもってそういう生き物だしね。

 子どものころは単純に独り占めだと思ってたけど、親になってみればそんな生き物を、大きなお風呂で野放しになんてできないわけで。夫は夫でゆっくりしたいと一切を私に任せっきりで。


「子どもたちが大きくなったらなったで、あんまり温泉に興味なかったらしくて行く機会もなくなっちゃってね。ほら、温泉なんかより遊園地とか色々あるじゃない?」

「子ども大きくなってから夫婦とか一人で旅行なんてできなかったの?」


 そう聞くエルネスの拳はきゅっと羽毛布団を握っている。


「恥ずかしながらそんなに家計の余裕なくてさ。私だけの楽しみにはちょっとね。で、みんな温泉好きみたいだし、きっと楽しいだろうなぁって思ったら嬉しくなって調子にのっちゃった。ごめんね」

「えー、あれだよ。和葉ちゃんにお願いしなきゃなんないとこは全部終わってるからさ。明日には俺らでできるし。そしたら明後日湯治しようぜ。湯治」

「やったぁ。楽しみだね。礼くん」

「うん。ぼくね、お外の温泉は初めてだよ。楽しみ」


 えへへと笑いかけると、えへへと笑い返してくれる礼くんの頬を撫でる。まだ吐き気もおさまらないけど、頭はぼんやりするけど、うれしいし楽しい。


「ねえ、礼くん、ママ嫌い?」

「ん? ううん? 好きだよ」

「パパは?」

「パパも好き。んー、でもね」


 ちょっと言いにくそうに、長めのまつ毛が伏せられる。


「もういらないの。パパもママも、いなくていい」

「そなんだ。思い出したりする?」

「たまーに。こっちに来たばっかりの頃は思い出したけど、今はたまーに」

「そっか。思い出したら苦しかったりする?」

「ううん。全然」

「それならよかった」


 ぽんぽんと頭を軽く叩いて撫でると、礼くんはこてりと首を傾げた。


「ぼく、あんまりいい子じゃないなって思って」

「礼くんほどいい子にはあったことないのに」

「そっかな」

「礼くんが悪い子でも好きだけどね。知ってるんだ。礼くん、ルディ王子の脱走、時々手伝って遊んでるでしょ」

「えっ」

「あとはー、夜、歯磨いた後にチョコ食べちゃうことあるね」


 あわわといった顔で、きょときょとする礼くんに吹き出す。チョコ握りしめて食べながら寝ちゃってるんだもの。気づかないほうがおかしい。綺麗に拭いて片づけてあげるけど。


「でも大好きなのは同じ。変わんないよ」

「ぼくも和葉ちゃんだいすき。ママやパパとはちがうの」

「うん」


 礼くんは、安心しきった顔で話しだす。きっと話そうと思ったこともなかったんだろう。この子はいつも自分の中で考え続けている子だから。あと、ほんのちょっとだけ私に話すのが怖かったのかもしれない。


「あのね」

「うん」

「ママね、パパのことだいすきだったの。いっつもね、パパはえらいんだよってかっこよくって強くって、ぼくとママを守ってくれてるのって。だからぼくもパパみたいに強くなってママを守ってねって。大切な人は大事に守らなきゃだめなのって」

「うん」

「パパ、お仕事いそがしくってね、あんまりおうちにいなかったけど、帰ってきたら優しいしかっこいいし。だからね、ぼくほんとは水泳教室のほうが好きだったんだけど、サッカー教室に変えたんだ。パパもサッカーしてたし、ママがそうしなさいっていうから」


 うーん……親がもう一人の親を子どもの前で貶めないってのは、私の中では常識で、絶対やっちゃいけないと思ってたし、やったこともない。まあ、それはあんまり守ってない人や意識していない人が結構多いというか、夫がそもそもそんなこと気にしてもいなかったのはおいておいて。

 不在がちな夫を母親が子どもに褒めてきかせるってのは、至極当たり前のように聞こえはするんだ、けど。


「ぼく、すごくがんばったつもりだったんだけど、ママいなくなっちゃった」

「いなくなった?」

「うん。お出かけしてくるねって、ちょっと遅くなるけど、冷蔵庫にちんするだけのおかずあるからね、いい子でねってお出かけしてかえってこなかったの」

「……パパはすぐかえってきてくれた?」

「うーん、えっとね、次の次の日かな、帰ってきた」

「ごはんどうしたの」

「冷蔵庫にねー、納豆とかたまごとかあったもん。ごはんもまだあったし、パンもあったしー、納豆ご飯も卵ご飯もおいしいもんね。あ、あと学校で給食たべた」


 なんてこと。なんてことを。


 幸宏さんの表情がすっと抜けた。あやめさんが幸宏さんの背中の陰にかくれてる。翔太君が下唇を噛みしめてる。ザザさんがそっと礼くんの髪を指ですかすと、礼くんはくすぐったそうにザザさんを見上げて笑った。


「ママね、よそのおとこのひとのとこいったんだって」

「誰からきいたの?」

「パパ」

「そう」

「さいしょね、おかしいなっておもったんだ。パパはママを大切にしてるって守ってるってママいってたのになって」

「そうね」

「パパおいてかれてかわいそうだから、ぼく優しくしてあげなきゃって思ったんだけど、パパ、あたらしいママつれてきたの」

「……いつ?」

「んー、ママいなくなったのがぼくの誕生日の次の日だったから、んと、二か月くらいしてから」

「そう」


 なるほど。なるほどね?

 そりゃあ夫婦のことなんて外側からはわからない。子どもにだってわからない。礼くんの親にだって言い分はあるかもしれないけどね? それなんか礼くんに関係あるか? そんなことしていい理由になるか?


「礼くん、そのときどうしたの?」

「一緒にごはんたべてー、おやすみなさいした。そしたらね、こっちにきてた」


 礼くんは淡々と話し続ける。ずっとこうして考え続けてたんだろう。

 言動も言葉遣いも少し幼めではあるけど、話し出すと驚くほど物事を整理した話し方をするのだ。


「ぼくねぇ、がんばったけどしかたないやって、もういいやって。だってパパもママもちゃんとほかにも大切な人いたしって、思ったんだけど、こっちにきたらね」


 ああ、これが礼くんの絶望だ。

 守ってくれるはずの母親を守れと、夫の代わりを期待され。

 目標だと信じた父親はまるで違うところをみていて。

 十歳の小さな体でがんばって、背伸びして、それでもだめなことがあると諦めたんだ。


「うん」

「和葉ちゃんもザザさんも幸宏さんたちもみんなやさしいし、楽しいからびっくりしたの」

「私もみんないい子だし、礼くんもかわいいしびっくりしたよ」

「うふー、おなじだね」

「うん。おそろい」

「和葉ちゃん、オムライスつくってくれたでしょ」

「うん」

「誕生日のとき、ママがつくってくれたの」

「うん」

「和葉ちゃんのオムライス、ママのとは違ったけど、ママのよりおいしかったんだ」

「そっか」

「んで、大人のふりがんばってたってえらいねっていってくれた」

「うん。えらいと思ったからね」

「うれしかったんだー」

「そっか。礼くんがうれしかったんなら和葉ちゃんもうれしいなぁ」

「おっそろい」

「おっそろい。……パパとママのこといらないから、礼くんいい子じゃないって思ったの?」

「うん」

「忘れちゃって全然いいよ。そんなんで悪い子なんてならない」

「そなの?」

「だって今もいい子だもん。ね?」


 軽く礼くんの頬をひっぱると、それにつられるような満面の笑顔。


「みんな礼くんのこと大好きだしね。わかるでしょ?」

「うん。みんなぼくのことだいすきだよね」


 そりゃみんな吹き出すよね。私もちょっと吹き出してくらっときた。


 なんて子なんだ。

 他人の好意をまだ真っすぐにちゃんと受け止められる子。

 好きな人を好きだと、大切にしなきゃいけないのだとまだ信じて、それを伝えられる子。


 見たこともない礼くんの両親に、はらわたが煮えくり返っているけれど、そこは大人としてしっかりしまいこむ。どうせもう関わることのない人たち。礼くんには必要ない。

 お前らが手放したこんないい子はもう私のものだ。ザマァみるがいい。


「みぃんないい子だよね。幸宏さんはチャラいけど細かいトコよく見てて助けてくれる」

「うん。訓練してるとぼくにお水飲めっていっつも教えてくれる」

「あ、俺も子ども括りなのね」

「ふふっ、あやめさんは、みんなが怪我するの嫌だから回復魔法がんばってる。つんつんして素直じゃないけどバレバレでかわいいよね」

「バレバレー。スライムだいすきなのに違うふりするんだよ」

「スライム関係ないでしょ!」

「翔太君は意地っ張りだけどその分真面目で一生懸命。どうやったらみんなが戦いやすいかいっつも考えて試してる」

「ぼくきかれるよ。だから一緒に練習するの」

「ね? みんないい子で、大好きな礼くんに優しいよ。ザザさんだってエルネスだってセトさんやリトさんたちだって同じ。礼くんを大事にしてくれる人は礼くんがうれしいとうれしいの。だから礼くんそのまんまでいいよ」

「そっかぁ」


 おいでと両手を広げると、すとんと肩口に顔がうずめられる。わしゃわしゃと髪をかきまわして。


「でもいーちばん礼くんのことすきなの和葉ちゃんだけどー!」


 きゃーっと小さく身もだえする子を抱きしめる。

 ごめんねごめんね。礼くんは絶望を越えてここにいるというのに、今ここに礼くんがいるのがうれしくてたまらないよ。

 かなり朦朧として来てるけど、まあいいや、幸せだからいいや。


「そ、っか。いいんだ」


 ぽつんとつぶやかれたのは翔太君の声。

 集まった視線に、はっと我にかえって、照れたようにごまかすように笑う。


「いや、えっと、ほら、やっぱり親は大事にって教えられるでしょ。……やっぱり違っていいんだなって思ったというか再確認したというか」

「それ、前に教えてって言ってたこと?」


 リコッタさんに攫われる直前、翔太君の伴奏で踊る約束をしたとき、妙にすっきりした顔をして教えてほしいことがあると言っていた。帰ってきてから、のびのびと幸せそうにピアノを弾いていて、何も聞いてこないから、もうわかったのかなと思ってたけど。


「あ、うん。それはそうなんだけど、や、いいんだ。和葉ちゃんだってもう休まなきゃ」


 ふむ。確かに翔太君も親関係でひっかかるものがあるのだろうとは思っていた。

 ほんとにね、この子たちはいい子すぎるね。

 ザギルみたいにふてぶてしい顔つきをつくって笑って見せる。


「you そんなもの捨てちゃいなよ」

「えっ、なにそのキャラ!」


 自分でやってちょっとおかしかった。


「いらないなら捨てちゃいなさいそんなもの。大体こっちに文句つけに来られるわけでなし」


 もそもそと礼くんが布団にもぐってくる。こてんと私の肩に頭をのせて落ち着いたと思った瞬間に、すやぁっと寝息。

 早っと幸宏さんがつぶやいた。

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