37話 監視員ザギル
「―――なんで僕裏切られたような気分になってんだろう……おかしい……」
ソファで横座りになってる翔太君の肩をぽんと叩いてる幸宏さんの口元がゆるんでる。あれ笑うの我慢してる顔だ。すっごい我慢してる。あなた我慢できたのね……。
ザザさんは隣で難しい顔してるし、あやめさんは赤面したまま俯いてるし、エルネスは、まあ、いつものエルネスだ。ひたすらメモってる。
「別に慣れるまで喰ってやってもいいけどよ、普通に城下の花街なりで調節したほうが覚えは早ぇんじゃねぇの」
「へ……は、はなまち……?」
翔太君はきょとんとして、幸宏さん、あやめさん、ザザさんを見回したけど、全員さっと目を背けた。
いやまって。あやめさん? あやめさんも知ってたの?
というか、花街ってアレよね。アレでしょ? アレだよね? 知ってた? いや、知らない、とアイコンタクトする翔太君と私を見て、ザギルが呆れた声を出す。
「まぁた教えてなかったのか。小僧っつったって立派にもう男だろうがよ。花街の姐さん上手だしよ、すぐ上達すんじゃねぇか? ああ、あんたは俺が教えるからいい」
「えっ、あ、うん? ありがとう?」
「カズハさんっわからないまま返事しない!」
「あっはい」
「あー、ちょうどいいじゃない。カズハ実践タイプだし」
「神官長っ唆さない!」
「んだよ。軍とかじゃ新人に花街で調節訓練させるっつうじゃねぇか。騎士団は違うのかよ」
「軍や兵士団なら習得が遅いものに課外訓練させることもあるが、その程度の練度がなければそもそも騎士にはなれん」
ほほぉ……そういうこと……魔力交感で調節を練習するってことか。
そういえばザザさんが前に濁してた「手」ってのは、これのことだったのかな。
「あ、あやめさん? あやめさんもまさか訓練」
「ばっばっかじゃないの! わたっ私は回復魔法の研究でっ! 研究で知ってただけっ! そんなのいらないしっ! しなくてもできるし!」
「お、おう」
「俺も訓練はいらんし。でも翔太はなぁ、そういうの好きじゃないじゃん?」
あー、初めては好きな人とがいいんだもんね。
「僕だって、いや、違う……それ僕なんて答えるのが正解なのさ……? なにこれ僕なんでこんな一人負けしてるの……」
うなじに顔をうずめていた礼くんが、つむじに顎をひょいと載せて窓の向こうを指さした。
「……? あっちのちょっと離れたとこに温室あるよ?」
「ん?」
「そっか。雪降ってからだもんね。翔太君も具合悪くなったの。お花屋さんに行かなくても温室あるから、ぼく連れて行ってあげるよ。この間ルディに教えてもらったんだ。場所」
「―――っ」
ザザさんが心臓を押さえた!
ザギルが口と心臓を押さえた!
「こっ、この俺が、罪悪感、だと―――?」
わかる。眩しさって刺さるよね。ちょっとした兵器だよね。
そして礼くん、温室は指さしたほうとは逆方向……っ
◇
訓練場の半分を占めている氷の迷宮。
半透明の厚さ三十センチほどの氷の壁は、陽射しを透かして輝き、屈折した光は虹を生み、細く白い通路を艶やかな七色に染め上げます。
高さは二メートル半におよび、複雑に入り組む小道は現世を忘れさせ、訪れた者を幻惑の世界へと誘うことでしょう。
ところどころに櫓もご用意いたしました。
私と翔太君が、ここ数日かけて築き上げた力作だ。
この美しい巨大迷宮を見て、ザギルは「……勇者サマってなぁ、みんなちょっとバカなのか?」と言い放ちおった。あいつにはそのうちちょっと雇い主への敬意ってものを教え込まんといかん。
騎士団は二分して、勇者陣は二対三。私と礼くんは当然同じ組。
迷路の対角に旗を立てて、陣取り合戦だ。
ザザさんは中央の櫓で審判。エルネスが角の櫓で見物。ザギルは一番外側の壁の上をうろうろしてる。
「ほっはっ、とぉっ」
降り注ぐ光の矢と礫を躱しながら、壁と障壁を踏み台に飛び回りつつ、真っ白な雪球を牽制に投げつけていく。
壁の破壊は失点。壁の上にあがるのは自由だけど見つかれば攻撃される。
こちらの本陣はセトさんをはじめ防御型を配置。
「敵陣配置どうでしょう!」
私が囮となっている間に配置確認していたセトさんの隣に降り立つ。
礼班はじりじりと迷路を進んでいる。
敵方と遭遇したら即戦闘。各自三個上限で持ってる色付き雪球を当てられたら死亡判定で退場。
「敵本陣はアヤメ班。東南五四八地点に四名赤丸なし。東北四五四地点ユキヒロ班他五名。ショウタ班は潜伏の模様」
赤丸は勇者を示す。
「よし! どのあたりでしょうね!」
「えー、この先四十メートル地点と、あちらにユキヒロ、五十メートル地点」
「礼くんはあの辺だからー、翔太君どのへんにいるとおもいます?」
「おそらく、この方角直線上のどこかに」
「釣り上げるので落としてください!」
なんといっても作ったのは私と翔太君。多分翔太君は道を覚えているはず。なので先に落とす。
本陣から通路を走り抜け、適当なところの壁の上に躍り出る。
「さぁさぁさぁ! 色付きどーーーれだ!」
翔太君がいそうだという辺りに、通路から浮かばせて緩めに固められた雪球三百ほどを直角に落下させていく。
「どこだー! 悪い子いねがー! うひょう!」
背後から飛んできた色付き雪球をぎりぎりで躱した。
「そーこーかー!」
迷宮の外側から五メートル四方ほどの雪をそのまま浮かせて持ってきて落とすと、じゃらじゃらっと鎖が伸びあがって雪の板を切り裂いた。散らばった雪は、瞬時に蒸気となって消える。
壁の向こうに走り抜ける影がいくつか見えた。
「みーーっけたぁあああ!」
「こっちだぁ!」
頭上から落ちた影に気づいて振り仰ぐと、落下してくるのは翔太君。左手に色付き雪球。
「なんのぉ! いっけぇー!」
側転ひねりで躱せば、こちらの本陣からいくつもの雪球が翔太君を襲う。あの中には色付きも仕込まれている。
「まだまだぁ!」
躱しながらも色付きを確実に破壊していく翔太君。やりおる!
「かくなるうえはぁ―――んがっ」
「おう、終了だ。小僧もな」
ぐいっと首根っこを引っ張られる。
ザギルは私を肩に担ぎあげ、翔太君を小脇に抱えて、エルネスの櫓まで壁の上を跳んで渡った。
◇
和葉ちゃん抱っこしちゃだめぇ! と飛びだした礼くんが幸宏班の色付き雪球に落とされて、陣取り合戦はこちらの敗北で終了。
それでも幸宏さんは笑い転げてるし、あやめさんは数に圧倒されたしで、実質騎士同士のいい勝負だったらしい。
「止めた時くらいの量が下限だと覚えとけ。それ以上減らすと回復速度が上がってまた酔う。ばっかみてぇに魔力じゃんじゃん使いやがって調節する気あんのか」
「まだいけるとおもいました!」
「おもいました!」
「いけてねぇよ……美味いなこれ。なんだこれ」
「ミルクババロアです!」
ザギルは三口で食べきった。
礼くんは大事そうに自分のババロアもったまま、ちょっとお尻をずらしてザギルから離れた。いやさすがにとらないと思うよ……?
「ねえ、一日二時間ならどう」
「断る」
いつもは食堂だけど、今日はエルネスの応接室でおやつの時間だ。
ザザさんはずぅっと難しい顔してたんだけど、ババロアを食べ終わると同時にふぅっと息をついた。
「ザギル、カズハさんとショウタの魔力管理を手伝えると思っていいんだな? レイ、ユキヒロ、アヤメの場合ならどうだ」
「その三人に必要なのかよ」
「今のところ不要だが、今後どうなるかわからんからな。参考までに、だ。戦闘時ならこちらでもなんとかできるが、健康や日常生活に支障が出るのは困る」
「普通逆じゃねぇの」
「可能か?」
「今と同じような感じの場合ならな。違うならそん時になんねぇとわかんねぇ」
「神官長、どう思いますか」
「お願いできるなら、私以上の適切な人材でしょうね。ちょっと腹立つわ」
「―――二人の体調が落ち着くまで、訓練中の魔力監視と指導を頼む」
座ったままではあるけど、ザザさんがザギルに頭を下げた……。
「―――ちっ、別に頼まれねぇでも、こいつのことは見てる。小僧どもはついでだ」
「あ、デレた」
ぶほっと幸宏さんが吹く。
「……なんか意味わかんねぇけどめちゃくちゃむかついたぞおい」
「気のせいじゃないかな」
「神官長のエルネスさんにそうとまで言わせるとか、ザギルの能力って喰う以外にも珍しいってこと?」
少しむせつつ幸宏さんがテーブルに山盛りになったお菓子に手を伸ばしながら問うと、エルネスはメモの手をとめて教師役の顔をつくった。
「他人の魔力を感じ取れるのは、訓練した魔法使いのうち三割程度。それも接触が必要で、感じ取り方は様々ね。ほとんどは五感のうち視覚以外の感覚で捉えるの。視覚で捉えられるのはその三割のうち一割もいない。視覚で捉えられるものは他の感覚のどれかでも捉えられる。私は触覚と視覚、色彩ね。あなたたちの中では最近アヤメが視覚でも捉えられるようになったわね」
うふーと緩んだ口を、はっと両手で直すあやめさん。なにその技。かわいい。
「後天的に習得するのも珍しいんだけど、あなたたちはそもそも規格外だから。でもね、それでも捉えられるのは放出された魔力なの。例えば私は色の濃度や彩度、放出速度で割り出して魔力の残存量を推定する。放出されているものや放出の状態から経験と計算で出してるだけなの。他の感覚でもそれは同じ。その人が持つ総魔力量そのものを直接は捉えられないのよ」
頷くあやめさん。ほっほぉ……。
「もうそろそろ枯渇しはじめたなってのはわかるけど、元々の総魔力量がわからないから、今何割程度ってのはわからない」
「ん? でも私と翔太君の総魔力量が増えてるって」
「放出量が増えてるからね」
「あ、なるほど」
「それなのに、ザギルは余分な魔力量、適正な量、下限値、回復速度までわかる。あなた総魔力量が見えてるんでしょう?」
「あんた言ってること難しいな」
「ザギルあんたもうちょっと賢いと思ってたんだけど」
「なんだよてめぇわかんのかよ」
「わ、わかるわっ」
「目ぇ泳いでんだよっわかってねぇだろ」
「……このカップがカズハの魔力の器、中のお茶が魔力だとして、どのくらいであふれるのか、どのくらいで空になるのか、今どのくらい残ってるのか、減っていく速度、注がれる速度、それがわかるのよね?」
エルネスは自分のカップとソーサーをテーブルにおいて、ティーポットからお茶を注ぎ足して説明する。
「ああ、まあ、そうだな。そんな感じだ」
カップからソーサーへお茶が注がれ、そのソーサーを持ち上げ、カップは後ろ手に隠す。
「でも私たちはこっちしかわからない。カップも見えないの。今カップにどのくらい残ってるのかは、このソーサーの中のお茶の量や、ソーサーの中のお茶が増える速度で推測してるだけ」
「おー……エルネス、わかるように説明できるんだね」
「……悔しいけど私は今『わからない側』だからね。だからこそザギルを勧誘してるわけだけど。ザギル、あなた誰の魔力でも把握できるのよね? 見えてるんだから。そんな人、私は今まで会ったことないし、そんなことできるならどれほど研究が捗るか……っ人手不足なのよっ最近研究材料が多いからっ」
ふるふるとエルネスの握りこぶしが震える。そ、そうだね。ヒカリゴケとか古代遺跡とかもあるもんね……。
「誰のことでもそんな風にきっちりと全部見えてるわけじゃねえぞ? まあ、普通は大体わかるけどよ」
「詳しく」
それでもエルネス止まらないのね……。
「あー、魔力切れ、あんだろ。ありゃあ、そうだな、ほとんどのヤツは残り三割ってとこで疲れ始める」
「そうね、そう言われてる」
「残り二割で動けなくなって、一割切ったら死にかけだ。死にたくねぇから二割切り始めると魔力の回復速度が上がる」
「ええ」
「で、人はそれぞれ、茶の量もカップの大きさも違うわけだ。当然二割の量も違う。そうはいっても常識の範囲内だけどよ」
「ザギルが常識とか」
「ほんとうっせぇよおまえ。で、こいつらは多分体がちっせぇせいもあるからかしんねぇけど、残り二割でも一割でも動けてんだよ。一割でも普通のヤツらの十割より多いしよ、死にかけてんのに気づいてねぇんだ。そのくせ回復速度は二割切ったとこで上がりやがる」
「……はぁ?」
口も目もまん丸くさせて、私と翔太君を交互に見る。エルネスだけじゃなく、ザギル以外の全員が。
「しかも速度の上がり方が尋常じゃねぇ。そりゃ酔うだろうよ。死にかけてるとこに劇薬ぶっこまれるようなもんだ。なのに魔力が増えてくるもんだから、こいつらはじゃんじゃん使い続ける。適正値っつったか? 普通は自分に丁度いい量は本能でわかるし、ちょうどよくなりゃ勝手に回復速度は落ちる。それが落ちやしねぇ。とっくにあふれてんのに茶の量はがんがん増えて止まんねぇ。こいつらの適正値と下限値は他のやつらと違うから、俺でも普通に見ただけじゃわかんなかっただろうな」
「なんでわかるようになったの?」
「お前が死にかけてんの目の前で見てたからだな」
「ほお……」
「やべぇラインがわかったから、ちょうどいいとこもわかったってとこだ。ただ、あんときは首輪やら薬やらで、ちょっと怪しかったんだけどよ、さっき喰ったときに確認した。で、小僧もお前と同じような感じだから、お前がやばけりゃこいつもやべぇだろってな。だからまあ、正直、小僧のはお前ほど完全に見切れてるわけじゃねぇ。自信はあるけどな」
「……おい翔太」
幸宏さんが翔太君の襟元を掴んだ。
「今夜城下いくぞ。連れてってやる」
「えっ」
「さくっと調整教えてもらえ」
「い、いや、でも僕今日わかった、と、おも」
「量だけだろっ調整覚えろ。なんだよ死にかけてんのに気づいてないって。いいっすよね、ザザさん」
「ですね。ちょっと軍部にも店の情報もらっておきます」
「ねえ、和葉は……?」
「俺が教えっからいいだろよって、睨んでんじゃねぇよ氷壁」
うーん?
「ねえザギル」
「おう」
「私あの時そんな死にかけてたの?」
「そっからかよ!」